監査役BLOG

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社会

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おっさんとおばさん

私は時々朝早くゴルフの打ちっぱなしに行きます。 4時過ぎに自転車で出発、約7㎞を1時間弱かけて走ります。 3階建ての2階打席、いつも同じ人がいたりします。 たいていはおっさん、おっさんどうしが楽し気に話を始めます。  延々と話は続きます。 聞こえてくる内容はゴルフの話、よくそれだけ毎日同じ話が出来るものだと感心します。

隣の打席で話を始められると喧しくてかないません。 他人の迷惑など考えておらず、毎朝早朝から同じ打席を占めるので離れた打席に行くことです。

話は変わっておばさんの話です。 私の近距離移動手段は自転車、自転車通行可の歩道は幅が広く、そこにいっぱいに広がって歩いているおばさんたちは他人の迷惑を顧みずゆっくり歩きながら話しています。 自分が自転車の邪魔をしていることに気づくと謝意の伝わらない言い方で『ごめんね』とか言う。

打ちっぱなし場に戻り、高齢のおっさんが黙々とクラブを振っています。 ストイックで、体も締まっています。

会社が入っているビルの掃除のおばさんはもくもくと作業をしています。 誰が見ているわけでもないのに手を抜くことがありません。 まるで修行僧のような感じを受けます。

おっさんもおばさんも陽気で話好きなひと、ストイックに何かに打ち込む人、ほとんどの人が二つのタイプの人に巡り合っていると思います。 仕事をするときも同じタイプの人たちを見かけます。 話好きな人が生産性が低いかというと総ての人がそうではないように思います。 話好きで、あちこちで無駄口をたたきながらもきちっと結果を出してくるおっさん、おばさん、ストイックにコツコツ仕事に取り組み、それなりの結果を出してくるおっさん、おばさん、当社にもたくさんいます。

自分もすでにそうですが、人生の晩年を迎えてあくせくはしたくない一方で、やりがいを求めて打ち込むことを持っていたいと誰しも思います。 60歳を過ぎて毎日打ちっぱなしに行き、多数のボールを打ったとしてもなかなかシングルになれるわけではありません。 それでも顔をしかめ、首をひねり、ひたすらボールを打っている人を見るにつけ、ほかに何かないのかと思います。 なぜなら平日の早朝から数多くボールを打てる人の多くは決してお上手ではありません。 わき目も振らず、打ち込める趣味は打ち込むことに重点があり、コースでのスコアに関心ないのだろうかといぶかります。

自分がもうすぐ介護保険証を貰うそれなりの高齢者になり、今更ながら生きがいとか社会への帰属を意識します。 だんだん我儘になってお付合いが面倒になると高齢者は組織に属して働かない場合はたちまち孤独になってしまいます。 孤独になると生きがいを見つけてそれに邁進する範囲が狭まります。 つまり生きがいや目標が描けず、孤独感がさらに深まります。

私はその入り口に立っていて、今更ストイックに毎日クラブを振る人生を選ぶ事が出来ません。

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人口

東京で働いている仕入先の方と東京の人口について話す機会がありました。 『江戸川区は人口密集地でたしか100万人を超えたとか・・・・』と言われて大変驚きました。

かつて東京に出張したとき、世田谷区の人口が84万人と言われて大変びっくりしたのを思い出しました。

ちなみに大阪で一番人口の多い平野区は20万人弱、都道府県で一番人口の少ないところは鳥取県で57万人、100万人を切っているところは9県、これから考えても東京は異常な人口です。

改めてネットで調べると江戸川区は69万人、世田谷区は92万人、数字は違っていましたが確かに大変人口の密集しているところです。 東京23区で944万人ですから途方もない数です。

