監査役BLOG

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言葉の意味

採用面接で質問をすると答えが質問とかみ合わない場合があります。 そこで新たに質問したことの解説を行い、再質問します。

それでもかみ合わないときは「そうですか」と返事をして終わることが多いです。

たとえば「あなたは自分の性格は素直だと思いますか? 素直であると判断した場合、素直であると判断した根拠、エピソードを教えてください」と質問した場合です。

『素直』という言葉の意味が質問者と回答者の間でずれている場合などです。

回答者が深読みする場合、素直の反対は『頑固』、『ひねくれている』などイメージが悪いので「素直だと思います」と答える可能性が高くなります。

回答者は『素直』の意味を従順で使いやすい性格と判断し、親や先輩や上司に受けたアドバイスを忠実に守って成功したエピソードを答えたりします。

回答者がさらに深読みをし、素直=単純、あまり考えない性格ととらまえれば話はさらにややこしくなります。

一方、質問者サイドでは教えることに対してそのまま受け入れられるかという意味で質問していたりします。 過去の経験で先輩のアドバイスが納得いかないながらもアドバイス通り忠実に行って成功し、アドバイスの意味を初めて悟ったというエピソードを期待していたりします。

初めから誤解しないように質問の意図=素直の意味を事例を添えて詳細に説明するのもつじつま合わせの方法でしょうが、そもそもつじつまが合わなくてもこの質問で相手が素直か深読みする性格かはわかる場合があります。 質問は採用面接では応募者の性格の一端を知ることが目的ですから個別の質問回答に整合性がなくても目的は達成できます。

採用面接以外で社内の報告・連絡・相談でこのような不整合が起こると、せっかく受けた報告によって認識できていなかった状況を誤った状況として認識することになります。

報告者:当部署の職員数が不足しているときがある。
聞き手:それじゃ普段は職員が余っているのか? 不足しているのか? どちらなのかわからないという事態になります。

報告者が伝えたかったのは最近仕事量に繁忙期の波が出てきたことを言いたかったのかもしれません。 いちいち言葉の意味を確認しあうのも面倒くさいこと、ひと手間惜しんで後で大きな問題になったこともあります。

たまたま意味の取り違えで新しいことがわかる場合もありますが、やはり社内の報告・連絡・相談では意味は正確であってほしいです。

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[生活]

ショッピング

以前にも記事にしましたが、私はいろいろな店に商品を見に行くのが趣味です。 家電なら大型量販店から日本橋の電気屋、雑貨なら東急ハンズ、コーナン、ドンキホーテ、ショッピングモール、食品なら業務スーパー、それ以外にもデパート、趣味になるバイクショップ、商店街の専門店などで、あまり見に行かないものにネットのショッピングモールです。

商品は販売目的で製造されたものですから、価格・性能・仕様・デザインなど差別化を競います。 商品価値を決めるこれらのもののバランスが取れていて、つまり性能と価格が見合っているとか、売れ行きは決まるわけですが、一部は希少性が価値であるものは一般的なそのものの価値に比べて異常に高価であったりします。 たとえばフェラーリーなどは典型で、いくら売れ行きが良くても経営者は年間何台しか製造しないと公言しています。

心斎橋のフェラーリー正規店に行くとイメージカラーの本体が展示されていて、デザインが優れていてほしくなるような車ですが、これが日本に数万台走っているとなると一台3百万円でも欲しくなくなるかもしれません。

その10倍以上の価格でも納車まで一年待ちとなればデザイン・性能に加え希少性を武器にした戦略は優れていることになるでしょう。 フェラーリーは車を売っているというよりステータスや夢を売っていて、企業である以上安定性・継続性・利益稼得・リスク排除を念頭に経営しているわけですから優良企業といえます。

私がいろいろなものをショップに行くのは経営者の端くれとして常にマーケットに注目していたいからです。 介護の事業とフェラーリーの事業における相似は少ないですが、経営で成功する要素の確認はできます。

