監査役BLOG

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バランス

『貯め』という言葉に寝だめ、食いだめなどがあります。 どちらも長期的には貯めることができないです。 1週間起きっぱなしで、3日寝ての生活には無理がありますし、食べることも同様です。

貯められるか、貯められないか微妙なこともあります。 たとえば勉強やスポーツなど一時の集中は重要で、たとえば1ヵ月の合宿集中英会話教室など一気に会話力が付くかもしれません。 プロスポーツ選手でも下積みの時期は寸暇を惜しんで練習するけれどプロになって練習量を意図して減らす人がいます。

しかし私の知る高い評価を受けている人は大成してからも概ねコツコツと努力しています。 私がお世話になった大学教授は退任してからも他人の論文を読み、自ら執筆していました。

大成してから、もしくは大成しなくても成長期が過ぎてから成長期とは違う努力が必要に思います。 たとえば私の場合、経営者になって15年ほど経ちましたが、今更経営の勉強をしてもと思うことがあります。 なりたての頃は合宿形式の研修に参加したり、セミナーに参加したりしました。

最近、知識切売形式のセミナーに行っても全然関心が湧きません。 しかし自分の仕事の範囲で気になる事が次々沸き起こり、本を読み、関係しそうな人と話をするようにしています。 本は読んでいると時としてわくわくし、刺激を受けます。 特定のテーマに関するセミナーを受けても関心が湧かないのに、講師が読んだであろう、そして理解しているであろう著作、つまりその分野で伝説化している書籍を読んでわくわくしてしまいます。

講師の知識・経験のフィルターにかかって出てきた言葉はすでにくすんで見えるということでしょうか。

かつて中間管理職は少ない方が良いという話題になった時、ある人が『それは間違いである』と反論しました。 その人は表現力に難があり、意図がよくわかりませんでしたが、セミナーに参加して講師が少ない管理職を薦めたので質問したそうです。 管理職の役割を並べてそれが管理職なしでやることができるのかという質問です。

その後10年ほどたって中間管理職の意味が解ってきました。 したがって現在は適正な管理職の配置を心掛けています。 この例では、理屈ではなく経験から納得したことです。

そのような経験による経営ノウハウを自分が若い時、もしくは立ち位置が違う時期に知ったとしても納得しないばかりか、仮に刷り込まれたとしたら間違った管理職が絶対必要だというような固定概念の形成に繋がったことと思います。

元の話戻り、知識をためるための勉強や読書は弊害もあることを知りました。 仕事に限定すれば自分が担っている役割の中で興味をひかれたことについて最適の読書や勉強をすればよいと思います。 勉強も優先順位を考え、その的に集中すべきで、採用面接などでも自分がやるべきこと、やれることを集中して考えた形跡のない人が『将来の夢は?』と聞かれて『経営者になりたい』と答え、経営者の役割・責任が理解できていない場合が殆どです。

笑い話で中年男性の再就職に際し『何ができますか?』、『部長なら…』という話に似ています。

ではどうすれば良いか?、常に日常に近いことで疑問に答えられる勉強を薦めます。 たとえば私の場合、歴史小説を読み、組織の有るべき姿の参考にします。 下手な組織論よりよっぽど役に立ち、ストーリーの中に感情移入して主人公になり替わり『自分ならこうする』といったシュミレーションを描きます。

歴史小説はSFやファンタジーと同様現実離れしていて、それでいて現代社会に通じるものがあります。 過去に忠実に描かれているものは孟子、孔子、老子など古典思想家の考えが色濃く出ていて、それが現代に通じるところに面白みと役立ちを感じます。

関心事の焦点を絞り、そのつもりで日々バランスよく努力すれば日々バランスを配慮した食事が健康体を作るように仕事でも人格成長でも多くの引き出しを作ってくれます。

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書くこと

最近、英会話を練習しています。 たまたま英語を話す機会があって全く話せなかったので、習慣として英会話を練習しようと思いました。 最初は近くの四天王寺に行き、歩きながらラジオ英会話を聞き続けましたが、全く上達しませんでした。

そこで、テキストを見ずにリピート機能を使って文章を何度も聞き、書くことにしました。 わかったことは耳が慣れていなくて聞き取れない単語が結構多いこと、それが判れば意味はすぐに解る事でした。

特に早く発音され、重要でない単語の発音が速くなされ、それが判るだけで少なくとも意味は解るようになりました。

私はもともと書いて覚えるタイプ、自分の机にコピーで失敗した紙をたくさん置いていて、英会話、週間予定表(毎週何をするか書く)、日々の生活で考えさせられる事件、読書でその本の要約などをせっせと書いています。

