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習慣化

[習慣化]

すべては準備から始まる

顔を合わすたびに『社長は今日何をしていましたか?』と聞く職員がいて誠実に答えるようにしています。 なぜ私の行動に興味を持つのかよくわかりませんが、誠実に答えれば地味な話になってしまい、また聞こうと思わないでしょう。

例えば朝5時に起きてコーヒーを立て、日経を読みます。 たいてい昨日の朝刊・夕刊、朝刊の場合は1時間以上かかるのがほとんどで、昨日の新聞がなければ今日の朝刊、なぜ時間がかかるかといえばいくつかのチェック項目をノートにまとめるからです。 日経平均株価、円ドル為替レート、10年物国債の市場利率、1カ月の銀行間金利などです。

直接損益にかかわることもあれば常識として頭に入れることもあります。

次に国内外の決算発表、東京証券取引所に上場している企業だけでも数千社ありますが四半期ごとに決算を発表していて、注目企業は記事になります。 記事内容は売上・利益の前期比、額、その理由です。 輸出関連企業であれば為替が円高に振れると売上・利益が減額されますが、同業でもその影響が大きく違い、継続してみていると経済記事のかなりが理解できるようになります。

新聞以外で朝に行うこととしては筋トレ、英会話練習があります。 自分の体力を維持するために筋トレを行いますが、英会話は頭の能力を維持するための脳トレ代わりで、苦手の英会話の修得はコストのかからない脳トレになります。

それ以外にはこのブログに書いているような感じたこと、考えたことで公表できないことをA4コピー紙に鉛筆で書きます。 私の場合鉛筆で書くことで考えがまとまりやすいと思います。

朝一番は習慣化すればよいこと、知識・体力・思考力など個人能力を鍛えることに使います。 朝一番はこのようなことが一番捗ります。 結果的に体力や英会話力が向上すればよいのですが、方法にも問題があって現状維持がせいぜいです。

これら個人能力は日々の業務をこなしてゆくための基礎なので、9時から始まる各部署のミーティングに参加後、面談、交渉は自分の基礎力を使い臨機応変に、つまりはあまり準備しないで行います。

私の思う基礎力はすべての元になるものと思っています。 野球選手が走り込みや筋トレなどの基礎トレーニングだけでよい成績は残せないでしょうが、基礎トレーニングをきちっとやっている選手は実践でもそれなりと信じています。

私のやり方は基礎トレだけに頼るもの、それで例えば交渉がうまくゆかないときは交渉のロープレを一人で紙に書いて行います。

これも基礎トレーニング、私の立場では予想外の問題の即時対処が求められたりするので個別具体的な事前準備ができない場合が多いからこのようになるのか、自分の性格としていつも目先の個別問題より全般的な能力を高めるように子供の時からしてきたからかわかりませんが、出題範囲を指定されたテストの点数はさっぱりでもいわゆる実力テストの方がよかったことを記憶しています。

やり方はいろいろ、それをできないことの言い訳にしても始まりませんが、突発的なことで時間を取られて習慣化を中断すると回復に労力がかかります。 先日急ぎの仕事に時間を取られて新聞を読んでおらず、ため込んだ新聞が10センチほどたまりました。 今朝も必死で朝刊2部、夕刊1部を読みましたが、まだ2週間分ほどたまっています。

日々の準備は意外にさしたる苦痛もなく行い、自分の強い基礎を築いているのだろうと実感しました。

準備や基礎の形成は地味な作業、習慣化し、苦痛を軽減しなければなかなか続けられません。 場当たりな事前準備より基礎力を高めて対処することが結局高い成果を生むことになるように思います。

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[他業界]

[習慣化]

作法

 SEの人と話をしていて、『作法』、『流儀』という言葉が頻繁に出てきます。 先端プログラムを作ってきた人からこのような言葉が出てくることに違和感があります。 意味は作法は常識、定式、決まり事と言ったところ、流儀は仕事の組み立て方、優先順位等でしようか?

