監査役BLOG

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能代の冬

 大阪の友人に連絡したら『もう寒いの?』と聞いてきたので「フリース着て朝晩ストーブをつけてるよ

」とじ冗談言ったら本気にしてしまいました。 確かに大阪より寒く、最近では最高気温20℃+α、夜は13℃くらいで肌寒いです。 しかしストーブを点けるほどではありません。

別の独身の貧乏な友人に「秋田はいいよ、移住したらどうか?」と誘ってみました。 「俺は寒いのが苦手、貧乏だから燃料費が負担になる」とのこと、我が家は犬がいるので二部屋暖房が必要で500ℓの灯油タンクに3~4回給油、70円/ℓで冬のシーズに12万円ほどかかりました。 近所二人暮らしの人に聞くと一冬に300ℓで過ごしていると事だったので我が家は温めすぎなのかもしれません。

たまたま灯油がなくなり電話で給油を頼むと100円/ℓと昨年よりずいぶん高くびっくりしました。 確かに原油の国際相場は80ドル/ガロンで近年では高値を付けています。 ガソリンもレギュラー160円/ℓの所もあり高くなっています。

秋田に住むにあたって薪ストーブを計画していました。 薪ストーブは本体、設置費が合わせて100万円程度と高額で、さらに薪の確保、置き場に困ってしまいます。 薪自体は同じ熱量なら灯油より高いはずです。 コストを無視して手間も無視すればよいのですが薪ストーブ自体が高くつく趣味のようなものです。 秋田でも山の中の集落に行けば薪ストーブの煙突が突き出ている家があります。

知り合いになった園芸家が薪を分けてあげるよと言ってくれましたが、シーズンに軽トラック何倍もの薪の運搬は大変で起き場所もありません。

秋田県能代市は思っていたほど寒くなく最低気温が0℃以下の日はシーズンを通して数日です。 最近日本の林業について日経新聞に記載がありました。 年々低下する木材価格に伐採しにくい日本の山林は伐採や植林にコストがかさみ、50年以上伐採されない植林の比率が年々上がっているそうです。 一方コメリなどで売っている薪は高価です。 総合的に考えて木材業者は薪の燃料化を考え、薪ストーブメーカーは使い勝手の良い薪ストーブを開発すればよいと思います。 林業家も収入につながり、環境としてもグリーンエネルギーで山林も若返ってゆきます。

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秋田の今

能代(秋田県)の家にバイクで半年ぶりに帰りました。 1,000㎞弱を250ccの小型バイクで高速を使わず1泊2日での旅です。 燃費の良いバイクなので 23ℓのガソリンで走破しました。 少し時間に余裕があり、かつて山スキーで滑走した鳥海山のブルーラインを中腹まで寄り道しました。 写真は紅葉の始まった頂上方向の樹林です。

鳥海山は独立峰で富士山のような形をしており、山頂からは鉛色の日本海が望め、そこに向かって滑ったことを思い出しました。 秋田も昼の気温はこの時期でも30℃近くになりますが、夕方は急に冷え込み最低気温が10℃から15℃くらいになるので夏用のメッシュのジャケットでは寒く感じます。

オフロードのバイクなので2日後には白神山地最深部の林道を走りました。 白神はブナの自然林の大群落かと思いきやブナの群落は一部で、進入禁止されている保護区に多く見られるかもしれません。 林道沿いに一部群落があり、近畿ではお目にかかれない気持ちの良い林でした。 地元で知り合ったハイカーもこのブナ林に入山しており、ハイカーの間では人気の場所のようです。

能代の人はなぜ大阪から移住するのか同じ質問を受けます。 バイクで走っていて能代に近づくと広い平野の周辺部は低い丘が何重にも連なり、ひれが林になっています。 そしてその奥に低山が取り囲んでおり、北方向は白神山地を見ることが出来ます。 高い建物がないので空が広く田んぼの黄金色や周辺の林の緑、さらにその奥のかすんで見える山並みに気持ちが落ち着いてきます。 大阪より東に位置するので日没は30分ほど早く、夕方の人口光は少ないので寂しい秋の夕暮れになります。

能代の人はこの美しさに価値を見出していないようです。 しかしよそ者が地元の人に言う事かと思います。

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秋田に帰る

写真のバイクを購入し、秋田に9月上旬に帰るべくバイクに必要なものを取り付けています。ETC、電源ソケット、ナビ、タイヤなどです。

毎日暑い日が続き、本当にバイクで帰られるのかと心配になってきます。 コロナによる非常事態宣言の再発令、ナンバープレートは大阪なので心配です。 ワクチン接種はすでに2回済みました。

