監査役BLOG

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ある休日

 最近時間の余裕が出来たので勤労感謝の日にほったらかしにしていたことを片付けようと思い立ちました。

30歳代、11月23日勤労感謝の日は毎年白山に行っていました。 白山公園線という観光道路があり、白山の標高1500メートルの駐車場まで通じています。 勤労感謝の日前後に積雪の為閉鎖されます。 生活道路ではないので積雪があれば除雪せず閉鎖です。 駐車場にテントを張って前夜泊、朝からスキーの板をリュックに取り付け約2700メートルの山頂を目指して登ります。 くだりは板をはいて滑って降りるのですが、毎年のスキー始め行事でした。

スキーをやめて20年がたち、久しぶりの休日を忙しく過しました。 あさ6時に起きると食事、シャワー、8時半に電車に乗り、母親の入所する介護施設を訪問、認知の進んだ母親と会話しました。 1週間前に自分の母親は元気かと電話があり、認知の程度が進んだと思いましたがこの日は快調でした。

母親は93歳、祖母が生きていれば120歳くらい、50年以上前に亡くなっていますので認知の程度しては相当です。 数ヶ月前には50年ほど前に死んだ飼い犬にえさをやれと電話がかかってきました。 祖母も飼い犬も50年前に死んだよと言ったら犬は何処で死んでいたかと質問し、暫く考えていて犬の遺骸の処分まで思い出しました。 この会話が10分、施設長に最近の状況を聞き施設を後にしました。

次に浪速区にあるバイクショップにお邪魔しました。 店主は同い年でバイクに乗った最近10年はずいぶんお世話になりました。 世間話をして守口に帰宅し、昼食を摂ると京阪電車で叔母の入所する高齢者施設に向かいました。 祇園四条から1時間ほど歩いて施設に行ったのですが、四条通が人でいっぱいでゆっくりしか歩けず、裏道に入って人ごみを避けようとしたのですが、裏道にも人があふれ、車が沢山走っています。

やっと施設にたどり着き、認知症の叔母に面会、私の事が判ったのか判らないのか判りません。 会話は成り立たず、10分で切り上げ、担当ケアマネジャーに叔母の状況を30分ほど伺いました。 身寄りの無い叔母は認知症のため従兄弟が青年後見人を立ててくれ、後見人が相談も無く施設を替えたそうです。 担当のケアマネージャーさんはまともな方で、質問にも誠実に答えて頂けましたが一番聞きたい事は個人情報保護をたてに何も答えて頂けませんでした。

施設から徒歩で父親の実家の蹴上の寺にいとこにあいに徒歩で行きました。 16時に出発し、人ごみを避け裏道を選んでと言っても途中はほぼ繁華街、鴨川にたどり着き、北上して美術館、平安神宮、動物園を超えインクラインまでたどり着いても人は絶えません。

お寺に着くとちょうど門前で檀家回りから帰ってきたいとこに従兄弟に出会えました。 従兄弟と叔母の話し、浄土宗の寺なので法然さんの教えや日蓮宗との違いを信者の行動などから解説してくれ、仏教の教えの一端に触れる事ができました。

1時間で辞去し、徒歩で京阪三条まで歩きました。 帰宅して万歩計を見ると23000歩、階段は40階分ほど上っていました。 なんとも長い一日でした。

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気分転換

 チャンバラ小説を読んでいると史実に忠実かどうか別として江戸期の人々の日々の活動時間は総じて長く、忙しいときに1日20時間の労働を数日続けたりしています。 商家に努める者の休日も3ヵ月に1日とか、衣食住は雇い主負担でも給金は低かったようです。

旅行となれば一日に50㎞以上の歩行距離など現代人では不可能に近いものがあります。 小学校のころ守口から京都の親戚の家まで歩いてゆく冒険をしたことがあります。 朝暗いうちに出て19時ごろ四条河原町まで行きつけましたが、足にまめができて辛かった記憶が残っています。

