監査役BLOG

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習慣化

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雑事

日々の生活を営む上で雑事が多く、気が付けば今日一日何をしていたのか? と嫌になる事があります。 私の場合、必要なこと全てを雑事としてこなしています。

重大であることとか(もちろん程度もありますが)緊急で取り返しのつかない事とかは雑事と考えていません。 生活の事とか、重要事項であるが緊急でないためすぐに取り掛からないまでも準備のために関連する資料に目を通すとかです。

カテゴリーとしては仕事、日常生活、健康維持でしょうか。 仕事は具体的な指示をすることはほとんどありませんので報告を聞く、報告内容に質問を考える、ニュアンスをつかむため担当者と話をする、その時どのように話せばよいかロールプレイイングを行う(すっきりしないことは何か、言ってはならないことは何か、聞き出す方法は?)等です。

仕事で意外に面倒なのは資料整理です。 会議資料をはじめ多くの資料が手元に来ますが、ファイリング、見直し、廃棄の繰り返しです。 これが結構厄介で漫然と廃棄するとあとで困りますし、何でも取り置けば見直すことのない資料が山積します。 紙の資料は見直して廃棄を定期的に行いますが、業務内容が変わればファイルそのものも変えていかねばなりません。 『賃金関係雑ファイル』では予算資料も制度資料も混在し、使い勝手は悪くなります。

日常生活では部屋の掃除や洗濯やTVの録画、ベランダの植物の水やり、食品の買い出し、一見煩雑ですが、これらの軽作業は頭が疲れたときに気持ちをリフレッシュします。 また軽作業中に従よな仕事のことでアイデアが思いつくこともあります。
現状の自分の机は大きいものを使っていますが、書類が散乱し片付いている状態はほんの一瞬です。 よくドラマで経営者の執務室の場面があり、非常に整理されています。 これ見よがしに本棚があり、おそらく読まれない書籍が整然と並んでいますが、私の部屋に書籍はほとんどありません。
もちろん私もそのような執務室で仕事をしたいわけですが、性格なのでしょうか散乱した書類を眺め、その書類にかかわるイメージがわかなければ放置し、時間がたってどうでもよくなればその書類はファイルするか廃棄されます。
要はどうでもよい書類なのです。 書類はつまりは情報ですが、情報の旬が過ぎればただの紙ということでしょうか。

健康維持に関する雑事では早朝の散歩、筋トレやストレッチをする、ダイエット食を作るなどです。 60歳を過ぎてから体力の衰えは厳しく実感しています。 気にもしなかった健康診断のデータに危険信号がともってきました。 中性脂肪が高い、では炭水化物ダイエット、ご飯は外食以外で食べることがなくなりました。 朝食は野菜と果物、ヨーグルト、昼食、夕食も麺類がほとんどです。 医師にも見てもらい、薬も飲んで多くのデータが正常値に戻りました。 しかしよりよいデータにするために早朝散歩、筋トレになります。

主食としてよく食べる大豆はご飯やパンに比べて決しておいしいものではなりませんが、筋トレをしてタンパク質をとって筋肉を増強し、体重を減らして楽に暮らせるようにする、合理的な考えですがあまりストイックになると日常が楽しくありません。

そもそも60歳を過ぎてそこまで健康維持に注力するのは仕事をこなすため、会社をおっぽり出せるなら好きなものを好きなだけ食べて、タバコも吸いたいだけ吸い、酒は多く飲めないまでも晩酌をする、でしょうね。
何も力仕事をするわけではありませんから、常に正常な判断ができるよう健康な肉体作りに励んでいるのですが、あるべき論に振り回されて気力が萎えてきます。 気力増強トレーニングと気力充実メニューを求めるようになればほぼ養豚場の豚に近くなるでしょう。

してはいけないと言われればしてみたくなり、が天邪鬼の私、自己矛盾と闘う日々です。

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[習慣化]

日々の言葉

私は毎日、今日一日の行動規範となる言葉を選んでノートに書きます。 毎日変えるわけではありません。 最近はほぼ毎日同じ言葉を選びます。

ここ数か月は『少しずつを確実に!』と『感情に支配されない』です。 ここ数か月、私が対処しなければならない課題が数多く起こりました。 15年間の経験の中では仕事の重みは一番です。

