監査役BLOG

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ふるさと納税

 ふるさと納税は地方税を本来納付すべき自治体以外の自治体に振り替える人気投票の意味があります。

一方国の人気投票は国会議員の選挙ですが、国政は省庁ごとに民意を反映したりしなかったりしています。 そこで国税も地方税とバーターする納税選択をすればよいと思います。 国が地方税の納付自治体変更の振替を認めるなら国はそれを決めて高みの見物、自治体は税収を減らさないよう必死で工夫しています。 同じ工夫を国も行えばよいという考え方です。 その際、国税を地方税に振り替えるとき自治省分を減らしてほしいなど指定できるようにしておくことがポイントです。

国税が大きく毀損するなら予算が成立しないと懸念があるかも知れませんが、2016年で地方税36兆円のうち2844億円が振り替えられ、948億円が礼品に使われています。 無制限で国と地方が振替可能がまずいなら上限をきめればよいだけです。 本当に民意を知りたいなら血税で問うてみよ! 高みの見物は許さないと思う地方の首長もたくさんおられると思います。

ちなみに制度が実現すれば私は国税のすべてを地方に振り替えようと思います。

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やっかいな自分の脳

私は最近朝に考え事をします。 朝以外の時間に考え事をすることもありますが朝が多いです。 起床時間は5時ころ、7時ころが最高に集中できます。 問題は集中できる時間が1時間程度、若いときもそんなものでした。 その間の集中力は我ながら自慢できるものですが、1時間しか続かないことは少なすぎる様に思います。

朝の時間に集中するとアイデアがすごい勢いで頭をめぐり、メモに残す前に次のアイデアが湧いてくることがあります。 そして1時間立つと何も浮かばなくなります。 頭を触ると熱くなっていて、考えていないときと温度が違います。 あまりに熱くなった時はぬれタオルで冷やさないと興奮が静まりません。 これに気づいたのはサラリーマン時代にマージャンをしていた時でした。 私にとって麻雀は遊び、多少のお金をかけていたのですが負けて小遣いを巻き上げられるのは耐え難い事です。 仕事が終わって7時ころから終電車の11時ころまで4時間の勝負、初めの1時間勝ち続け、頭がオーバーヒートしておしぼりで頭を冷やします。 まだ頭に毛が生えていたので冷やしにくかったのを覚えています。(今は頭が禿げているので効率的に冷やす事が出来ます) 1時間経過すると勝は遠ざかり、残り3時間勝ち負けなしで凌げればトータルで勝ちますが、凌げなければ僅かに負けてしまいます。

仕事で言えば勤務時間は残業なしで実働7時間、とても集中できません。 一度オーバーヒートしてしまえば思考力は極端に落ちてしまいます。 1時間集中して難問をクリアして、残余の時間は仕事をしている振りをします。 前職の仕事は継続反復作業より考えてまとめる仕事が多かったので仕事をしていない時間が圧倒的に多く、首にはならなかったものの評価が低かったのを覚えています。

ここで『考える事』の内容はどちらかというと創造的な作業です。 前職の仕事で契約書作成がありましたが、同じ売買を継続的に繰り返す契約書は決済条件など定型項目を書けば完成です。 条件さえもらえればひな形の確認もなくPCに向かって作成し、校正すれば出来上がりです。 ところが外注加工や業務提携の契約になるとリスクや責任範囲の特定、契約内容に関係する外部要因の変化など不確定要素が多く、どのように組み立てると有利か組み合わせが相当数に広がります。 このような契約書は裏紙に鉛筆で因果関係を書きなぐりながら考えをまとめてゆきますが制限時間は1時間、集中できていないときに作成した契約書は集中しているときに見直すと完全に没になります。 完成度の低い契約書を取引先に提示してそのまま締結してしまったことも多くあります。

このような集中は自分でコントロールできませんが、大変だと思ったときは集中できます。 ただし1日1時間、2時間目はあったとしても集中力が落ちています。 集中力をコントロール出来て中程度に集中、今はMAX、3時間連続などできればよいのでしょうが、そうなれば常に高いレベルで集中して長生きは出来ないでしょう。 

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転職

私は20年勤めた会社を辞めて今の会社に転職しました。 前職での仕事の結果に対する評価は惨憺たるもので、成し遂げた成果に対する評価がなく、個人的な欠点で評価されたと思っています。 そのことは結果的に転職につながったこと、転職の結果自分の価値を再認識できたこと、現職でも自分の業績について正しく評価されないことについて免疫が出来たこと、前職で思い切り自分らしいやり方で仕事をして大きな結果を出せたこと等多くの理由でよかった経験と思っています。