経済的な側面で、人口密集地で人口が多いところでは効率化が図られます。 求人が多く求職者も多い、顧客はあまりに多く、大阪で顧客を奪い合っている介護業界からすれば夢のようなところです。 しかも隣接県である神奈川、千葉、埼玉、茨城などいずれも人口が多い県です。 関東を合わせると役6千万人、という事は日本の人口の半分という事になります。

一方関西エリアはほとんど人口の増加はなく、関西合わせて22百万人程度、関東の3分の1強です。 大阪に長年住んでいると人口は横ばいながらインフラは整備されていて、交通機関の乗降で列を作って待つこともなく、渋滞も減ったように思います。 さらに住みやすさが増して、快適に暮らせていますがスカスカになった大阪市の中心部は商業ビルが次々分譲マンションに変わり、大阪の経済はどうなるのかと危ぶまれます。

私が会社にいる間、もしくは元気でいるあと10年程度は大きな様変わりはないでしょうが、小売店の多くはシャッター街のように閉店が目立ち、最寄りの鉄道の駅からバスに乗らねばならない戸建て住宅は全く買い手がなくなってゴーストタウンになり(すでになっている所もあるようですが)周辺から中心に向かって広がってゆくと思われます。 そうなればもはや地域経済として成り立たなくなり、通り将来には限界地域になりはしないかと悲観的になります。

大阪が遠い将来に人が住むうえで暮らしよい街に生まれ変わるには今までのように東京対比で背比べしても意味がなく、今まで違うコンセプトで街づくりをしてゆかねばならないと思います。 気が付けば人口規模は小さくても暮らしよく、物価も安定していて働く場所も十分にある街に変貌を遂げてほしいと思います。

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ふるさと納税

以前から試してみたいと思うことがいくつかあり、その一つにふるさと納税があります。 そもそもなぜこのような制度ができたのか理解に苦しみます。 税制に問題があるなら税制を変えればよく、問題あるかどうか社会実験を行うのであれば実験の意図がよくわかりません。 想像ですがそんな意図はなく、国民の批判をかわす猫じゃらしのようなものと思いました。

納税額に応じて制度を利用できますし、納税額がそこそこ大きい人は収入の多い人、金持ちの不満解消が目的なら分からないでもないです。 金持ちがより得をする制度をなぜ行うのかという批判がありますが、収入の多い人は累進課税でより高額の納税をしており、豊かだから不満がないというものではなく効率の税率に不満を持っていて当然と思っていますから金持ちに有利な制度だからと一方的に批判する気になれません。

換金性の高いお礼の品に対しても、仮に商品券を返礼するとしてもそのことも批判する気になれません。 お礼をお米でもらおうが換金性の高い物で貰おうが価値に変わりはありません。

お礼品の価格を振替納税額の何割くらいになるかを簡単に調べてみたら3割強といったところでしょうか? 返礼率の高い事にも批判がありましたが、町の知名度を上げたいのであればそれも一つの選択肢だと思います。

振替納税の金額が1万円というのが圧倒的に多かったので、私は10万円分ほど振り替え、お米や肉や果物をお礼品として頂くことにしました。

これ以外にもニーサという株などの投資による運用益や配当を非課税にする制度も不思議に思っています。 私は株や投資信託は基本的に博打と思っていますので、国が年間120万円まで博打を打って儲けても税金を取らない制度です。

ふるさと納税もニーサも税収全体の構造を脅かすものではないささやかなものです。 理屈はいろいろあるでしょう。 もし税の再配分によって限界市町村の税収を確保しようと本気で思っているのなら地方税に限らず国税である所得税も全額対象とするくらいの影響ある制度を実施すればよいと思います。 振替多額の5%を減税すればお礼品の競争に対して目くじら立てる必要はありません。 国内株への投資促進なら非課税枠を10倍くらいにすればよいと思います。 それでも税収が大きく変動するというものでありません。 一部のお金持ちの得する割合が大きくなるだけです。

