監査役BLOG

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CCRC

表題はcontinuing care retirement comunityで、日本語に直訳すると『継続的なケア付きの高齢者たちの共同体』だそうです。 アメリカでリタイアした人たちが安心、安全で楽しく暮らせる小さな町をつくり、暮らすことだそうです。 広大な土地に戸建ての家が並び、高額の入居費用を払った富裕層の高齢者が暮らしています。 写真では町の中をゴルフカートで走っているのが写っています。

日本でも定年を迎えたりしてリタイアした人たちが趣味の世界や新たな就労場所を求め、さまよっています。 あるネット情報では日本でもCCRCの考えに近いものを作っているそうですが、成功事例はほとんどないとのこと、希少な成功事例として安倍総理も見学に行ったシェア金沢と運営本部の佛子園を訪問し、責任者に話を聞いてきました。

もちろん仕事として出向いたわけですから将来事業化できるか模索するのが出張の目的です。

本部の佛子園は北陸本線の金沢の数駅南の松任駅から歩いて15分の所にあるお寺です。 ここの住職が大昔まだ障碍者施設の無かったころから障碍者が集まるようお寺を解放したのが始まりだそうで、現住職が障碍者や高齢者に関する法整備に伴い施設を開設しました。 CCRCとはいえ高齢者に特化しているわけではなく障碍者、高齢者、健常者、子供も大人も『ごじゃまぜ』の共同体を運営していることが特徴です。

本部の責任者に面談がかない、お邪魔しましたが大きな施設でどこに責任者の方がおられるのかがわかりません。 お寺の本堂横に入り口があり、人がいないので中に入ってゆきました。 長い廊下に面してあるトイレで男性が大声を上げています。 喧嘩でもしているのかと思いつつさらに奥に入ってゆくと大きな蕎麦屋さんがありました。 厨房にいる人に声をかけようとすると職員のほとんどの方がダウン症の人で、責任者の人を訪ねると今日はまだお見えではないとのことで待つことにしました。

面談予定の時間が過ぎてもその方が現れないので事務所に電話するともっと奥にある事務所に来るように指示され、さらに廊下を進みました。

やっと事務所に到着し、責任者の方にお会いできました。 ビデオ映像をもとに施設の全体像を説明し始められたのですが、途中で質問するとビデオを止めて質疑に移りました。

認知症の高齢者の通所施設と重度の身体障碍者と同じところで過ごされていて、認知症の高齢者で夜間徘徊を繰り返す方が首が回らない障碍者にゼリーを食べさせる話に及びました。 毎日ゼリーを食べさせるために毎日施設(ディサービス)に来ることで夜間徘徊がなくなりました。 首の回らない青年はゼリーを食べるために首を回しているうちに首が回るようになりました。

今回の訪問の目的は当社でCCRCに似たものを事業として行えないかを探るためのものでした。 しかし話題はどのような考えで、何をして、どのような成果があったか『ごちゃまぜ』の話で終始してあっという間に1時間半がたってしまいました。

シェア金沢まで代表者に車で送ってもらうことになり、その前にダウン症のひとが運営している蕎麦屋でおろしそばを頂きました。 ブータンから取り寄せたそば粉で打ったそばは絶品でした。

車で40分、シェア金沢に到着し、代表と別れると中にある駄菓子屋に行きました。 自分と同じ年くらいの人が店員で、コーヒーを注文し話をすると同じ年の人で、名古屋で勤めていた会社を体調を崩して定年前に退職し、シェア金沢のサービス付き高齢者住宅に住んでいるとのことでした。 話をしていると小学生くらいの2人の女の子が話しかけてきました。 まるで友達に話すみたいになれなれしく話しかけてきます。