仕事も心配です。

心配だらけで7月に68歳になったことだし、すべてを忘れ、よく働いた自分への褒美としてのロングツーリングのつもりでした。

自分の心配性が嫌になる日々を過ごしています。

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なまはげ柴灯まつり

男鹿半島のなまはげはユネスコ遺産にも登録され有名な鬼です。年末に村の若者がなまはげに扮して村内の各家を周り子供を脅して躾ける行事です。男鹿半島の山中にある真山神社で毎年祭りとして披露されるようになり、多くの観光客を集めています。今年は新型コロナの影響で観光客は少なかったです。各村に伝わる面は素朴で迫力のあるものです。 なまはげの太古の演奏は迫力がありました。

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表現

 最近知り合いになった人に私が67歳の誕生日を迎えたとき「年齢を重ねると今ま出来たことが出来なくなってくる、あなたには実感できないだろう」と言いました。

その人はすでに56歳、しかし元気で元々スポーツを熱心にしていて身のこなしも軽く、まだ老化を意識しないでいる人です。

瞬間にかえってきた答えが「実感できなくとも想像できる」というものでした。 私が同じ問いを周りの人に発したとして予想できる答えは次のようなものです。 もし会社の人や取引先の人であれば『いやいや、まだまだお元気じゃないですか』、関係が薄い人であれば『元気そうに見えるけど』、『そうなんですか』になります。

最初の答は私が老化で困っていることを無視して元気づけようとしています。 私は別に励ましてほしいわけではなく、老化に落ち込んでいるわけではなく理解して欲しかったのです。 相手は老化を意識していない年齢で10年年上の私と話をしています。 私が実感と言ったのは感じられ共感する意味です。 老化を感じるものか思い知るものかは別として、老化を意識しない年齢の人には考えたことのないテーマですが、その人の周りには老化がテーマの人はいるはずです。 例えば両親の顔の皺、祖父母の立ち居振る舞いなど見ているはずです。 高齢者を見たことのない人はいないでしょう。 だから想像できるのです。

『想像できる』と聞いた瞬間にコミュニケーションが成り立ったことを実感しました。 私が『実感』という言葉に慰めや励ましを求めていないことを瞬時に認識し、『想像できる』と答え、私は私の気持ちを理解されたと感じました。

もし私が30年未来からやってきて深夜のコンビニの前に座ってタバコを吸って漫画を読んでいる金色頭の若者に『俺は30年の未来からやってきた』と話しかけたとします。 そして相手の若者が漫画の読みすぎで30年の未来からやってきたことを信じた時のリアクションはどうでしょう。 まず実感はないでしょう。 想像できるとは考えられません。

『想像できる』とは、もしくはここで言うコミュニケーションが成り立つことはどのような意味があるのか?

老化のやり取りで「まだまだこれからですよ」は無難な外交辞令、その人が悔いはなくとも辛い仕事を長期にやり切りほっとしていたらもっと辛い思いをしろととられるかもしれません。 外交辞令は相手の意図がわからないときの最大公約数の無難な答えです。 それはあなたとこのテーマで深いコミュニケーションを取らず、距離を置きますよと宣言しているようなものです。

相手の意図を察知して深いコミュニケーションを図ろうとすれば言葉の解釈からもめてしまう場合が多く、外交辞令は発達します。 10歳年下の人は10年後の老化について深い知見を得られるかもしれませんし、金色頭の若者は自分の生き方を変えるきっかけになるかも知れません。 10年後の自分も30年後の世の中も異次元の世界です。 同次元の人と知識・情報が自分の成長や展開に与える影響は大変小さく、保守的になる傾向があります。 そもそも異次元を想像しないわけですから。

 

 

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プロパガンダ映画

 コロナウィルス蔓延でご多分に漏れず引き籠りの毎日、図書館も閉館で本も読めずB級映画を見る毎日です。

国家が威信をかけた戦争プロパガンダ映画はB級(あまり人気がない)であってもコンテンツもよくできていてお金のかかっているものがあります。

最近見た中国の映画は海軍の空母からのミサイル発射シーンもあり、軍を上げて協力しているように思えます。 社会正義のために軍規の限界までリスクを冒し、民間人の救出と平和維持活動をするさまは現実と対極の作品に仕上がっています。

ロシアの第二次大戦中の映画はナチスという歴史的な悪と貧弱な戦力を駆使して戦うストーリーも何も知らなければ美しい(戦争を美化するつもりはありませんが)物語として迫力溢れる映像が作られています。

