監査役BLOG

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社員教育

[社員教育]

カウンセラー

大企業と呼ばれる企業の人事の人と話をすると職員の自殺やうつ病の話題が出ます。 大きい組織固有の問題なのか、その風土に問題があるのかわかりませんが一定の数が発生するようです。

それらの事件をすべてパワーハライスメントや偶然の失敗の責任追及では説明がつかないのかと思います。

話は変わりますが、私の従兄弟が私の父の実家のお寺を継いでいて、先日偶然話す機会があり、世間話をしました。 話が上手い、従兄弟を前にして普段他人に言わないことを言ってしまう、人の話を黙って聞いてくれる、こちらが話したことに対しての意見は真剣で切り込まれているような緊迫感がある、これは会社のカウンセリングで使えないだろうかと思いました。

人は仕事をする上で上手くいくような考えがその人を支配して仕事が上手くいくように思います。 周りで見ているとその業務に関して天性の才能でもあるのかと思います。

その一方でどうにもその仕事に向いていないのではと思うほどうまく仕事がこなせない人がいます。 その間の人が殆どで、営業であれば仕事は取ってくるけど事務処理は全くダメとかです。

上手くいくことは上手くいく方法が良いとその人が思っているからで、例えば常日頃人間関係は大変重要と思っている人が営業職であれば、多くの取引先の人から良い評価を得られ、人間関係よりはっきり意見を言う事が正しいと考えていて、そもそも正しいことをうまく言い当てられないために正しくないことをふれて回る人は全くイケていない営業として批判されます。

直属の上司や周囲の人は当然その人の行為行動を正そうとします。 本人も営業であれば結果が伴っていないので『何とかしなくては』と思っているので注意されたことに従ってよい結果を出そうと努力します。 そのような指導が上手く行かないことも大変多く、最悪は教える側も教えられる側も意地になり、相互に固定観念のぶつかり合いになっていることがあります。

そして大抵の事は本人たちもどこかで気づいていて、気づいている事すら心の奥底にしまっています。 自分の部下を何とかしなければいけないのだけれど今まで散々教えてやったのに人の言う事を聞かない、といった場合、相手もその人の言う事を素直に聞けないほど心を固いからで覆っているのでしょう。

仕事の事ですから上手くいくこと行かぬことは損得の問題とも言えます。 いつでも心を柔軟にして他人が投げかける事をうまく取り込めば仕事は上手く行くし、人間関係も上手く行きます。 そうすることでその人の人格が磨かれて尊敬する人になるかは別問題ですが、ちょっとした勘違いから仕事が上手くいかず人間関係で手間取るのは価値のない苦労に思えます。

自ら考えを変え、行動を変えて良い成果を生むようになればきっと人格が磨かれ始めるでしょう。 他人に対して単に仕事が上手くいくだけではないアドバイスができるようになればさらに人格が磨かれます。

従兄弟の話に戻って、従兄弟と話をしていると自分が磨かれているように思える瞬間があるのです。 お寺というのは宗教の場、従兄弟は自らの宗派の教えに従って私に影響を与えているわけではありません。 自分の体験から出てくる考えで私に対峙しているのです。 考える時間は十分あるでしょうし、考える能力も十分あるでしよう。 だから十分自分を磨くことが出来たし、発する言葉は真剣そのものだったのでしょう。 そしてそれも従兄弟の性格がそうさせているのだと思います。

僧侶は生きている人を救うことが仕事ですからカウンセラーは宗派を超えた仕事ではないでしょうか?

 

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管理職の成長

大きい会社は管理職の職階ごとに区割り・責任・権限が明確に定義されています。 当社のような零細企業では定義は成文化されていないだけでなく、曖昧となっています。

組織の責任者から下位の管理職の成長が思わしくない、と話題が出ました。 そもそも何をして、そのためにどのような権限が与えられているのか不明確なのに『成長が思わしくない』と判断されても判断された管理職も、報告された私も困惑します。

何らかの問題があり、そのような判断につながったわけですから何らかの対策は必要になります。 そこで考えたのですが、上位の管理職がその地位にふさわしい仕事をしているか、もし会の管理職と同じ視点で仕事をしておればどちらの管理職もまともで有能なら同じような判断になってきます。

