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習慣化

[習慣化]

習慣化と価値観

このブログで何度も書いていますが、継続反復することについて習慣にすれば苦痛が軽減することは一般的に認識されていることと思います。 例えば夕食後に風呂に入るとか、お風呂好きの人には理解しがたいでしょうが風呂に入るのが面倒と考えている人にとっては夕食後に必ず風呂に入れば面倒くささは減ってきます。

歯磨きなども典型的に習慣化することが面倒くさいという苦痛を軽減し、場合によっては快感に代わります。 個人の学習、英会話の修得のためのヒアリングなどは決められた時間に行えば苦痛が軽減します。

作業ではそうですが、会話能力の学習効果は少し違ってくると思います。 本人の意欲が低い場合は英会話を聞くという作業を行っても会話能力が向上しないことがあります。 習慣過学習で必ず学習効果が上がるのであれば毎日学校に行って決められた授業を受けるのですからまさに習慣化で、全員が学力向上を果たすことになりますが、そうでないのは明確です。

人格形成でも同じことが言えると思います。 欧米人でキリスト教に帰依する人が毎日聖書を読むことで(食事の前に聖書の一説を唱えてお祈りするとか)人格形成に寄与するかと言えばそのような習慣をもつ人の犯罪率を調べると効果の可能性は検証できるでしょう。

習慣化以外の方法で習熟を高めると習慣化より苦痛の総量は大きくなり、結果として効果の総量は減るのかと考えることがあります。 筋トレで毎日決まった時間に決まったトレーニングメニューをこなすことは比較的楽ですが、メニュー次第で筋肉量の増加はトレーニングにもかかわらず見込めないそうです。 トレーニングメニューの改善は科学的に行われ、成果を生みつつあります。 最近桐生選手が100m走で10秒の壁を切ったのはこのような結果と報道されています。

英会話のような学習も学習方法の改善が図られ、短期間で成果が上がるようになってきました。

しかし価値観や人格形成、さらには生活習慣の改善ではどうかと考えます。 禁煙は生活習慣の変更ですが、禁煙すれば生活習慣病が減少するので禁煙治療が保険適用されています。 禁煙に関してタバコと縁の切れない私がスパッと禁煙できたのは医者が検査結果を見て禁煙しなければまずいことになると嘘をつかれた時です。 差し迫った危険に反応し、禁煙の苦痛は全くありませんでした。 健康上の問題が医者の作為であると解ったとたん喫煙が再開されました。

近年、電子タバコが商品化され品切れになるほど売れているそうです。 街角でも電子タバコの愛好者をよく見かけます。 財務省はタバコからの税収が減少するので電子タバコにかかる税制を変える検討に入りました。 各論ではタバコは税収源という認識や健康保険制度に負荷をかけるもの、健康に負荷をかけるもの、立場により視点は大きく変わります。

話は習慣化からそれたので元に戻すと習慣化による歯磨き、筋トレ、ダイエットなどから人格形成に至る人の課題には本質=価値観があり、それに触れることが出来れば歯医者に行かなくても済むかもしれないし、多くの疾患から逃れられ、ダイエットは事前に適正体重になり、禁煙も瞬間にやめる事が出来ます。 そして多くの人の人格形成が行われ、犯罪減少や受験勉強の負担軽減など多くの効果が期待できます。

多くの人がこれら本質を避け、ダイエットのために高額サプリを飲んだり、禁煙治療を受けたり遠回りをしてしまいます。 これらの本質が明らかになり、だれでもその本質に納得する事が出来れば世の中の多くの問題はかなりなくなってくると思います。

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[会社運営]

[習慣化]

思いは行動になる

以前にも書きましたが、タイトルの通り考えていることは言葉になり、無意識の行動になります。

私は若い時から気になることがあるとそのまま言葉にしてしまい、批判に取られたり嫌味と思われたりした時期がありました。 働く周囲の仲間に癖のある人間と思われることは程度の差はあれ誰でもあると思います。 つまりはその程度であると自己評価し、直そうと積極的には思いませんでした。

