監査役BLOG

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生活

[生活]

おなかはすいているか?

 最近は慣れない営業同行、営業職との会食が続き、疲れがたまって気力が湧きません。 毎日ではありませんが会食で少し酒が入ると気持ちが昂り寝つきも悪く疲れた上にほとんど寝られない日が続きました。

しばらく営業同行も会食も朝の会議もない日が続き、早く帰宅しましたが帰宅すると疲れが出て気力が湧きません。 帰宅すれば疲れが出るという条件反射でしょうか。 不規則な生活が続くと体重も増えます。 食べ過ぎている気はしないのですが食べ過ぎているのでしょう。 おなかが空いていないのに食べてしまっているのでしょう。

朝の営業ミーティング(今まで出席しなかったのですが)同行訪問、夜の会食(お酒の席は避けていたのですが)、苦手や辛いことを続けると仕事をした気になりなります。

食べ過ぎれば体重が増え、体重計でいくら増えたか客観的にわかります。 疲労感はなかなか計測できません。 仕事は成果で測れますが、複合要因で成果は決まる場合が多く、かかわったした人の仕事をした気(達成感)の総和が成果を生んでいるわけではありません。

仕事の多くは作業に落とし込まれ、作業をした、ペーパーを仕上げたで終わりでなく、成果を生んで仕事をしたことになります。 分業が進めば仕事をした気(達成感)は作業の完成で満たされています。

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[生活]

[習慣化]

ミニマリスト

 日本経済新聞にミニマリストが紹介されていました。 初めて聞く言葉で、物にこだわらない価値観をもつ人との印象を受けました。

具体的に紹介されていた人はフィリピンに移住し、現地で暮らすのに(男性で未婚男性と思われます)大きなカバン二つだけの荷物だそうです。

ミニマリストは所有物が少ない、という特徴と移動しやすいという特徴(おそらく転居することが価値をもつ)をもっているのでしょう。

介護保険が始まったときに日本の介護ベッドとドイツの介護ベッドの違いで、日本のそれはベッド周りに物がたくさん置いてあり、ドイツの10倍と書かれていたのを思い出しました。 日本人は基本的にアンチミニマリストだと思います。 介護の世界でゴミ屋敷が話題になりますが、私の母も施設に入る直前ゴミ屋敷なっていました。 最も母の場合若い時からため込む性格で、物のない時代に育ったから物への執着が強いのだろうと思っていました。

私の価値観はミニマリストに近いと思います。 最近は物を買わないでなんでも大切に使っていくことを心がけていますが、気が付くと物が増えています。 そもそも大切に使うので服でも食器でも傷んだり割ってしまう事があまりありません。 10年以上着続けているスーツや20年以上履き続けている革靴(何度も底を張り替え週に1度くらいしか履きませんが)、なかなか荷物が減らないので暇を見つけここ数年使っていないものや着ていない服を捨てています。

思い切りが悪いので荷物の減少はわずかずつです。 それでも減りだすとほんとは必要だがしまい込んでいたので使わなかった物を見つけたりします。 いまの年齢になれば物欲は希薄になってくるので今後5年で荷物は半分くらいにしたいと考えています。

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[生活]

生き方

 世の中で上手く生きていて成功している人、ほとんどの場合その人は幸せな人生を送っているように思います。 たいていの人はそのような幸せを求めて生きています。

幸せは感じるもの、例えば曇天の冬山を寒さに震えながら登っていて、雲の晴れ間から陽光が差し込んで温かさを感じるようなものです。 温かい、今日の山行は快適になる、と温かさに付帯していろいろ思いが描かれます。

部屋にいて室温が快適な20度あり、その環境で一日過ごしていても温かさを感じて幸せや次の行動の展望が開けることはないと思います。

ある若い女性に『今何をしたいですか?』『お金が欲しいです、旅行に行って、おいしいものを食べたい』、その人にとって旅行に行くことは環境が変わり何か楽しいことや辛いことを経験したい、おいしいものを食べたいは日々食べているものより食べることでの幸福感を求めているかもしれません。

毎日の生活が平穏無事であってもそれが退屈と感じるかもしれません。 現代社会ではTVやネットがあって他人の生活を覗き見ることが出来ます。 多くは大変裕福な人、大変高学歴な人、また逆に不幸に暮らしている人など平穏に暮らしている人と違う生活をしている人の生活を紹介しています。 人はその対比に満足したり不満を感じたりしています。