筆記用具も決まっていて、殆どが鉛筆です。 毎日書いています。 ノートはボールペンと決めています。 何かを読む・誰かと話す=インプット、反省を書く・ブログを書く=アウトプット、このバランスと量を重視しています。 インプットは読んだ本のリストを作り、アウトプットは書いたものの量で見積もります。

たとえば反省文は書き終えた裏紙(一枚1500字程度)、これをためておいて厚さ2㎝程度になると廃棄します。

私は4色ボールペンを使っていますが、年間にその4色を使い切り、さらに1本程度を使い切る、鉛筆は1~2ヶ月に1本程度を使い切るといった具合です。 インプットは本が年間50冊程度、新聞は日本経済新聞を丁寧に読むことを心掛けています。

同じように繰り返すとマンネリ化するので本を読むにしても選定から読み方までいろいろ工夫します。 本は少し読んだら少し体を動かすなど、例えばゴルフの打ち放し場で3回素振りして、1球打って、5球打ったら数ページ読むとかです。 昔から何かしながら読んだり考えたりする癖があり、それが効率がよく、学生時代など環状線を何週かまわって卒論の要旨を考えたりしました。

なぜ書くのか、それは一文字一文字紙に記すときに考えるので記憶を確かにすると思っていました。 受験勉強もひたすら書いていましたが、実は書くことは忘れる意味もあることを最近、というよりか以前からうすうす感じました。 典型は手帳に記すスケジュール、書いた途端忘れてしまう、何度も何度も見直さなければ記憶できないし、記憶してもすぐに忘れてしまいます。 それは見事というほかありません。

会社で打ち合わせが必要で、「いつなら空いている?」と聞くと「明日は何時から何時、あさっては何時から何時・・・・・」なんでお前はそんなことを覚えいてられるのか、と訝るほどみんなスケジュールを把握しており、言われてから自分の手帳を開いて自分の空き時間を確認します。

書くことは忘れること、私の反省文のテーマの何割かは腹立たしかったこと、これを紙に書いて再現し、忘れてしまう、なるほど便利な記憶消滅方法です。

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過去の失敗

私は時々過去の失敗や恥ずかしい出来事を思い出します。 思い出すと言うより忘れることができないようです。

何かうまく行かないことが起こり、悩んでいると次々同様の過去の失敗がリアルに思い出され、より落ち込みます。

忘れようと思って過去の記憶を消し去ることはできず、思い出さないでおこうと思っても思い出してしまい、思い出すことで記憶が強くなってゆくように思います。

もしそのような記憶を消し去る薬があれば飲んでしまうでしょう。 失敗に学ぶものがあるかもしれませんが、将来に向けては過去の成功体験が望みを醸し出してくれるでしょう。

ある本を読んでいて、過去の失敗体験を反芻するのは百害あっても益はなし、と断言してありその通りと思います。

その本に過去の失敗体験を思い出さない方法は書かれていませんでしたが、価値観を変える、前向きに生きる、常に新しいことに取り組むなど将来に向けた生き方・考え方・行動に集中すればあまり思い出さなくなるのではと考えました。

年齢を重ね、将来志向に集中するのは至難に思えますが、年齢や立場でできることはたくさんあり、やり続けている同年代や先輩は多くいます。 膨大な体力を必要とすることは無理があるとしてもゴルフを始めて100を切るスコアを目指すなど可能性の高い話かと思います。

会社の職員の人の話を聞いてアドバイスをするとか、他人とのかかわりあいでできることも多くあるように思います。

一番やってみたいことは自分の考え・価値観・行動様式を変えること、立場上判断業務が多いわけですが、判断するに当たり自分の強みとして柔軟な発想を生かし、できる方法を考える、評価にあたって他人や社会制度を批判しないなど建設的な考え方でことにあたることを意識すれば自らも前向きになりますし、判断も建設的になると思います。

60歳を超えて考え方を変えるのは精神的には辛いことですが、体力的には耐えられることです。 精神的につらいというのはやってみれば解りますが、多大な苦痛で切れてはいけない瞬間に微笑んでいるといった行動をとることです。

ひきつった微笑みではなく心からの微笑み、人と接するときにいつも笑顔を絶やさず話を聞く習慣を身に着けるだけで耐え難い苦痛は和らいできます。 対人関係で悩んでおられる方にはお勧めしますが、即効性はありません。