私が大変信頼し、私に好感をもっている複数の上司が遠回しにその癖について諫める助言をしてくれました。 なぜかその人たちは大変遠回しに言っていて、何が言いたいのかわからないことが多かったように思います。 年を経てもその癖は治らず、50歳代後半になって散々露骨に指摘を受けました。 その人は私の言葉に傷ついていたので厳しい非難を受けました。 非難の言葉は『考えているから言葉になる』というもので考えていることを言葉にすることを非難したのではなく、人を傷つけるようなことを考えること自体を非難していたのです。 そうは気付いたものの思ったことをそのまま言わないことよりはるかに難しい事で、倫理観を変えるようなものでした。

思うことは考えた結果良いと思われることが蓄積されてゆきます。 例えば会社経営をしていて、会社の維持発展に利益が必要であることは言うまでもありません。 経営者が「利益、利益…」と唱えればそのこと自体は正しくても儲けることが正しいが独り歩きし、現場でとんでもない事が起こるかも知れません。 例えば顧客を騙すような行為とかが行われ、売上・利益のかさ上げが計られます。 会社の維持・継続・発展に利益が必要なことは自明のことです。 もちろんそれすら理解しない職員もいますが。

次に何のために利益が必要か、経営者個人が裕福になるためと中小企業では思われがちです。 よく中小企業の社長が事件に巻き込まれ、TVのニュースで社長宅が映し出されます。 大変立派なお宅で、広い室内には豪華な調度が溢れています。 事業に成功した経営者が金銭的に豊かに暮らすことは何ら問題の無いこと、どこかの省庁が税金を使った事業で稼いだ利益で贅沢に暮らしていることを暴露する情報を流したようですが、この批判は全く的を得ておらずその省庁の品格を疑います。 そもそもその省庁が作った制度を守る中で工夫してお金を稼いだ訳ですから自己批判しているようなものです。

経営者が経営を維持・発展させるうえで考えていることはその方法で、一般に企業理念として公表しています。 それが浸透しないと嘆いている経営者がいます。 浸透させるには言い続けなければならないとコンサルタントが言います。 経営者が経営判断や自らの行動でその理念を体現すれば、つまりは経営者が理念を重い考え、ふさわしい行動をすれば伝説が生まれ、理念の言葉が浸透するかどうかは別にして思いは浸透していくものだと思います。

人は人のまねをし、うまくいけばみんなマネをするようになる傾向があります。

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[生活]

[習慣化]

目標に集中

私が学生だった頃、定期テストの成績はさっぱりでした。 しかし出題範囲が広い実力テストは好成績でした。 好奇心が旺盛で『この範囲から出題します』と限定がつけばとたんに興味をなくします。 何が出題されるかわからないことはテストとはいえワクワクしました。

これは悪い癖で、今でも治っていません。 退屈な会議や興味のない面談で居眠りをします。 初めは無呼吸症候群が原因かと思っていたのですが、興味がなくなれば話を聞いているだけで前を見ていた視野が白くなり、次の瞬間に眠りに落ちます。

興味をもっていること、設定した目標からぶれないようにするために目標にしていることに沿った行動を項目化して10日計画表を作成し、出来た項目に〇をつけていきます。

例えば体重を70キログラム以下に抑える、食事量を控える(これは目標管理項目にしていません)、筋トレを行う(腹筋30回で〇一つ)、5千歩けば〇一つ等、10日で200個の〇を獲得するというものです。 何年も続けていますが、〇が100個強で200になりません。

最初の対策は目標を見直すことでした。 実現可能な目標か、それは本当に目標にすべき項目か、現在の年齢、ポジションを考え健康にかかわること、老後の人生に役立つこと、趣味に関わること等将来に向けてのことが中心です。

次の対策は時間がないという言い訳封じです。 とにかく半端な時間を切り詰める、一つの行動が完結すれば間を置かず次の行動に取り掛かる、疲れてしまえば散歩など気分転換を図るか思い切って寝てしまうとか時間管理に終始する対策です。 ところが昔ならできた根を詰めた作業がだんだんできなくなりました。