近隣に遊びに行くところが少なく、ここによく遊びに来るとのこと、ここの職員は皆顔なじみとか、私のようによそ者が珍しかったのでしょう。 ここは高齢者や障碍者の施設ではなく人が安心して話が出来る村のようです。 多くの人が他所から遊びに来ています。 温泉もあればフットサルグラウンドもあり、高齢者も住んでいれば金沢大学生の下宿もあります。 それぞれの人が何らかのきずなで結びついていて村を形成しています。

事業としては職員数700人くらいとのことでした。 社会福祉法人で運営されていて利益も出ているそうです。 投資額ははっきり教えてもらえなかったですが100億円未満でしょうか? 施設運営で事業費を稼ぐと考えるのか、高齢者や障碍者に住む場所や仕事や夢や安心を提供するのか、地域経済の活性化を図るのか、視点はいろいろあるでしょうが素晴らしい事業、村です。

できる事ならもう少し大きな規模でやってみたいと思いました。 地方の人口減少市に都市部のリタイアした高齢者が千人単位で移住し、自分たちの力で産業を興し、生活費を稼ぎ、都市を作り上げてゆく、底には自然も残っていて、体を使って働き、健康寿命を延ばし、所得を得て友達が作れる、そして適度に趣味も行える村、そして住人が高齢化していく中で最終的にその村で高齢者向けの施設も自分たちで作っていく事が出来ればどれだけ素晴らしい事かと思いました。 もちろん事業ですから利益が出ることが必要ですが。

 

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[生活]

たわいもない話

何度か靴を購入したことがある店から閉店バーゲンセールのお知らせが来ました。 バーゲンが大好きな私は早速店に出向きました。 革靴は10足ほど持っています。 靴までおしゃれに気を使わない私としては今更靴を買う必要はありません。

ちなみに今持っている靴で一番古いものは30年ほど前に買ったもの、丈夫な靴で硬くて当初は長時間履くのがつらかったのを覚えています。 だんだん足になじんできて、履く回数が増えてくるとともに足に馴染んできます。 やっと馴染んだころには靴底を張り替えなくてはなりません。 靴底を3~4回張り替えて現在に至っています。 決して30年間箱に入れてしまっておいたものではありません。

若いころは革靴はせいぜい2足を交互に履いていましたが、買い足してゆくと同じ靴を続けて履くことがまれになります。 そのような履き方をしていると靴は長持ちをするようで、買い足した靴も続けて履かないので数が増えてしまいました。

冠婚葬祭用の蹴り付き(靴の先に皮が重ねて貼ってあるもの)やカジュアルな靴は尚更履く頻度が少なく、傷みません。 10足の靴はほとんどが底を張り替えています。

茶色系の靴が2足しかなく、仕事で履けるものをと思って探してみました。 価格帯は大雑把に3段階、皮の質など解りませんが安いものから見比べていくと高級品はやはり質感が全く違います。 靴のデザインもしゃれています。 バーゲンで安くなっているから高級品を買おうと見ていたら靴底がほとんど革製です。 川の靴底はすぐにちびるし雨の日は履けないし、路面によっては滑ります。 仕方なく中級品のゴム底の靴を見ていると皮の質感が気になり、迷った末に値札も見ずに2足を選びました。

レジで7万円強を請求されびっくりしました。 たいそうに言えば人生で靴に7万円も払ったのは初めて、本当に安くなっているのかと疑いたくなるほどです。 30年履いている靴も定番の靴で中級品でした。 これから今回買ったのは高級品、大事に履けば30年もてば私は94歳、今後の人生で革靴を買う必要もなければ買おうとも思わないでしょう。 持っている靴のほとんどは定番品なので30年後も同じモデルが同じ靴屋で販売されます。

スーツなども同じことが言えてシーズンに10日も着なければ30年近く着続ける事が出来ます。 以前1着買えば1着捨てようと考えていましたが、5~10年着ているスーツもさほど傷んでいません。 スーツも原則おなじものを続けて着ないようにしているのがスーツを傷めない秘訣かも知れません。