アニメですが日本の第二次大戦中のものも日本がアメリカに海軍力で勝利するストーリーは国粋主義の日本人には受ける作品に仕上がっていました。

韓国映画ではどうも中国より日本を悪としたものに仕上がっていて、各国の国民性がうかがい知れます。

このようなプロパガンダ映画が国策として製作されているかどうか解りませんが、世界が反戦を訴えつつ正義のためにやむを得ず戦うストーリーが真実であれば戦争はなくなることになるでしょう。

史実は大きく曲げられていないまでも解釈の飛躍に各国の都合があります。

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引き籠り

 コロナウィルス蔓延で非常事態宣言が出て家にこもる時間が増えました。 私は家に引きこもるより外出するタイプの性格で、子供のころから体調不良か豪雨や台風でもない限り家に一日い続けることは少なかったと思います。

昨日は久しぶりにゴルフに行きましたが、数日前のエントリーでは空いていましたが、天気も良く季節も良いので昨日は以前と変わらぬ込み具合でした。

友人と二人でラウンドし、開放感あふれる一日でした。 日常的には自宅と会社を地下鉄25分で往復するだけなので、親しい友人とバカ話をしながらの一日は積もり積もった鬱積を消し去ってくれました。

一方インドア派の人たちは在宅勤務になっても私のように鬱屈することなく過ごせるのかもしれません。 私なら在宅勤務は苦痛でしかないでしょう。 もし私が敷地が広く大きな家に住んでいてテラスのテーブルにノートパソコンをおいて仕事が出来るのなら耐えられるかもしれませんが、マンション暮らしでベランダに机を置いて仕事をとは思いませんでした。

さらに自分の仕事でパソコンを使わなければならないことはかなり少ないです。 自分の仕事は検討して判断することが多いようです。 仕事のやり方は裏紙に鉛筆で自分が関係する課題の因果関係を図か言葉で書いて結論を導く方法を取ります。 それも頭がさえるのは朝の一時間のみ、それ以外の時間は本を読んだりしています。

日々1時間だけしか充実できない人間がよくも組織で生きてこれたものだと自分で呆れ、感心しています。 外出の制限されている間に脳を鍛えてせめて2時間考えられるようにならないかと自分の脳に叱咤激励しています。

 

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失言

 友人の一人に口うるさい人がいて、その人にとって不快なことを私が言うと批判します。 『そんなことを言うのは何時もそんな事を思っているかだ』と、思わなければ言葉にでない、誰でもいろいろなことを考え、思い浮かべてしまうものです。 何かの答を導き出すときに我々は頭の中にある情報を総当たりで組み合わせ、評価し言ってしまうものです。 学校教育でも考えるスキルという点で情報=予見を組合わせて答えを導く訓練がなされます。

組み合わせの中から最適解を導き出すのは価値観と情報の網羅によりほぼ決まります。 価値観は仕事であれば設定された目標そのものになります。 情報は集める過程でその人の本質的な価値観で決まります。 何に関心があるかで同じものを見ていても入ってくる情報は異なります。

情報を組合わせ設定された目標に合致しているか選別した解の中には特定の関係者にとって好ましくない解も含まれます。 仕事であれば皆が嫌がる作業を含んだ解で、誰かがそれをやらなければならない時などです。 他の解に比べそれが一番目標に沿っているなら皆が嫌がる作業は避けられません。 それを口に出して言えば組織の誰かがそれを担う事になり、担当する誰かが自動的に決まります。 その人は「また俺か」と嘆きます。

最適解をきめるのは仕事では組織長、誰かに負担を強いる解の決定をできない人は辛い作業を含まない迂遠な解をあえて出すときがあります。 組織メンバーの殆どが最適解に気づいていて誰かが会議でその解は迂遠であり最適解を提案する場合があります。 発言者が嫌な作業を自分がやるといえば治まりますが、特定の人に押し付ける発言をすればその人から恨まれるでしょう。

設定された目標に沿っているのでこの場合も感情を排除すれば妥当です。 解が違法であったり、他社の人権を侵す要素を含んでいれば発言した段階で許されなくなります。

会社でも政治の世界でも複雑系の話題でよくある話で、悪魔のささやきに傾くときがあります。 それを避ける方法考えていて思いついたのは利害を超越する事だと思いました。 自分の保身や決断できないという評価を甘んじて受ける覚悟があれば最適解にたどり着きやすいと考えました。

利害を超越する方法はお金や役職にこだわらず、質素に暮らすこととともに正しい目標を設定して最適解を考え抜くことに尽きると思います。 そしてそれは凡人にもできる行いです。