私の仕事は殆どが意思決定、何かを決めるには情報を集め、個々の情報の意味を解きほぐし、イメージを作って行きます。 そのイメージのままで上手く行くか、関係する人の意見を聞きながらイメージを肉付けしてゆきます。 したがって普段考え続けていることでないものは時間がかかります。 今まで一番長く考え続けたのは10年程度でしょうか。

周囲の人間は私が短気で瞬間に判断するように思っている人が多いかもしれません。 そのような判断も確かに多いです。 瞬間に判断しているのは似たようなことを過去に考えたことがある場合です。

情報の収集は一番時間がかかり、得た情報の意味を考えなければなりません。 信頼できる人が伝えてくれた情報であってもその人の目を通し、頭で考えたことを言葉にしていますからそのままを受け入れることができません。 その人の保身やその人の価値観で情報そのものが歪んでいるかもしれません。 その人の情報の評価ができない時はじっと待って成り行きを見ます。 そしてその情報の評価をします。 成り行きを見るのは時間もかかり、忍耐のいることで、情報の評価ができた時には「こうしておけばよかった」と言うことも沢山あります。

それでも評価することに躊躇いがあるときは何も決めずに待ちます。 そして評価できるようになった時、感情に駆られて判断する愚を最も恐れます。 待ちに待って思い切った決断をなし、いわゆる『どや顔』することが経営の醍醐味ではありません。 何事もなかったように日常が流れてゆき、それなりの結果利益が出ておればそれば優れた経営のスタイルの一つです。

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[生活]

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朝の散歩

毎朝ではないですが、散歩に出かけます。 今朝も5時から1時間、近所を歩いてきました。 日常の1時間は貴重で、私の場合4時ごろ目を覚まし、22時ごろ寝るまでの18時間、休みなく何かをしていたいほうです。

貧乏性なのでしょう。 60歳の誕生日を迎え、何をするにも集中力や体力、持久力が落ちてきていると感じるこの頃です。

このように感じ始めて最初に無駄な時間を節約しようと考えました。 TVを見る時間は日に1時間程度です。 それで空いた時間に趣味の読書と思うのですが、なかなか読み進めません。

そこで集中力などの低下が健康状態の問題と考え、朝の散歩を始めました。 ただ歩くだけではその時間が惜しいので英会話を聞きながらの散歩です。 そして同時に始めたダイエット、体重を70㎏以下にすること、これで無呼吸らしい(医者に言われました)いびきをかかないようにして質の良い睡眠、これで集中力改善につながるのではと考えました。

ダイエットはダイエット食を工夫し、大豆を食べるようにし、少しづつ減ってきています。 たまに無性に何かを食べたくなって過食することがありますが、体は正直ですぐに体重減少は停止します。

さらに運動ということでテニススクール体験に行ったのですが、とても走ることができませんでした。 そこで朝の散歩になったのです。 5時の街中は新聞配達と散歩の人だけです。

やっと涼しくなり、時々走ってみたりしますが医者は過激な運動をしないよう注意しています。 帰宅して浴びるシャワーは気持ちよく、健康になってきているように錯覚します。 実は十分健康だそうで、少しの肥満やいびきを気にしすぎているのかもしれませんが、もっと健康に、という思いは募り、ネットで調べて皮膚によいのは亜鉛、亜鉛を多く含むのは牡蠣、という風に健康おたくになりつつあります。

何はさておきもう少し健康で仕事ができて離職後も元気でいたい、現職の間は仕事への集中力を切らさないことですから、健康おたくは手段が独り歩きしているようにも思えます。

日経新聞の『抗加齢』というコラムではうまく老いる方法として精神面の豊かさ、おおらかさをあげています。 連載記事ですが運動や健康食品の話題はあまり出てきません。 精神面での豊かさが周囲の人間との関係をうまく醸し出して理想的な、つまりは老人らしい理想の老人を目指せと言われているようです。

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[習慣化]

目標

漫然と生きていると活動量が鈍ってきます。 昔は朝起きて気分が高揚していると自転車で遠くに出かけます。 帰ってくるのに時間がかかりすぎて会社に出勤するのが遅れそうになります。

60歳を過ぎた今、なかなかそこまで気分の高揚感は味わえません。 そこで何か目標を持ったら行動力に弾みがつくのでは、と思いました。 若いときは逆だったのですが。

設定する目標が良ければ自分にとって目標達成は大きな成果に繋がります。 今の自分の課題は健康診断で問題ない状態になること、具体的には中性脂肪が異常に高いので中性脂肪を下げることですが、そのための目標としていろいろ設定します。

