監査役BLOG

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価値観

[価値観]

再出発

 人は新たな人生を歩むときに過去を捨てなければならない時がある。 新たな人生とは少し大げさかもしれませんが、転職する、転居する、結婚する等物理的空間的なあらたですし、何か新しい考え、例えば宗教に帰依するようなことも精神面での新たな人生でしょう。

 過去にない大きな出来事に遭遇したり、大きな決断を強いられ、人に話せないことで、そのことを心の中に封じ込めて残りの人生を送らなければならなないようになるとかです。

 では過去はというと、転職などでは過去の待遇、人間観などです。  転職においては一般に年収が下がるでしょうし、役職もなくなる場合が多いと思います。 以前は課長だ部長だと言っても今役職がついていないなら今を中心に日々の生活が流れるのは言うまでもありません。 この場合、捨てるべきはプライドであったり、視点、以前部長蜀でれば部長職の視点を捨てなければ今の職位に応じたものの見方でなければ職務を全うできません。

 過去は抽象的なものですが、過去に持っていたもの、私の場合趣味のものが多いですが、山登りの道具、テニスのラケット等はやめて何年もたつのにクローゼットに残っています。 またいつか再開するかもしれないはずはなく、持っていても仕方がないのですが。 それでも多くの物をすてさりました。 山登りであれば国土地理院の地図、過去にはじめて登る地形図を買い、携帯に便利なように折りたたみ、登ったルートをペンでなぞった地図は数百枚あったと思いますがすべて捨て去りました。 自分が数多く寄稿した山岳会の会報も捨てることができました。 何百人もいた山の仲間の人間関係も全部切れてしまいました。

 こういった人間関係をずっと大切にする人、思いである物を大事に保管する人もおられるでしょうが、私の場合これら過去を捨てるには捨てる訳があり、捨てた過去に興味がなくなったか変わるべき新しい何かを始めたかです。
 山登りは体力の衰え、転職で山に登る時間が無くなったこと、十分多くの山に登り満足したこと、そのころ勤め人でしたが休日ごとに山を登り、いつ辞めても未練がないと思ったことでしょうか。

 人間関係が途絶えたのも山の付き合いは山だけと思っていたからです。 山をやめるきっかけとなった転職後、新たな人間関係が築かれこともあります。

 必死にやっていたから未練がなかった、過去を捨てることに抵抗がなく新しい環境を受け入れることができた、いまだに持っている山の道具は捨てそびれたものと思っています。 多くの人間関係も山が縁での付き合いで、山以外でも付き合うほどの関係でなかったということでしょうか。

 その一方で山登りで得た考え方などは身についてしまっていて、時々出てきます。 物をさっさと片付けるとかです。 山でテントの中は狭く、食事などはさっさとすましてすぐに食器などを片付けないと次のことができません。 それが身についていて、食事が終わるとさっさと食器を片付け、洗ってしまいます。

 いつもなぜそうするのか疑問をもたなかったのですが、重要な来客があってお茶が出て、客が帰ると自分でお茶碗を炊事場に片づけています。 これも捨てられなかったテニスのラケットのようなものでしょうか。

 多くの経営者を見ていると断定した見方、お金の使い方、価値観に共通点があります。 私は時々外れていて、質素であったり、自分で何でもやってしまったり、周りの経営者からきっと貧乏性と思われていると思います。私の捨てられなかった過去は貧乏性に集約されるのかもしれませんし、あまりカッコもよろしくないのですがそれが自分、最後まで捨てられない、捨ててはいけないものと思い、上手く付き合っていこうと思います。
 

 

 
  

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[価値観]

節約と投資

 私は日常生活で節約を心がけています。 節約として当然のこと、照明は使わない時にこまめに切るとか、エアコンの設定温度は夏場28℃以下に下げないとか、家の照明をすべてLEDに変えるとか、外食をしないとかです。 日常生活で無駄使いと思われることは喫煙の習慣でしょうか? 体調が悪いのは喫煙が遠因になっていると思われますし、中性脂肪値の高いのも肥満も体力がないのも喫煙が原因ならお金や時間を喫煙により浪費していることになります。