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悩むこと、考える事

 ○○について考えました。 採用面接の面接の一コマです。 例えばなぜ転職しようとしたのかを質問したときなどです。 転職は普通は人生の大きな決断、誰でも今の職業についてこのままでよいのかという不満や不安があり、悩みます。 そして友人などに悩みを打ち明けてアドバイスを求めたり、転職すればという後押しをしてもらいたいと思います。

その人は転職しても基本的な不安や不満は多少小さくなったりしても解消しません。 不安や不満はその人自身の問題で、本人と周囲の環境(ほとんどが人間関係)で不安や不満を感じます。 転職先の仕事が適当に忙しく、それをこなそうとする気持ちが強ければ不満や不安はあまり意識しなくなります。

若いときに大峰山系の山から沢伝に下山する途中で日没になってしまい、下山できなくなったことがありました。 空は雲に覆われ雨が強くなり、ビバーク(野営)や非常食の準備をしていませんた。

日没とともに真っ暗になりか雨具を着たまま岩の上で寝てしまいました。 寝ている自分には雨は降り続けたのですが真っ暗闇で対処のしようもありません。 日の出とともに目覚め下山しました。 何も食べていないので空腹のはずですしタバコも吸っていません。 疲れているはずだし、熟睡したとは思えませんがなぜかすっきりした気持ちで帰路につきました。

たまたま身の危険という状況だったので何も感じなかったし、熟睡もしたのでしょう。 不思議な体験でした。 その時を振り返り何を考え、悩み、不安を感じたか思い出せません。 何も考えないし、不安も感じなかったのでしょう。 帰宅して家族は葬式の心配をしていたのは驚きでした。

このように強いストレスがあるときにはかえって冷静でストレスはおろか苦痛も不安も感じなくなるようです。 この時身の危険というほどではないストレスだったら『下山できないことの連絡をどうしよう』とか『明日の会社の仕事は誰かしてくれるか』等と言う不安や皆に迷惑をかけたという悩みを感じたことだと思いますが、とにかく無事に下山する事、沢を下っての下山は大変危険で滝で転落する事故の危険は大きかったので次の一歩の安全が考えることで緊張しており、会社や仕事の事は頭に浮かばないものだと思いました。。

話は横道にそれましたが、転職の判断において身の危険はありません。 従ってしんどい仕事か、給料が減るかなど雑念に振り回され一番考えなければならないことが考えられないようになっています。 もはや考えているのではなく悩んでいるだけで自分で考えた結論には至りません。 身の危険のような強いストレスも無いのに雑念に振り回されることなく考え結論を出せる人に何人か出会いました。 損得だけで考えれば損をしたような結論を出したかもしれませんが、それらの人から後悔の念を聞いたことはありません。

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錯覚

 日曜日にこじらせた風邪が良くなくて外出を控え、暖かくしてチャンバラ小説を読んでいました。 1冊読んで疲れてしまい夕方ベッドで寝てしまいました。

目覚めたのは5時半、変な夢を見ていたので熟睡したように思えないのですが会社に行く支度をしました。 家を6時30分に出ましたが、まだ空は暗くこんなに日の出が遅かったのかと思いながら地下鉄に乗り谷町九丁目で降りて7時10分、地上に出るとまだ空は暗く人がまばらに歩いています。

今日は歩いて5分ほどのところにある子会社に行こうと思い歩いてゆきました。 途中でフランチャイズの不動産屋さんが店を開けており、朝から店を開けるなんて珍しいと思いました。 その先のラーメン屋では何人か客が入っています。 朝からラーメンと思いながらすぐに会社につきました。

その事務所は2階でパソコンの画面が見えるようベランダは遮光カーテンがひかれています。 7時20分になっていましたがいつも早く来られるヘルパー職の方がまだ来られていません。 今日は掃除をしようと思い掃除機をたんねんにかけました。 メールチェックをし、8時前に事務の責任者が来るので話をしようと時計を見たら8時5分前、遅いなと思いながらカーテンの隙間から朝日が差し込まないのを不審に思い、カーテンを引くと外は真っ暗、背筋がぞっとしました。 時計を見たら8時丁度、8の前に午後と表示されていました。

しばらく考え自分が12時間先を行っていたことに気づきました。 なぜ気づかなかったのか、振り返れば初めに見た時計はアナログの腕時計、地下鉄もアナログ時計、地下鉄がかなり遅れたことも気にならなず、込み具合もいつも程度、初めにおかしいと思ったのは地上に出た時でした。 朝の7時過ぎに真っ暗なのはおかしいと思いました。

毎日同じパターンで生活していると風邪をひいて寝込んだら全く時間がくるってしまったという事でした。

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