運動する習慣をつけることですが、長年遠ざかっていたテニスを始めてはどうかと近所のスクールに見学に行き、体験レッスンの無料券をもらいました。 申し込めば毎週決まった時間に行かねばならないのですが、仕事柄いつ呼び出しがあるかわかりません。 呼び出しは携帯電話に入ります。 レッスンが終わって携帯に緊急メールが入っていると急いでシャワーを浴びてスーツに着替えなければなりません。

そもそも中小零細企業のオヤジは元職が営業であれば懇意の得意先回りをし、元職が管理業務であれば報告書を読んでいる時間が長く、プラス銀行や仕入れ先などの訪問者と面談します。 私の場合はどちらかといえば外に出ていかないタイプで、それを見越して待ったなしの面談などが多く入ります。

皆が働いている時間にテニススクールに行くことに罪悪感はありませんが、避けられない用事が入った時の対処に困ります。 毎週その時間はテニスのレッスンと公言しておけばうっかりそのまま伝えられると相手に悪い心証を与えるのではないか懸念したりします。

それを乗り越えめでたくテニスのレッスンを申込み、中性脂肪値はいくら、体重はいくらと目標を達成して行けばそれだけの話なのですが、私の場合、目標設定の習慣化はエスカレートしてゆき、目標だらけになります。 頭もボケないように本を読み、このブログも投稿し、ブログのネタがなくなるとネタ探しに本を探したり、毎日やるべきことをメモに書き、できたことは赤ペンでマークしますが、やたらに項目が増えることになります。

それはそれでよいのですが、経験上仕事の良い考えはもう少しボーとしているときに生まれたように思います。

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[会社運営]

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自分の居場所

社員の増員で会社の席がなくなり、ノートパソコンを頼りに住まいでほとんどの仕事をするようになって1ヶ月が経過しました。

緊張感という点では少し弱くなっていますが、それなりにデスクワーク(殆どが書類に目を通すことですが)は多く、携帯に電話も沢山かかってきます。
静かなので考えることにはよいのかもしれません。

自分の仕事は情報を頭に入れて組み立て、方針を決めることにありますが、判断するうえで不足している情報が見えてきます。 事務室にいると周りに人がたくさんいてなんとなく状況を把握できた気になっているのかもしれません。

同時に目から入る情報が少なくなった分、不安も増加します。 現場で一生懸命働いている職員を目にすれば「うまくいっている」という錯覚があるのかもしれません。 書類に打ち出された数値だけを頼りに判断したり、不安があって責任者に質問したり、よほどの信頼がない限り不安をぬぐえません。

私の特技はすぐ忘れること、昨日の不安を忘れ、今日感じた不安に対して昨日までの不安を忘れているのではないかという不安、もう不安の連鎖になってきます。 しかしうまく行っているという兆しを感じるとすぐに不安は消えてしまいます。 疲弊した職員の姿を見たり、店長が店員に叱咤激励している姿を見たりより、予算大幅未達の書類を見るほうが不安の客観性は高く、感情的にもなりません。

しかし同じ実績を上げるにしても苦労が大きかったのか、フロックでうまく行ったのか、その臨場感は伝わってこず、クールになれます。 しかし報告書を詳細に読めばフロックかどうかはある程度わかります。

やってみてわかった意外な在宅勤務のメリット・ディメリットでした。

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[生活]

[習慣化]

持病

私の健康状態は年齢の割におおむね良好です。 中性脂肪の値が高く、吸収を抑える薬を長期投薬されていますがそれ以外でいえば便秘でしょうか。

子供の時から兆候はあり、ヨーグルトを食べたりおなかをマッサージしたりし、水分を多量に飲んだりしますがあまり効果がありません。

便秘薬は常用すると効かなくなるということで、最近は酸化マグネシウムを飲んでいます。 便が水分を含みやすくするもののようで、物理的作用であるため効かなくなるということはないそうですが、私にはあまり効果がありません。

仕方がないときは「センナ」を煎じて飲みます。 センナの煎じたものを飲むと半日から一日たって効いてきます。 効きすぎるので困るのですが、量が少ないと効果が表れません。