もう少し具体的に言えば経営者はお金を取り扱う仕事という観点でみるとフェラーリー社も当社も究極は利益率が平準化すると思っています。 事業の安定性・リスク・利益率などは時間の経過の中でそうなるのですが、好調の時期、不調の時期を繰り返すことになり、そこで経営努力を払わなかった事業者はマーケットから退場し、残りの事業者は競争相手が減少して競争優位に立ちます。

フェラーリーの競合相手はトヨタやVWではなくカルチェ等いわゆるブラント商売でしょう。

介護事業では大括りの事業分野の中で制度変更により個別事業の好調・不調は政治的に作り出されます。 3年ごとの制度改正に合わせ事業の組み合わせを変えている会社もあり、常に好調の分野に注力している会社もあります。

当社は制度改正で不調となった時に競合相手が退場し、シェアを増やしてきた経緯があります。 今までの方法で同じように今後の制度改定にうまく対応できるは限らず、新たな工夫を必要とするようになるでしょう。

怖いのは制度ビジネスでもそれなりに商売のやり方が異なる中で顧客のすべてに支持されるように現場が考えた時で、結局強みの無いビジネスモデルになってしまい、成長はおろか緩い衰退を迎えることになります。

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[生活]

叔母へのお見舞い

80歳代後半の母親を連れて90歳代の叔母(母の姉)が入所する高齢者施設に行ってきました。

私が子供の時は優しい叔母でよく遊んでもらい、叔母の家に泊まりにもゆきました。

すでに認知症が進んでいて、私のことは認識できませんし母の事も同様です。 歩行は困難で施設内では車いすの生活、直射日光に曝されないためか手はすべすべの肌をしています。

認知症であるため顔に表情はなく、見た目は叔母のイメージから遠いものでした。
母と叔母は特に仲が良かったわけではありませんが、最近叔母に会いにゆきたいとよく言います。

健康に関する家系という意味で私の家系は大変恵まれているのかと思います。 女性の平均寿命が80歳代であることを考えても大病を患うこともなく長命です。

母は3姉妹の末子でもう一人叔母がいましたが、数年前に亡くなりやはり長命でした。

私は61歳、叔母同様の長命であれば90歳まで約30年の人生が残っています。 今、完全にリタイアすれば30年仕事をしない人生が待っていて、頭も体も使わなければ叔母同様認知症になる可能性は高く、死ぬ間際まで頭も体も使い続けても認知症は避けられないかもしれません。

母親をはじめ叔母たちが特に頭も体も使い、健康に留意していたわけではありませんが、私は食事や運動を心掛け頭も体も使い、生き甲斐もある中でそれを今までと同様の方法で維持することが難しくなってきています。

私より年上の従兄弟たちは皆元気で殆どが現役で仕事をしています。 私もそれなりにと思いますが若いころのように集中して何かを行うことか難しくなってきました。 そこで価値観を変えて出来ることを少しづつ確実にこなす方法に変えてきています。 実は老化に際してこの価値観を変えることが大変難しく、若い時に一気に集中してやり遂げてきたことを地味に行う、例えば体か重くなったと感じた時は帰宅してからランニングしていたのが今はマンションの階段をゆっくり登るとかになってきています。

本は気が向けば一気に読み上げていたのが何日かかけて細切れで読むようになりました。 それは時間つぶしではなく、仕事に反映させるのが目的で達成感という点ではあまり感じることができません。 このあたりの価値観を変えるのも至難で、できるやり方での成功体験を重ねるしか方法がないようです。

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[生活]

[習慣化]

時間管理

私は自分のやるべきことを一週間単位で管理しています。 仕事もプライベートもです。 何をやるべきことと判断しているかは別の機会にいたしますが、決めた項目を書き出しできればチェックを入れてゆきます。