これでは生産性が上がらない、ずいぶん考えましたが、早く寝て早く起きて出勤前までに出来るだけ詰め込むというものでした。 5時に起きて出勤までの3時間30分、必死で筋トレや新聞読みなどをします。 朝起きてすぐの時間はゴールデンタイムで生産性はなかなか高いです。 今も続けていますがその後の時間、特に昼食後だれてしまいます。 ダレないように食事を抜き、空腹な状態を維持します。 さらに疲れたらすぐに寝る、睡眠の質を高めることに工夫しています。

要は年齢相応に体力が低下して、十分な休養、集中を心がけることにしました。 新たな興味が生まれれば集中できるのでしょうが、新たな興味が次々湧いてくるわけではありません。 修行僧のごとく生活のリズムを整え、ひたすら習慣化して苦痛を和らげ実績を積む以外に自分を高める事が出来なくなってきました。

 

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[習慣化]

集中

筋トレをするとき、少しの苦痛、単調な繰り返しであるため、音楽を聴きながらトレーニングをすることがあります。

筋トレの本を読むと今どこの筋肉を使っているか意識しなければトレーニング効果が薄れると書かれていました。

なんでもそうなのですが意識しないで行うと流してしまいます。 英会話を聞くときなど流してしまえば全く何も残りません。

最近では今やっていることに最大限集中することで効果を上げようとしています。 仕事を終えて家に帰ると疲労感がとても強く、何かに集中するなどできません。 そこで朝起きた時に集中して行います。 だいたい4時から5時に起きます。 例えば4時半に起きると家を出る8時30分まで4時間あります。 この4時間は私のゴールデンタイム、新聞を読み、朝食をあきらめてコーヒーを淹れます。 この時やったことは頭によく入ります。

ゴールデンタイムをフルに活用すると昼頃、起きてから7時間半経過していますから疲れて、おなかも空いてきます。 初めは何故疲れているのか解らなかったのですが起きてからの経過時間を考えれば当然と思いました。 元々寝つきが悪く、最近さらに寝つきが悪くなってきました。 もはや午後は起きているのがやっとです。 それでもやらなくてはならない事は集中してやらねばなりません。 仕事が雑になってきて、迷惑をかけます。

他の人はどうか周囲を見回すと、みな集中しています。 たまに家で仕事をしていて、睡魔が襲い集中できないときがあります。 ソファーでお昼寝をしようと寝転んでも眠ることはできません。 眠いなら眠らせてくれ、そうでなければ睡魔よ来るな、そして夜になり眠気が訪れ、別途に入ると眠れない、眠れても夜中に目が覚めて朝の目覚めがすっきりしません。 こんな状態が続き、もし医者に診てもらうと病名がついて治療が始まります。

それが嫌で医者の診察を受けません。 自力で集中力を回復し、深い眠りが得られるようせっせと体をいじめています。

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[習慣化]

努力

虚しさを感じる言葉です。 英会話のラジオ番組で講師が最後に『努力は必ず報われます』と決め台詞で締めくくられます。 虚しさを感じるのは努力が必ず報いられると実感できないからです。

努力が必ず報いられることが実感できれば継続した努力に嫌気はささないでしょう。 そうすれば努力の方法にもよりますが世の中のすべての人は何らかの努力を重ね、生産性が高まるのではと思うことがあります。

コンピュータをうまく使えない高齢者も努力により習熟度は高まるでしょう。 日本の生産年齢人口も増加するに違いないし、スポーツの世界では新記録がもっと出てくるでしょう。

継続して努力するために成果を実感する(成果が全く生まれないのであれば成り立ちませんが)ためにTOEICのようなテストがあったり、ゴルフであればスコアがあったりします。