所得税率も相続税率も一部上げてお金持ちは損をしたのですから相応のメリットを得るチャンスを制度化すればよいと思います。

ふるさと納税は振替税額の3割程度の金額の商品が返礼されるわけですから景気対策のヘリマネ(ヘリコプターでお金を撒いて景気刺激をする)に似ていると思います。

政治は大変で、所得の二極化や景気刺激策として国債発行を行いすぎたとか、あらゆることに責任問題がついて回ります。 複雑で小手先の政策を展開しなければならず、さらに批判が積み増しされています。 あまり何もしない、それゆえ国にあまり期待せず、失望せず、普通であれば長い時間の経過の中で経済、文化の到達点はあまり変わらない気がします。

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[社会]

新しい考え、古い考え

新規事業を検討し、既存事業の改善を行う担当者が同様のことを行う人が参加する会議のことを話してくれました。

当社の担当はいつも斬新な発想を展開する人ですが、その会議では20代前半の人に考えが古い、古き良き時代の考え方と言われることが多いそうです。

私にも若い時代があって同様のことを言ったり言われたり、という記憶があります。 今ではそのような若い人と話す機会がなく、いわれることもありません。

一つ思い出したことで、私が55歳の時、新規事業を立ち上げたり、若くして経営者になる人たち向けの1年間の研修会に参加したときのことです。 平均年齢は30歳程度、私ともう一人が50歳代中盤で明らかに高齢者です。 私は年齢を意識すことなくセミナーでは最前列に座り、講師に質問を繰り返しました。 途中から若いメンバーも質問に参加しだしましたが私にとってつまらない質問ばかり、一方講師はコンサルタントを業とする人で、本を読んでいるだけでなく実際に企業の指導をしている人たちです。

マーケット理論の解説をした講師にその理論は最新か?、古典落語でも同じスキルを利用して設ける話を聞いたことがあるが?と聞きました。 講師は「そうですか」と答えただけでした。 誤解を恐れずマーケット理論を販売スキルと言い換えれば今までない全く新しいスキルはほぼないと思っています。 古典落語の時代と現代で経済規模や事業体の組織構造、法的規制などは明らかに違いますが人間が考えることは同じと思います。 どのようにスキルを使うかによってその効果が威力を発揮するかどうか分かれてくると思います。

例えば私が子供のころに全国的によく売れた『おまけつきグリコ』、キャラメル販売にちっょとしたおまけをつけることで幼児顧客のリピート率を上げたものですが、同様の販売手法は自動車の販売(今ならカーナビがついてくるとか)でも見かけることがあります。 江戸時代でも同様の販売スキルがあったと思います。

考え方やスキルはカタカナで解説されれば新鮮な印象を持ちますがそれだけのこと、それらスキルをどの分野でどのように展開したかは多様性があると思います。 考え方や何かの方法が新しいのではなく、その業界でその方法が効果的であることを見出した人がいくばくかの新規性の発見と多大な利益を稼いだに過ぎないと思います。

世の中にはマーケット理論の本があふれていますが、古典落語を聞くだけでも多くの理論が学べると思います。

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減税

 2017年税制改正で中小企業が従業員の賃金を2%以上上げるとその22%を税額控除するという改定案が出ています。 大企業に対して中小企業の平均賃金が低く、国の掲げる内需拡大が思うように進まないための政策だそうです。

 企業の従業員の賃金は各社制度化され、予算に編成されている場合が多いと思います。 当社の場合月4千万円強、2%は80万円ですから年間1千万円 以上賃金を上げるとその22%、220万円を税額控除するというものです。

 しかし中小企業の7割が法人税を払っていない、つまり赤字だそうです。 中小企業で赤字と言いつつ社長が豪遊し、欧州車に乗っていたりします。 つまりは黒字にして税金を払うくらいなら経費を使って赤字にしようという考え方です。 それでもそのタイプの赤字中小企業の経営者は経費を使っています。