私は持ち物を大切に扱うので物を買う楽しみはあまり味わうことがありません。 部屋にある持ち物はかなり少なく、あるものは適当に使っています。 これから年を重ね、生活している中で傷んで修理できないものは捨ててゆき、さらに持ち物が減ってゆき20年もたてば靴は3足、服は夏冬各3着、鍋一個、フライパン1個、本はすべて図書館で借りますがそのころに紙の本があるかどうかわかりません。 物に囲まれて人生が終わる事は無いように思います。

 

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[生活]

[習慣化]

目標に集中

私が学生だった頃、定期テストの成績はさっぱりでした。 しかし出題範囲が広い実力テストは好成績でした。 好奇心が旺盛で『この範囲から出題します』と限定がつけばとたんに興味をなくします。 何が出題されるかわからないことはテストとはいえワクワクしました。

これは悪い癖で、今でも治っていません。 退屈な会議や興味のない面談で居眠りをします。 初めは無呼吸症候群が原因かと思っていたのですが、興味がなくなれば話を聞いているだけで前を見ていた視野が白くなり、次の瞬間に眠りに落ちます。

興味をもっていること、設定した目標からぶれないようにするために目標にしていることに沿った行動を項目化して10日計画表を作成し、出来た項目に〇をつけていきます。

例えば体重を70キログラム以下に抑える、食事量を控える(これは目標管理項目にしていません)、筋トレを行う(腹筋30回で〇一つ)、5千歩けば〇一つ等、10日で200個の〇を獲得するというものです。 何年も続けていますが、〇が100個強で200になりません。

最初の対策は目標を見直すことでした。 実現可能な目標か、それは本当に目標にすべき項目か、現在の年齢、ポジションを考え健康にかかわること、老後の人生に役立つこと、趣味に関わること等将来に向けてのことが中心です。

次の対策は時間がないという言い訳封じです。 とにかく半端な時間を切り詰める、一つの行動が完結すれば間を置かず次の行動に取り掛かる、疲れてしまえば散歩など気分転換を図るか思い切って寝てしまうとか時間管理に終始する対策です。 ところが昔ならできた根を詰めた作業がだんだんできなくなりました。

これでは生産性が上がらない、ずいぶん考えましたが、早く寝て早く起きて出勤前までに出来るだけ詰め込むというものでした。 5時に起きて出勤までの3時間30分、必死で筋トレや新聞読みなどをします。 朝起きてすぐの時間はゴールデンタイムで生産性はなかなか高いです。 今も続けていますがその後の時間、特に昼食後だれてしまいます。 ダレないように食事を抜き、空腹な状態を維持します。 さらに疲れたらすぐに寝る、睡眠の質を高めることに工夫しています。

要は年齢相応に体力が低下して、十分な休養、集中を心がけることにしました。 新たな興味が生まれれば集中できるのでしょうが、新たな興味が次々湧いてくるわけではありません。 修行僧のごとく生活のリズムを整え、ひたすら習慣化して苦痛を和らげ実績を積む以外に自分を高める事が出来なくなってきました。

 

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[価値観]

[生活]

子供のころの価値観

私の母親の生年は昭和元年、1925年です。 92年前で、その後第二次世界大戦を経て戦後のハイパーインフレを20歳代に経験しています。生まれてから戦後までは軍国主義の中生活物資が不足する時代が20歳まで続きます。

モノの値段が上がる、お金を出しても物が買えない価値観を刷り込まれた母はひたすら安売りで物を買い集めます。 以前もこのブログで書きましたが醤油が5リットル棚に入っていたのを見て愕然としました。

父親に買い置いた肌着を父が他界したとき貰いましたが段ボール箱一杯で、なかなか減りません。 整理ダンスに入っている古い肌着を見るにつけどうしたものかと思います。

男性友人の何人かが『肌着は1シーズン立てば全部捨てる』と言ってました。 そのようにできない自分は母親の価値観が刷り込まれているのかと思います。 物を大切にする価値観が悪いと思いませんが、同年代の友人の親は私の親と同年代、刷り込まれた私と刷り込まれなかった私の友人、何が違うのか、所得、職業、思い当たるものはありません。