項目は達成度合や必要性を考えてたまに入れ替えてゆきます。 仕事については予定されていることが多いのでノートに予定を書き込み、日に3~4時間程度です。

項目はたとえば階段昇降、14階分×3/日を昇降するもので1回10分と決めています。 ところがブログを書くは45分/回で何とか45分で纏めようとします。

つまり時間当たりの生産性を考えると質が低下してきます。

1週間は168時間、睡眠時間・雑事に10時間/日、仕事は4時間×7日=28時間、残りは70時間、これが私の1週間の戦いです。

この70時間で体力維持のためのトレーニング、自分を高めるための読書、報告書読み、予定した面談相手との予想質問、面談結果のまとめや反省に充てられます。

1週間の結果を見ると最近は半分程度、後の半分の時間は録画したドラマを見たり、つかれて昼寝したり、誰かにつかまったりで消えてゆきます。 ブログを書く時間のようにテストで答案を書いているわけではないので時間の制約は意識しなくても良いのですが、何年も書いているわけですからすらすらかけて当然と思います。

毎週努力や工夫でこなせる項目数を増やそうとして気が付いたのですが、意外にぼんやりしている時間が長いのです。 最近は一つこなせばすぐに次に取り掛かるようにし、朝一番に今日はこれとこれをしようと決めたりしています。

人がポジティブに行動できるのは明確に目標意識を持てる時、なんとなく自分を高めるとか健康を維持するとか曖昧な目標では意欲はわきにくく、それでも継続した方が良いことを習慣にして徒労感や苦痛を減らしています。

よく仕事ができる人は決めたことはさっさとしています。 大きな結果を出している人はこのコツコツとしたことを何十年やり続けています。 おそらく私ほど悩まずそれをやり、結果につなげているのでしょう。

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[生活]

[習慣化]

気分転換

私は移動手段として自転車を多用しています。 大阪市内中心部、ちなみに私の常駐している天王寺区も中心部といえます。 自転車で移動する人が多く、東京都は光景が違いますがそれでも人が多いので走りにくく、事故の危険もあります。

最近はスマホのようなもの(私は使っていないので良くわかりませんが)の画面を見つめながらイヤホンをして走っている人が多く見受けられます。 水平方向に頭を立てていないと平衡感覚は鈍るのでふらふら走ってきます。 スピードは出ていませんが危険です。 今までやり過ごすときに睨み付けますが、相手はそもそも罪の意識のない人ですから効果がありません。

あきらめて私はそういった連中をやり過ごすときに『迷惑をかけられたお返しにお前の幸運をもらってやろう』と思います。

仏教の教えでも他人への功徳を尽くすことが自分の来世に繋がるというのがあったと思いますが、迷惑をかけられても咎めない代わりに迷惑をかけた当人はそれなりに幸運が遠ざかってもしかるべきと考えるわけです。

実際に周囲に迷惑をかけている人は幸運が逃げていくでしょう。 なぜならこれだけ密度の濃い社会にいて他人に配慮しない人は良い人生を送れるはずがありません。(別に願っているわけではありませんが) 一方迷惑をかけられてもなことであれば意に反さない人は濃密な人間社会である種の鈍感さを会得し、うつ病や他人に嫌われたりすることから免れます。 シリーズもののTVドラマで登場人物に愛される人はこのような性格をベースに描かれていたりしますね。

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[生活]

[習慣化]

ポジティブになる勇気

会社の経営者はいろいろな人に誤解されます。 普段の移動手段が自転車であることに不思議に思われたりとかです。 車で移動すれば納得してくれるのでしょうか?

以前同業者がベンツに乗っていました。 いつも高級スーツをきて様になっています。 車のバンパーにつけたポールには旗がはためいていました。 いかにも社長という感じてしたが、その人の会社は人手に渡ってしまいました。

経営者は高収入という誤解も多いです。 3万円の自転車を購入するのに2年悩んだ話をしたら驚いていました。 経営者は経営を生業とする職業で高収入とは限りません。 一つ言えるのは自分で自分の収入を決めることができることでしょうか。

ほかに多い誤解は多くの人と面談して忙しいということでしょうか。 ちなみに私は今日2件の面談をこなしました。 どちらもあまりビジネスに繋がらない、空振りの面談でした。 1件はいろいろ情報が聞けておもしろかったですが、もう1件はさっぱりでした。