社会人になったとき休みは日曜と祝日、土曜日は半日勤務でした。 しばらくして週休二日になり、休日の過ごし方としていろいろ趣味に取り組みました。 どちらかというと汗を流す趣味で、将来週休3日になれば休み明けに趣味の疲れが残って仕事にならないだろうと心配しましたが、週休3日にならなかったので心配で終わりました。

今の会社では取締役になって就業規則にとらわれることなく働けるようになり、日曜日と祝日以外は全日出勤、日曜日と祝日は会社で資料を作ったり本を読んだり、たまに以前の趣味をしたりしました。

直近では200日以上連続出勤しましたが、慣れると何とも思いません。 ただ日に8時間集中して仕事をすることはできません。 年齢もあり、集中できる時間は相当短くなっていて、日に2時間程度かなと思います。 なぜ2時間程度か、他の人が毎日8時間集中しているのにと思う事があります。 原因は興味や関心が続くのが2時間程度だと思いました。 もし関心が途切れないことが仕事の中身なら長時間、連続して集中できるように思います。

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変人倶楽部

 自分の生活習慣を振り返ってみるとパターンの繰り返しになっています。 朝起きる時間、出勤する時間、通勤で読む小説、会社での雑事、少し早い帰宅時間・・・・就寝まではほぼ同様の繰り返しです。

日々の予定と毎日何をしたか手帳に書いています。 すぐに書けばよいのですが翌朝早くに出勤して書き足しています。 昨日、誰かとのちょっとした会話を翌朝思い出そうとして思い出せないことがあり、老化が進んだかと思い昔を思い出して『昔もそうだった』と思い直しています。 つまりは関心の薄いことを記憶しない性格のようです。

好奇心は強い方だと思いますが、一般に興味を持たれること自分が興味を持つ事がずれていて関心が無ければやはり覚えていません。 ここでも何度か書きましたが家にテレビがなくても何とも思わないのはテレビの番組が一般的な興味の最大公約数をもとに作られているからでしょう。

私が最近嵌っているチャンバラ小説はテレビでも時代劇として製作されていますが、原作を映像向きに脚色されたものより作者の意図が残っている原作を好みます。 脚本家により原作をしのぐ作品に仕上がったものも多くありますが、映像のリアル感が文字表現に勝った作品で話題になっています。 コンテンツより映像でしようか。

私同様関心事が一般的でない人も多いと思いますが、ほとんどの人がテレビを見ています。 親しい友人にテレビばかり見ている人がいて、会うとテレビを見て感心したことを話してくれます。 話題の殆どはテレビから得られています。 その人は自分のアイデンティティをテレビから拾い出して表現しているのでしょう。 私はこういう価値観をもっているとか。

かつてテレビのような媒体が無かった時代、情報の少ない地方都市に暮らした人は情報の少ない田舎者と揶揄されていました。 私のようにテレビを見ない者は『テレビ見ない人』、もしくは『非ネット人間』(私の場合ネットは見ますが)として揶揄されるのかもしれません。

私がテレビやネットに関心が薄いのは日々の生活でほとんど役に立たないからです。 旅情豊かな鄙びた温泉町、海外の美しいリゾート地、美味しい料理、有名人のゴシップ、事件の解説、ネットでは批判的な記事、独善的評価など知っていても世間話のネタにしかならないように思えます。 しかしメディアの影響力は大きく、最近ではアラブの春を引き起こした携帯の普及などテレビの番組のように制御された情報に無い破壊力を感じます。

では小説を読んだり、新聞を読んだり、映画を見たりすることがテレビ以上に役に立つ理由は何かというと個人的には解説が少ないことです。 解説は評価だったりして小説を読んでいて善良そうな悪人がカッコ書きで実は悪人ですとばらされたり、登場人物の発言が別の登場人物を傷つけたと解説されても読み進む気が薄らいでゆきます。 テレビをよく見る人は想像するより一般的な評価を手っ取り早く知りたい人が多いと思います。