副作用もなく一番効果があるのはどうも規則正しい生活にあるようです。 朝は定時に起きて水を飲み、食事をきっちり摂って軽く運動することだそうです。 私も調子のよいときはこのパターンで上手く行くのですが、いったん調子が狂うと「センナ」のお世話になることになります。

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[生活]

[習慣化]

ダイエット

高脂血症と無呼吸症候群のためにこの1年、緩いダイエットに取り組んできました。

端的に体重を減らすことですからインプット・アウトプットと考えれば食べる量を減らす、これは常に意識し、感覚的ですが一番食べていた時期の半分程度に減らしました。

これでは殆ど効果ありませんでした。 アウトプットはカロリー消費と排便、カロリー消費はテニスをやめるなど運動量の低下からウォーキングをたまにやっています。 排便は常に緩い下剤を服用しています。

最近になって、つまり暑くなって体重が減りだしました。 けさ自転車で20㎞走行して測定すると72㎏、身長172cmの私にはまだ重いですが、最大78㎏から6㎏の減少は一応の成果です。

とりあえずの目標は65㎏、別に目標の根拠はありませんが、ここまで落とせば顔のぜい肉も落ちて無呼吸も治まるのではと思います。 ウォーキング、自転車、筋トレなど複数のことで痩せようと思っています。

ダイエットの本も読みましたが、「苦痛なく・・」とか「苦労なく・・」とかうたい文句に惹かれても意味はなく、健康の維持と考えれば苦痛や忍耐はある程度仕方がないのか、継続する苦痛、習慣になった苦痛は耐えられるものです。

要は習慣にすることでしょうか?

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[社会]

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新聞を読む

私は日本経済新聞を紙で読んでいます。 別に電子版でもよいのですが、固定観念からでしょうか、今のところ紙が便利に思います。

日本経済新聞を読むのは多くの企業人が読むからで、ある意味ビジネスミーハーでしょうか?

おそらく日経をよく読んでいる人に出会うと「ああ、あの記事のことを言っているんだ」という場に遭遇します。 新聞が社会で起こることを客観的に伝えると信じる人が少なくなって久しいと思います。 日経の系列会社の幹部は「日経はほとんどうそを書いている」と言っていましたが、まさか白を黒と書くことはないと思います。 彼が言ったのは白と書いておきながらそのコメントで黒を想起するようなものが書かれているからでしょう。

たとえば銀行員は銀行員の視点でビジネス会話の中で日経の記事を話題にします。 初めは記事に書かれた事実部分、次に記事に書かれた影響や評価、そして質問をすれば私見としての評価を披歴してくれます。

私は「ああ、A銀行はこのように考えているんだ」と先入観を持ちます。 ところがA銀行が方針としてそのように考えているのではなく、面談している担当者か、その人の属している部署の共通認識かもしれません。

たとえば先日の日曜日の日経朝刊3ページに書かれていた「戸建ての改修価値 評価」という記事です。 国土交通省は中古住宅の適正な価格を算定するための評価基準を作るという記事です。
日本の戸建て住宅は税法上の耐用年数22念を目安とし、実際の売買でもこの期間を経過した物件の価格は上物はほとんど評価されず土地代のみで設定される商習慣があるそうです。 これはネットで中古住宅の価格を比較すればその通りだと思います。 ここまでは事実です。

国土交通省は中古住宅であっても住む機能に問題なく、補修をすれば60年くらいは使い続けられるということから中古住宅を売って新築を買う人や、高齢者施設に入居する費用を捻出する、つまりは住宅の流通を押し上げようとしている、さらに税制改革で不動産取得時に登録免許税と不動産取得税の二重課税を軽減するというものです。

さらに米国の中古住宅評価は日本と異なり、20年を経過した中古住宅の価値が途中の改修費の累積額となっていることを挙げています。

この部分は国土交通省の思惑という点で、日経の評価になるでしょう。 この記事から中古住宅が新しい評価制度で値上がりする前に当社で購入し、リフォーム事業を立ち上げ中古住宅再生事業を考えていると銀行員に話したとします。

その銀行員が政治家と懇意であれば「あれは定年を迎えたサラリーマンの住み替えを促進する票集めですよ」と言うかもしれません。 銀行員が税制に詳しければ固定資産評価が落ちないから不動産税は確保できるでしょう、と評価を口にするかもしれません。 また20年以上経過した中古住宅は高湿度の日本では経年劣化が激しく、アメリカの中古住宅とは違いますよ、と言うかもしれません。