私の趣味のチャンバラ小説ではTVなどのツールはなく、他人の暮らしと対比する情報が現代ほど多くありません。 したがって自分の生活の不満が他人との対比がより少なく、旅行や転職や美味しいものを食べる機会も現代人よりはるかに少ように想像します。

現代人にとって日々の生活での不満が小旅行や美食以上に内面の問題にあると仮定します。 おそらく古代の人も抱えていたでしょうが、その向かう先の可能性は選択肢という意味で広がっています。 内面の問題である以上安全、仲間や所属組織の存在、権力欲、マズローのいう欲求説に至ります。

地下鉄で通勤するときにほとんどの人が携帯から情報を取得しています。 その人たちも内面の問題を抱えていて、私の狭い人間関係でも金銭欲、名誉欲、権力欲、具体的に大きな一戸建てを買いたい、新規事業を起こして成功したい、といった欲求を持っていますが実現に向かっている人はまれです。

いろいろな情報を集め行動に移せば大きな一戸建てを所有することは大抵かなうでしょう(払う犠牲は大きいかもしれませんが)。 その人がその家に住むことが内面の充足につながるかというと実はつながらない場合を垣間見てきました。

内面の充足を満たすこと、幸せになることは大きな一戸建てを手に入れた瞬間に感じられるかもしれません(冬山で雲が晴れて一瞬日差しを浴びた時のように)。 内面の充足は別のもの、さらに大きな一戸建ての所有や出世ではなく者や形に転嫁できないもので平たく言えば価値観に巡り合うことと思います。

宗教はいろいろ便利なものを開発しています。 先祖への感謝、死の恐怖などのツールは宗教に帰依していなくとも日常生活に浸透しています。 内面の苦悩から解放されるため宗教に帰依するのも情報の多い現代社会を安全に生きのびるには優れた方法かもしれません。

私を含めそれができない人は膨大な情報から自分の物や形のある欲求と内面の欲求を満たす考えを見出し、考えに合う情報をふるいにかけ行動すれば欲求は満たされてゆきます。 ただし次の欲求は出てくるでしょうが。

 

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[生活]

新年おめでとうごさいます

 あけましておめでとうございます。 このブログも長期にわたり続けることがてきました。 大して人気もありませんが日によっては100人ほどの方がお読みいただいています。

もともと自分が会社の代表だったころ、求人で応募者にできるだけ会社の風土を知ってもらうために始めました。 私の主観でいろいろなテーマを隠さず書いてきました。

本音があからさまに出てお叱りを受けることが多かったですが、最近は本音を書いてもお叱りを受けることが減りました。

当たり障りのない話題を書くようにしたわけではなく、相変わらず本音の意見を書いていますが本音が受け入れるようになってきたのかと考えています。

昨年はこの歳になって仕事やプライベートの生産性や効率を上げることを目指し、隙間時間に何かをすることを心掛けました。 昨年1年のどこをとっても何も考えずに無為に過ごした時間は少なかったかと思います。 次の面談までに10分あれば今日の出来事をノートに書いたり次の面談の質問事項を整理したり、あくせくとした1年でした。

生産性という意味で気づいたことがいくつかありました。 些末なことですが運動不足を解消するためここ数年歩くことを意識していました。 日1万歩程度でしょうか。 足の指が変形し、魚の目が痛くて歩けなくなり皮膚科に行ってアドバイスをもらいました。 靴紐を締めろというものです。 足が痛いので靴紐を緩めて歩いているとつま先が当たり痛くなったようで、靴紐を締めると次の日から痛くなくなりました。

馬鹿げた話ですが考え違いをしていると思わぬ結果を招くことを知りました。 靴屋に教えてもらうことを皮膚科のドクに指摘されたのも新鮮です。

日常生活は何らかの行動の集積、個々人が目標に向かって考えた行動を行っています。 何も考えず眠くなったら寝る、お腹がすいたら食べる、生活費が必要だから仕事をする、程度の差はあれどうなりたいと何も考えずに日々を過ごす人は珍しいと思います。

私は目標設定の思いが強く、年齢も重ねたので体力や知的能力も衰えたにもかかわらず生産性を上げて自分の目標に近づきたいと思い隙間時間の工夫をしました。 しかし足を痛めて考えを改めようと年頭に思いました。