上位の管理職がその地位にふさわしい職務をこなすと下位の管理職は自らの職務が明確になります。 昇進するとはそういうことで、不安はあっても上位の人は上位の視点で仕事をせざるを得ず、その必要があるから上位の感触のポジションが存在します。

しかし上位の管理職の職務の一つには下位の管理職の職務執行についての監督責任や教育・指導があるわけですから『これをしてくださいよ』と教えたことに手を付けてはいけません。 上位の管理職はその時点で自分は何をしたらよいか、宙ぶらりんになってしまいます。

その人が何もしなくてもその組織がうまく回るのであれば、よりうまく回すために何も考えなければその人は時間が余ってしまいます。 たまに接待と称してゴルフばかりやっている上位管理職を見ることがあります。 取引先の葬儀によく出かける管理職もいます。 定年後に再就職面接で何ができますか?と問われ『部長ならやれます』と答えた人も皆同じ何もしない管理職ではないでしょうか?

階層にかかわらず明確な課題を与えることが管理職養成の要点だと思いますし、目標管理制度や予算統制も同様に管理職への課題と思います。

ではトップはどうかといいますと未上場企業では課題を与えてくれる人がいません。 自ら考え、優先順位をつけて勉強する以外に方法はありません。 それをしなくても業績の良い会社はありますが、微妙なバランスに支えられた業績は不安定なものです。 環境変化はドラスティックです。 目先の課題を解決できる経営者のいる会社は業績が安定し、次の手を打ち続ける経営者のところは業績が伸びてゆくと思います。

組織は結局上から下までつながっているのだと思いました。

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人が考えを変えるとき

まだ若い時、サラリーマンをしていてなぜ自分はサラリーマンという職業をうまくやれないのか、と思い悩んだ時期があります。 直接の上司は会社内で嫌われている人で、それを自慢しているぐらいです。 その人といつも二人で仕事をするわけですから今なら上司のパワハラに悩んでいたというところでしょうか。

パワハラを受ければ反発するのが自分の性格、もちろんその人にも良いところはあったはずです。 当時の考え方はどんな組織でも自分にとって居心地の悪い状況があり、全く気にしない生き方ができれば自分は会社で大きく貢献できるのではと考えていました。

当時の会社はパワハラや社内暴力は当たり前で、現在とは違うかもしれませんが、たまに事件として同様なことが報道されたときは当時よりはるかに陰湿な印象があります。

何とか自分を変えるきっかけとなった一冊が素 空慈(ソ コンジャ氏 韓国人キリスト教牧師)著 塩田今日子訳 『悟りの瞬間』でした。 禅の奥義書「伝灯録」を解く とサブタイトルがついています。 かつて名僧と呼ばれた人が悟りを得る瞬間を解説したものです。

自分の苦しみは宗教家の悟りとはかけ離れたものであっても当時の自分にとっては『悟り』という言葉に取りつかれたのでしょう。 時代背景も違い、他国の僧侶の悟りの瞬間が自分の人生に影響を与えるのかそんなことも考えず、何か難病の特効薬を求める気分でした。 読んでみて理解できたこと、心の重さがふと軽くなったことはあったのですが、以後も同様に日常のサラリーマンライフで悩みを募らせていたように思います。

解説されていることにたとえ話は多く、せせらぎに流れていく笹船(笹の葉で作った船)を上から見ているというのがあります。 笹船が自分なら渦巻く激流に翻弄され、眼前の光景は激しい水流と流れてゆく陸地の景色でしょうか。 それを上から眺めてみると小さなせせらぎを笹の葉の船が静かに流れている光景だというのが『悟り』ということでした。

このたとえ話になるほどと思う人が多いかどうかわかりませんが、当時は!でした。 つまりは激流に流される自分も離れて見れば静かに流れる葉のようなものと理解しました。 しかしそう思っても当事者である笹船は激流を危険に思い、ストレスを感じながら流されていく不安から解放されるわけではありません。 何とかしたい、今の状況から抜け出したいと思う気持ちは変わりません。 それゆえ瞬間に心が軽くなっても翌日からのサラリーマンライフではパワハラから逃れられませんし、苦痛は感じていました。