前職で私の前任が不動産事業を展開し、採算の悪い状況で放置していました。 引き継いだ私は委託している不動産管理会社に出向き、管理責任を強力に追求しました。 相手は不動産業界に生きてきた責任者、面前で思いっきり無責任な仕事ぶりと救いがたい結果を罵倒しました。 その責任者は翌日その管理会社を退職し、信任管理者が不通に管理業務を行う事で会社利益の何割かを稼ぐようにする事が出来ました。

年間経常利益10億円弱の会社で3億円以上利益の上乗せに成功しました。 しかし全く評価されませんでした。 不動産事業というのは賃貸住居の運営で、私がいた会社は化学品の専門商社、売り上げ至上主義の経営管理の会社で利益の3億円というのは売り上げの3億円増で目につかなかったのでしょう。

不思議な経営管理です。 私は考えぬいて管理会社に圧力かけ、まんまと成功体験を得る事が出来ました。 その結果不動産を扱うことに拒否感がなくなりました。

しかしそのような評価方法や経営管理に関心がなくなり、転職に対して全く未練がなく、別の世界でも生きて行けるという自信に繋がったことは大きな成果でした。

採用面接で中途採用の方の職歴を聞く度に不思議に思うのは大きな成果を上げる前に退職されている方が多いという事です。 その会社の考え方自分に合わないことはあるかも知れませんが、仕事は会社の考え方と異なり、多くの場合裁量の余地があります。 そこで成果を挙げれば会社の考え方にも理解が深まるように思います。

会社を選ぶ、上司に先輩に恵まれるなど働くうえでいろいろ判断材料はあるでしょうが仕事の成果に焦点を当てて会社や上司や先輩を見ると違って見えてくるように思います。

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カーナビ

私は方向音痴でずいぶん苦労しました。 山登りをしていたころは登山道の無い山の縦走をしましたが方向を間違う事が多く、国土地理院の2.5万分のⅠの地図を何度も見直して方位磁石と突き合わせていました。おかげで私は読図力は高まり、縦走でさほど苦労しなくなったのを覚えています。 現在の登山はGPS機能のついた電子地図が主役のようで、紙の地図で進路を決めることもなくなったのではないかと思います。

方向音痴の原因はいろいろ言われていますが、私は図形の記憶力が弱い事だと思っています。 山行記録を山学会の会報に書く時の地図は時間がなくて記憶に頼って書くと友人から誤り指摘の電話がかかってきました。

最近は山に登ることもなく、バイクでツーリングを楽しむときに方向音痴で苦労しています。 しかしカーナビを装備してから知らないエリアでも平気で行けるようになりました。 やはり地域全体の位置関係が覚えられず、カーナビに設定したとおりに走るだけです。

そのカーナビがアイフォンにとってかわられ、値崩れを起こしています。 アマゾンに出品されている7インチのカーナビがかつて10万円近くの値をつけていたのが最近は1万円以下で購入できます。

私も9千円のカーナビを買って使っていますが、高級品ほど機能はついていないもののナビゲーションは正確です。

経済誌で株価を見ていたらカーナビ主力メーカーは業績が急に悪化し、下落していました。 アイフォンであれば最新地図で使えますが私は専用機がまだ良いと思っているので機械の進化と低価格化に期待しています。

方向音痴の欠点はゴルフをやっていて感じました。 ティーショットでボールの後ろからボールを飛ばす方向を定め、アドレスに入りますが改めて方向を確認してボールを見た時に頭の中のボールが飛んでゆく景色が消えてしまっています。 体か覚えているスイングを立ち位置で再現したときにうまく再現できても方向が定まりません。 目標の映像が浮かばなければ目をつむってプレーしているようなものです。

訓練で治るのかと思い、階段を上るときなど一瞬階段を見て目をつむり、上っていきます。 踊り場までの映像が一段上がるごとに変わっていき、無事に登りきる事が出来るときもあれば最終段で不安になって目を開けることもあります。

平面なら成功することがあるのですが、三次元のイメージを頭に描くのは一苦労です。 天体の話など映像なしで説明されてもうまくイメージできないときがあります。 では四次元ではどうか、この会社がこうしてああしてどのように発展していくことを描くのは映像にしにくいだけにさらに困難になってきます。 あるテニスプレーヤーが勝利者インタビューで『サーブの前に何を考えていますか?』と聞かれてトスをどこに上げ、サーブを相手コートのどこに落とし、リターンがここにきて、それをネットについてボレーを決める、一つのゲームのすべてを映像で描くそうです。 これは4次元のもの、トッププレーヤーはすごいと感心しました。