私は自分の生き方を考え抜いて貫いているつもりですが、良識ある知人から変人クラブと言われいささか心外でした。

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廃棄

 引越をしました。 もともと家財は少ない方ですが、それでも4tトラック一杯になりました。

引越を決めてから1ヶ月の間に何を持って行き、何を捨てるか考え、毎日少しずつ捨てていきました。 捨てる基準は捨て忘れていたものが最初の選択で次に使う予定のないものです。 反対に捨てない基準として利用する可能性は低いものの十分役に立つもの、たとえばめったに着ない衣類などです。 体型は変わっていないので10年前のものでも着る事ができるし、流行を追っているわけではないので今着ても違和感はありません。 シーズンに一度も着なかったものは捨てても良いと考えましたが、衣類は持ち物で比較的量が多いので目に付くところにあれば着るのですが整理が悪く見つけられずに着なかったものは捨てがたくなります。

思い出に纏わる物も捨てがたいです。 かつて登山にはまっていたときの山の道具は20年たった今も小物を残しています。 しかし思い出のものはほぼなくなりました。

食器ももともとそんなにもっていないのですが、コーヒーカップ4セットは一人暮らしでは不要です。 使わないものは捨てることにしました。

書類は仕事の関係からたまっていたのですが、最近はデジタル化してきたので紙のものはもともと少なく、書籍は図書館で借りるのでほぼありません。

家具は転居先面積が半分になるので大型のものは捨てました。 エアコンも廃棄です。 残ったものはダンボール箱30個、衣類搬送ボックス4個くらい、これに机、テーブル椅子で4tトラック一杯です。

一人暮らしゆえにこんなに家財が必要かと呆れてしまいます。 それでも今回の引越で半分弱のものが廃棄されました。 もう一度引越すれば2トントラック1台で足りるかもしれません。 その次は1tトラック1台になればと思いますが、そこまで減らすには生活スタイルを大きく変えなくてはならないでしょう。

自分が生きてきた時代は大量生産・大量消費でした。 環境問題がクローズアップされ、ライフスタイルが変わりつつありますが、大量生産・大量消費の文化は残っています。 生産は国際分業が進み、環境問題は話題になりにくくなりましたが、メーカー、流通業者は一定量の取り扱いをしなければ生きて行けません。

自分のライフスタイルをシンプルにしたいと思い出し、ずいぶん時間がたちました。 昔ドイツ人のベッド周りに置かれているものの数は日本人のそれの1割という記事を読んだとき衝撃を受けました。確かに欧米の映画を見ていて家の中はすっきりしています。 欧米の一般の家の中のシンプルさに近づくには私でももっている物は半分以下にしなければなりません。 目標にしていることは持ち込む物の嵩より捨てる物の嵩を大きくしたいと考えています。 捨てることも考えなければならないのでしょうが買わないスタイルをどこまで追求できるかにかかってます。

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禿げ頭の快感

 私は頭が禿げています。 禿げ始めたのは40歳のころ、ずいぶんつらい思いをしました。 夜中に髪の毛が抜け落ちる夢を見て、寝汗をかき起きたことがあります。 それほど禿げることは辛く、親が禿げていたので予告された禿でもあります。 最近だったら散髪に3分、時間と散髪代の節約になります。

40歳を超えた時、少し髪の毛が乱れると禿げていることが目立つのである時電気バリカンで坊主頭にしてしまいました。 ほぼツルツルに見えるほど短い坊主頭です。

脳の血流は全体の3割と聞いたことがありますが、脳はエネルギーを多量に消費するようです。 禿げれば放熱はよくなり、爽快です。

夏の炎天や冬の風は髪の毛がなければ辛いですが、帽子をかぶればしのげます。 ほぼ10年坊主頭を続けていますが不都合を感じたことはありません。 強いて言えば坊主頭の人は険悪な雰囲気という思い込みでしようか。

目立ちたくないのでもっと流行ればよいと思いますが、まだまだ少数派です。 俳優で坊主頭の人はとても似合います。 かっこよく、アクション系であればすごみが増すように思います。 アクション系の人は体格もよく、さらに頭の格好も凸凹していなくて美しい円弧をがいています。 自分はというと凸凹で、帽子をかぶっていないと見苦しく髪の毛が残っておればよかったのにと思う点です。