 SEの仕事は当然のごとく論理の塊、相手が機械なので融通は利きません。 したがって作法も流儀も論理性と言ってしまえばよいのですが、その人だけが使っているのか業界用語なのか確認していません。

 日常生活でも作法、流儀に相当する事が大変多くあり、社会生活は作法の集大成、プログラムのように絶対ではないのですが、社会生活の作法・流儀を守らなければどこかで誰かに迷惑を かけたり自分がひどい目に合ったりします。 社会は広いようで実は個々人の活動範囲は限定されていて、日々初めてのことを体験する人は大変少ないように思います。

 郵便配達 の局員は朝から晩までスーパーカブや軽自動車で走り回りますが、ルートは決まっているので毎日ほぼ同じ時間に同じ道を通り、同じようにその時間にそこを通る人がいて毎日顔を合わせています。 かつて電車で通勤していたときに毎日同じ人と同じ車両で会います。

 このようにたいていの人は定性的な活動内容が実は割と正確に定型化されて行動しています。 もちろん生まれて初めての場所に旅行に行くとかすれば定型的な活動による出会いはないでしょう。

 であれば行動パターンが定型であることを変化がない、マンネリであると腐らず作法に沿って行動すれば徒労感は薄らぐでしょう。 郵便配達員はよく遭遇する人には挨拶するとか、作法に色を付ければさらに心豊かに郵便物の配達ができるでしょう。

 先日営業所に行くと床にマークがしてあり、挨拶場所と書いています。 定型に色を付ける、出勤すればここで立ち止まって挨拶をしろということらしいです。  飼っている犬に『お手』を教えるような話ですが、いろいろ考えるものです。

 作法が身につくと仕事も人間関係もある程度うまく流れていきます。 作法にはしなければいけないこととしてはいけないことがあると思いますが、してはいけないことをしなければ本人はせめをことになります。 赤信号で止まらなければそのうち交通事故にあうことになります。 少なくとも事故にあう確率は高くなります。

 社会生活でうんざりするほど作法があって、それが複雑であればあるほどその社会や組織は安定しますが発展しません。

 プログラムの世界は何年たっても言語が変わらない限り作法は変わりませんか、人間社会では不変の作法がいくつかあって、例えば挨拶するとかは今後百年は変わらないと思いますが、変わってゆく作法もたくさんあります。 先祖をまつることは私が子供のころ法事として日常生活に浸透していました。 お寺から何回忌の法要一覧表が配布され、そこには最高200回忌まで記載されていました。 200年前に死んだ先祖を祀るにしても当然誰も知らない先祖になります。

 家が200年続いた目出度いということでしょうが、お寺の営業手法に見えてなりません。 家が子孫が200年も続くことを目出度いと考える価値観は現在ではあまり指示されないでしょう。 お寺はそれに代わる価値観、営業ツールを提示できなかったので少なくとも近未来に消滅するのではないかと思います。 お寺そのものに先ほど例示した『挨拶』に匹敵するような永続性のある作法が見当たらないからです。

 この作法と裏打ちされた価値観を体系的にまとめた書籍が出版されればぜひ読んでみたいです。 私の残りの人生で存続する作法がそこにはちりばめられていると思います。 スマホを器用に使いこなすより存続する作法を知ることが現生を生きる上で価値あることと思います。 

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[生活]

[習慣化]

日常生活

 今年の夏も酷暑で、63歳となった身には大変つらいものがあります。 学生の頃に同じ暑さの中で炎天下のバイトに励んだり、ソフトボールを講座の皆とやったり、汗でひちょびちょになりながら元気に暮らしていました。 研究室にエアコンなどなく、窓全開で扇風機の風にあたりながら数式だらけの専門書と格闘したりしていました。

 サラリーマンになるとエアコンのきいた事務所でネクタイを締めて事務作業に従事していましたが、なぜか18時を過ぎると エアコンは節電のために停止し、ひたすら無風の事務所で事務仕事を行います。 仕事はそれなりにできていたと思います。 真横に座っている上司や斜め前の部長はネクタイを緩めることなく黙々と仕事をこなし、仕事はこのようにこなすものと思ってましたが、残業はつらいものでした。