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時間管理

私は自分のやるべきことを一週間単位で管理しています。 仕事もプライベートもです。 何をやるべきことと判断しているかは別の機会にいたしますが、決めた項目を書き出しできればチェックを入れてゆきます。

項目は達成度合や必要性を考えてたまに入れ替えてゆきます。 仕事については予定されていることが多いのでノートに予定を書き込み、日に3~4時間程度です。

項目はたとえば階段昇降、14階分×3/日を昇降するもので1回10分と決めています。 ところがブログを書くは45分/回で何とか45分で纏めようとします。

つまり時間当たりの生産性を考えると質が低下してきます。

1週間は168時間、睡眠時間・雑事に10時間/日、仕事は4時間×7日=28時間、残りは70時間、これが私の1週間の戦いです。

この70時間で体力維持のためのトレーニング、自分を高めるための読書、報告書読み、予定した面談相手との予想質問、面談結果のまとめや反省に充てられます。

1週間の結果を見ると最近は半分程度、後の半分の時間は録画したドラマを見たり、つかれて昼寝したり、誰かにつかまったりで消えてゆきます。 ブログを書く時間のようにテストで答案を書いているわけではないので時間の制約は意識しなくても良いのですが、何年も書いているわけですからすらすらかけて当然と思います。

毎週努力や工夫でこなせる項目数を増やそうとして気が付いたのですが、意外にぼんやりしている時間が長いのです。 最近は一つこなせばすぐに次に取り掛かるようにし、朝一番に今日はこれとこれをしようと決めたりしています。

人がポジティブに行動できるのは明確に目標意識を持てる時、なんとなく自分を高めるとか健康を維持するとか曖昧な目標では意欲はわきにくく、それでも継続した方が良いことを習慣にして徒労感や苦痛を減らしています。

よく仕事ができる人は決めたことはさっさとしています。 大きな結果を出している人はこのコツコツとしたことを何十年やり続けています。 おそらく私ほど悩まずそれをやり、結果につなげているのでしょう。

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気分転換

私は移動手段として自転車を多用しています。 大阪市内中心部、ちなみに私の常駐している天王寺区も中心部といえます。 自転車で移動する人が多く、東京都は光景が違いますがそれでも人が多いので走りにくく、事故の危険もあります。

最近はスマホのようなもの(私は使っていないので良くわかりませんが)の画面を見つめながらイヤホンをして走っている人が多く見受けられます。 水平方向に頭を立てていないと平衡感覚は鈍るのでふらふら走ってきます。 スピードは出ていませんが危険です。 今までやり過ごすときに睨み付けますが、相手はそもそも罪の意識のない人ですから効果がありません。

あきらめて私はそういった連中をやり過ごすときに『迷惑をかけられたお返しにお前の幸運をもらってやろう』と思います。

仏教の教えでも他人への功徳を尽くすことが自分の来世に繋がるというのがあったと思いますが、迷惑をかけられても咎めない代わりに迷惑をかけた当人はそれなりに幸運が遠ざかってもしかるべきと考えるわけです。

実際に周囲に迷惑をかけている人は幸運が逃げていくでしょう。 なぜならこれだけ密度の濃い社会にいて他人に配慮しない人は良い人生を送れるはずがありません。(別に願っているわけではありませんが) 一方迷惑をかけられてもなことであれば意に反さない人は濃密な人間社会である種の鈍感さを会得し、うつ病や他人に嫌われたりすることから免れます。 シリーズもののTVドラマで登場人物に愛される人はこのような性格をベースに描かれていたりしますね。

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ポジティブになる勇気

会社の経営者はいろいろな人に誤解されます。 普段の移動手段が自転車であることに不思議に思われたりとかです。 車で移動すれば納得してくれるのでしょうか?

以前同業者がベンツに乗っていました。 いつも高級スーツをきて様になっています。 車のバンパーにつけたポールには旗がはためいていました。 いかにも社長という感じてしたが、その人の会社は人手に渡ってしまいました。

経営者は高収入という誤解も多いです。 3万円の自転車を購入するのに2年悩んだ話をしたら驚いていました。 経営者は経営を生業とする職業で高収入とは限りません。 一つ言えるのは自分で自分の収入を決めることができることでしょうか。

ほかに多い誤解は多くの人と面談して忙しいということでしょうか。 ちなみに私は今日2件の面談をこなしました。 どちらもあまりビジネスに繋がらない、空振りの面談でした。 1件はいろいろ情報が聞けておもしろかったですが、もう1件はさっぱりでした。