最後に面談ではないですが、貸していたロッカーの引き上げを手伝いました。 長い間のお得意様でありながら一度もご挨拶に伺っていなくて、事情により取引をやめるので貸していたロッカーを引き上げることになりました。 作業服に着替え、野球帽をかぶって変装し、担当者の手伝いの振りをしていましたがあっさり見破られました。

毎日何をやっているのかわからないような仕事が続くとつい愚痴を言いたくなります。 経営者は社員がみんな見ています。 話すことも聞いていますので愚痴を言うなどもってのほか、姿勢を正し、人の話を聞き、批評せず、にこやかにしていなければなりません。

しかし人ですから嫌なこともあります。 そこで私は愚痴や腹の立つことを紙に書くようにしています。 1回千字程度の文章です。 紙に何かを書くというのはこのブログ同様結構考えます。 誰が読むわけでも読ますわけでもないのですきに書けばよいのですが意外にネガティブなことは書けません。 人の悪口も書けません。 つまり人として正しい見方で反省文を書いてしまいます。 別の言い方をするとこう考えるとくよくよしなくとも良いというようなことを書いてしまいます。 初めは不思議に思いましたが、少し考えればネガティブであることで得をすることはありません。

嫌な思いは忘れるに限る、嫌な思いは自分の考えにとらわれているからでとらわれている考えを自問し、意味の無いことと断じるように書いてしまうのです。 何度もそれをしていると書いたことに自分がなろうとし、徐々になって行きます。 よく言えば自分の欠点を欠点でなくすようにする効果があることに気付きました。

少なくとも今の仕事をする上でこれは結構役に立ちます。 相手の失敗を気にしなくなり、相手の好意に感謝するようになります。 すると商談はうまく捗ります。 社内にも味方は増えてゆきます。 いいことばかりに見えますが、実はこれに気付くと同時に反省文を書くことに迷いが生じました。

ほんとにそのように自分が変わることが良いのか、もっと尖がった自分の方が自分らしいのではないか、この葛藤が続きます。 やがて何をするのもおっくうになり、偏頭痛が起こり、仕事が捗らなくなります。 イライラし、気が付けば愚痴を言ったり不運の呪い吐きながら自転車をこいでいます。

そんな日が続いてやがて霧が晴れるように楽天的になり、また反省文を書くようになります。 必死に前向いて生きることが何と面倒くさいことなのか、今しばらくは頭に霧のたちこめる日々が続きそうです。

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[生活]

老化との戦い

今日は昼間に前を通り、パンを買おうかと思ってやめたパン屋の名前が夕方、友人と話をしていて思い出せず情けない思いをしました。 人の脳は見たもの・聞いたものすべてを記憶し、忘れることがないと聞きましたが、思い出すのは老化が災いしていることになるのでしょうか?

東京常駐の取引先の方からゴルフのお誘いを受けました。 二年前まではゴルフを下手ながらしていたのですが、指を痛めてクラブを振ると指が痛くて物が掴めなくなりました。 医者に行っても治すことができず結局ゴルフを断念していたのです。 わざわざのお誘い、無下に断るわけにもゆかずこっそり練習に行きました。 何のことはない、打てば以前と同じくらいに飛びます。 まあラウンドできるかと思いました。 パン屋の名前は思い出せずとも体の動きは思い出せたようです。

しかし幾分体が硬くなったのかスイングが硬く、飛距離も幾分減ったような気がします。 私の練習方法は打ち放し練習場で素振りを少なくとも三回行い、一回打ちます。 そしてクラブを変えてまた素振り、そして狙いを定めてアドレスに入り、一回打ちます。 クラブを5本程度持って行き、各クラブ一打から三打ずつ打ちます。 素振りは15回、これが結構しんどくて椅子に座って休憩がてら本を読みます。 体が休まると同じことをして1時間で50球程度打つと帰ります。 このような練習方法が良いのかどうか知りませんが、ゴルフは止まっているボールを打つ競技ですから同じフォームで打てば同じように飛ぶものと信じてホームを固めるつもりで練習しています。