 飲酒の習慣がないのでせめて喫煙くらいはと思いますが、 やめるに越したことはありません。

 多くの企業の成功例を見ていると『節約』を活用しているように思います。 JALを再生させた稲盛和夫氏の施策にも色濃く表れていて、無駄をなくして木々用の再生を果たしています。 もちろんそれだけではなく、氏の書籍でも紹介されているアメーバー経営なども大いに浸透させたことと思います。

 パナソニックをV字回復させた中村邦夫氏はパナソニックが大掛かりに取り組まなかったリストラを大胆に行っていましたが、リストラも広義には『節約』の概念に通じると思います。 照明をLEDに変えて月に数円の電気代を節約するのと不採算事業を数千億円で 売却する話はことの大きさの違いを超えて質的に異なる話題に見えます。

 ほかにも経営者として著名な人で経営においても私生活でもケチであったり節約を旨としている人の話題は枚挙にいとまがありません。 しかし『節約』と思われる考えを持たれる経営者はちょっと思い浮かべただけでも過去の人、高齢の人が多く、現在活躍している若い経営者の日常生活や経営手法で『節約』を感じられる経営者は少ないように思います。

 もしくは節約の定義が異なるのかもしれません。 テスラモータースのCEOは若い人ですが、EVや再利用できるロケットの開発なども節約として見ることができます。 ユーグレナのみどり虫でつくる燃料、サイバーエイジェントの着装型ロボット開発も節約をテーマにしているとも考えられます。 身体能力に障害を持つ人の移動や仕事への従事にかかわる多くの助成や援助はロボット着装で自立に近づくかもしれません。

 多くの新しい産業分野はより便利で、安全で、環境負荷の少ないものに向いていますが、時間を節約し、リスク対策を節約し、環境改善のコストを節約すると考えれば多少こじつけでも整合できると思います。

 前述した古いタイプの 経営者は大量生産、大量購入・販売等ますプロダクツに依存した生産性により節約を行っていました。 まだまだそのような産業分野があり、古いタイプの経営者が活躍していけると思いますが、新しいタイプの経営者は今までにない節約で新規事業を立ち上げようとしています。

 新しい事業といえばIT業界を連想しがちですが、例えばSNSでいえば通信や伝達の節約に大きく貢献して、アラブの春にみられるような政治への影響を与え、あたかも世界を動かすかのように感じられます。 そこで生み出される利益も莫大で話題になりやすいです。

 当社は中小企業でITから遠い医療介護の業界ですが、節約という指標でニッチの節約事業を生み出して成長を遂げたいと考えています。 

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[価値観]

家族

 私は家族とは考え方が違い、上手く寄り添うことができませんでした。 ここでの家族は両親や兄弟のことですが、両親は当然自分より古い時代を生きてきています。 私を中心にすれば生まれ価値観が形成される次期、三歳児から思春期が30年前後ずれています。 両親は大正時代末期の生まれ、私は昭和28年生まれで高度経済成長期にそって成長してきました。

 家に対する考え方が特に違い、個人は家制度に従属するという封建自体の考えを色濃く持っています。 私はそうではなく、そのような価値観に触れるたびに時代劇を見ているような気になります。 しかしそれを強制されたとき強い反感を持ちます。

 家制度にみられる価値観のすべてが悪いとは思いませんが、家さえ良ければ個人は隷属するところに私も両親も妥協できる余地は少ないです。

 このような葛藤は大正時代の私小説 で解決した問題と思っていましたがそうではありません。 このような家制度=組織偏重の考え方の基礎は日本が農業国で資産の中心が土地であったこと、その土地が国土の狭さから一部の地域で大きく値上がりし、資産価値が莫大になったことに原因の一端があるとおもっています。 莫大な資産価値に隷属する個人の姿がみれます。