最後に面談ではないですが、貸していたロッカーの引き上げを手伝いました。 長い間のお得意様でありながら一度もご挨拶に伺っていなくて、事情により取引をやめるので貸していたロッカーを引き上げることになりました。 作業服に着替え、野球帽をかぶって変装し、担当者の手伝いの振りをしていましたがあっさり見破られました。

毎日何をやっているのかわからないような仕事が続くとつい愚痴を言いたくなります。 経営者は社員がみんな見ています。 話すことも聞いていますので愚痴を言うなどもってのほか、姿勢を正し、人の話を聞き、批評せず、にこやかにしていなければなりません。

しかし人ですから嫌なこともあります。 そこで私は愚痴や腹の立つことを紙に書くようにしています。 1回千字程度の文章です。 紙に何かを書くというのはこのブログ同様結構考えます。 誰が読むわけでも読ますわけでもないのですきに書けばよいのですが意外にネガティブなことは書けません。 人の悪口も書けません。 つまり人として正しい見方で反省文を書いてしまいます。 別の言い方をするとこう考えるとくよくよしなくとも良いというようなことを書いてしまいます。 初めは不思議に思いましたが、少し考えればネガティブであることで得をすることはありません。

嫌な思いは忘れるに限る、嫌な思いは自分の考えにとらわれているからでとらわれている考えを自問し、意味の無いことと断じるように書いてしまうのです。 何度もそれをしていると書いたことに自分がなろうとし、徐々になって行きます。 よく言えば自分の欠点を欠点でなくすようにする効果があることに気付きました。

少なくとも今の仕事をする上でこれは結構役に立ちます。 相手の失敗を気にしなくなり、相手の好意に感謝するようになります。 すると商談はうまく捗ります。 社内にも味方は増えてゆきます。 いいことばかりに見えますが、実はこれに気付くと同時に反省文を書くことに迷いが生じました。

ほんとにそのように自分が変わることが良いのか、もっと尖がった自分の方が自分らしいのではないか、この葛藤が続きます。 やがて何をするのもおっくうになり、偏頭痛が起こり、仕事が捗らなくなります。 イライラし、気が付けば愚痴を言ったり不運の呪い吐きながら自転車をこいでいます。

そんな日が続いてやがて霧が晴れるように楽天的になり、また反省文を書くようになります。 必死に前向いて生きることが何と面倒くさいことなのか、今しばらくは頭に霧のたちこめる日々が続きそうです。

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時間管理

私は毎日やるべき項目を紙に書いていましたが、主には忘れないためで、忘れる心配のないことは書かず、忘れてしまいそうなことを書くようにしていました。

たとえば図書館で借りた本の返却日とか買い物に行くこととかです。 毎日書くのは計画性がないので週間予定項目を書くようにしました。 今週やるべきことを書き出します。

罫線のあるレポート用紙に毎日習慣にすること、習慣にする以上書く必要はないように思えますがやった時に赤鉛筆で丸を付けることで達成感があります。

これは新聞を読む、一日を振り返ってノートに纏める、ブログを書く、筋トレ、メールチェックなどです。 それとは別に今週にやり終えたい大項目をページの半分を使って書いておきます。 週の途中で新たに発生したことは追記してゆきます。

習慣にすべき筋トレは1回にせいぜい10分程度、1日2回で週14回という風になります。 たった10分の筋トレがなかなか出来ません。 部屋にいてひと段落つくと次に何をするか予定表とにらめっこをします。 つらいことは後回しになりがちです。

週間予定表上部余白には前週の活動を踏まえ反省を書きます。 筋トレのような苦痛を伴う項目ができていなければ『少しの時間を大切にする』とか『すぐに取り掛かる』とか自分を追い立てるようなことを書きます。 大きな問題に着手できなければ『優先順位を重視する』とかになります。

毎日やるべき項目に追われ、疲労感が漂ってきます。 これはやるべき項目に目的意識が欠けているからと考えるようになりました。 何のために筋トレをするのか、61歳になってプールでかっこ良くありたいなどという考えはありません。 一時期体重が増えて無呼吸症候群に陥ったから体重を落とすためにやっています。

何年もかけて減量に成功し、無呼吸も治ったようですが油断するとすぐに太って元に戻ってしまいます。

新聞を丁寧に読むのはいろいろな人と話をするための共通話題のためです。 銀行員と話をするには当日・前日の日経新聞の業界関連記事は質問対象になりますから要注意です。

しかし筋トレも新聞を読むこともどうも前向きの目標とは言えません。 筋トレはイタリアのスーツを美しく着こなすためとか新聞は次の事業展開を考えるネタ拾いとか前向きの目標がないと徒労感に陥ります。