後は確率、3球打って同じところに3球とも飛ばせたら大満足です。 ボールが予定通り飛ばなければ当たりが悪いわけで修正します。 プロゴルファーの書いた本を読むと150ヤード飛ばせるクラブがあり、グリーンで2パットなら大抵のコースは80台で回れると書いていて、その方はゴルフを始めて2回目に80台で回られたそうです。 なおかつその人の150ヤード飛ばすクラブは5番アイアンとのこと、この話に大いに勇気づけられました。

今度のラウンドは残りの人生で最後のラウンド、別にお金がかかっている訳ではないので気楽に回ればよい、私が使うクラブはウッドが3本、アイアンが10本、それにパターですが、実際のラウンドではドライバー、フェアウェイウッド1本、アイアン9番、ピッチング、サンド、それにパターで合計6本ぐらいでどうかと思っています。

以前ラウンドしていた時も同じようなものでした。 よくキャディさんから「クラブをどこかに忘れましたか?」と言われたのを覚えています。 練習の時はいろいろ試してみるのですが、本数を減らすのはもってゆくのが重たいこともあります。

もう一つチャレンジしていることに英会話があります。 NHKラジオ英会話を使っています。 録音して聞いても全く上達しません。 そこでテキストを見ずにヒァリングを繰り返し、それをノートに書くようにしています。 何度か聞き込んで記憶を頼りにノートにそのセンテンスをかくのですが、集中して聞かないと聞き取れませんし覚えることができません。 実践の場では聞いて理解するだけですので実践的なトレーニングといえます。 何回繰り返して聞いてもどういうスペルの単語かわからない時があります。 その時は文脈と発音から辞書を引き、それらしき単語を見つけます。 なかなか苦痛を伴う学習方法ですが、意外に有効だと気付きました。

英会話の勉強方法は苦痛を伴うより実績的な方法が良いようです。 私の場合、紙に書くことが記憶を呼び出す有効な方法と気づきました。 『もっと若い時からこの方法で勉強してくれば良かった』と反省しきりですが、結局相手の言うことを聞いて理解し、話すことが目的ですから始める年齢が遅いなどと考える必要はないようです。 勉強は年齢と関係ないことを改めて思い知りましたが、新しい方法はかなりいらつく方法といえます。

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[生活]

[言葉]

許す

人と話をするときに目的があります。 話す相手は好感を抱いている人も嫌悪感を抱いている人もいます。 私は人の好き嫌いが強いのではと密かに思っていますが、他人に言われることがないのであまり気にしていません。

プライベートとしては嫌悪する人に接しなければよく、ひたすら好感を抱く人とのみ接点を持てばよいことですが、仕事となるとそうは行きません。

会社内で何かを伝えなければならない時に私も人間ですから好感を抱いていない人に何かを伝えるときに言葉がそっけなかったり、棘が有ったりしているようです。 誰にでもいえることだと思います。

なぜ好感をもてないのか、ほとんどが生理的なものです。 晩年の父親(故人)の場合は「こうしなければいけない」とか「こうあるべきだ」ということをよく言いました。 当時私は冬山に入山していましたが、「40歳を過ぎて危険だから止めなさい」といいます。 30歳代なら良いのかといえば危険性はさほど変わりません。 しかし自らは60歳を過ぎてスクーターで長距離の旅行にゆきます。 「危険だから止めたら」というと「大丈夫」という返事です。 愛情の裏返しかもしれませんが自分のことを棚に上げて人のことに「…すべきだ、してはいけない」と言い続ける人でした。

自分が理解できないことは「そんなことは起こるはずがない」とか相手の目を見ずにくどくど言うとか、一度「大事な話は相手の目を見てすべきだ」というと激怒し、何か月も口をききません。 何か決めなければならないことがあればその間決めることができません。