 今は会社では最後の一人変えるまでエアコンは動いていて、作業環境はずいぶんよくなったと思います。 ずっと冷房の中にいると体が暑さに馴れません。 そこで今日のような休日にエアコンなしで家で仕事をしてみます。 本日の最高室温は 37℃と大変熱く、仕事ははかどりません。 サラリーマンを辞めて現在の仕事に就いたときに『365日働くぞ!』と土日も少しでも仕事にかかわることをするようにしてきましたが、耐暑性の低下した体にとってはとてもつらいことで、日か落ちてから今エアコンをつけてブログを書いています。

 東南アジアの経済発展著しい国の大統領が 『近年の最高の発明はエアコンである』とおっしゃったそうです。 赤道に近い国においては人が酷暑の中で働くうえでエアコンは必要条件なのでしょう。

 へそ曲がりの自分としてはエアコンに頼らぬ生活をしてみたいという希望を捨てていません。 そもそも体温より高い気温の中で生きてゆくには水分補給は欠かせません。 次に摂取カロリーを抑えて体の発熱を抑えるようにします。 さらに体が冷えると言われている野菜をたくさん食べて、寝るときはアイスノン、そうまでするならエアコンのスイッチを入れるだけで済むのですが、いくら暑くてもへそ曲がりはくじけません。

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[生活]

[習慣化]

継続力

 何かを続けて行うことは大きな成果を生むと言われています。 ことわざにも『継続は力なり』とありますし、ドラッカーも習慣化することで大きな成果を得られると言っています。

 ドラッカーの『習慣化』は継続反復行為の苦痛を軽減して続けられる方法の意味も含んでいるように思われます。 例えば毎朝7時に腹筋100回をすると決めて実行すると腹筋をしない日は気持ちが悪い、便通がないなど人によっては問題が起きます。 しかしやっておれば便通もある、1年もすれば腹筋が割れて内臓脂肪も減り、体重もやらないよりは減るでしょう。 体調がよくなって朝食が進み、逆に太るかもしれませんが。

 私も習慣化を目指して毎週習慣化することの予定表を作っています。 習慣化出来ていれば予定表はいりませんが、継続しなくなることを避けるために 、項目を見直すために予定表を作り、出来たら丸を付けるようにしています。 例えば日本経済新聞を読む、一日に5000歩以上歩く、腹筋30回、掃除などです。 一週間で丸が100以上になれば良く出来た週になり、50個程度であればその週はさっぱりとなります。
 項目にとらわれたり、目標達成を厳格に考えたりしないで気楽にやろうとしますが、ある程度達成意識は必要に思います。 これを初めて何年か経ちましたが、新聞を例にすればどの産業分野が景気が良く、国の経済政策がの目的が大雑把に理解できるようになってきます。 経済の大きな傾向を把握したいがために経済新聞を読みだしたのですが、初めの五年ぐらいは理解できない記事が多く、読む意味が薄かったように思います。

 出版されている経済の本を読んでみましたが、内容がそれなりに理解できても日々の実際の経済に照らし合わせて役立つことは少なかったように思います。

 腹筋は丸の数が少ない項目なので筋肉の形がまだ出てきていませんが、ウエストは確実に小さくなってベルトは何度か短くしました。

 習慣化で難しいのは継続すること、目標を持つこと、それをやることで何か得をするような 報奨があることですが、日本の経済が理解できて株式投資で大儲けできるほど株式相場は甘くありませんし、会社の基本の基本の方針を決めるのに大いに役に立つかといえばかすったような話、せいぜい銀行員と金融の話をして自分の見識の方が高いとうぬぼれる程度でしょうか。

 今更腹筋が割れてムキムキの体になってホテルのプールで注目を浴びる年齢でもありません。

 最近思うのは人間関係の継続力、私は比較的多くの趣味を持ち、その都度かなりの友人を作り、趣味が変わるたびに過去の友人との人間関係が切れてきました。 共通の趣味がある間は話も通じるし、一緒にその趣味を楽しむことができるのですが、その趣味をやめてしまって付き合いを続けることはありませんでした。 これからは継続できる友人関係、友人でなくとも知り合いでいいのですが、5年、10年続く人間関係を作っていきたいと思っています。 