私はテストやスコアのつきにくい項目で記録により成果を実感できるようにと考えました。 減量目的で筋トレをして体重を計るとかです。 ただし原料を筋肉量の増加による基礎代謝増で果たそうとすればかなりハードルは高いように思われます。 基礎代謝量が100キロカロリー/日増加できても食べる量をコントロールしなければ成果につながりません。 下手をすれば食欲増進で余計に体重が増えるかもしれません。

筋トレは肉体的な苦痛を伴います。 常にやっていれば苦痛に慣れてきます。 虚しさを感じる精神的な苦痛と肉体的な苦痛を味わいながら筋肉をつけてゆくことは気力・体力を同時に養成できるような気がしますが、現実には二つの苦痛が重なってますます継続が困難になってきます。

苦痛を和らげるために習慣化することも以前書きましたが、明確な目標と自分へのご褒美、体重が70kgを下回れば新しいバイクを買うとか、本末転倒の苦痛対策も考えます。 それでも努力して健康と美しい肉体とまともな発想力、忍耐力が養われるなら努力は継続すべきです。

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[習慣化]

集中

何かを深く考えたり、練習してスキルを高めるとき、困難な意思決定をしなければならないとき、人は高い集中をするでしょう。

深く考えられたこと、例えば会社の将来のビジョンなど目先の利益にとらわれたり、変革の困難さから何もしないことを選択したりします。 コダックは世界で最初にデジタルカメラを作ったそうですが、フイルム産業に固執して倒産しました。

同業の富士フィルムは科学メーカーとして医薬品、化粧品などの分野に変革しました。

そんな大きな話ではないのですが、私は英会話を何年も練習しています。 しかし上手くなりません。 元元以後が苦手で学生時代苦労したことを克服したいという事で始めました。 意地のようなものです。 何年も成果が上がらないので練習方法を変えました。 英会話を聞いてそれを書くことを始めました。 単語が聞き取れず、辞書も満足に引けないのでスペルや意味が解らず苦労しました。 聞こえた通りの音から英和辞書でその単語を探し、見つからなければ前後の文脈から和英辞書で単語を探します。 持っている和英辞書があまりにお粗末なので辞書を買いに行こうとしましたが結構高い値段にひるんで買うのをあきらめました。

単語を調べるのはそんなに多くないのでネット辞書を活用することにしました。 そんな苦労を重ね、少しはうまくなったのかと思いましたが上達は実感できません。

私は楽天的なのか執念深いのか解りませんが、自分に語学の才能がないなどと辞める理由を探すことをしません。 よく言えばできる方法を考える、わけです。 かつてアメリカ人の友人が出来た時、レベルの低さを問題にしなければ日常会話が話せるようになりました。

英会話の録音を聞いているとき、これが現実の場面と考え、今コミュニケーションを成立させて何とかしなければ困ってしまう、と想定すれば相当真剣に理解しようとします。 その真剣さは集中の高さ、何度も同程度の集中を繰り返すと集中することの苦痛が和らぎます。 苦痛が和らげは苦痛に耐えられる時間も長くなり、録音の練習だけでも英会話は相当上達すると信じています。 集中の高さが一定を越えなければそもそも上達しないので、何かうまくなることは練習や経験するときの集中の高さと継続時間にかかってくると思います。

もう一つ練習して上手くなるポイントは考え違いをしないこと、私は何かスポーツを練習するとき、例えばゴルフであれば意識として遠くに飛ばすことを目標として意識しています。 ゴルフはスコアを競う競技であって飛距離を競うものではありません。 スコアメイクの上で飛距離は重要な要素ですが。 飛距離を目標から外すだけで練習が生きてくると思っています。

英会話でも目標設定、英語圏のビジネスシーンで交渉ができるなど目標に無理があったり、そもそもうまい表現を使いたいとかではなく、とりあえず海外旅行で困らない程度などとハードルを下げると目標達成は意外に簡単にできるかもしれません。

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[習慣化]