自らの行いで上手く行っていないこと、例えば会社で判断が必要な時に自分だけ違う考えで皆が理解しなかった時に(たまたま私の判断は結果的に正しかったのですが)説明として何が不足していたのか自分の説明を振り返り、説得すべき対象の人の反論を考えると自分の説明の欠点が見えてきます。 皆が同じ考えではないことは承知していても自分だけの考えを主張すればだれも納得しない、たまたま私の意見が採用されよい結果が出ても判断したときに戻ればやはり誰も納得できないことはよくあります。 納得できる説明ができれば私のそして会社の生産性は飛躍的に上がります。 答えは見えても説明できない自分に靴紐を締めないような考え違いがあると思います。

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[生活]

ライフスタイル

 労働基準に関するセミナーに参加し、ずいぶんいろいと変更するものだと思いました。 有給休暇の取得方法など欧米のデータを元に法律の改正が加えられています。 考え方の基礎は欧米のライフスタイルを真似るのではなく国民の健康を守ることにあります。 健康を阻害するものとして睡眠時間の減少が話題になっていましたが、深夜まで起きているから睡眠時間が充足できないライフスタイルに便利なコンビニの深夜営業も話題になり出しました。

深夜まで起きていて休暇は取らない、本も読まない、運動もしない、では何をしているかと言うと若い人はネットにアクセスしてネットサーフィン、ゲーム、音楽・映画鑑賞などでしょうか。 私が接する若い人の行動パターンは採用面接の質問で得られたもので一般的かどうか解りません。

そのようなライフスタイルが標準的であれば深夜にネット回線を禁止するなど新たな規制が出て来るかもしれません。

私のライフスタイルは21時~22時に就寝、基本的にお酒は飲みません。 起床は4時~5時の間で6時過ぎに出勤し、16時~18時に帰宅します。 夜コンビニ行くことはなく、酒席も最低限にしています。 帰宅後文庫本小説を二日に1冊のペースで読み、ビデオも二日に一本見ます。 空いている時間に食事と軽い筋トレ、シンプルなライフスタイルですが頭と体のケアをしていると仕事で成果を挙げて健康を維持できます。 物を余り買わないので生活費は住居費を除いて最低水準です。

年齢と共にライフスタイルは微妙に変化していますが、基本は朝型人間、読書が趣味で趣味以外では節約する方なので50年くらいはこのようなシンプルライフスタイルです。

ライフスタイルによるのか健康に恵まれ、子供のときに弱かった身体はこの50年大病を患うことはありません。

国が理想とするライフスタイルは相当高齢までしっかり働き、健康維持に努め医療費や介護費用がかからないもので、私のようなシンプルなものがNHKの『ためしてガッテン』などの番組を通じて推奨され、最低限の法律規制が今後予測されますが具体的には想像できません。

ライフスタイルの一般的な将来も私には想像できません。 行政の目的が膨張する医療介護の財政支出抑制にあり、徹底していくなら一般的なライフスタイルは数年で大きく変化してゆくように思います。

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[生活]

季節感

 このブログで何度か書きましたが、私はチャンバラ小説が好きでよく読みます。 作家は主人公のキャラクターをきめ、いろんな事件を演出しながらたくさん書いてゆきます。 シリーズものがヒットすれば10作前後書く人もいますし、30作迄伸ばす人もいます。 TVの連続ドラマのようで、いわゆる歴史小説は作品数が多いです。

同じキャラクター、江戸の同じ長屋、剣客の流派等でバリエーションが出てきます。 季節や食べ物、当時の珍しい仕事も題材になります。

季節感は作家によって表現がいろいろで、食べ物や着物の種類、雪や台風などの気象、花、野菜売の野菜の種類まで使えるものは何でも使います。

読者は『野菜売が大根を・・・・』といっても現在では周年大根は売っているので季節感の小道具としては弱くなってきます。 雪や台風、氷結、うちわ、打ち水等現代でも季節を連想するもの、露骨な小道具の登場機会が増えます。

私はかつて積雪期の山に登るのが趣味であった時期がありました。 絵を描く友人と登っていると向かいの尾根の落葉樹は完全に落葉していて雪面から枝が無数に出ています。 私の感覚からすれば白いお餅にカビが生えたような印象です。 友人は『きれいなローズグレーだ』といいました。 多分色の話であろうと分かったのですが、ローズグレーは初めて聞く色の名です。 向かいの尾根の雪面に生え出た落葉樹の色、雪はあくまで白いので色を見間違う事はありません。 お餅に生えたカビのような色が美してというのは感性の違いでしょう。