経営者もトップに立つ人はこの能力が優れているのでしょう。 そのうち経営ナビゲーションシステムが出てくるでしょうから、得意能力の無い経営者が今までにない経営を展開してゆくと思います。

 

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考える

身近な人を観察していて人はあまり考えないものだと思いました。 自分の中で『考える』という事は課題や問題の解を出す事と思っています。 もちろん考えるという事がそれだけではないのでしょうがここでは解を求めることとして話をすすめます。

会社において問題や課題は常に現れ、処理して行かないと会社運営はできません。 現場でも中間管理職の段階でも経営でも発生し、大きな問題から小さな問題まで、緊急のものから答えが出ればいつでも良いものまでいろいろです。 大抵のものは過去の経験から自動的に解が導き出され、日常業務の中で処理されます。 過去の経験知はデータベースにあるファイルのようなもの、解を導き出すのはデータベースをひっくり返して一番ふさわしいものを引っ張り出すことに似ています。

この作業自体は考える事ではなく作業です。 適当な経験知が見つかれば過去と今と問題を取り巻く環境に変化はないか、関係することに違いはないかなど検証します。 過去の経験知と全く同じであれば答えは自動的に決まります。

しかし問題に関係する人や規模が違えばそのまま過去の解を適応してよいか判断が必要になります。 要は問題をその本質を理解することが必要になり、大抵は過去の案件と程度の違いという事になります。

しかし前例の無い問題が起こったり、同様の問題であっても問題をめぐる環境が前例と大きく異なりもはや程度の差では片づけられなくなった時、かなりの推理を行い判断することになります。 ここで持ち出す前例がとんでもないものの組み合わせだったりして導き出される解は大きく異なってきます。

有効な発明、戦争における劇的勝利を収めた戦略、駆け引きなど天才的と呼ばれる判断も考えること=前例検討によって導き出されていると思います。 結果の判断に新規性があってもあくまで前例の組み合わせと少しの推定でなされたものです。

この訓練は学校教育も同じと思います。 何とかの定理、関数、何とかの法則などを正確に覚えて模擬問題の解を導き出すことが訓練されます。 訓練対象となる問題の解を導き出す方法は単数または複数、解は一つにならなければ訓練の成果は測定できません。 社会に出てもおおむね多くの業務の解は一つに落ち着きます。 ところが解が複数の世界では選択する前例の種類と内容、推理のセンスが成果を大きく変えてきます。

センスも経験の積み重ねと思います。 ある種のセンスの働かない人は働く人に比べてある種の経験がないと思いますが、その経験がスポーツを熱心に行ったとか海外旅行に行ったとかではなく複数の経験だと思います。

人が経験できることに限りがあり、経験を豊かにするために本を読んだりします。 私は過去の自分の趣味が山登りであったため山岳小説を読むと主人公に自分をあてはめて自分が主人公になったつもりで疑似体験が得られます。 小説の作者は主人公を通じてメッセージを次々発し、罠を仕掛けて感情移入した読者を翻弄します。 私は作品を読みながらワクワクし、もだえ苦しみ、厳しい判断を迫られます。

主人公は反政府活動家で中国のヒマラヤ山脈のある5000mの氷原を逃げまどい、政府のヘリコの爆音に身を隠す場所を探しますが岩陰もなくくぼみに身を伏せます。 感情移入した私は雪原のくぼみがヒドンクレバスと分かり、踏み抜いてくれバスの底に潜みます。 ヘリコは高高度では空気が薄く5分とホバリングが出来ないのでひたすら息をひそめヘリコの立ち去るのを待ちます。 雪原の足跡は雪が硬くで目立たないのであとはクレバスにあけた穴を発見されるかどうかです。 ページを読み進むうちに5分が過ぎ、作品でもヘリコは何も発見できず飛び去ります。 私の手は緊張から汗ばみ、クレバスから這い出る方法を考えていると作品は別の場所の話に展開しています。

このような疑似体験を繰り返すことで考えられるセンスは磨かれてゆくと思います。 しかし映像は疑似体験という意味では少し違うように思います。 読書は活字しか見えない中で極寒の世界を想像し、感情移入します。 この想像体験が重要と思います。

ネット検索が盛んになり、多くの人は前例になる情報収集が熱心でその使い方について訓練が熱心ではありません。 頭の中で情報を整理し引き出すことは機械的作業、それも大変重要ですし、情報の価値を見抜くために必要ですが、多くの正確な情報を月並みの組み合わせで解を導くやり方は限界があると思います。