女優で坊主頭の役があり、それが美人顔の人であって背も高く骨格も大きければ性別が解りにくいのは私だけでしょうか? 坊主頭はファッション性でも男性のものかもしれません。

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残りの人生

 私は今年の7月で66歳になります。 幸い健康に恵まれていて働けていると思っています。 働けているかどうかは他人が成果を元に判断することで、自分の充実感や達成感で判断するものではないと思っています。 いまや某自動車会社の元会長を良く働いていたと評価する人は本人の思いとは別に少ないかと思います。

私より少し上の年齢でリタイアした人がスキューバーダイビングを長年やってこられました。 たまたま引っ越しする必要ができて沖縄に引っ越しされ、美しい海にダイビングスポット、傍目には優雅な老後と思えましたが本人は一年後にダイビングしなくなりました。 飽きてしまったのです。

仕事の合間に休暇を取り慌しく出かけるのと違い、いつでもいけるとその人は飽きてしまったようです。

数年前にオートバイで北海道をツーリングしていました。 各地に立派な道の駅があり、清潔なトイレをがあります。 トイレ近くにバイクを止めると私より2歳年上の人が話しかけてきました。 一人で工場を長年経営し、真似されない製造方法を編み出し、大規模メーカーの特定部品を独占的に収め、経営も順調だったそうです。

思い立って工場をたたみ、特殊技術を長年発注してくれた発注元に無料で開示し、大型ワンボックスで寝泊りしながら北海道に半年暮らされています。 たまたま家も近所で話は続きましたが私は早く出発したいと思っていました。 何度か話を切ろうとして寂しそうな顔をされ、30分以上話し続けました。 この方も長年の夢をかなえて満足していると思われがちですが、実際の満足は一瞬で道の駅にいてもそれほど刺激や発見があるわけでもなく退屈なもので、気が付けば車でTVを観ていることになりがちです。

同じような人を何人も見かけてきて、私もリタイアして趣味に浸ることに躊躇があります。 私は仕事をしていると趣味に浸った人のように飽きることは余りありません。 自分の人生を振り返ったとき、前職では20年働いて、る仕事で自分の限界を感じたり、会社が私にやってきたこと以上のものを求めなかったりすると飽きて退職しました。 今の仕事も20年経過して飽きてくる頃ですが、ダイナミックに変化する自分へのミッションはリタイアに向かいません。

一方同年代の人が活躍されています。 健康や知力そして強運に恵まれて大きな組織で活躍する人がいます。 中小企業の経営者でも高齢の人を多く見かけますが、私の知る多くの経営者は過去の遺産をもとに自分の判断が及ぶ範囲に会社をコントロールされています。 それゆえそのような会社が10年のスパンで大きく発展することはありません。

年齢を経て自分の立つステージが大きいと感じたらより脇役になり、それでもステージに残っていればステージで行われているショー全体に責任もありやりがいもあります。 ステージを降りてショーの観客になれば、つまりリタイアして趣味に浸れば責任はなくなります。

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自分を鍛える

 ドラッカーは自分の強みや弱みについてほとんどの人が解っていない、せいぜい弱みの一部が解っているくらいだと言っています。 自分の姿は見えないし、自分の言動は相手が言ったことほど記憶していません。

もし自分の姿が見えて自分の言動がおさらい出来たら自分のことが解るようになります。 ビデオレコーダーが出来て自分の声や姿が見られるようになりました。 テニスをやっていた時に自分のフォームを映像で見て『こんなに下手なら上手くなりようがない』と思いました。 初めて録音装置で自分の声を聴いた時もショックでした。

自分という存在の見た目はセンスの良い服を着て清潔にし、きれいな歩き方を心がけます。 コミュニケーションでは喋る速さや語彙に工夫し、表現力を豊かにします。 社会的に信頼を得るために、つまりは仕事をうまくこなすために何をどのように考えれば良いか、自分の考えをテーマを決めて作文します。 作文は会話と違って時間に余裕があり、相手は紙です。 自分がどのように考えているか冷静に書く事が出来ます。 書き始めのものを読めば迷っていることをくどくど書いていたりしますが、だんだんと筋の通った文章になり、さらに自分らしさも出てきて人に読まれて恥ずかしくないものになっていきます。