教えとしてはそれを苦痛と感じることに意味はないということでしょうか。 もしそうなら苦痛がない分仕事に身が入り、ミスも減り、嫌な上司はパワハラに意味のないことに気付くかもしれませんし、日々の生活は景色が違ってくるでしょう。

今もその本は手元にあり、過去3回読みましたが、最近また読んでみたいと思っています。 60歳を超えて『悟りとは?』と悩む愚かしさに嫌気もさしますが、日々は激流に流される笹船の気分です。

 

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人が考えを変えるとき

新聞のコラムに『組織開発の最前線』というのがあり、「スケールの大きなリーダーが研修だけで育つことはない。 ・・・・リーダーを育む要素は、経験が7割、薫陶が2割で、研修は1割にすぎない。」というのがありました。 「7・2・1の経験則」として知られているらしいですが私は知らなかったので驚きです。

研修は画一的で、薫陶や経験は個別的でありますが、研修と言っても知識の習得を目的としたものや駅前で大声を張り上げる怪しげなものまであり、経験則の割合は前提としての『リーダーの育成』に限定して考えるべきでしょう。

薫陶の意味が曖昧だったので辞書で調べると「火で物をたき、土をこねて陶器を作るように、人を感化教育し、品性を作る」とあります。 要は人間関係においてアドバイスを受けるということでしょうか。

私自身の体験から言えば若いときに言われた言葉で自分が影響を受けたもので今すぐに思い出すのは次のものです。
①反省するより悔い改めよ
②男を磨け(多くの人と付き合う)
③ふりをしろ

①は東北をドライブしていたときキリスト教の布教のためのプレートに書いていたもので、言葉の意味することを正確に理解できないのに心に響きました。 このような瞬間に入信するのでしょうね。 私の解釈は反省は何か不都合があってそれを顧みること、悔い改めるは考えを変えることと文字通り理解しています。 反省を積み重ねても考えを変えなければ同じ不都合が起こってしまうという解釈です。

小さな問題では考えを変えることができるでしょう。 たとえは悪いですが年長者に敬語を使えない若者に接するとその若者の全人格を否定することがあります。 私は60歳ですからそのような若者と接するときに、例えば採用面接などで質問は少なくとも丁寧語で行います。 ちょっと意地悪をして教養がないと答えられないような質問を続けるとその若者は私に対して恐怖を抱き、なれない丁寧な言葉で答え始めます。

その若者が質問に必死に答え、素晴らしい答えを返してもらったとき、若者の言葉遣いだけで人を判断してはいけないと実感します。 もちろんそうならない時のほうが多いですが。

悔い改めるとまではゆかないまでも先入観を除くだけでも大変で、前述の「人が育つうえで経験が7割」はその通りかもしれません。

②男を磨けは青春時代に喧嘩に明け暮れた人の言葉で、不思議に人の縁で大会社の社長と面識があったりした人ですが、卓越した人と全く卓越していない人の落差に触れ、人格や品格を学べと教えたのだと思っています。 仕事がら人には多く面談しますし、稀に人格者と思われる人に出会うことがあります。 そういう人格に触れたところで直接自分を(男を)磨けるものでは残念ながらありませんでした。

③ふりをしろはクラシックバレエの先生の言葉で、バレエの練習はふりを付けること、先生の真似をすることです。 サラリーマンになった時、自分がサラリーマンに向いていないと悩み、相談した時の言葉です。 サラリーマンという職種?で成功するには成功しているサラリーマンの真似をすればよいのでしょうか。 大学時代に教えを受けた教授も「ゴマをすって出世できるならゴマをすれ」とアドバイスを受け、そんなものなのかと思いました。

この三つの言葉だけで人生を乗り切ってきたわけではないですが、これらと経験とセミナーは自分のリーダーシップに少なからず影響を与えています。 しかし影響という意味では北方謙三氏の小説が好きで、多作の作家ですがほとんどの作品を三回程度読んでいます。 北方謙三氏の作品の主人公は男性で、危機を勇気と知恵で切り抜けていく強さにあこがれ、影響を受けたと思っています。