事実から

営業のミーティングに出ていて、『成果の出ないのは人間関係が築けていないからと思います。』このような回答がありました。 営業で実績が出ないと不安になり、先輩にアドバイスを求めたりします。 問われた先輩は質問した後輩の印象から『人間関係が築けていないのかもしれない』と想像し、アドバイスするかもしれません。 アドバイスを受けた後輩は不安から人間関係が築けていないのではという先入観を持ち、営業に出かけます。 普段なら聞き流せる取引先担当の何気ない一言に人間関係のないことを確信します。

百歩譲って人間関係が築けていないかもしれません。 しかし殆どの場合、成果が出ていない事と人間関係が築けていないことに直接の因果関係がないように思います。

後輩は成果の出ない事への不安から先輩にアドバイスを求めています。 思いついきのアドバイスを出すことは後輩に人間関係への恐怖症を植え込むかもしれません。 受注を重ねるには人間関係が絶対条件、自分は関係作りが下手と刷り込んでしまいます。 つまりたまたま成果の出ない営業を今後とも成果の出そうにない営業に仕立てようとしています。 しかも何の悪意もなく。

今日の会議で私は『人間関係が築けていないと思う理由は何か? もし思い込みなら事実から始めよう』と余計なことを言ってしまいました。 どうせ同じことを伝えるならもう少し励ますような言い回しができないものか? 我ながらほめるのが下手であることに嫌気がさしてしまいます。

そして誰かに『俺は社員をほめるのが下手なんだ』と愚痴とも相談ともつかない話をしたらよその会社の年上の経営者が『人間関係が築けていないからだよ』とアドバイスしてくれたらきっと心が晴れるでしょうね。

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[習慣化]

読書とイメージ

以前、スマートフォンで疑問のことをすぐに検索する人と考え続け本を読む人について書きました。

このブログでも読書を進める記事は覚えていないほど多くあると思います。 読書の効用について長期に考え続けてきました。 その効用は以下の通りです。
①本の著者は記事を書くのに構成を考え、表現を考え、誤りがないか校正します。 本は売れることが前提で、売れないと印税が少ないだけでなく次に出版の依頼が来ません。つまり内容が正確でよくできていること。
②本はネット記事に比べて一般に長文であり、主に文章で書かれていて伝える内容が映像や画像ではない部分が多く、読み手はよくよくイメージを膨らませる必要がある。
③読むときにイメージを膨らませることは自分が他社に何かを伝えるときにイメージを伝える訓練になる。
私はこの三点を読書の効用と考えています。

会議をしていて細切れの事実だけを発言する人がいます。 会議の議題に関わる事実について報告してくれます。 もちろんその中にはあっと驚く事実の提供もあるかもしれませんが事実を積み重ねても解決策には繋がらないと思います。 評価し、自分はどう考えるか、その利点は何か? 会議で知りたいのはそのことです。 会議で知らないことが話題になるとタブレットなどで調べて解った気になっている人がいます。 今はほとんど見られなくなりましたが百科事典的であります。 この人は普段からスマホの検索は多いと思います。

会議で解りきった意見ではなく何か新しい方法、組み合わせなどを求めている場合が多いですから説明も工夫しないとメンバーに共通のイメージがありません。 せっかく革新的なことを言っていても伝わらなければ意味がありませんし、何か思いついているのですがイメージを作るトレーニングをしていないばかりに自分でイメージが作れない場合があります。

イノベーションはすでにあるものの組み合わせという考えがありますが、組み合わせるものが既存のものであっても組み合わせた結果をイメージできるとは限りません。 肉、ニンジン、玉ねぎ、カレー粉から料理されたカレーのイメージにたどり着けるかどうかということです。

私が小学生の時に読んだ本にミシンの発明者の話が書かれていました。 毎日ミシンという機械を発明しようと考えていた発明者はあるとき夢で槍を持っている人に追われ、そのやりの先に穴が開いている夢を見たそうです。 その本の記載内容と50年ほど前の私の記憶が正しいという保証はありませんが、穂先に穴の開いた槍を持った土着の人が襲ってくる絵は今でも鮮明によみがえり、夢でヒントが得られるほど考えつっぢけなければならないと自分を戒めています。