カーシェアリングは節約の考え方からきていると思いますが、所有することに執着の無い考え方です。

もう一つ親の世代の価値観と大きく異なることが法事、中元歳暮、出張時の土産などの贈答、私は宗教に関心がなく、浄土真宗の檀家から外れたいと思っています。 中元歳暮を贈る事は無く、出張やプライベートの旅行で土産を買いたくない方です。

これら風習に代わるものは人間関係を潤滑にするうえで必要なことだと思います。 節約は方法手段、対象物は変われどもこれからも工夫してゆかねばならない事だと思います。

企業経営でもこれら風土は大変重要で、ひたすら従業員の人件費をケチったり残業させたりすることが重要との考えもまだあります。 人件費は販売管理費の中で最大費目ですから削減する方法は常に考えねばなりません。 個人別の賃金を上げない⇒生産性を上げて賃金を上げる⇒労働生産性の低い事業からの撤退等個別企業内のものから国のトレンドまでいろいろあります。 企業は利益の確保のためにいろいろな戦略を考えます。

個人に振り替えれば所得の最大化、貯蓄の最大化、プライドの維持(所得に見合わない高級車を購入する等)、企業の規範より多様な価値観に左右されます。 一見矛盾する個人の行動はそれがその人の幸せにつながるからで、擬人化して企業の幸せを利益の最大化と定義するのはあまりに短絡に思えます。

ある企業は100年続いていることから経営の継続が大きなテーマになるでしょうし、ここ最近に設立されたIT企業は100年後を考えていない可能性が高いと思います。 経営において100年後の展望が重要がどうかはさておき、基本を外れて価値観を風土化すると問題があります。 よく言われるのは企業経営では経営の継続が大きなテーマという事です。

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[生活]

夏の過ごし方

写真は夏に北海道へバイクツーリングに行った時のものです。 山の中の道道を走っていてあまりに美しい湖の景色に見とれ、撮ったものです。

昨年は7月に行って大変涼しく、道東は特に快適でした。 7月に入ると観光客で賑わう北海道では宿の手配が大変です。 予約せずに行くので走れる範囲のユースホステルや徒歩宿に手当たり次第で当たるのですが、思ったところに行けず同じエリアをぐるぐる回ったりせざるを得ません。

今年も暑くならないうちにどこかに行こうと思っていて、7月に入ってしまいました。 大阪より西は暑くて山岳地帯しか走れないでしょうし、北海道に行くほど休めません。

おそらく日本で最も暑く湿度の高い大阪で過ごすにはエアコンと扇風機は必須です。 私は暑がりなので炭水化物を控え、出来るだけ食事を控えます。 食べた瞬間から体が発熱するので多く食べる事が出来ません。 体が冷える野菜を食べて水分をとって夜の睡眠に備えます。

最近熟睡できないので対策が必要と思っていますが、通気性の良いマットレスを買おうかと思っています。 もう一つの対策はエアコンも扇風機もやめてひたすら暑さを耐え忍ぶ方法です。 炎天下を歩き、汗をかき、熱いふろに入ると外気が涼しく感じられます。

東南アジアで経済発展を遂げた国の首相がどのようにして経済発展を遂げたか質問され、エアコンの普及と言っておられました。

エアコンの無い時代は涼感を求め、涼しげな色合いの浴衣を着て打ち水をし、井戸水で冷やしたスイカなどを食べるくらいしか暑さをしのぐ方法はなかったのでしょう。

近くにある四天王寺で夏場になると水を噴霧しています。 これが結構涼しくてできれば今住んでいるマンションの屋上からミストを出してほしいと思います。 ついでに言うなら日傘代わりに太陽光パネルで影を作ってもらえればなお涼しいでしょう。 酷暑のなか事前の涼感を求める日々が続きます。