 国が施策を出してうまくゆかない時にいろいろな政策の小技が出てきます。 そんなことに労力を費やすのはもうやめてはどうか、確かに今回の減税策で潤うこともあるかもしれませんが、このような小技政策をたくさん繰り出すのを見ているとお茶を濁すために国家があるのか、と思ってしまいます。

 中小企業の経営者にとって国から『君たちの従業員の賃金は安いよ』などと干渉されたくはなく、『お前ら国家公務員は高い俸給で暮らしていて何をバカなことをやっているんだ』と言いたくなります。 彼らは『統計的な裏付けがあることを我々優秀な国家公務員が考えているんだ、何もわからず余計なことを言うな』ということになります。

 自分たちで作った統計、その有効部分を拡張して喧伝する国のやり方にもううんざりしている国民も多いのではないでしょうか。 国家公務員や訳の分からない政治家を大幅に減少させた方がわずかでもコストカットになるし、国の生産性に寄与すると思います。 少なくとも小さい会社は給料を上げろというような発想の体制よりも。 

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悪徳商法

 母が緊急搬送されると同時に認知症を発症しました。 以前から怪しく思っていたのですが、緊急搬送後は症状も顕著に出て、高齢者施設に入所させることにしました。 母が住んでいたゴミ屋敷状態の部屋をかたずけ、重要なものを探しながらごみの仕分けを行いました。

  母がそこそこ持っていたお金はかなりの部分が株などの投資に消えていました。 母が何にお金を使おうと勝手ですが、自分の老後の資金まで投資しています。

 外国の公社債など為替リスクもあるし国ごとのリスクもあって、老後の資金を投資する対象とはとても思えません。 それを有り金のほとんどをおよそ元本保証もないハイリスク金融商品に投資しています。 90歳になる母が金融に通じているわけではないのですが、 すべてS証券を通じた投資でした。 S証券は大手銀行傘下の証券会社ですが、このような投資勧誘を平然と行っています。 よくボケしている高齢者に甘言を弄して投資させていたのです。

 成人しているとはいえ90歳で認知も出て いる老人に勝ち目のないばくちを進めたのです。 S証券に電話し、即日全部の解約を通知し、手続きに入りました。 担当者ではなく課長がやってきて説明を始めます。 相当厳しくいったのに『今売れば損をします』から説明が始まります。 高齢者施設に入っている認知症の老婆にさらなる投資の継続を言い募るので『いい加減にしろ!』と注意して初めて解約の話を始めました。 すべての投資が損失を出していて、損しか出ない商品を無理やり販売したのは明白、私も日経平均株価や円の各通貨の為替レートを日々チェックしていますが、複数投資案件すべてで莫大な損失が出ています。

 Sグループは商売のやり方の強引さで評判の悪いところですが、証券に至っては詐欺まがいと言われても仕方のないことをしていました。

 詐欺を立証できるエビデンスはありません。 腹いせに同グループの銀行との取引を見合わせることにしました。 日本にこのような会社が堂々と事業営んでいることに憤りを覚えました。 

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共感する力

 横浜市の林文子市長は「共感する力 カリスマ経営者が横浜市長になって分かったこと」というタイトルで出版しておられます。 横浜市は全国で一番大きい市で、その市長をされていますが、女性首長は日本では意外に少ないそうです。

 氏の経歴は個人的にはすごいの一言に尽きます。 高卒でOLを3年ほどしてから自動車の販売会社でセールスを行っておられたそうで、最初のディーラーでは入社後トップセールスを10年、それだけでもすごいことですが、自動車販売会社の社長に抜擢され、同業の自動車販売会社の社長を何社か歴任、ダイエーの再建に代表としてかかわった方です。

 それだけの逸材ですから市長への出馬要請は当然としても民間から行政に転じてなお多くの改革改善を成し遂げたことは凄いことだと思います。 氏の市役所の風土改善の考え方としておもてなしが何度も登場します。 詞だけをとらまえればセールスの手法を行政サービスに取り入れたことになりますが、効率一辺倒の役所仕事に対する批判として電話とメールで効率的な情報伝達よりも会って面と向かって話をすることで信頼関係が増すことがより効率的な行政サービスにつながることを説いておられます。