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[習慣化]

独り言

最近30歳前の男性職員と話す機会がありました。  朝からの行動を質問してきます。 細かい事まで聞いてきて、答えると理解できないことに対して追加の質問が出てきます。 事情聴取のようなものです。 それで理解できなければすぐにスマホで調べます。

そのこと自体は不愉快ではないのですが、私もずいぶんその人に質問しています。お互いに関心があるということでしょうか。

私もスマホは持っていますが、あまり使いません。 通話とメールのチェック、わからない漢字を辞書代わりに調べる、写真や動画の撮影程度です。

ずいぶん前からスマホをずっと見ている人が何をしているのか気になっていました。 その男性はどうやら私の人生観に関心があるらしく、スマホで百科事典のように調べています。 同年代の人に活用内容を聞くと株価のチェック、専用アプリによる情報取得などでした。 どちらも細切れ情報を取得して何かを知りたい、もしくは自分の成長につなげたいと言ったら大げさでしょうか?

この二人は親しい人の中で比較的スマホを使う人、その他の親しい人が通話、メールチェック以外でスマホを見ているシーンに出くわしません。 ちなみによく利用する方の二人は本を読みませんしTVもみていないようです。

私は本を読みTVドラマも見ることがあります。 日常生活の習慣の違う二人と決定的に違う行動パターンの一つに長時間考えることがあるかどうかがあります。 5年も考えて決めた等と言うと二人はびっくりするでしょう。 しかし二人にも5年以上結論を出さなかったことが人生でいくつかあるのではないでしょうか。

5年間頻繁に考え続けるか、課題と認識していて課題に関する有利な情報に触れた瞬間に5年前の課題が現れ、瞬間に判断するかの違いで、判断のつかない課題は塩津家にできるのでしょう。 そして幸運の女神が現れた瞬間に前髪をつかむのだと思います。

私のように5年間考え続けていたら幸運の女神が現れたときに前髪をつかみ損ねるかもしれませんし、そもそも5年間悩んでいただけかもしれません。

それでも私は自分の納得のために長期に考えることをやめませんし、それにかかわる本を読むこともやめる気はありません。 当然経験上それが優れているからです。 長考の中で考えや環境が変わり、その変化に気づきより正確に対応できるかもしれません。

大きな利害の絡む問題であっても常に考えていないと最善判断を下せないでしょうし、独り言も出てきます。 考えていることが言葉に漏れ出すほど考えているのでしょう。

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[習慣化]

勇気とは

ラグビー全日本監督だった(名前は忘れた)人の言葉で、『勇気とは慣れた自分を捨てること』とありました。 久しぶりに心動いた言葉です。

私は毎週行動予定表を作り、できたことには点数をつけ、総得点が大きくなるように努力しています。 体力の衰えを痛感したときはエレベーターを使わず階段をのぼり1点、腹筋30回1点、600ページの経営に関する(あまり面白くない)本を読むと30点という具合に記録しています。

体調が悪いと(怠け癖が出ると)楽な項目が増えます。 焦ると筋トレを頑張ります。

最近、自分を変えようとネガティブな発言をしたり、他人に憎しみを抱くと原点するこうもくを作りました。 原点項目は初めてです。 ネガティブな発言、行動は原点対象とすることに抵抗はなかったのですが、思ってしまったらだめというのは価値観を変えない限り何度も思ってしまいます。

これは点数を稼ぐうえで大きなマイナス要因です。 実際今週から始めたのですが、几帳面にマイナス点をつけると合計点がマイナスになりそうです。

いかにネガティブな価値観に慣れていたのかと嫌になりました。 反省すれども改まらない、改めようがない気がします。 そこで考えたのが逆にポジティブに考えることができたら得点するという項目を追加してはと思います。 この相対立する二種類の項目にポイントがたまるようでは揺れ動く気持ちそのもので、好ましくありません。 自分の価値観に基づいた思考までコントロールするのは至難の業、つまりは慣れた自分を捨てる勇気でしょうか?

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