 もう一つは江戸自体の武家文化や身分制で、 社会的地位は世襲に合ったから世襲の主体が家制度に依っていたからにすぎません。

 最近相続税率が上げられ、資産相続はより厳しいものとなっています。 家制度を崩壊するため政策が税率を上げたのではなく税収不足から相続税の増税がなされたにすぎません。

 一方地位の世襲は企業において話題になります。 上場している大企業のカリスマ社長が子供にその地位を譲る場合です。 そして後継者である子供が高いパーフォーマンスを示す場合、帝王学の強みが話題になりますが、逆の結果を生むケースも大変多いと思います。

 私も以前サラリーマンをしていたとき創業家の息子、孫まで会社にいて、二代目社長の子供、初代副社長の甥など多くの係累が幅を利かせていました。 肌で感じたその文化が良いと感じた局面は一度もありませんでした。

 このような世襲の考えは欧米の社会でも垣間見られ、欧州ではいまだに世襲の貴族が存在しますし、アメリカでは大統領の一族が大統領候補になり、親子が大統領とか夫婦で大統領とかアメリカの文化のイメージから遠いことが起こっています。

 私事に戻り、私の母が90歳にして認知症となり、とても面倒を見切れないので施設に入所させました。 反りが合わない親子関係というより長い時間の中で憎しみが募るような親子関係でした。 それでも親子、日々安否確認の電話をするうちはまだしも、救急搬送されて病院に入院し、認知症が一気に進みました。 この状態で一人で暮らせないので施設に入所させたのですが、日々施設からの脱走を試みます。

 母はまだらの認知で、完全に過去の記憶から解き離された状態、自分は誰でここはどこ、のときは赤ん坊のような顔をしています。 過去の記憶がよみがえると厳しい表情が戻り、自分を閉じ込めたことをののしります。

 私の母への憎しみは私が子供のころの母の理不尽な行いです。 しかしどうすることもできない状態、改善の可能性のない状態の母を見て憎しみは消えてゆきました。 しかし親子の情が戻るかといえばそれは戻りませんでした。 情は血縁だけから生まれるものではなく、情を築かなければ残っていかないことを実感しました。

  

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[価値観]

[生活]

フロー概念、ストック概念と節約

 会計ではフロー概念として損益計算書、ストック概念としては貸借対照表があります。 あえて解説すれば前者は川の流れに例えれば水の流れる量を示し、一定期間にどれだけ流れ込み、その水がどのようになっていったかを示すもの、途中で蒸発したり、農業用の灌漑に利用されたり、ダムに溜まったりする量を示します。

 後者はダムに溜まった水の量を示します。 これはある時点の量を示します。 会計でいえばお金でいくら残ったとか、固定資産としていくら在るかとかです。

 経営者に多く見られるのはフロー概念、損益計算書に注目している人が多いということです。 今季いくら儲かったなどということに注目します。 もちろん大企業も同様でもっと細かく全社期間損益、部門期間損益、直接経費と間接経費の比率、期間も年、四半期、月次、さらに細かいところでは単品の損益などを管理しています。

 一方ストック概念について川の流れのたとえと大きく異なることはマイナス概念があるということです。 負債の部と呼ばれるのがこれで、借入金、未払い費用、買掛金などです。 川の流れで借り入れは考えにくいです。

 このフロート・ストック概念は 日常生活でも言葉は違えど出てきます。

 少し話は変わりますが、私は個人的に倹約家であります。 子供の時に躾けられたことが価値観となって、必要以上に節約します。 移動手段は自転車かバイクか徒歩か電車など公共交通機関です。 会社で車を用意してもらえれば楽なのですが、車をほしいと思ったことはほとんどありません。

 中小企業の経営者と面談の機会が多い税理士は私のことを『変人クラブ』と呼んでいます。 多くの中小企業の経営者は自分の所得を最大化するため経費を使い、最終利益ゼロを目指しています。 最終利益が100万円であれば約40万円は 納税額になります。 であれば100万円でゴルフに行き、酒を飲みごちそうを食べることで自らの快楽を追求します。 しかし交際費などで落とされるこれらの経費がすべて無駄化といえば経営者の稼ぐ意欲につながり、接待を通じて商談が整ったりします。