いまから100年ぐらい後、西暦2100年になってまだ小説というものが残っていた時、時代小説のジャンルにサラリーマン小説が入っていたとします。 平成期のサラリーマンの生活をエンターテイメントして仕立てた作品で、ある作者が私のブログをネット上で発掘し、作品の主人公にしてシリーズ化したとします。 チャンバラ小説同様シリーズ化されて作者は変化をつけるために季節感に工夫します。 主人公は毎朝6時に起きて7時に出勤する、冬、途中の公園の落葉樹のローズウッドの色がかつて愛した女性のコートの色を連想したと書かれても100年後の人は季節感を抱かないかもしれません。

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[生活]

時間管理

 最近歩く速さは遅くなってきています。 昔山に頻繁に登っているころは速足で、誰かと歩いていても気が付いたら一人ではるか先を歩いていることが多かったように思います。 今どれくらい遅いかと言うと時速4㎞前後でしょうか。 早く歩こうと思ってもスピードが上がりません。

朝家を出て会社に行くとき、時速4㎞で歩いていると毎秒1.1メートル進みます。 10メートル先の人に追いつくには毎秒1.3メートルに加速し(時速4.7㎞)50秒かかります。

早く会社につきたいなら早く家を出るか早く歩くかしかありません。 早く歩けないなら早く家を出ることになります。 私は目覚めてから起きるまで、ベットを出てから家を出るまで時間がかかります。 目覚めてから起きるまで30分くらいでしょうか、ベットを出てから外出するまでに2時間くらいかかっています。 TVコマーシャルなどでトーストをかじりながら買ったシャツを着て飛び出してゆくサラリーマンの姿が出ますが、最短でベッドを出てから30分で家を出られると思います。 そうすれば2時間仕事が進みます。

その人が残業がほとんどなく年間約2000時間働くとします。 年収600万円とすれば時間給に換算すれば3千円、毎朝の2時間は6千円分になり、バタバタしなくても生み出す事が出来ます。 年間就労日が250日とすれば500時間、約150万円になります。

残業や早朝出勤を500時間すればいろいろ問題になります。 しかし2時間30分の出勤前時間から2時間を捻出できるのであれば8時間勤務の中で2時間程度は捻出できそうです。 もちろん人間のやることなのでほっと一息も必要です。 しかしバタバタせずに時間は捻出できるものです。 仮に2時間捻出できれば仕事の量が同じであれば残業はしなくても済みそうです。

スコップで土を掘り起こすような純粋肉体労働ならこれは大変ですが、大抵の仕事はそうではありません。 数字の入力をしたり、会議の提案書を作成したり考える部分もあります。 会社でもよく見られるのはPCの前で固まっている人です。 ある時は何か考えているのでしょう。 しかし定型業務では考えることは少なく、細かな判断の集積です。 本人は考えているつもりでも悩んでいたりボヤっとしていたりする時間は無駄です。 悩まない、ボヤっとしない、一つの作業が終われば次の作業にすぐに移る訓練を重ねる必要があります。

生産性が話題になるときブラインドタッチなどスキルが話題になります。 確かにスキルは時間短縮に効果があるのですが、スキルより仕事の無駄取りが大きく時間節約になり、空いた時間で更なる無駄をなくしたり、スキルアップを図る事が出来れば組織の生産性は高まると思います。

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[生活]

丑三つ時

 チャンバラ小説の時代考証がどれだけのものかは判りませんが作者によっては歴史学者が及びもつかない調査をしていると聞いたことがあります。 神田の古本屋である時代について考証している本をごっそり買って帰った作家がいて、少し後に同じ神田の本屋に行った作家が求める本を一冊も入手できなかったという逸話です。 先に買って帰った作家の購入量はトラック一杯、半端な量ではなく、読破していればデーブラーニングのAIのようなものです。

小説で江戸時代の庶民の生活時間帯について記載があり、朝は4時ころから商店の開店準備が行われるようです。 道を掃いたり打ち水したり、品出し、梱包の開梱、朝食など住み込みの店員さんは生活と仕事と行い、夕方は18時に閉店業務を終えるようです。 営業時間で言えばドン・キホーテくらいでしょうか?