 このエピソードで思い出したことがあります。 あるフランチャイズに加盟していたときスーパーバイザーから連絡が頻繁に入ってきます。 『面談したい 』というのが用件ですが、面談して情報を得ようとしているだけで情報の提供はありません。 何か資料は持ってくるのですが、役に立つものはなく、それをネタに当社の情報を取得しようとする意図は見え見えです。 そこで用件があるならメールにしてほしい、情報をくれるというのならメールで送ってほしいと伝えました。

 先方の役員がそれを聞いていて何事かとスーパーバイザーを叱ったそうです。 もちろんメールにしてほしいというのは君の情報に何の期待もしていないというメッセージです。 さらに言えば人としても魅力に欠けていたのであって楽しいことはありません。 上司の役員が私の感覚までたどり着いてくれれば改善も図れたのでしょうがそうはなりませんでした。

 現在はそのフランチャイズを離脱し、そのフランチャイズ自身が展開しているといううわさも聞きません。

 林文子氏の話に戻り、市長は公選され一人何千人といる職員の中に入り、権限を行使し、責任を果たすわけですからそれはもう大変で、低姿勢でお願いしても権力を傘に着て力押ししても役所の風土をセールスの風土に変えるのは至難の業に違いありません。 メールではなく面と向かって話をし、信頼・尊敬・善意・ビジョンを理解されなければ職員といえど誰も思い通りに動かないでしょう。

 タイトルの『共感する力』は 自らが相手に共感し、相手は自分に共感するよう努力することに尽きると思います。 副題の『カリスマ経営者が・・・・』はカリスマであるがゆえにできたことのようにとられ、書かない方がよかったことと思います。 記述の中で氏は細かな努力を徹底して継続してきたこと、職員褒める、冗談を言う、先に挨拶するなどです。 それをカリスマとかたずけられたら氏は悲しくなるのではないでしょうか。

 多くの職員、お客様である市民、いろいろな考えの人がいるわけで、皆が皆支持しているわけではないでしょうが、少なくとも憎しみの対象にはなりにくいのではないかと思います。

 私は母親が存命で毎日安否確認の電話を掛けます。 母は90歳を過ぎて認知もなくしっかりしています。 もともと私とは反りの合わない人でしたが、それを引きずっていても仕方がないと思いつつ電話をするといきなり質問攻めにあいます。 そもそも電話を受けてとたんに質問するのはやめてほしい、とお願いするのですが「すまない」と言いながら次にまた質問になります。 認知であるからそうなるのではなく、昔からの気質で質問に対する答えは毎回同じです。 林市長のように母と共感することができればもう少しましな会話が成り立つのでしようが肉親だからか仕事でないからなのか割り切れません。

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EU

 私は政治に関して強く意見を持たないようにしています。 なぜなら何らかの事業を行っていれば政治の決定について企業として損得は必ず発生しますし、こうあるべきと考えれば経営判断に歪みが生じます。 よほど不可解な政治判断が続けばそうも言っておられないでしょうが、現状の日本の政治で話題になるのはある所得層、ある事業分野、あるメンツを守ったり捨てたりする話題に終始しています。

 経営だけを考えれば柔軟に対応すれば今の事業分野で展開可能ですし、逆風の施策であってもチャンスに結び付けることができます。 そもそも既存事業は社会的に必要があるから存在していて、代替方法がなくならない限り既存事業が消滅するとは考えられません。 既存事業より効率の良い代替事業は常に検討されていて、安泰な既存事業は考えにくいと思います。