  従業員の給料を増やし、従業員に感謝されることを求める経営者もまれにおられます。 給料は労働の対価、会社への利益貢献を正確に測り、それに応じた給料を払うことが私は正しいと信じており、一般的な職員の給料も相場とその人の利益貢献で決めていて、利益が出たら昇給という発想はあまりありません。 赤字になれば同じ仕事をしていて給料を下げることになりかねません。

 では私は自らの報酬もケチってもいざという時のために内部留保を 高めようとしているか、もちろん企業規模に応じた内部留保は求めるところですが、事業の効率化や新規事業へ投資してゆきます。

 このような投資が貸借対照表の改善につながるかといえば残念ながら直截的ではありません。 しかし、企業が多くの経験を積み、内部体制が合理的になってゆくことは貸借対照表に泡われない資産といえるでしょう。

 個人の話に戻れば、けちけちしている私に他の経営者は『お金を棺桶まで持ってゆくのか』と揶揄されますが、自らの経験の蓄積や投資に個人でも人並みにお金を使っており、自らの見えざる資産を増やそうとしています。 教養や知性や決断力は棺桶まで持ってゆきたいと思っています。

 どうせ儲かったお金を使うなら規模拡大や効率化でより安定した利益を稼げるようにします。  

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[価値観]

祝辞

明日は入社二年目の営業職の社員の結婚式に招かれました。 最近ものぐさになり、社員の方と接する時間が少なく、その人のことをよく知らない社員が多くいます。

社歴が10年前後の人は社員数が少ない時代からおられるので何かと接点が多く、年賀状のやり取りから家族の顔まで覚えている人もいます。

一方、社歴の浅い人は人数が増えてから入社された方で、直属の上司もいて私が新人の人にあれこれ言ったり付き合ったりするとたとえプライベートであったとしてもいろいろ勘ぐる人も出てきます。

友人に『経営者は窮屈で、気楽に新人の社員と食事にも行き難い』とこぼすと『何を言っているんだ そんなことは常識じゃないか』とバカにされてしまいました。

だからものぐさ以外の理由でも社員の人と食事に行ったりしないようにしています。 結婚式に招いてくれた人はそんな訳でどのような人なのかあまりよくわかりません。

招待されたのは自分が会社の代表だから、会社の代表というのは船の航海士のようなもので、海図を見て座礁しないように進路を決める仕事をするものだと思っていて、船を走らす上でいろいろな役割を担う人が元気なのか、うまく仕事をこなしているのかなど気にしないようにしています。 それぞれ組織で動いているわけですから、そこの組織長がきちっと部下の管理をすればそれでよい事なのです。

経営者の仕事をどのように考えるかはその経営者次第、地位であるから権力がある、細かいことまで自分で決めるから社内の事は何でも知っている、偉い人であるなどいろいろな考えで経営が行われています。 ある程度の権限があるので当社でも多少大事にされますが、大したことはありません。 ただ懸命に自分の仕事をしているのでそのことを知っている人幹部の人は納得するまで質問してきます。

そのような人間が『目からうろこ』のような話ができるとは限りません。

しかし社会の常識で社員の結婚式に呼ばれると祝辞を頼まれてしまいます。 年をとって人に偉そうに『人生はこれこれだから、これからは精勤しろ』などと言う気は全くこれっぼっちもありません。 そもそも自分の子供に生き方として賢人の考え方を披歴したら『うざい』と言われてしまったのですから、まして他人ならどうでしょう。

自分の結婚式ではどうだったか、父親と仲人の言葉を紹介します。 父親は俳句が趣味で一句プレゼントしてくれました。 『荒海にこそ出で行きし蜜柑舟』、紀伊国屋文左衛門が嵐のときに蜜柑を和歌山から江戸に船便で運び、一儲けしたという故事に倣った句です。