日常生活で命のやり取りをしなければならないことは皆無と言ってもよいでしょうが、現状の保身という意味では何度も危機が訪れます。 会社の経営に携わって15年になりますが、大きな危機は二度経験しており、その都度基本に戻りあるべき姿をイメージして復元を図りました。 その対処で悔い改めるとか男を磨くとか反省するとかは役に立たなかったわけです。

結局窮地からの脱出は基本を見失わないことと勇気を持つことでしょうか。 それがリーダーシップの重要な部分で、危機に際してふりでしのげなかったように思います。

最初の話に戻って経験がリーダーシップを育んだ例で会社の幹部の一人が毎年のように転勤させて、その都度人格的にも成長したことに驚きました。 調子に乗ってほかの人も転勤させてみましたが、転勤を小さな危機とすれば転勤で成長できる人は転勤に際して考え、内省し、向上心をもった人に限られたように思います。

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ドラッカーと松下幸之助氏

社内研修会でドラッカーと松下幸之助氏の考え方のさわりについて、参加者が参考となった考え方について話し合うというものでした。

それぞれの意見は此処では割愛しますが、10名ほどの出席者が選んだ考えはばらけたものでした。

それだけ共感を得るような思想・アイデアを二人の偉人は観察し、実践してきたのだと思います。
私はというと二人の偉人の考えの違いに目が行ってしまい、本来のお題からそれてしまいました。
もう一つ思いついたのはアニメ『島耕作シリーズ』、そして人気TVドラマ『半澤直樹』。 どちらも企業活動をテーマにしていますが、個別の問題解決の有り方がサラリーマン的でなく企業の存在意義に基づいてえがかれている点でした。

サラリーマンが個別の問題解決で会社に貢献するより目先の利益にとらわれる企業の体質に立ち向かう姿勢が上手くえがかれ、共感を得ているように思いました。

家電業界をはじめ多くの事業分野で日本企業がシェアを下げており、その原因が企業活動の基本を見失ったところにあると島耕作や半沢直樹の作り手が意識しているのかもしれません。

アニメ『風立ちぬ』を見る前に宮崎駿氏のインタビューが放映されていて、氏は時代を反映したものが評価される、『風立ちぬ』もその点を意識して作り上げたと言っておられましたが、評価される作品はその時代を映し出すものなのでしょう。

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他人と過去は・・・・

昨晩、店長が企画した営業課長職(当社の管理職で店長の次が課長)の社内研修がありました。 私はオブザーバーで一切発言しませんし、思っていることがあっても言わないようにしています。

テーマは「目標達成に向けて、課員との接し方・対応・教育をどのように行うべきか?」です。 10名ほどが2グループに分かれディスカッションします。 要は部下とどのようにコミニュケーションをとるかですが、実に様々な意見が出ました。

運動クラブ指導者の暴力ではありませんが、「最後は殴る」、「怒鳴りつける」、「ネグレクトする」などはありませんでした。 主流は部下に接する自分が変わらなければ伝わらないというものでした。

「他人と過去は変えられない」というのは私の経験、しかし人は自ら変わるものと思っています。 その人にとって変わる必然性があるなら、自身が変わろうとするなら、周囲の者は管理職であっても家族であっても変わるきっかけを提供することしか出来ません。

私の場合、東北をドライブしていて、民家の壁に貼っていたキリスト教の看板の言葉、「反省するより悔い改めよ」を見たときでした。 いくつもの看板が目につき、総てに聖書の言葉が書かれていましたが、なぜかこの言葉に反応してしまいました。 それから何度も頭の中で反芻して自分なりの解釈をし、行動に転化しました。

「反省するより・・・」は反省しなければならないような失敗をしたとき、失敗を反省しても仕方ないと解釈しました。 失敗と判断すべき行為・行動・意思決定は何度もあり、同じパターンで同じ過ちを犯すことも多くあります。私は子のブログを読んだ方はお解かりでしょうが、世間を観察し、政治屋経済活動、日本の官僚などにかなり批判的であります。 良く言えば自分の周囲を常に観察し、良いこと・悪いことを見つけて評価する癖があると言うことでしょう。