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[生活]

ハンター

営業職のタイプとしてハンター型とファーマー型が話題になります。 ハンター型は開発が得意な営業、ファーマー型は既存取引先のおもりがうまい営業です。

さて自分はいったいどちらのタイプか、と考えることが昨日友人と話していて話題になりました。 その友人は長年の付き合いの中で私の行動パターンや価値観がつかみきれず、話題にします。 例えばお金の使い方、私は節約が趣味と言えるくらいの人間ですからお金の使い方は地味です。 先日も東京に出張する新幹線のチケットを一番安く購入する方法を考え、JRの窓口まで行って回数券を買いました。 そのためにかなりの時間を使い、結局正規料金より出張旅費が4500円ほど安くなっただけです。

しかし一番安く買う方法を見つけ、達成感はありました。 日常生活でも同様の努力を繰り返しています。 このような行動パターンがハンター型の特徴かといえばハンター型の営業の特徴とは思えません。

一方ファーマー型の特徴として同じことを繰り返すことがあります。 手を抜かず、繰り返します。 そして蓄積することに価値を見出します。 私の行動として趣味的節約を心がけて預金通帳の残高が増えることに感じる喜びは小さなもので、通帳を見るのは不明な引き落としがないか、残高が不足していないかをチェックするためにみているだけです。 お金を極力使わないので少しずつ預金残高が増えてゆきます。 口の悪い友人は『お金は使うもの、墓までもってゆけないぞ!』と言います。 自分が死んだあと遺産を寄付しようが子供が使おうが知ったことではありません。 そんなことより無駄にお金を使いたくないだけです。

そうはいっても服は買いますし、食事もすればゴルフもする、趣味のバイクにもお金は使います。 しかし服はバーゲンで買ったものが流行遅れでも(もともと流行しているものに関心がないので関係ありませんが)傷んでいなければ着続けます。 この前ゴルフシューズを見たら裏のスパイクはなくなっていましたし、表面は劣化して破れかけていました。 クラブも折れない限り買い替えませんし、新品のゴルフボールを使うことはありません。

私見ですがファーマー型の典型はモノを持つこと、その人の家に行けば色々な物が溢れています。 物置には木箱に入った花瓶がいっぱいあり、ついにその花瓶を使ったことがないようなお家です。 家の中の物財は少なく、すっきりしている家はファーマー型ではないのかと思います。 事務職の人が古い会議資料を丹念にファイルしていたり、引き出しにぎっしり文房具が詰まっていたりです。

私もかつて事務職だったころはこのタイプの人間でした。 今は前述のお金の使い方そのもので、必要のないものは買わないし使わないもの(この一年に一度も着たことのない服)は極力捨てるようにしています。

そもそもハンターで生きてゆくには持っているものは最低限で、必要なものはいつでも入手できる(すぐに入手できなくて不自由をすることはあるでしょうが)から生活し続ける事が出来るわけです。 ファーマーの成果は農産物、比較的保存がききます。 ハンターは獣や魚を取って干し肉や干物にできでも長期保存はできません。

これも私見ですが、現代のハンターはスポットでお金を稼ぎ、お金で成果を保存するタイプ、もしくはお金を使ってしまって人脈として残しておくタイプではないでしょうか。 家をももたず、莫大な金融資産があるもののホテル暮らしをしている人が現代の典型的なハンターの生活ではないでしょうか。

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[生活]

お客様

最近忙しく、なかなかブログも書けません。 私は朝が早いので朝早く会社に行って仕事をすればよいと思い、6時に家を出て歩いて会社に向かいました。

会社まで徒歩15分、総長は気持ちがよいものです。 突然話しかけられました。 高齢の女性、『おはようございます』と言われましたがどなたかわかりませんので自分でも不思議なくらいの笑顔で『おはようございます』と返しました。