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[習慣化]

記録

 私はB5版の厚手のノートを使っていて、日々何を行い、何が起こったかを書くようにしています。 約250ページある紙面が一年間でほぼ埋め尽くされます。 今の会社に来てから何を考え何をしてきたか、振り返るために見直しています。

 とても大事なこと、大きく時間をとった問題、検討に時間をとって決定した方針などの重要事項についてほとんど記載がありません。 しかしそのような重大なことは 鮮明に覚えていて、瞬間に決まったり決めたりしたわけではないですから書きそびれたか死ぬ時まで忘れないから記録する必要がないと考えたのか記載しなかった理由が解りません。

 何のためにノートに日々起こることを記録しようとしたのか、数日先の予定を忘れないためのメモもたくさん書かれています。 とても感銘を受けた考え方が書かれています。 覚えていたい情報、例えばその時の有効求人倍率とか 予定外の面談があったり、取引先の訪問だったりは描かれています。

 書かれなかったことは覚えていて、書かれたことはまるで覚えていません。

 私は記憶力が良い方ではないと思っています。 以前行った場所や一度面談した人の顔と名前、役職名などまるで覚えられません。 その一方でこの人はと思った時はあとで鮮明に顔を覚えていて、何年もたっているのに鮮明に顔の映像、声、仕草が以蔵として音声としてよみがえります。 あたかも忘れてよいことを忘れるために手帳に書いているかのようです。

 私の手帳の使い方の特徴として書かれたことを見直さないというのがあります。 250ページの手帳、1ページに掛ける文字数はおおよそ千字を超え、全部で25万字にもなります。 400字詰原稿用紙600枚強、長編小説のボリュウムです。 日々の行動、考えたことを書けばもっとたくさんの量になるでしょうが時間を費やし、書くためにまとめる労力、ボールペンで小さな字で書くわけですからその時間も膨大です。 それが忘れるための作業だったのか、もしくは思い出さなくても身に付けた考えだったのか、そもそもそのようなことを意識して手帳を使いだしたのか、不思議でたまりません。

 書かないで覚えていることは二つあります。 大きく成功を収めたこと、死ぬまで忘れられないほど怒ったこと、阿倍野区役所で不正の嫌疑をかけられ、大声で抗議し数十人の職員に取り囲まれたこと、天王寺警察に抗議の電話をしたこと、ハローワークの対応に怒り狂ったこと、金融監督庁、中国領事館、公正取引委員会、税理士事務所、大阪府薬務課、法務局、行政団体がほとんどであるが、一時期抗議をし続け何も改善されなかったことを鮮明に思い出します。

 一方、大きく成功したこと、パナソニックエイジフリーのフランチャイズから離脱したこと、数年かけて代わりの仕入れ先を準備し、事業の運営方法を準備し、万全の態勢でパナソニック電工に乗り込み 、不当な対応を厳しく糾弾して挑発し、相手が怒りにかまけた判断を下して少ないロスでフランチャイズを離脱できたことなど典型的なことです。 このようなこともほぼ手帳に書かれていませんでした。

 日々の行動は手帳に記録しようが数年先には全く記憶していない雑事がほとんど、その雑事の内容が年々変化することが手帳を分析していて解りました。

 とても危うい解釈をすれば自分がその時注力したことは自分の成長や次のステージに上がったときに自分の取り組むべき項目、考えではなくなっていることを本能的に知っていて、その軌跡を記録にとどめているのではと考えれば理解の一部ができます。 そのような雑事をたくさんこなしてもうやめようと思わなければ次に進めない、思い付きの廃棄場所が手帳であったのか、しかしうまくいったこと、怒ったことは忘れてはいけないから記録にとどめないのか、執念深く忘れられないような出来事を記録し、忘れることができればさらに成長を図れるように思いました。 

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[習慣化]