いずれにせよ経済情報に通じ、当然のことながらローンの査定などで不動産によく接するのが銀行員ですから、私がリスクのある事業に投資しないようにか、貸し出しを増やすためによい機会と思うのか、思惑ありきで知識の引き出しから最善の話題を出すでしょう。

話は戻って7月7日の日経朝刊37ページの膨大な紙面の中で、この手のビジネスに役に立ちそうな記事は私は3ページだけだったように思います。

どちらにしろ全部を詳細に読めるほど時間はなく、必要もない中で社会のポイントはしっかり把握したいですね。

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[習慣化]

言い訳

出来なかった時になぜ出来なかったのか報告を求め、それが腑に落ちないとさらに理由を質問します。 「〇〇の作業が発生して出来ませんでした」、「では〇〇の作業にどれくらい時間がかかりましたか?」という具合に質問します。

結局出来なかった理由が別にある場合、妥当に見える言い訳を考えることになります。 追加の質問をして答えが替わる様であればそれは苦し紛れの言い訳で、ほとんどの場合やる気がないように思われます。

それを詰めても一般に良いことはありません。 良いこととはそのことで次の機会に期待する動きに繋がること、その動きによって結果がもたらされることです。

行動はしたが何の結果も生まないことがあります。 その方法にいくらかでも価値=効果があれば必ず市場で反応が起こります。 同じ分野で同じ提案ですぐに食いつきが多いものもあればそうでないものもたくさんありますが、ぜんぜんヒットしないのは提案者がそれを良いと思っていない場合が多いと思います。

かつて日産が「シーマ」という高級車を発売し、劇的に売れ、シーマ旋風といわれたことがあります。 トヨタの社長がシーマに乗って「これが高級車なのか?」とコメントしていました。 私も当時日産のディーラーにシーマを見に行きましたが、値段の話はおろか試乗の勧誘もありませんでした。 何かの機会にシーマに乗って四国まで行きましたが、印象としてはこんなものかと思いました。

自動車メーカーは巨大企業でそのマーケットリサーチ力は国内企業でも最強と思います。 それですら解らないユーザーニーズに日々提案を繰り返して探るのが商売と思うのですが、リサーチが上手く行かないのはリサーチャー、つまり営業がこんな提案は採用されないという予断を持つことです。

おそらく日産はシーマの企画に対して絶対の自信を元に真剣に行ったから成功したのでしょう。 シーマは今年製造中止になりましたが、自動車マーケットではベンツやBMW等の高級車がよく売れています。 日産はせっかく探り当てたシーマという鉱脈を掘り続けることが出来なかったから製造中止になったと思います。

管理職が営業職に徹底して提案させるのはそこに成功の目があるか、それはどの程度か、を探るためで、探り当てた鉱脈を深掘りする為です。
話は戻って、言い訳はそのことが実際に行動する側に伝わっていないことにあります。 だから問い詰めても改善に繋がりにくいのは詰める段階で鉱脈の話が掘り方の徹底さにすり替わっているからです。 なぜならたいていの営業は売り上げ実績は上げたいと思っているからです。

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[習慣化]

考えのこだわり

私がいつも拘ってしまう事が2つあります。 一つは常識と良識、前者は世間一般に正しいとされていること、もしくはそうだと信じられていることで特段の考えが無ければ常識に沿って多くの判断・評価が一般になされます。 考えるまでも無い、もしくは損得から考えて自明の理でしょうか。

後者の良識は世間一般に広く認知されていることの中でより健全であり、建設的であり、プラス思考の考え方にのっとった知識でしょうか。

常識が情報なら良識は知識、個人的な考えでいえばそれによって新たな行動に繋がることを密かに良識として考えています。 常識よりも数は少なく、行動に繋がるゆえに良識を持ち出すのは意志が必要です。

例えば取引先がミスをしてクレームを言う場合、クレーム内容によっては値引きなどに繋げるのは常識でしょうか。 一方クレームの再発防止のために相手ととことん話し合ってクレーム排除の方法を検討するのは私の中では良識になります。

もう一つのこだわりは、考えることと悩むこと、考えることは何か問題があってその解決策を探ることですが、悩むのは解決策を探るのではなく、問題を問題としてこね回すだけの非生産的な行為になります。
散々考えたつもりで解決策が見出せず、悩んでいただけであったことはよくあることで、解決策ではなく言い訳が出てきます。

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