この俳句に倣えばリスクテイクで巨利を得よ、と言うことになります。 父親は気の小さい人で大きな冒険などしない人でしたが、私が結婚後の人生でリスクを冒すたびにコンコンと説教をしました。

一方、仲人は『どこで咲いても花は花』、本人から解説は聞かなかったですが、自分の立ち位置で最善を尽くせということでしょうか。

会社である管理職が『自分が出来ない、または出来ていないことを人に=部下に指示できない』と言う発言がありました。 私はそうは思いません。 父親のように自分の価値観でない借り物の価値観を人に披歴するのはどうかと思いますが、少なくとも自分が信条としていて、たとえ出来なくても追及していることは人に勧めても良いと思っています。

では私の心情は『反省するより悔い改めよ』、キリスト教の言葉です。 私はクリスチャンでないのでこれを聞いて自分なりに解釈しました。 悔い改めなければ何も変わらないと。

しかし結婚式の祝辞には似合わない言葉です。 あれこれ悩んでしまって時間がたち、明日はどうしたものかと悩んでいます。

 

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[価値観]

[生活]

モテない男

私は最近シンプルな生活を求めるようになりました。 シンプルライフは私がまだ若かったころにTVコマーシャルで使われた言葉で、当時は何の関心もなかったのですが、最近になってとても惹かれる言葉になってきました。

別にシンプルライフの厳密な定義があるわけではないのでしょうが、私なりの解釈はなるべく無駄をそぎ落とした生活という意味で使っています。 何よりも物を持たない、全く持たないわけにはゆきませんが、部屋はものがありません。 一人暮らしでは広すぎる賃貸マンションに住んでいて、衣類や趣味のものはとても少なく、部屋にモノがあふれていることはありません。

服を新しく買うならもっている服は同じ数だけ捨てるように心がけています。 従って服に関してはクローゼットはスカスカ、靴は底を張り替え、最長30年程度、底を4回張り替えている靴も含め11足、ビジネス用の革靴は4足、カジュアル2足、テニスシューズ2足、バイク用2足そしてゴルフシューズです。 本は図書館で借りるのでほとんどありません。 CDも40枚程度と持っているものがとにかく少ないです。 車は無く、必要ならレンタルで済まし、オートバイと自転車が1台、友達と呼べる人は3人、仕事の付き合いはほとんどしません。

シンプルライフのもう一つのスタイルはお金を使わない事、生活費としては月5万円程度で生活しています。 外食や酒席がないわけではありませんが殆どが会社の経費で賄います。 お金が余って仕方ないだろうという人もいますが、その分給料は減らしています。 普通に生活していて少し貯金ができる程度、それ以上お金を使う生活をすると無駄が増えるだけのように思います。

例えば仕事でゴルフに行くときはお茶は自分で空いたペットボトルに詰めてもってゆきます。 そこまでケチるならゴルフをしなければと思われるかもしれませんが、世俗の付き合いは最低限するようにしています。 クリーニングはスーツのみ、カッターシャツは自分で洗濯・アイロンかけをします。 外食はせず自炊ですが、安い食材を買って同じものを連続して食べます。 次の買い物では別の食材を買って連続して食べますので栄養が偏る心配は少ないと思います。

気晴らしはオートバイのツーリング、日帰りが殆ど、たまにロングツーリングに行くときはユースホステルなど安宿を多用します。

私の友人でお金を払って済ませられることは極力お金を使う人がいます。 貯金はありません。 貯金の必要性を感じていないのでしょう。 多くの人に愛されていて、誘われれば付き合いも悪くありません。

私は付き合いが悪く、暇であっても誘いを断ることが多くあります。 そもそもあまり誘われません。 先日も京都に職員3人と出向き、昼ごはんにファーストフードの店に入ろうとすると『京都まで来たのだから湯豆腐が食べたい』とのたまいます。 仕方なく南禅寺の近くで観光客向けの湯豆腐を食べましたがまあこんなものか、程度の印象で、これなら王将の餃子を食べたかったと思うほどです。