この歳で前向きの事を考えるのはイメージがわきにくいものです。 社内で会社の将来像を作るプロジェクトをやっていますが『千年続く会社を目指す』という発想は出にくいものです。 しかし、何を考えても人に迷惑をかけるわけではないので週間予定の先に月間予定、年間予定、10年計画、30年計画をつくらねばと最近考えています。

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読書

採用面接で「本を読みますか?」とよく聞きます。 読書という習慣が廃れて久しいように思います。

採用面接に来られる方は若い人が多いですが、若い人で読書が趣味と言う人は殆ど応募してこられません。 TVもあまり見ないし新聞も読まない、情報は殆どネットから、という人が多いように思います。

ネット情報はストーリー性が薄いように思います。 何がどうだった、こういうことが起こった、見た、何々はよくない等々、長い文章、物語、それは映画のような映像でもよいのですが、そういうものに触れる機会が我々の世代に比べて少ないように思います。

経営者、もしくは経営側の立場に立ちたいという応募者がいました。 経営学の本は全く読んでおられないとのこと、大学では経営学に関する学科を履修されているのですが、最近の大学ではテキストもないのか不思議に思いました。

かつてサラリーマンの時に法務の仕事をしていました。 何か問題があると似ている事件の判例を読みに図書館にゆきます。 判決の主文を読むとなぜそのような判決が出たのか理解できません。 私は法学部出身ではないので判例の味方・読み方など学んだことはありません。 しかし経験を積むうちにそれぞれの事件には裏があり、その事情を斟酌して判決が下され、主文では結論だけを簡潔に書くことがわかりました。

つまり多くの判決は長い物語があり、だから単純にこれは正しいとか間違っているとか短絡に判断できないことが理解できるようになりました。 そもそも単純に善悪や正誤が判断されるなら法廷には持ち込まれないでしょう。

日常生活でもいろいろな意見があり、行為行動・判断基準・ルールがあり、それぞれの真意を把握するには長い物語を覚悟しなければなりません。 複雑な現代社会で多くの事象を理解するのに膨大なネット情報は果たして有効かと疑問を持ちます。

私にはネット情報は長い物語を細切れにしているように思えてなりません。

たとえば為替について全く知識のない人がネット検索を繰り返してドルが円に対して高くなると判断し、ドルを買って儲かるか、はなはだ疑問を感じます。 もう少し分析する人がいて、FRBのイェレン議長のコメント、米国の非農業部門の失業率のデータ、日米欧の金利など加味して為替に手を出したとしても50%の人は得をし、後は損をする構造ですから得をする方にはなかなか入れません。

本をたくさん読んだから為替でも受けられるという保証はありませんが、為替で稼ぐより確率の高い稼ぐ方法は見つかるかもしれません。 私はネットより確率が高いと信じています。

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勉強の勧め

老化防止のために勉強しています。 もちろん、仕事のために書籍を読んだり書類を分析したりも勉強という意味です。

ただいつも同じ報告書を読んで分析しても新しい結果が思いつくわけでもなく、変化がないか仮説が正しいかの検証に終わります。

勉強とは知識・概念のインプットと何を自分に取り込んでどのように組み立て現実に役立てることを考えるかのアウトプットのバランスと思います。

インプットは新聞や報告書を読んだり会議に出席したりです。 インプットを確実にするために議事録を自分で書いたり、記事を要約してノートに纏めたり、その時にコメントをかいたりします。

アウトプットはこのブログのアップやその日起こったことで気になる事、例えば不適当な発言をした時にどのような心理状態だったのか、本当に伝えたいことは何だったのか、などをA4のコピー紙に鉛筆で書きます。 書いたものを読み返すことはなく、全く同じようなことをまた書くこともあり、何度も重なって書くことで自分の考えがまとまってきます。

立場上いろいろ判断を求められたり意見を求められたり、基本がぶれず即答できるように準備しています。 即答に対して意味はなく、 数日後に答えても良いのですが日々変化する環境に対応するためにはいつでも自分の座標をもっていないと細かい判断で時間差が出てきます。

相手の話を聞いて有効な質問を返すと面談で相手は自分に興味を持ってくれます。 そうするととっておきの情報が聞き出せたりします。 いろいろな価値観の人がいるのでその人の価値観に触れる質問を繰り出す直感を養えば、例えば営業がよく口にする有効面談は確率がぐっと上がるでしょう。