将来を考える

人は時間軸に沿って遠い将来や過去、そして現在を起点に今やすぐ先の事、ちょっと前の事を考えることがある。 自分の周りにいる人を見ていると殆どの人、特に若い人は今の事を考えていることが多いように思う。 今の問題、疑問は過去や将来の事ではない。 今何をしたいのか、今何を食べたいのか、今思いついた疑問などである。

例えば話をしていて、枚方市の人口は何人ぐらいだろうとかである。

私は遠い将来の事、ずいぶん昔の事を考える事が多く、人と考え方が違うのかと悩んだこともあります。 会議で来期の事業計画の話をしているとみんなは今期の振り返りを行い、その延長戦の来期を現在の実績から積み上げてゆきます。 一方私は10年先にはこうなっていたいから10年先のビジョンに沿って来期はこのような方針で行きたい、それが現実からつまりは今期の業績や実態からかけ離れた話になった時は大きく妥協するもののあくまで遠い将来ビジョンに向かう計画を立てようとします。

会議の他のメンバーは私の意見に現実味を感じません。 私はなぜ皆が解らないのか不思議でたまらず、場合によっては癇癪を起こしてしまいます。 説明しない自分が悪いのですが、10年先のビジョンを想像できない人が殆どでしょう。 10年先にはAI(人工頭脳)が業務の多くの部分に活用されるようになると新聞などでは報道されています。 どの分野にAIが浸透するのか想像できますし、現実には税理士業務はかなりの作業がとってかわられ、場合によっては税理士の存在そのものが否定されかねません。

10年はすぐです。 さらに現在人の行っている作業の半分がAIに取って代わられ、50%の人はAIのプログラムに係る仕事に従事し、残り50%が人にしかできないこともしくは人が行うことが好ましい仕事に就くかもしれません。

それならば出来る限りAIに取って代わられない仕事が中心の事業に経営資源を注力するかAIのプログラムに関係する事業に転換していくかの選択になるでしょう。

こんなことを考えている私と次の制度改正では何が変わりどのように薬局経営を変えるべきかを考えている人と話はかみ合わなくなります。

日々の経営を考えるときに長期の展望やビジョンと短期の支店の融合が重要になり、短期の戦略は長期の戦略に従うものと考えています。

フィルムメーカーのコダックと富士フィルムが典型で、コダックは会社がつぶれ、富士フィルムは医薬・化粧品メーカーとして大きく成長していますが、デジタルカメラが発明され、将来フィルムが基本的にいらなくなる事が判って数十年の猶予があったと思います。 私が高校生だった45年前はコダック全盛でコダックのフィルムが高嶺の花でした。

しかしその10年後にはCCDは民生品に搭載されていました。 つまりは30年程度の猶予があったわけです。 薬局では10年以内に薬剤師の作業内容は大きく変わり、調剤は暗号化された処方データをもとに機械が行い、服薬指導もペッパーのような人型ロボットが行うと思います。 さらに処方された医薬品は機械が患者の自宅に配送され、スマホで服薬指導を受けるようになるかもしれません。 その服薬指導を行うのはAIの得意とするところでしょう。

高齢者介護用の機器は現在は背上げ機能の付いたベットや車いす、それが装着型ロボットになっていきます。 高齢者の人はモビルスーツのようなものをきて、地下鉄に乗り、繁華街を闊歩するでしょう。 私が介護を必要とするころにはそれが珍しくない光景かもしれません。 もしくは再生医療の発達で150歳くらいまで自らの肉体改造で元気に仕事を続けているかもしれません。 個人的にはどちらもバラ色で地獄(100歳を超えて働かなければならないなんてとんでもない)のビジョンです。

このようなことを考える私は変人かもしれません。

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[習慣化]

最初の一歩

私は毎週の週間予定表を作り、予定表に沿って行動しています。 カテゴリー別の項目の一つは仕事に関することです。 面談予定は不定期で、相手からの申し入れが多いですから、予定に書きません。 最初に何をすべきか、を考えてそれに沿った項目を考えます。