自分では父親の態度に腹を立てていたのですが、自分と相いれない価値観の押し付けにいら立っていたのです。

親子でも価値観は異なるもので、それを押し付ける、本人も押し付けるのが良くないと解っていてあらぬ方を見て高圧的に叱責する、今でいうパワハラのようなものでしょう。

価値観の違いであれば「そういう考えもあるね」と受け流せばよかったのですが、正面切って反論し善悪の問題であるかのように考えた自分の未熟さに今更ながらに嫌気がさします。 父親は大人、自分は子供、社会が変わり自分の方が社会経験を積んでいるのだから合理的な判断をしているはずと思っているので超えられない立場の違いに戸惑いもあったのでしょう。

社内の会話に戻り、自分も経験も積んで立場から話を聞き、話をする場面が多くなってきました。 かつての父親の立場が今の自分の立場とかぶり、『気を付けなければかつてのオヤジと同じになってしまう』と懸念します。

しかし人ですから生理的に嫌うこともあり、嫌う点を超越できればもっと相手に伝わる会話が成り立つ、そのためには相手の嫌う点を許す、もしくは気にしないようにする。 しかし、許す・許さないの問題ではなく、好感を持つか嫌悪感を持つか、善悪ではない自分の価値観の問題につきます。

許すかどうかは善悪の問題、悪いことをすれば処断すれば済むことです。 処断を知友著するのは温情ではなく欺瞞にすぎません。 好悪の問題で処断されたら相手はたまったものではありません。 話すべきは会社で仕事をする上での価値観のすり合わせが多いですから善悪でも好悪でもない話です。

時として組織で働くことに疲れてしまうことがあります。

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[生活]

[習慣化]

勉強の勧め

老化防止のために勉強しています。 もちろん、仕事のために書籍を読んだり書類を分析したりも勉強という意味です。

ただいつも同じ報告書を読んで分析しても新しい結果が思いつくわけでもなく、変化がないか仮説が正しいかの検証に終わります。

勉強とは知識・概念のインプットと何を自分に取り込んでどのように組み立て現実に役立てることを考えるかのアウトプットのバランスと思います。

インプットは新聞や報告書を読んだり会議に出席したりです。 インプットを確実にするために議事録を自分で書いたり、記事を要約してノートに纏めたり、その時にコメントをかいたりします。

アウトプットはこのブログのアップやその日起こったことで気になる事、例えば不適当な発言をした時にどのような心理状態だったのか、本当に伝えたいことは何だったのか、などをA4のコピー紙に鉛筆で書きます。 書いたものを読み返すことはなく、全く同じようなことをまた書くこともあり、何度も重なって書くことで自分の考えがまとまってきます。

立場上いろいろ判断を求められたり意見を求められたり、基本がぶれず即答できるように準備しています。 即答に対して意味はなく、 数日後に答えても良いのですが日々変化する環境に対応するためにはいつでも自分の座標をもっていないと細かい判断で時間差が出てきます。

相手の話を聞いて有効な質問を返すと面談で相手は自分に興味を持ってくれます。 そうするととっておきの情報が聞き出せたりします。 いろいろな価値観の人がいるのでその人の価値観に触れる質問を繰り出す直感を養えば、例えば営業がよく口にする有効面談は確率がぐっと上がるでしょう。

相手の知りたそうなことを事前に用意して面談に臨むのも一つですが相手の価値観に触れる質問は相手の価値観とは別のところにある場合も多く、自分が良く考えたものを出すようにしています。 値段で取引関係を気づこうとしている営業マンと面談した時、品質の話に終始するとか、納期の話に終始するとか、価格で取引の糸口をこじ開けようとしている営業にとって重要な情報に違いありません。

勉強のための勉強のようですが英語の勉強を始めました。 レコーダーに取り込んだ会話を聞くのですが一向に上達しません。 そこでテキストを書き写し、フレーズを丸暗記してみると少し上達したようです。

体力維持のために筋力トレーニングにも取り組み始めましたが、今更新しいスポーツにチャレンジするわけではないのであまり回数にこだわらずできるだけ反復するようにしています。 目標設定するのは力をつけるうえで有効ですが、とりあえず目標は英会話でも筋トレでも継続し、苦痛に耐えられた分の上達が見込めることにしています。