その中にはしてはいけない評価もあります。 例えば他人の価値観・好みなどとやかく言うべきではないでしょう。 ある友人が私に言いました。 言ってはいけない事を言うのはそう思っているからだと。 「反省するより・・・」のくだりから言えば、これは言ってはいけないことではなくそう思ってはいけないこと、考えを変える、悔い改めることになります。

ところが「悔い改める」→「考えを変える」は反省するよりはるかに困難なこと、きっかけは「思い知る」や「痛い目に合う」でなければなりません。

自ら思い知る方法は、悔い改めるべき事を常に意識し、日常生活で「なるほど」と思える事実を積み重ねることでしょう。 少し例示は悪いですが、何度も禁煙に失敗し「意志が弱い」と思っていたのが、意地悪?な医者に「お前の肺はもうだめだ」と宣告されてすんなり禁煙できたことです。 以前の禁煙のようにタバコが吸いたくてたまらないことはありません。 健康でいようという気持ちがタバコに関しての考えを変えてしまったのです。

変わるのは瞬間の技です。

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リーダーシップ

日本経済新聞のコラムにリーダーシップの3要件が記載されていました。
①将来の明確なビジョン どこに行くのか分りやすく示すこと
②ビジョンへの移行過程の基本的な詳細を明示する
③ビジョンを明確に売り込むこと
そして3要件を同時に満たすこととしています。 例示された政治家は坂本竜馬、レーガン元大統領、サッチャー元首相、民間人ではスティーブジョブズが挙げられています。

ビジョンを示してビジョンに共感させる人の数はこれらの人は国民であったり、多数の顧客であったりするわけですが、中小企業においてもこのリーダーの3要件はまったく同じと思います。

当社も70人強の従業員がいますが、①ビジョンを明確にするすらできていません。 企業の将来ビジョンは常に考えていますが、これを公表すれば②移行過程も明確にしなければならず、さらに③社内プレゼンを成功させなくてはなりません。 リリースする時期やビジョンの具体性、それが従業員数や財務指標であれば社員の頭の中に将来像が浮かんできません。

私は5ヵ年の事業計画を年初にリリースし、従業員数を約3倍の200人以下にすることを提唱しました。 従業員が200人くらいになると人事制度の拡充や福利厚生といったものが必要になってきます。 つまり管理体制の充実という意味で実務的な課題が頭をよぎります。 しかし一般従業員は誰が指示を出すのか、どんな組織で何か問題があったとき、例えば営業車が壊れたとき誰に言えばよいのか、今なら頼む先の担当者の顔が見えます。
組織になって個人の顔が見えにくくなる、さらにその先会社はどうなっていくのか、発展するのかといったことが関心事になってくるでしょう。 それはサラリーマン生活のホームドラマの一シーンのようにビジュアル化が必要で、そこに登場する人の対応如何ではすごく評価を下げられてしまいます。

つまりビジョンの共感に失敗します。 会社がどんどん変化を遂げて次にどうなるのか、社員総会で私が演台に立ち、クラフト紙の封筒から『これが今皆さんが知りたいビジョンです』と取り出すことが出来たら素晴らしいでしょうね。

 

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誤薬

誤薬とは薬局で処方箋を受け付けたときに処方箋に記載された薬剤と異なるものを調剤してしまうことです。 薬局ではたまに起こることで、健康被害に繋がり、場合によっては生命にかかわる場合もあります。

誤薬をなくすために様々な工夫がなされていますが、代表例は複数チェックです。 処方箋に従い薬を棚から取ってくる=ピッキングをしたものを別の薬剤師がないよう確認する=監査、そして患者様にお渡しして説明するときに患者様の目の前で処方箋と照らし合わせてお渡しする、三重のチェックを行っています。
かつて誤薬があったとき、その原因を追究すると主にピッキングする薬剤師が「監査するから」という理由でピッキング段階での注意が散漫になり、監査する人は「特殊な薬剤ではないしピッキングが正確に出来ている」という甘えでした。 また誤薬した薬剤師をヒァリングしたときに「たまには間違えることもあるだろう」という開き直りがありました。 これには唖然としましたが、厳しく注意し態度を改めるように言い含めましたがその後すぐに止めてゆきました。 いくらでも就職口があり、競争原理が働かない薬剤師の就労構造に問題があります。