例えば人事制度について考える必要があればそれに沿った書籍を図書館で探します。 なければアマゾンで購入します。 すでに手元にあればそれを読むことが項目です。

生活に関しては掃除、買い物など、健康維持ではトレーニング項目が続きます。

具体的な項目ではありませんが、仕事で生活で何かを思いついた時はそれをレポートにまとめる、一週間でテーマ5個とかです。

それぞれの項目を行えば項目の横に赤鉛筆で丸を付けていきます。 各項目の所要時間は大体計算できるのですべての項目の時間を足すと会社にいる時間を1日当たり4時間、寝る時間を7時間としてほぼ全項目ができることになります。

実際は半分もできません。 もっともできなかった週は1割程度でしょうか。 できなかった週は録画したTV番組を見ている時間が長かったり、体調が悪くだらだら過ごしていたりしています。

このような予定表を作る以前はさらにやっていることは出来ていたことは少なかったように思います。 予定項目を作り、習慣にすれば日々の生産性は上がると思ったのですがなかなか上手く行きません。 1週間が終わって、週間予定表の赤丸の少なさにがっかりします。

予定表の終わりの日が近づき、例えば筋トレ項目の腕立て伏せが出来ていなければまとめてやろうとしますが、筋肉痛で連続しては出来ません。 読書などはまとめ読みでは内容が残りません。 体力も集中力も落ちてきていますから分散しなければ結果につながらない項目もあります。

そこで毎日予定表を見て、出来ていない項目を一つこなします。 日に何度も予定表を見るとバランスが良くなってきます。 つまりカテゴリーごとの項目で週末に全く丸がついていない項目は無くなります。

次に考えたのは一つの項目が終わると予定表を見て次の項目を探します。 読書で頭が疲れていたら軽めの筋トレ項目をやるとか、バランスを考えながらすぐに次に取り掛かります。 この方法で少し生産性は上がりました。

レナード ズーニンという人が『初動4分の法則』を提唱していて、なかなかやる気が起きない時は無理にでも4分間だけ集中せよ、という言葉に従いました。

もともと習慣化することであまり意識することなく体力が付き、体重コントロールし、予定表を作り直すことで何をすべきか洗い替えし、生産性をあげようとするためのものでした。 しかし予定表に日々の生活を支配されているように感じて、赤丸の数が伸び悩んでいます。

今生産性を上げるために取り組んでいるのは何をすべきがという目的を見直し、出来た項目が少なかったことの反省をし、目的意識を高めています。 英会話は香港出張の為に項目に入れましたが、出張が終わると気合が入りません。 新たに海外のどこどこに行くなど、それが観光旅行でよいのですが目的を洗い替えます。

努力を総動員し、生産性をあげても日々の成長は感じられません。 今のやり方を年単位で続けると成果は実感できるかもしれません。 私の年代では1週間続ければ目に見えて違いが判るやり方はそぐわないようで、1年かけて違いが判るやり方をいかに根気よく続けるかではないかと思います。 そもそも人は怠惰なものですから。

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[習慣化]

知識の使い方

当社は営業職は殆どの人が新卒ではありません。 しかし、体力や知力特に新しいことに馴染む力を考え、若い人を限定して採用しています。

よくある質問に、社内研修の充実があげられます。 社内研修は必要に応じて行っていて、つまりは必要なことが多いのですが、研修やセミナーで改善できる範囲は限られていて、費用・時間対効果を考えると疑問を感じるときがあります。

採用しやすいように研修を増やしているのではなく、研修の効果があることについて行っているだけで、最近考えているのは、営業として習熟するうえで最も効果があることはOJT、つまりは直接の管理職の指導によるところが大きいと考えています。

それゆえ管理職の指導力が話題になるのですが、新人が何か知らないことがあって直接の管理職に聞き、管理職がそれに丁寧に答えるという構図はOJTにおいていかがなものかと思っています。

これらの質問は調べて判ることが殆どで、「このベッドの重さは? 幅は?」等というカタログに掲載されていることまで上司に頼ろうとする姿勢です。 上司はカタログではありませんし、上司は遊んでいるわけではありません。 自らの時間を割いて答えます。