 国債発行残が天文学的な数値になっていて、物価上昇率が 日銀の目標の2%にほど遠い中で一方でせっせと財政規模の縮小を図っています。 物価が上がればよいのであれば薬価を下げるのは一見矛盾しています。 個々の施策をうんぬんしても仕方がないから強く関心を持たないようにしているだけです。

 イギリスの国民投票でEU離脱が僅差で選択されました。 離脱派の損得よりも主権という論理、残留派を含めそれぞれ明確な理由があり、それぞれの利害を受けているのでしょうが、イギリス以外はまさかの反応に見えました。 EU側は離脱に向けた交渉で関税を含め厳しい条件を提示してくることになるそうです。

 それでも離脱を選択したから経済的な不利益を甘んじて受けることになるのでしょうが、話はそれほど単純ではなく、主権などが話題になれば国家観の違いに発展せざるを得ません。

 日本国内でも世界でも情報とその伝達手段である通信が広がる中でアラブの春など大きな政治的動きが起こりました。 自由に意見が言えて自由に情報が入手出来て考えがすりあわされて考えの対立が減るのではと思っていましたが、イギリスの動きは対立を先鋭化する方向に動きました。

 アメリカの大統領候補の発言もそうですが、平和や安定を損なうような破壊的発言や行為が代替策を提示しないままに広く受け入れられているように思います。 政治が利益代表の調整の場であれば過激な展開、武力の行使など意味がないのですが、今や調整より対立、力技が国外において人気があるように思えて仕方ありません。 確かに日本の政治家も調整しようというより先鋭化して存在感を浮き立たせることに血筋を上げだしていますが。 

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風土

 30年ぐらい前のアクション映画や刑事ものを見ているとやたらとタバコを吸うシーンがあります。 この話題は以前にも書きましたが、マカロニウェスタンでもニューヨークの刑事もフランスのヤクザもタバコをよく吸いま。 そして吸殻をところかまわず捨て、靴で踏みにじります。

 私がまだ学生だった40年以上前にタバコのポイ捨て禁止キャンペーンがTVで放映され、『地面はタバコを吸いません』というキャッチコピーが流れました。 携帯灰皿が売り出され、それを利用する人が出てきました。 それから10年以上たち、分煙や禁煙スペースが増えてゆきました。 私が子供のころは電車の中でたばこを吸っていたものです。 隔世の感があり、今では禁煙と書かずとも列車で喫煙するものはいません。

 考えを根付かす ことは優れたキャッチコピーのキャンペーン、携帯灰皿などのツールの開発等多くの手間と時間をかけ、好悪の問題から善悪の問題にまで上げて行き、初めて定着するのでしょう。 アメリカの銃規制などもそうだと思います。

 タバコに限れば私が生まれるころに当時の厚生省が健康被害を避けるために法律でたばこを禁止すれば喫煙の問題は回避できたことと思います。 喫煙者の私が言うのも説得力がありませんが。

 このような風土の問題は会社内でもあります。 当社で営業職を中心に細かな作業を手を抜かずに行うこと、難しい課題を逃げずに考えること、すぐに対処することなど現場で目先の対処方法につきスローガンを出しています。 凡事徹底、できる方法を考える、高速レスポンスなど『地面はタバコを吸いません』に相当することを現場管理職が提唱しました。 これは定着し、現場の課題に対してかなりの効果がありました。

 これらのスローガンが根付いてもまだ課題は山積みです。 全国同一制度の保険事業で全社が同じ戦略で、地域に応じた戦術を展開しても個人別の売り上げに、新規開発に個人別で何倍もの差が出ます。

 営業でいえばフロックもあり一定の差が出るのは当たり前ですが、それをはるかに超えて差が大きいのは『個人差』やフロックで片づけられるものではないと思っています。

 類似の課題は事務職やケアマネージャー、薬剤師でも同様にあります。

 仕事を行うにあたり苦痛や努力は伴うもの、同じ苦痛と努力でより高い成果を上げることができるシステムを取り入りなければ成果は増えません。 それが分業であったり、IT化であったりします。 しかしこれらの方法・手段も現場に近いものが多くあります。 新人に仕事を教えるのに簡単なマニュアルを作成し、分割された作業の定義が明確になれば分業が進みます。 分業された作業や定義が明確になった作業はIT化の対象になります。