女性から見ると私は金払いが悪く、決して楽しい人ではないと思います。 それが目指す生き方なので仕方がありませんが、価値観に忠実であればヒンシュクを買います。 つまりは程度の差はあれ、モテない男の典型は自分だと思い知りました。 それでも今の価値観は大切にしたいと思います。 いずれの時に私のシンプルライフが見直され、女性にモテモテの人になるのを願いながら。

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[価値観]

[生活]

シンプルに生きる

日々の生活であれこれ悩んだり無気力になるのは困ったことです。 私もこの年齢になって悩んだり、迷ったり、はたまた無気力になったりします。 現実の問題で悩んだり迷ったりして、人に相談しようとしたり本を読んだりしますが、そもそもこの年齢で悩むことは本を読んで容易に解決できるようなものではありません。

他人の考えを聞いても納得できなければ『そんな考えもあるな』で終わってしまいます。 何も答えを出さないのも一つの決断、それが先延ばしや問題の回避でなければ有効な手段です。

多いのは自分の性格から来る問題、経営者の中には何が何でも一番にならないと気が済まない性格の人もいて、そのおかげでその人が経営する会社が業界一番になる事もあるでしょう。 しかし経営要素が整わず、一番への思いが空回りすると不幸になります。

同じ会社で働く人間が一番が好きか、権力欲が強いか、いろいなものを見えているつもりです。 ところが自分の事となると途端に見えなくなります。 かつては自分がどのような人間であるか悩み、強みは、特技は、欠点はと考えました。 そして一定の答えを得て、強みを伸ばし弱みを無力化することに努力しました。 当時の私の強みとは独創性だと思っていました。 経営計画や基本戦略など明確に描けていて、その通り会社が展開した時期がありました。 自分に予知能力があるのかと思ったほどです。

しかしそのような創造性が消え、将来についても頭の中のイメージは透明で何も現れません。 本を読んでも人と話しても現場を見て回っても何をしても透明です。 近未来の姿を描き出し、その通りになる事が本当に私の強みであればそれが出来なくなってほかに出来ることが無ければ役割が終わったことになります。

本来予知能力などという力があるとは私自身信じておらず、明確に将来展望が描けたのでそう錯覚しているだけと考えれば、頭の中で情報を分析し組み立てているだけで、たまたまうまく組み立てる事が出来たということでしょうか?

急に将来展望が描けなくなったのは描けるような情報が入ってきていないからか余計な情報が一杯で再構築できないのかだと思いました。

いろいろ興味を持って乱読したり、考えてみたり=再構築してみたり、それで何もなければないというシンプルな生活でよい、必要と思われることを淡々とこなします。 朝起きる時間や寝る時間などなるべく同じ時間にして、筋トレや本読みなど決めていることは空いた時間にこなしていきます。 こなす項目を紙に書いておいて、出来れば丸を付ける、そのリズムが出来れば筋トレの苦痛も退屈な読書も一定の消化が図れます。

日常がそのように整理されれば本当に考えねばならないことが見えてきて、予知というような神がかりな実感は無いにしても好ましい解は生まれるでしょう。 頭の中も部屋の机の上も雑然としたところで何か創造的になるのではなく、整理され余計なものが消えて初めて想像されると。

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[価値観]

記憶と想像

私は記憶力が弱くて、仕事でも学業でもずいぶん損をしたと思っています。 仕事では人の顔と名前、役職など覚える事が出来ません。 採用面接の仕事をしていて、いざ採用となりその人と配属店で会うと『いったいあの人は誰なのか?』、ほんの数週間前に一時間以上採用面接で話したのに思い出せません。

学生時代は反復継続して勉強することで覚えなくてはならないことを覚える事が出来ました。 人の倍努力すれば覚えられ、記憶力の良い人が普通の人の半分で覚える事が出来れば4倍の時間をかければよいことになります。 苦痛であっても対処は出来るのですが、人の顔や名前は倍の時間をかけてというわけにはゆきません。