私の場合は機嫌が良い時『カタログに載っているよ』と教えます。 機嫌が悪ければ何で調べればよいか自分で考えさせます。 答えを教えることが親切でも指導でもないと思っているからです。

私はかつて新人を指導して、その新人があるとき『何も教えてもらえなかった』と発言した時、ショックを受けました。 その後ずいぶん時間が経過して、『いつも問いかけられ、考えさせられた』という発言がありました。

自分で考える、自分で調べる、それでも判らなければ調べ方を教えるという指導方法が成功したと思いました。

その人は大変成長し、昇進もはたして成果を上げています。 その人の素直さや好奇心、行動力が成長をもたらしたのであって、私の指導の成果などと全く思っていません。 ただ成長の手助けは少しできたかと思っています。

何でも聞く人は知識、スキルが営業としての職責を果たす大きな要素と考えているようですが、顧客の立場に立ってその営業に何か質問し、『すぐに調べます』と言って目の前で課長に携帯で質問したら仕事を頼むでしょうか?

知識、スキルは大きな要素ですし、営業職で成功している人は一定の知識・スキルをもっています。 そしてその知識・スキルの使い方が大変優れているように思います。

そもそも知識・スキルは貯めこむものではなく使うもの、実践できないものは空論にすぎません。 実践するうえでは基本パターンのちょっとした修正や実践するタイミングが重要です。 そういった応用力・実践力もスキルと言えばスキルでしょうが、何でも知識・スキルと考えるよりそれは行動力や応用力といった別の言葉で表現される人間力の評価と考えた方が人の評価に幅が出て、指導にも厚みが増すように思います。

管理職が部下指導で『知識・スキルに依存しすぎるな』といってもじゃ何を利用すればよいのか?ということになります。 知識という道具を振り回して問題解決にあたるのではなく、問題に焦点を当ててどうすれば解決するくせを付けることが人間力のように思います。

私はそのような実践を頭の中でロールプレイイングしてこのように展開したら自分にはその知識がないから調べておこう、というような訓練をし、紙に書いています。 それが一年で電話帳ぐらいにたまりますが、年初にあっさり捨ててしまいます。 所詮出来の悪い自分を証明したものですから残していても何の役にも立ちません。

しかしそれを時系列でみれば自分がいかに成長したか、何が強みで何が弱みか? 簡単に分析できます。 ところがいざ『あなたの強みはなんですか?』と問われたときに、『さて、なんて答えたらよいのだろう』と考え込んでしまいます。

ドラッカーは人は強みで勝負しなければならない、弱みを鍛えて一流にはなれないといっていますから、わたしも強みを分析して一流を目指すべきなのでしょうが、私は今でも弱みと思えることをせっせとやっていたりします。 ちょっと考えを変えると弱みは実は普通程度であったり、隠れた強みであったりします。 あまり意識しないようにしています。

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[生活]

[習慣化]

老化との闘い

「なぜ、いつもゴルフに誘ってくれるの?」とゴルフに誘ってくれた友人に訪ねました。 「本西さんは年の割に元気だから」と適当な答えが返ってきました。

自分が中学生だった50年ほど前、保健体育の授業で『40歳を過ぎたら体を鍛えても筋肉は増加しません』と教えられたことを鮮明に覚えています。 この分野でどんどん研究が進み、最近は高齢になっても筋トレをすれば筋肉量の増加は可能だそうです。

私は現在62歳、確かに友人が言ったように肉体年齢は若い方だと思います。 同年代の人がポッコリお腹で猫背でゆっくり歩く姿を見ていると自分はまだましな方だと思います。

しかし私が社会人になったころの企業の定年は55歳、それがすぐに57歳になり、やがて60歳になったのを覚えています。 定年前の人は概ね定年後の生活設計を考えるようになり、新たな仕事に取り組むこともなく、仕事に対する情熱も感じられなくなります。