夜の遅い商売は飲食、遊興娯楽、駕籠やで分限者(金持ち)が噺家を料亭に呼んでという遊びは22時~24時ころにお開きとなり、旦那衆も噺家も駕籠で帰宅します。 遊廓の吉原は夜閉門されるので深夜の帰宅はありません。

武士も庶民も21時ころには就寝です。 つまり普通の人は21時ころ寝ていて朝4時に起きれば7時間の睡眠になります。 この生活時間帯は夜間照明のコストの問題なのか下級武士の生活で灯明を使わない生活が描かれていました。

武士の仕事で使いに出たりして遅くなる描写でも深夜2時ころが一番遅い時間として描かれています。 したがって『草木も眠る丑三つ時』はあまりチャンバラ小説でも登場しません。

もし今電気照明がなくなり蝋燭しかなくなれば私は5時には帰宅し6時には食事を済ませ、9時には眠りにつき4時に起きる生活をするでしょう。 夜の8時代は証明が必要ですが4時に起きても今なら照明入りません。 日没が早く日ノ出の遅い冬は生活時間帯がずれるかもしれません。

今の時代、やはり早朝3時は人通りは少ないです。 その時間で歩いたことがあり、近所の四天王寺に散歩に出かけると信者さんが各伽藍を順に回り、念仏を唱えお参りをされています。 夕方7時ころ同じ四天王寺の境内を周回して警備員以外の人に合わなかったこともあります。 人の活動する時間には昔から変わらぬパターンがあるようです。

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[生活]

小さなこと

 フランクルの言葉に

『小さなことが気になるのは自分が神のように完璧であるべきだと思い込んでいるからだ』というのがあります。 ドラマの相棒で刑事の杉下右京が小さなことを気にして推理し、事件を解決する筋立てが基本になっています。 そして警察組織に馴染めないまでも杉下右京は完璧な推理者として描かれ、次々難問を解決してゆき、完璧な人格を表現しているように思います。

私はキリスト教徒ではないので神の存在を認めていませんが、完璧を求める人との出会はあります。 それらの人には少し窮屈な感じを受けますが、なるほどと思う事も多くあります。

フランクルはこの言葉で何を表現したかったのか意図は判然としませんし、宗教や文化の、価値観の違い、そしてアウシュヴッツの体験などを考えれば共感できないことなのかもしれません。

小さなことは気になります。 単に些細なことであればそれにとらわれ本質を見誤ることを避けるように言っているのかもしれません。

一方でキリスト教圏の言葉に『神は細部に宿る または 真実は細部に宿る』というのがあります。 一見矛盾して見えますが、日本のことわざにも同じようなものが見られます。 真意を確認したことはありませんが。

私の結論は小さなことでも拘るべきこととそうでないことを分けて考えればよいと考えました。 会社の中でささやかな節約、例えばコピーをするとき出来る限り白黒印刷をして5円を節約するとします。 節約の感覚をもっていれば大きなプロジェクトでちょっとした節約の発想から数千万円が節約できる、コピーの5円も積もれば大きいのですが、節約する感覚の重要さは5円を上回るものです。

私は自分の考えをまとめるときに裏紙に鉛筆で書いてゆきます。 木遺棄される裏紙は私個人の書類の中にも山のようにありますが私は間違いを消しゴムで消し、上手く表現できないことを炭に絵をかいて1枚の裏紙に考えをまとめ切ることに情熱を注ぎます。 書ききった後、その裏紙の上で鉛筆をナイフで削り、丸めて捨てます。 それで1枚の紙を最後まで使い切った気持ちになります。

ではとらわれる意味の無い小さなこと、ちょっとした言葉の行き違いをくよくよすること、などでしようか? 人によってはその小さなことをこだわるあまり暗くなってしまい、前出のフランクルの言葉が重く響きます。

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[生活]

人生は結果の責任まで人間に要求したりしない

 タイトルはオーストリアに生まれた精神学者でユダヤ人でアウシュビッツで生き延びたビクトール フランクル氏の言葉である。

氏はロゴセラピーを提唱し、私はその言葉に救われたことがあります。 タイトルで気づかれたと思いますが、人生と人間をそれぞれ別人格として表現しています。 人は人生を演じるわけですが、演劇に例えれば役者=人は演技(人生)の稚拙なことまで責任追及しないという事でしょうか。

自分=私は必死に人生を歩み、苦しみや喜びをかみしめています。 苦しむのは私で、人生ではありません。 喜びも同様です。 不幸を感じて苦しんでいる人が人生が良くなり喜びを感じられるように人生に期待するのは間違いで、人生がそれを演じている人間に期待しているのです。

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