先日、二人の人と共通の知り合いの話をしていて、二人はその知り合いに好感を持っていないのですが、私がその人柄の良さを古い逸話を話すことで再発見できないかと思いました。

たわいもない話で、一人の人はその話は聞いたことがあり、全く忘れていたといわれました。 そして『よくそんな話を覚えていますね!』と驚いておられたのですが、私も話題になっている人から一度聞いただけでよく覚えていて、その情景まで勝手に頭の中で映像化されていることに驚きました。

その人が犬の散歩をしているときに空手のけいこをしていて、犬にけりを入れて犬が失神したという逸話です。 私はその人が川の土手を夕方日没前に歩いていて、季節は夏で、犬種はこれこれで、路面は砂利道でとわずかな話から想像して映像化していました。 もちろん一生思い出す事が出来て、何度も思い出し、映像は鮮明化するものと思います。

別に楽しい話題や衝撃的な話題、興味深い話題ではないのですが私の脳がそのことを忘れないように映像化し、映像にタイマーがついて時々脳のシアターで映像化しているのです。 これが取引先の人や名刺であればどれほど役に立つのかと思います。 一度見たり聞いたりしたことは一生記憶にとどまると聞いたことがあり、忘れる事は思い出せない事らしいです。

それが全く正しい大脳生理であれば記憶したことが自らの価値観で思い出せたり絶対に思い出せなくしたりできれば受験や人の名前を思い出すことで苦労することも無いのにと思います。 私はこれらの事の研究者ではないですが、きっと自分の価値観に沿って脳の中で思い出すこと出さない事の整理を行っていると思います。

その判定の根拠となる価値観について、単純ではなく新たに起こるいろいろな事象に対処できるのは隠れて自ら気が付かない価値観や記憶がよみがえり、対処しているのかと思います。

日々生きていく上で自らの価値観に沿って判断し、行動しているわけですが、他人から見ればそれが好ましかったり好ましくなかったり、他人の持つその時を支配している価値観で判断していて、好ましくない事柄であっても潜在化している価値観と共に何かの折に顕在化してくるのでしょう。

それを訓練で今の生活に好ましい価値観のみを顕在化出来れば人間関係はスムーズになるのでしょうが、なんでこうなるのというシーンを考えればそれほど単純でもなく、日々の訓練や伝統的な教えによってバランスを欠いた価値観をリセットすることが良いのかもしれません。

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[価値観]

伝言ゲーム

先日求人サイトの原稿作成でインタビューを受け、起こされた文章が送られてきて違和感を覚えました。 当社の理念の中のビジョンが『働きたい会社№1』、それをテーマに取材に応じたのですが、肝心の部分が『働きやすい会社№1』になっていました。

読み流しやすい表現の違いですが、働きたい会社は働きやすい会社ではありません。 『働きやすい』は残業が少なく、休暇は取りやすく、人間関係が良くてストレスも少ない、給料も多い、楽にお金が稼げるようなイメージを抱きます。

『働きたい会社』は仕事は困難であっても、たとえ給料が低かっても、不意の残業があっても、事務所は狭くて古い建物であってもその仕事をしたい、私の場合働きたい対象は会社というより仕事にあります。

もちろん給料は高いに越したことは無く、残業は無いに越したことは無く、休暇は取れて福利厚生が充実しているに越したことは無いのですが、医療介護業界は一部の資格職を除き賃金は低く、残業は恒常的でも働きたいと思う人は多くいるものだと思います。

採用面接をしていて「どのような会社で働きたいですか?、どのような仕事をしたいですか?」に対し「社会に貢献できる仕事、お客様にありがとうと言ってもらえる仕事」と答える人が多いです。 私は「世の中の仕事はすべて社会に貢献していますよ、貢献の対価は利益で利益がなければそもそもその事業や会社は存続できませんよ」と意地悪く切り返します。

「社会に貢献していることを実感できて、なおかつお客様からありがとうと言ってもらえる」仕事ということになるわけですが、お客様がなんと言ってくれるかどうでもよくて、役に立つことが重要なポイントです。 車いすの選定で、お客の好みを聞いて不適合な車椅子を納品してもお客様は『わがままを聞いてくれて』ありがとうとというかもしれません。 基本は役に立つ、利益が得られる、つまりはプロの仕事でしょう。