それで気が楽になり、やっただけの結果がついてくるようになりました。 無理をしないで習慣にするとこの歳でも結構続けられるもので、おそらく10年もたてば英語の読み書き、会話もできて筋肉質の体になっていると信じています。 その時は71歳になりますが。

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[生活]

高齢化社会

当社には60歳を超えて働いている人が10人以上おられて、ほとんどが60歳を超えて当社に来られた人です。 皆さんお元気で黙々と業務をこなされています。 以前の職も様々で、当社への就労の動機も様々ですが、この年で働けることが幸せであるとおっしゃる人がいて、私も61歳になり早く引退したいと思っていても働けることは幸せなのだと思うようになってきました。

しかし、自分の仕事は経営者、その仕事をこなせて働いていると言えます。 60歳に近づいたころから早く引退したいと思いだしましたが、なかなかチャンスがやってきません。

私は経営に携わるようになって実務をできるだけ職員の方にお願いするようにしてきました。 自分はすでに現場についてゆけないので実務はできない、旗かバッチのように象徴的存在ですよ、と言い続けてきましたが見過ごすことのできない局面で口を出してしまいます。 自分では質問するだけにとどめているのですが、質問がアドバイスになり、指示命令になっている事もしばしばです。

黙っていて失敗が見えている事なら「何故そうするのか?」と質問し、「こういう方法はどうか?」から「このようにしては」に変わってきます。 それが的を得ているなら良いのですが見当はずれのことも多々あります。 理由は現場の情報不足、自分の思い込み、時に好みも影響します。

採用の一次面接を担当し、二次面接に来てもらった人の受け答えがあまりに稚拙で『しまった、二次面接に回すのでは無かった』と後悔し、二次面接で現場の職員が良しとしたときに『皆が良いというのなら採用すればよいが私は反対』と言ってしまったことがあります。 そもそも一次面接で良しとしたのだから二次面接を行っているのに一時担当の私がお膳をひっくり返すような場面です。

老化は解りやすい部分、皮膚のしわや体力などと判りにくい部分、好奇心や集中力などに分かれると思っています。 前者はフィジカルなトレーニング、後者は何か新しいことに取り組むことで改善できると思います。

食事内容や睡眠、排便、筋トレ、散歩などで前者の改善を図り、ちなみに筋トレでは1回にできる腕立て伏せなどはかなり短期間で改善が見られます。

後者はというと新しい遊びに取り組んだり、それが煩雑なものであって反復しなければならないものを選ぶ必要があります。

私は英会話を始めることにしました。 これは時間がかかり、日常生活を制約するようですが、隙間時間を使って集中するようにしています。 たとえば15分とか、そんなに面白くない事なので集中も続きませんが15分で3つぐらいのフレーズを暗記するとかです。 これは今のところ学習効果は表れていません。

それ以外にも減量することも目標にしていて、3年ほどかけて約8㎏減量しましたが、目標はあと10㎏の減量です。 継続して体力を落とさず減量しようと思っていますので何年もかかるでしょう。

ほかにもいろいろやろうとしていることがあり、目先の目的は経営者を続けられること、においています。 長期的には元気で老後の期間を過ごすことにあり、減量や筋トレは避けて通れないテーマです。

時間のかかる事ばかり、達成水準や目標は設定してきませんでしたが、それも良いのかなと思いだしています。 何年後には体重60㎏、腹筋・腕立て伏せ連続100回可能、一日歩き続けられる体力・持久力、たいていの人と楽しく話ができる情緒の安定と話題の豊富さ、瞬時の判断力、数分・数時間・数日・数週間といった解決までの時間に対する忍耐力、日常英会話力、新聞を読んで大抵の記事にコメントできる博識などです。 さらに付け加えれば他人を許す寛容さでしょうか。

ここまで来ると修行僧のようですが、老後を充実して生きてゆくにはこのようなストイックさが必要で、その生活を小さな苦痛でこなせるのも老人の強みでしょう。 別に今更人に勝つ必要もなければ何かを達成する喜びを原動力にする必要もない生き方だと思います。

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