私の笑顔の中に不審の表情があったのでしょう、『薬局でお世話になったものです』と言われ、いつも処方箋をもって来られていた方でした。 自分の顔がさらに綻ぶのを感じ、その方も素晴らしい笑顔で返してくれました。

本当に気持ちの良い出会いで、おそらく最後に私がお目にかかったのは10年ほど前、それも数度お会いしただけの人に、しかも私は薬剤師ではないので投薬はしていません。 そのころ薬局の店内で問題がないか立って店内を見ていただけでした。

地域密着の仕事をしていると知らぬ間に顔を覚えていただき、また来ようと思っていただいたと思います。 そう思うとうれしい気持ちになる一方で、当時を振り返ると問題山積、険しい表情で薬局に立っていたと思うと身の引き締まる思いです。

薬局のお客様は患者さま、柔らかい笑顔で接客すべきところを怖い顔で立っていた自分を思い出して失礼なことをしたと反省しきりです。 それでも10年の時を経て笑顔を向けていただいたことはこのような事業をしてきて至福の時です。 いつまで会社におられるかわかりませんが、これからも自分の立ち位置をお客様に合わせゆきたいと思いました。

昔『早起きは3文の得』ということわざをよく聞きましたが、初めて早起きの得をした気持ちです。

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[生活]

誕生日

もう一月半で64歳になります。 今は5月で一年で一番しのぎやすい季節、このさわやかな季節を65回も経験しているのかと思うと途方もなく長生きした気になります。

子供のころの5月の過ごし方はどうだったか、まるで覚えていませんが子供のころは体力がなく5月の寒さが堪えていてあまり良い印象はなかったのかもしれません。 しかし65回目の5月も新たな気持ちで過ごしたいと思っています。

先日ゴルフトーナメントを見ていて70歳の人が出場していました。 見た目は年寄りですが、プレーはアンダーパー、飛距離も若い選手に劣りません。 何が違うか、その人は集中力が途切れるように見えました。 私もこの年になって若いころと何が違うのかを考えた時に集中できる時間が短くなったように思います。 1時間も机に向かうと気持ちが途切れます。

筋トレをしても短時間、それもほんの一瞬だけで、休憩しないと続ける事が出来ません。 休憩すればできるのです。 細切れの仕事、細切れのトレーニング、気が付けばまめに何かをやっていることになります。 長時間仕事を続けるためのトレーニングもあるのでしょう。 そう思って何をするにもあと5分みたいなことを考えてやります。

それでも続けられないときは散歩をしたり、映画を見たりで60歳を過ぎてからなんとなく効率は悪くなったように思います。

世の中には私が感じることは皆無という人もいて、朝早くから夜遅くまで集中し続ける高齢の人もいて、同年代の一人として羨ましい限りです。 大きい会社の社長などがタフであるのはタフな人だから社長をやっていられるという事もありますが、強い意志によるコントロールを感じます。 私はそんなことはできません。退屈すれば散歩するし、眠くなればねてしまいます。

夜寝る前に仕事の本を読んでいて、眠くなったから寝てしまおうと思ってベッドに行っても寝つきが悪いことが最近多いですが、その時強い意志をもっていれば寝る前にもう少し本を読む事が出来るのかもしれません。 ここは若い人も同じですがもう少し背伸びをする、そのつらさに耐える、つらさが弱くなる責任感や深呼吸程度の気分転換をうまく活用すればよいのでしょう。

 

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[生活]

遊牧民

かつてチベットの山(中華人民共和国青海省、四川省)に挑んだ時にチベット人のことを調べました。 解説によれば彼らチベット人の文化の特徴は居住する高度に特徴があります。

標高2500m~4500mに住んでいて、牧畜を業とします。 牧畜の方法として遊牧があります。 広いエリアを家畜の知りようとなる草地を求めて移動する方法です。 草地を作り、柵をめぐらせて家畜を飼育する方法は一般的です。