そのような選定に『ありがとう』の一言を求めるのは要求過大と思います。 我々の仕事は舞台演劇の黒子、観客は俳優の演技に拍手を送りますが、舞台の見えないところで証明や装置を動かしている多くの人がいて、舞台演出を高めています。 観客は誰も証明が良かったと拍手しませんが、照明がここ一番で主役を外して投影したらその舞台は台無しです。

仕事はプロ的であればあるほどプロ以外のものにその重要性やスキルはわかりません。 『ありがとう』と言われ続けたいなら拍手を受ける仕事につけばよい、それはそれでやりがいのあるプロの世界ですが、拍手も受けないプロの世界があり、確実にプロの貢献はあります。 想像すればよい、ミュージカルが炎天下でBGMなしで行われるところを。

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[価値観]

長所と短所

採用面接で長所と短所を聞きます。 即答できる人は少なく、大抵考え込んで答えられます。

学制時代に何かスポーツをしていましたか?、と聞いて答えが『テニス』であればプレースタイルを聞いて『ベースラインでストロークを打ち合う』と答えられたら『どうしてそのプレースタイルですか?』と聞くと『サーブが攻撃的でない、ボレーが下手、足が遅い、ストロークが得意、自分から仕掛けるのは得意でない・・・・』といった答えが返ってきます。

しかし性格としての長所・短所は採用面接だからかもしれませんが、言っていいものか悪いものか考え込んでしまい、よくある答えは『集中すると周りが見えなくなります』といった長所・短所どちらでもとれる答えが返ってきます。

集中できることは一般には長所で、集中しているときは意識が周囲に巡りません。 ではそれほど常に何かに集中しているかというとそんな人は見たことがありません。 私も集中することがありますが、せいぜい一時間以内、最近では15分ぐらいで集中が途切れます。 子供のころは本を読んでいたら暗くて字が読めなくなり、夜になっていた事があります。 私にとってそれが集中している状態で、稀にしか起こりません。 歩きながらスマホを操作して人にぶつかるのはそもそも不注意な行為だと思います。

面接で集中してと言われると『歩きながらスマホ』をイメージし、確かに悪い癖と思いますが、具体的に集中して失敗したことを聞きます。 自分の短所と考えているならそれで失敗しているわけですから答えが返ってくるかと思うと返ってきません。

つまりは自分のことについて客観的に見ていないのかと思います。 さらに一歩踏み込めば考えない人間である、答えを求められた時に考えるより悩んでしまうのが欠点であるというふうに判断します。

テニスの例のようにスポーツなどで自分の得手・不得手はクラブのコーチや同僚の指摘や試合での勝敗を決めたプレーなどでわかりやすいのですが、そのような質問でも自分のプレースタイルを見ていない人は多く見受けられます。

面接で応募者の欠点を見抜いている自分がいて、さて自分の長所・欠点は何かと改めて考えてみました。 長所は『忘れる事が出来る事』、日々いろいろなことが起こり、報告を聞いて自分にとって意味の無いことは忘れてしまいます。 例えば誰かかが社用車を何かにぶつけたという報告が来たら事故の状況、怪我の有無を確認して忘れてしまいます。 事故の原因が再発につながる事であれば対策を聞きますが、偶発の事故であれば覚えいても仕方ありません。

短所は社交性がないこと、経営者としては大きな欠点で人間関係を作ったりが下手です。 ところが長年一緒に働いている人から『社交性が高い』と評価され、びっくりしました。 複数の人からそのように評価され、それが正しい評価なら採用面接で『この人は自分の事が何もわかっていない』と言えません。

自分の事も含めて物事を正しく評価するには素直でなくては見抜けません。 あの人は嫌いであると思っていれば欠点ばかりが目についてしまいます。 62歳にして自分が解っていない事に気が付きました。

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