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チャンバラ小説

たまたま紹介された人と読書の話でチャンバラ小説の話になりました。 私は最近はまって佐伯泰英氏の作品を20冊ほど読んだところでした。 その方は私に葉室麟氏を紹介していただきました。

鎌倉から江戸期の作品が多いようですがすぐに2作をよみ、その人に文正のまさ、時代考証正確さ、奇想天外な仮説に驚いたこと等感想文を送りました。

すぐに返事が来て描かれた歴史に名を残さない主人公の愚直な生き方が好きだと感想を返していただきました。 その方はかなり大きな企業の代表取締役、聞けば厳しい事業分野で鎬を削っている企業のトップの『愚直が好きだ』に新鮮さを感じました。

厳しい業界の企業のトップが愚直に生きることを良しとするところに先入観、競争の厳しい業界に生き抜くには気配りが出来て器用な人を良しとするのでは、が打ち砕かれました。

当社にも派手ではないにしろ愚直に仕事をして大きな成果を生んでいる人がおられます。 おそらく目立たない人たちが当社を支えていることに気づかされました。 愚直の語感には泥臭さが付きまとっていたのですが、目的達成に見栄えを気にしない追求心があり、当然犠牲にすることも多い事も顧みない自己犠牲の美しさすら見え隠れします。 自分は人の評価で派手さに目を奪われ、ゆがんだ評価をしていた、それを指摘された時に評価は結果にするもので努力や愚直であることを評価してはいけないと思っていました。 瞬間の評価はそうかも知れなかったのですが、愚直であり続けた人は長期の実績はたいてい特筆すべきものです。

鎌倉から江戸期の武家社会で忠孝が価値観の中心に据えられ、それを貫く武士の姿は現代社会でも多くのビジネスマンに見られ、日本的特徴を指摘される場合も多いです。 それは古い考えではなく最も生産的な考えに直結していて、経営の実践では愚直を生かし評価する文化に修正してゆくべきと思いました。

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成長する

採用面接で『働くうえで目標にすることは何ですか?』と聞くことがあります。 『働くことで自分が成長することです』という答えが多く返ってきます。 『あなたにとって成長とは何ですか?』と聞くと仕事においてエキスパートになること、部下をもち指導すること、昇進することなどの答えが返ってきます。

どれも正解かもしれません。 私はどこでも通用する人になることを目指すように言ってきました。 会社は未来永劫存続できるわけでもなく、もし会社が倒産したり何らかの事情で退職しても次の仕事で通用するなら本人は生きてゆく上で困りません。

しかし志半ばで退職に至った人の風聞で他所で通用しているとはとても思えません。 本人は自分の評価や仕事、人間関係への不満から退職し、自分を生かす環境を求めて転職したわけですが、環境がその人を鍛え成長のきっかけを与えるかもしれませんが、成長するのは本人で環境ではありません。

他人事ではなく、私自身も成長を目指しています。 もうこの年で成長と言えば笑われるでしょうが、上手くなりたい事、身につけたいスキルはもちろんの事、健康維持が図れることも目指すという意味では努力します。 例えば筋トレ、腹直筋を鍛えます。 なんのためにと言えば腹筋が弱くなってバランスを崩さないようにとか腹回りを引き締めるとか、裸になって鏡で自分のおなかをみます。 それほど熱心にしていないので筋トレマシーンの宣伝に出てくるような腹にはなりません。 しかし一定のトレーニングが苦も無く出来たりすればそれでよしと思いますが、デジタルで現在の腹直筋は○○と表示されれば励みになるでしょう。 数値が良くなれば喜ぶ等愚かしい事ですが、目的の達成感はあります。

話は戻って成長に当てはめ、成長の目的である昇進やエキスパート等数値化出来たり客観評価できる目的が重要で、さらに目的の先の目的があります。 昇進する目的は何か、最初の昇進は仕事の難易度が上がり、達成感より苦痛が大きくなる人がいます。 昇進を目標にして昇進したものの他所で通じる成長が遅れていたため、昇進を自分の成長に生かせない場合です。

話はこんがらがってきて何が目的で手段か、一体自分は何を求めているのか訳が分からなくなり、学校の同級生と話をして自分の方が昇進していたり、給料が高かったりしたことに満足してしまいます。 成長は自己のもの、他人の給料との比較ではないのですが、成長を求めるなら成長の意味を高い次元で認識せざるを得ないし、その認識のもとに努力が必要でしょう。

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存在するものには意味がある

世の中には不合理、というか理解不能の考え、行為・行動がたくさんあります。 しかしそれらを良しとする考えの人もいて理解不能の対象は考え・行為・行動からそれを支持する人、もしくは指示単体から世の中に対しての不信感になってきます。