チベットでは草地のエリアが決まっていて、冬季は一番低い高度のエリア、夏季は一番高いエリアにテント生活しながら移動します。 冬季は日干し煉瓦の家に住んでいます。(地域により異なるのでしょうが) 年に4回引っ越しする牧畜方法です。

私が訪問した所では高度2800mが作物を育てる限界、彼らも一部の人たちは農耕を営み、高高度に強い麦を育て、脱穀粉砕した粉を煎ったもの(日本では麦焦がしまたははったい粉)をバター茶で練って食べています。 少数民族であったチベット族は高高度特有の文化を形成し、農耕民族のような土地生産性がないため人口など民力が低く、高高度文化を他民族からの侵略障壁になった思われます。

私は守口市に生まれ育ちましたが、私の先祖は知りうる限り(せいぜい江戸末期)守口在住で、通婚圏も近隣だったと聞いています。 つまりは土地に根ざした文化と言えます。 私の先祖は知りうる限り専業農家ではなく、綿を作って販売したり加工したり、家内工業が主たる生業でした。 それでも農村に暮らすうえでは土地に根ざした地縛文化、何代もそこに住んでいることが自慢の文化です。 子供のころからそれを叩き込まれ、ある時期までそれが正しいと思っていました。

大学に入ると全国(私の大学は主に西日本ですが)からきますし、アジアからの留学生も大変多かったです。 私が叩き込まれた地縛文化は大学では影の薄いものでした。 学部は農学部で、就職先は地縛的職業(転勤が少なく海外駐在などない仕事という意味)が多く、たまに海外駐在の仕事に就いた人の話を聞くと限りなくうらやましく感じました。

私が遊牧民的価値観の持ち主というより半地縛価値観であったと思います。 さすがにこの年になると海外や国内を転々とすることは負担が大きいと思いますし、天王寺に移り住んで5年以上たつと守口より便利な天王寺から離れられないようになっています。 息子はドイツに駐在し、10年くらいは帰ってこられないそうですがもう羨ましいと思わなくなりました。 もし私が30才だったらとても羨ましく思う事でしょう。

遊牧民でなくとも土地に縛られない全国各地を転勤してきた人たちは私と同じ年代になってどこかに定着したいと思うのでしょうか。 私の周囲にそのような人が少なく聞く機会に恵まれませんが、皆さん転勤を重ねる最中に家を買い、終の住みかとされるようです。

私は反地縛的価値観が新しい考え方と思っていましたが、若い人の中に地縛的生活を良しとする人たちが多い事に気が付きました。 就職して生まれ育った地域に家を建て、そこで一生を過ごすことを理想としている人たちです。 どちらの考え方にも善悪の判断はなく、好みだけの問題です。 どちらにしても思いを実現し、一生をそこで暮らし続けることは至難の業に思えて仕方ありません。

私には出来ない生き方、これからもたまに転居しながら一生を終えたいと思います。

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[生活]

怒り

信頼を裏切られることが4件続きました。 些細なこと、相手が認識のないこと、単なる言い訳に過ぎないけれど言い訳は信頼を損ねること、など一方的に相手が悪いというわけではないにしろいい気のしない事ばかりです。

このような事件が続発すれば私の場合(たいていの人も同様でしょうが)怒りが足算ではなく掛算になってしまいます。 怒りは感情、とらわれるのは困ったことです。 最後には自分に腹が立って、なかなか自分で自分を許すことはできません。

かつては連発した怒りも最近は押さえ続けてきたのですが、今回の爆発は情けなく、怒りが始まった段階で山にこもって静かに時の流れるのを待つのが一番かと思います。

誰でも欠点があり、私も含め自分のことはわからないものです。 せいぜいわかって欠点の一部、今回のように瞬間に激怒すること等何年もかかって抑え込んできた欠点、いったい何が先祖返りさせたのか考えてみても解は見つかりません。 どちらかと言えば性、業、カルマの類でしょう。

どこかの大統領のように怒りも手段に代えるくらいの度量が望まれます。

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