薬局長は棚位置をかえ、近い名称の薬剤が隣同士ならない工夫や体調の悪い薬剤師をすぐに帰宅させるなど努力しましたが、まだ誤薬の発生が止まりません。 しかし工夫や注意を繰り返す中で、薬剤師の誤薬に対する意識が高まり、徐々に発生率が低下する中で調剤後「誤薬したのでは」と気になったケースがあり、それを隠して調べた薬剤師がいました。 隠していたことが明らかになり、薬局長の怒りが爆発しました。 その薬剤師はプライドが高く、自分が誤薬したことを認めたくなかったのでしょうが許されることではありません。 誤薬の懸念があれば薬局は全力を上げて調査し対策しなければなりません。

結局怒りを向けられた薬剤師は退職しましたが、その薬剤師が退職する理由も誤薬で叱られたとは言わずにたいそうな家庭の事情を言い訳がましくしていました。

その後誤薬の発生頻度は劇的に低下し、現在に至っています。 意外なことが誤薬を防ぐ効果があったことを認識しました。 誤薬に関するデータを見ていると以外に発生頻度は高いものとなっています。 血圧を下げる薬が処方されているとき胃腸薬を誤って渡したり、明確な健康被害に繋がらないケースも誤薬としてカウントした結果ですが、ヒヤリハットであることに変わりありません。

薬局の研修会で誤薬の防止策として「注意する」、「チェックする」というのはよく言われますが「隠すな」というのは聞いたことがありません。 薬局長の優れたマネジメントでしょう。

倉庫業界に見学に行く機会が何度もありましたが、ご配送を防止するために様々な工夫がなされていました。 概ねバーコードで監査していますが、医薬品卸であるメディセオの倉庫ではデジタル機器を多用してチェックし、出荷前にコンテナに入った薬剤を撮影していました。 撮影そのものは誤配送の防止に直接繋がりませんが、取り扱う商品の重要性を考えれば必要なことと思いました。

「うそをつかない、隠さない」姿勢の現われと思いました。

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50の手習い

50歳を少し超えた人柄の良い社員が日常生活で少し具合の悪い癖があり、その上司の人に注意を促しました。 その後、その癖はかなり完璧に直されましたが、今までそのような日常の癖を直された人はいませんでした。(自分も含め)

求人を繰り返す中で、営業職など今の体制では若い人しか対応できない職種があるものの優秀な中高年を採用したいと考えています。 もともと採用に当たり、優秀な人材が企業発展のポイントと思い、結果的に女性職員の比率が50%強の会社です。 最近は陣質としての要求水準が上がったためか男女・年齢の枠を取り外して採用しないと優秀な人材が集まりません。

近い将来は国籍も問わずになるでしょう。 現在も基本的に国籍は問うていませんし、かつてウクライナ出身の女性を面接したこともあります。 優秀で日本語も堪能、難点は3つ、漢字が読めないこと、パソコンが使えないこと、長期に帰国することでした。 長身で、といっても170センチ弱でしたが、髪の毛が金色であること、目の色がクレーであることなど実務上まったく困らないと思いますが。

中国人男性の採用を検討したときは、内定したのですが他社に就職し、その後聞くところでは大変優秀で活躍されているそうです。

話は脱線しましたが、自分も含め中高年が活躍するには話題にした日常生活の癖や価値観の一部を修正し続けることが望まれると思います。 決して若い人の考えに迎合するのではなく、若い職員と考えが違うのを事実として「考えが違うんだ」と自ら壁を作ってしまうのが拙いと思います。

ある職員の方は若い職員の受け応えに激怒して怒鳴っていたのを目撃しました。 熱い人ですばらしいと思いました。 若い子が怒鳴り返せばよし、自らを改めればさらによし、違いがあるもの同士がコミュニケートすることが一番の擦り合わせで、価値観の修正になります。