 今話題にしようとしているのは現場ではなく経営マターとしてどのような仕組みが生産性向上につながるか、ということです。 経営マターでも例えば分業が話題になります。 管理職の設定、課長職の設定は分業に相当します。 人事制度をうまく使って生産性を上げた管理職は評価されますが、賃金制度の考え方を変えなければ評価が賃金に反映しません。 転勤や配置転換も同様、会社として一番欠けている事を見出して選任を置くことや会社全体のグランドデザインなどは経営マターの最たるものです。

 経営マターの個別の施策も重要です。 禁煙キャンペーンの携帯灰皿の売り出しのようなもの、しかし風土の醸成やコンプライアンスのような強制力を伴うものには好悪ではなく善悪のような価値観を形成することが必要になります。

 経営マターを担当するものは取締役、当社においても社歴の長い人で年齢も上です。 えてして経験で物事を判断します。 『賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ』、経験があるがゆえに経験に偏重すると歴史が教える解決策に目が行きません。 せいぜいキャッチコピーを思いつくぐらいです。
 

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[社会]

古い映画

古いモノクロのやくざ映画を見ました。 第二次世界大戦終戦の年から1960年にかけての映画と思われます。

ネットで検索すると1963年10月公開の『狼の王子』と言う映画で、石原慎太郎作の小説を脚色し、映画化したものでした。

主演は高橋秀樹、浅丘ルリ子で、日活配給だそうです。 前半は北九州の港湾荷役を牛耳るやくざと子供の浮浪者の生活、後半はその子供の一人が成長して東京で渡世人としてやくざの抗争事件に巻き込まれる映画です。 私が生まれたのは1953年、私の子供の時期とかぶる映画です。

道路は未舗装、道路を走る車は少なく、今となってはクラシックカーですが、当時は貴重な乗り物です。 役者が来ている服装など、たとえば主演の高橋秀樹は細い襟のスーツに細いネクタイ、食料品をデパートの食品売り場のようなところで買うと紙袋に入れて持ち帰ります。 店の込み具合、商品の品ぞろえ、着物を着た主婦、東京の街も少し郊外の風景は空き地が多く、高い建物はありません。

映画のシーンで安全保障条約の締結反対シーンデモが国会に押し掛けるシーンがあります。 映画のテーマとしては1945年から1960年までの戦後復興、高度成長、日本の文化や仕組みの変化を古い体質の侠客と新興やくざの対立としてあらわそうとしているように思います。

作品はエンターテイメントとして看板スターを使って構成されていますが、今見ると日本の近世史が臨場感をもって迫ってきます。 私のようにその時代に生きていた人間にとって役者の発言一つにも時代の匂いがよみがえります。 侠客であるから義理人情はテーマになっています。

道路が未舗装とか携帯電話が無いとか食べているもの・服装に貧しさを感じるとか物質的なものに目を奪われがちですが、考え方や行動に古い時代のパターンが読み取れ、自分の経験の中にもそのような考え方を体験しています。

そのような古い考え方を土台にして現在の自分の考え方がありますが、経験をもとにした考え方の土台は現在若い人には無いもので、同じ映画を20歳代の人が見てどのように感じるか大変興味深く思いました。

戦国時代の映画は最近でも数多く作られていて、エンターテイメントとして受け入れられていますが、その考え方は現代人の考え方に近いのかと思うことがあります。 そもそも戦国次第に生きていた人がシナリオを描いたわけではなく、皆当時の文書から想像したことで、戦国時代の武将が今生きていて、それらの作品に触れた時に違和感を感じると思います。

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