相手の知りたそうなことを事前に用意して面談に臨むのも一つですが相手の価値観に触れる質問は相手の価値観とは別のところにある場合も多く、自分が良く考えたものを出すようにしています。 値段で取引関係を気づこうとしている営業マンと面談した時、品質の話に終始するとか、納期の話に終始するとか、価格で取引の糸口をこじ開けようとしている営業にとって重要な情報に違いありません。

勉強のための勉強のようですが英語の勉強を始めました。 レコーダーに取り込んだ会話を聞くのですが一向に上達しません。 そこでテキストを書き写し、フレーズを丸暗記してみると少し上達したようです。

体力維持のために筋力トレーニングにも取り組み始めましたが、今更新しいスポーツにチャレンジするわけではないのであまり回数にこだわらずできるだけ反復するようにしています。 目標設定するのは力をつけるうえで有効ですが、とりあえず目標は英会話でも筋トレでも継続し、苦痛に耐えられた分の上達が見込めることにしています。

それで気が楽になり、やっただけの結果がついてくるようになりました。 無理をしないで習慣にするとこの歳でも結構続けられるもので、おそらく10年もたてば英語の読み書き、会話もできて筋肉質の体になっていると信じています。 その時は71歳になりますが。

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習慣

経営者の仕事のかなりの部分は同じことの繰り返しで、退屈なものです。 よその経営者も退屈なものという記事を読みました。 ただし、退屈の中身は決して平穏であるというわけではないです。 これもよその経営者も同様に感じているのではないでしょうか。

退屈な理由の一つは同じことの繰り返しが延々と続くことです。 たとえば財務資料の読み込み、月次で試算表(損益計算書、貸借対照表)が作成され、取締役会で報告される前に読み込みます。 投資家や経理担当者は各種財務分析を行い、会社の状況を数値の動きとして把握しようとするでしょう。

基本的に同じことをするのですが、たとえば経常利益/売上高が新聞に出ている上場優良企業で5%を目標にしている記事があります。 「なるほど、5%か、当社は下回っているな」と感じるかもしれません。 仮に2%であれば半分以下になります。 5%を目指すために何をすればよいか、利益率の問題なので損益計算書を読み込みます。 粗利率が長期に変化していないとすれば販売管理費が大きいわけで、内訳を読み込むことになります。 新規出店した店の損益がマイナスである、それが利益率を押し下げているなら検討の余地がありません。

次は新店の赤字幅が縮小傾向にあるのか、ないのか、その店の営業員一人づつの替えを思い浮かべながら、その店の週報の実績を思い出しながら傾向をつかんでゆきます。 ひょっとしたら新店の損益以外のところで大きな利益と思わぬ損失が発生していて相殺され、目立っていないことがあるかもしれません。

損益計算書に記載される勘定科目は大科目ですから内容の把握ができない場合がほとんどで、気になる事は経理に問い合わせ、担当部署の人に実際の取引について問い合わせをします。

ポイントは現場に近い人と組織長に聞くこと、その温度差をしっかり把握しておくことで、よくない報告がなされても決して叱らないことです。 そもそも叱るのはその組織を統括する責任者の役目ですから。

このように地味な作業が続くので退屈ですし、微妙な変化は連続する数値の中で現れてきます。 単月の変化にとらわれないことでしょうか。

毎月このような作業を数値を手帳に記載することで繰り返し、頭に叩き込みます。 数値の把握が苦手な私としては苦痛な作業になります。

また定例的な会議があり、そこで実績に基づいた質問やコメントを出さねばなりません。 以前の会議で検討された課題がいつの間にか解決していたとしてもなぜ解決したか、追求しておく必要があります。 『解決したから良いではないか』は次に同じ問題を引き起こしますし、解決は通常の状態に戻っただけです。

このような現状把握を地味に繰り返して問題も起こらなかったとしても利益率は一般に低下してゆきますので、従来考えられない改善や改革を行わなければなりません。

そこでこのような地味な作業は習慣にすることで苦痛を和らげます。 習慣化した方が良い業務はどんどん増えてゆきます。 習慣であるはずの事が多くなり、いちいち意識しなければできないようになってきます。 それほど単純作業が増えるともはや改革・改善・イノベーションは意識の外になって行きます。

そう思えたらすべてを投げ出し、旅行に行くことにしています。 バイクにまたがり、行き先を定めないツーリングに数日行って、帰ってきたときに何の問題もないことはやらないようにしてゆきます。

私の場合、このような方法でバランスを取っています。

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