私も若い職員の話を真剣に聞くようにしていて、何度も思い知らされ、自ら考えを改めようと努力しました。 たぶん最初に話題にした人より私は頑固で修正が下手だと思います。

私の場合は逆に価値観が違うことは言うようにしていますし、言いたい方ですが組織というのは言いにくいものです。 言い方やないよう如何ではそこの管理職を飛び越した指示になります。 単純に行為・振る舞いであれば注意しても良いのですが、仕事上の考え方などはやはり指示・命令に近いものになるでしょう。

パナソニックの中村邦夫元社長の本を読んだときに、「あれ!」と思ったことがありました。 テレビと録画装置の事業部で、当時はパナソニックの花形事業部だったと思いますが、企画の30歳代の係長と直接形態で仕事の話をするというものです。

当社と当時のパナソニックの規模を比べるべくもありませんが、中村元社長は組織運営の掟破りをしていたことになり、おそらく事業部長など幹部は苦々しく思っていたと想像します。 当社ですらやりようによっては問題になるでしょうが、この事例では結果的にいろいろな成功を収めたことになっています。

中村元社長が社長だった頃、テレビの録画装置『デーガ』のTVコマーシャルにボブサップが出演していました。パナソニックの広告宣伝部は伝統的に優秀でいろいろな賞を取っていますが、キャスティングされる俳優はどちらかというと上品で柔らかいイメージの人です。 私はTVでそのコマーシャルを見たときに「おや!」と思いました。 中村元社長の本に種明かしがあり、その係長がキャスティングを提案したそうです。

ここで言いたいことは中高年の人の柔軟さ、ではなく得てして中高年対若い人、男対女、日本人対外国人、関西人対関東人、など文化・経験・知識・育った環境の違う人が上手く摺り合わせ(考えが融合)出来たときに上手く行くことがあるように思います。 また企業にあってはそういった組織がこれからの時代を生き抜くと確信しています。 当社でもいろいろ実験していますが、莫大なエネルギーが必要ですが、会社への貢献より今は障害のほうが大きいと思います。 しかし貢献するだろう新たなことはよそにまねができない当社の文化だと思います。

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クレーム

Jcomというケーブルテレビの会社が不具合の調査をしたいと電話をかけてきました。 たまたまJcomの車が数度、私の敷地に無断で停車していて、借手に迷惑が掛かったのを思い出して「お宅の車が私の敷地内の駐車場敷地に無断で停車し、迷惑している」
「私はJcomの下請調査会社の人間で・・・」、「お前は言い訳するのか、最初にjcomといったではないか」
「言い方が悪かったと思います」
「すぐにjcomに電話して、jcomの職員から電話させろ」
といって電話を切りました。

翌日Jcomの職員から電話があり、私はもう一度状況を説明すると「一度謝罪に伺いたい」と言った。

「Jcomは仕事で車で出向いた時は不法駐車するように指示しているのか?」
「コインパーキングに停めるように指示している」
「では事実を確認してから再度連絡しろ」といって電話を切りました。

数時間後、「現場も確認し、担当にも不法駐車の事実を確認しました。 私は現地まで来ているのでお会いして謝罪したい」と連絡がありました。
「以前も高齢者にテレビが映らなくなると脅してケーブルテレビを勧誘し、クレームを言ったことがある。 現場の人間は腐っている会社のようだ。 最低取締役の署名ある詫び状をもってこい」というと
「部長とお詫びに行きます」、「其の部長は取締役か?」
「知りません」、「取締役以外の詫び状を受けない」、「私では解らない。 後日返答します」と言って電話が切れました。

二日後別のJcomの人間から電話が掛かってきて、「迷惑をかけたのでお詫びに行きたい」
「前に話した人間に詫び状を書くように言ったはずだか」
「では部長に書かせます」
「部長は取締役か」
「それは知らない」
「君は前任から私が何を要求したか聞いていないのか?」
「前に対応したものは本日休みで・・・」
「昨日電話しておればなんて言い訳するんだ、所詮言い訳ではないか」
ほんとに疲れて管理会社に「他所のケーブルテレビ会社に変える事は出来ないのか?」と聞くと「地域独占で変えることはできない」との回答だった。

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