それをいやというほど見てきた身として、現在の年齢は働く閾を超えています。 その感覚は自分より若い人には理解できないはずで、営業日は毎日出勤し(つまりは週休一日)、遅い会議も朝の朝礼も欠かさず出席し、さっさと歩き、持病もなく、60歳を過ぎてゴルフを始めるなど好奇心も旺盛です。 しかしゴルフがそんなに面白いかといえばそれほどでもなく、同行メンバーとの話の方が面白く感じますし、以前に比べて読書のスピードが低下しています。 数行読んで何のことかわからず、前のページから読み直さないと何が書いてあるかわからないことも多くなりました。

老化とは、とよく考えるようになり、試しに筋トレとダイエットをやってみました。 長年筋トレなどしなかったので腹筋をすれば腹筋がつる始末、ほんの少しずつ回数を重ねるとある程度できるようになり、減食と合わせウエストは細くなり、ズボンがずります。

筋トレメニューを増やしてゆくとどの筋肉も時間はかかるけれど大きくなってゆくように感じます。 調子に乗って量を増やすと疲労感が取れなくなりました。 疲労物質の処理、つまりは内臓の機能が追いついていないのでしょう。

頭の方はというと、新しいことを考えられなくなりました。 新規の事業を考えるとか、今までと違う内部体制を考えるとか、発想が湧いてきません。 ネタを仕入れるために本を読みますが、視力の低下で文字を目で追う苦痛は増すばかり、これは筋トレのように鍛え直せないように思います。 せいぜいブルーベリーのサプリを飲むことです。

読書に関して読める本は同年代の人が書いたもの、若い人の著作は読むのが苦痛になりました。 若い時はこの逆だったのですが。 つまりは好奇心や気力が狭まったように思います。 本だけでなく現場に出向いてそこの経営者に会って話をするのは興味がわくのですが。

自分と向き合い、自分の能力で弱くなっているところを誰に補わすのか、その人を探して採用するのか、要請するのか、気の遠くなることを考えています。 どちらにせよできることを精いっぱい行うより仕方なく、自分と向き合い、気力と勇気を奮って日々を過ごしています。

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[習慣化]

目標管理

私は毎週やるべき項目を一覧表にしています。 読むべき本、新聞、このブログの更新、筋トレ項目、掃除、・・・。

なかなか実行できません。 それぞれの項目は行うのに一定の時間が必要ですが、全部足すとあとは寝る時間しか残りません。 つまりは隙間の何もしない時間がないほど盛りだくさんです。

それぞれの項目には目的があります。 筋トレや階段昇降、自転車走行など体力維持のための項目で、分散して行えば大した苦痛もなく行えるのですが、一気にこなそうとすると翌日は筋肉痛になります。

14階に住んでいるので階段昇降5回をこなすと70階の階段を昇降したことになりますがこれは次の日に筋肉痛が残ります。 分散して行うにはたとえば本を30ページ読めば1往復の階段昇降とか゛理想的でしょう。 しかしそう豆に次から次に行動を起こせません。

週刊計画は実際に行うべきものを書いていますが、それぞれの目標を設定してはと思いました。 腕立て伏せ10回を週に5回行い、最終的に連続20回出来るようになるとかです。 果たしてそれが項目達成の良い方法なのかわかりませんが、最近目標を書くようにしました。 緩いダイエットを健康上の理由から行っているので今月中に3㎏減量するとかです。

ドラッカー氏は目標管理について多くを語っていて、目標管理や計画から始めるのではなく時間管理から目標を管理することを推奨しています。

その時間は有限で、成果を上げるには無駄な時間を費やすことをやめる、つまりやらざることを決めてやらない、と言っています。 やるべきことを決めるのではないところが興味深く、残ったやるべき項目は時間をどれだけ使うか、それを記録することを進めています。 時間管理による目標管理です。

記録はリアルタイムに書く、これに従えばいつも時間管理手帳を持ち歩き、何か行えば1時間これこれの本を読んだとか手帳に記帳してゆくことになります。 しかしやはりやるべき項目とそのもととなるどうなりたいか、の目標を明確にすることはやはり必要になると思います。

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