あまりに狼狽えた時、それにはそれの存在意味があると思うようにしています。 自分だったらやらない方法や目的の設定はそれがその人個人の範囲であればよいのですが、会社の方向性であれば反対してしまいます。 支持する人は反対されたことに不快感をもつでしょう。 反対する理由を述べなくてはなりません。

根底から否定する説明では説得はおろか反感を抱かれかねません。 そう思うからには根拠があるはず、それはいびつな前提で意味があると考えれば前提のいびつさを解説すればよいでしょう。

面倒くさい話ですが誰かがやらねばならず、理屈ではなく経験であればなおさら説得困難です。 しかしそれが意味があると信じる事が出来れば説得、意味なんかないと考えれば対立しかなくなります。 確かに意地悪で言われているとか、とんでもなく思い付きだとかもありますが、思いつく理由があるはずです。

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後の先

 私は時代小説、いわゆるチャンバラ物にはまっています。 多くの作品に『後の先』という言葉が出てきます。 チャンバラ物はほとんどがエンターティメント、50年たって文学全集に収載されるような作品ではありません。 作者は多作で1ページ幾らの仕事、書き上げたら出版するというものではなく、連載物は締め切りに追われ書き上げていきます。 だから調べた時代背景を必要以上に書き綴り、ページを稼いでいる作品も多くあります。

『後の先』については解説がなくネットで調べてみました。 剣術は一撃必殺の技、それを躱されると隙が生じます。 相手の必殺技を予測し、躱して隙に相手を倒すことだそうです。 ボクシングのカウンターパンチと同じだそうです。

事業活動でも『後の先』はあります。 マーケットをよく観察していてよい方法を編み出したやり方をまね、一気に市場を制圧するようなやり方です。 実際の場面で目の当たりにするとあまり良い印象はありません。 他社のまねをし、少し改良して一気に市場制圧する方法はオリジナリティが弱く、まねるという点で節操が無い様に思います。

しかしチャンバラも事業運営もシリアスな勝ち負けの世界、ちなみに小説に描かれた剣術の世界で『後の先』は卑怯な手とは解説されていません。 相手の一撃のスピードが速く躱しきれないか読み切れない技であったらやられてしまいますからマネの技ではなく受けて立つ達人技です。

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ボーダーレス2

前回は自分の青年期から現在に至る規制解除の事例を記載しました。 次の話題は私のサラリーマンライフのボーダーです。

会議での席順ですが、役職、年齢順で各部署の会議から取締役会まで厳格に決められています。 来客時の席順も厳格に決まっています。 たまに取引先の高い地位の人が来られ、私が対応するときなど混乱したのを覚えています。 席順は車の乗車位置や宴会の席順まで厳格で、時代劇を見ているようです。

仕事をしているとき、上位役職者から指示が来ると仕事中でも出向かなくてはだめで、役職が同じなら何分後とか指定できます。

社長が副社長に用事がある時は秘書に電話し、秘書が副社長室に伝えます。 連絡を受けた副社長は社長室にすぐに出向きます。 社長室と副社長室は距離にして20m弱、用があれば社長が副社長室に出向けば良いものをと思いました。

取締役会で議事は各取締役が社長に報告を行い、社長が総て決裁します。 したがって多数決で決めることはありません。 社長が判断に困るような案件は事前に担当役員が社長か副社長に説明し、内諾を得ていたようです。

長所は決定が速いこと、多くの規制が働くので意思決定システムに不都合は起こりません。 つまり誰もこのシステムを乱すことはしないという事です。 冒険的な議題は出ませんし、小さい冒険は業務執行範囲の中で処理され、失敗も社長に嫌われていない限りおいてお咎めも小さいものです。

いま佐伯英泰氏の江戸時代剣豪小説にはまっていますが、藩幕体制の中でなされる意思決定によく似ています。 小説はフィクションですが、武士が早く大胆に決定する様は当時の私の会社に比べると現代の組織運営に近いものを感じるときがあります。 現代経営のバイブル的存在であるドラッカーは明治期にオーストリアに生まれ、ナチスを避けてアメリカに移住した人です。 日本でも同時代に現代の組織運営に近い経営をした人が多く経済小説の主人公として描かれています。 なぜ私がいた会社が旧態依然としていたか証明できませんが、トップの考え一つではないかと思います。

ボーダーはどんな組織運営でも必要なものですが、ボーダーが少ない方が柔軟に組織運営が出来るとおもいます。 旧態依然とした強い会社もありますが、大きく飛躍している会社はボーダーが少ないように感じます。

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