会話ではよほど訓練を重ねなければ普段封じている言葉や考え、相手の発言内容に刺激を受けた自分らしからぬ発言も出てきます。 せっかく多くの作文で鍛えたのに、テニスで言えば散々壁打ちで練習してきたのに相手が壁でなくなるとたちどころに望まぬ自分が出てきます。

私は自分の理想に向けて思考や会話を訓練し、理想に近づくことを否定していません。 私は65歳で躾けには年を取りすぎていると思われるかもしれません。 俳優は自分の映像を何度も見て研究するし、政治家は失言しないように努力するでしょう。(マスコミが批判するかどうかが訓練の基準でしょうが)

もし自分が理想に近づけば、そしてその理想が社会一般から受け入れられるものであれば見えてくる景色、人間関係が変わってくるでしょう。 まず自分に対する相手の見方が変わり、相手が影響を受けて相手(自分の周囲の人間)も変わり、相互の関係もさらに変わっていきます。 出来るだけ多くの人とこのような相互作用が成立し発展して行くことが私の理想です。

 

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エイジシュート

 そこそこの年齢になってゴルフをやっているとこの言葉が耳に残ります。 ゴルフは36ホールでの競技、予定打数で回るとパープレーの72がとコアになります。 私は62歳から再開してスコアは120くらい、話になりません。

表題のエイジシュートは私の場合64歳ですから64、8アンダーで回ることになります。 かくあるべきとは日本人の基本の考え方、最善を尽くせば私の年齢でもアンダーパーが狙え、アマチアでエイジシュートを出せるのは人生がゴルフそのものの人でなおかつある程度の資質が備わっていることです。

私がスコアを120-64=56縮めることはかなりのハードルと思います。 もちろん今が悪すぎるし手首と親指に故障ももっているし、ラウンドするチャンスも余裕もないのでせいぜい100を切るところが現実的な目標と思います。 目標は高い方が良いのは解りますが。

それでもくじけず続けられるところにゴルフの魅力があり、私でも素晴らしいショットをラウンドに何度も放つ事が出来るからです。 18ヤードのショートホールでピンに絡むショットを打てたり、ドライバーで300ヤード近いショットをフェアウェィの真ん中に飛ばしたりです。 残念ながら集中力が続かず、せっかくのショットが生きてきません。

かつてテニスをしていた時にサーブでエースをとろうとしてダブルフォルト、長いラリーを制して極めつけのパスが抜けた、どちらも1本、自分のこだわりをスコアに置けば労せずしてかなりのスコアメイクが出来ると思います。

仕事も同じ、苦労して自分の強みが生きて100万円の商売を獲得して上機嫌の一方で手を抜いたばかりに300万円の取引をRossしていればトータルでマイナスです。 人は目標に対する意識の集中が途切れた時につまらぬことに拘ってしまうものです。

 

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大阪のおっさんの悩み

 私は大阪生まれの大阪育ち、もうすぐ65歳になるまで大阪以外に暮らしたことはありません。 国内旅行もそれなりに行くのですが、大阪人であることに不都合を感じたことはありません。

吉本の芸人の漫談を生で見たことがあります。 大阪のおっさんが自転車に乗っているシーンで、進路を塞ぐ通行人に『道を開けてください』という代わりに『チョイ、チョイ』というというものです。聞いていて不愉快ではないにしろ全く面白くない話題、言い方で面白さを醸し出しているのでしょう。そもそもそんな言い方を聞いたのは65年の大阪の生活で1人だけ、西成区で生まれ育った年上の友人がたまに言ってました。

先日広島生まれ、大学から東京在住で同年の男性がタバコのクレーム受付センターで勤務していた時の話をしてくれました。 センターにくるクレームの9割は大阪の男性だそうです。 その異常な偏りに驚いたそうで、大阪を感じたそうです。 悪質なクレームではなく業務の改善につながるものがあったとか。

クレームの何割かは最大公約数として決められたものが別の視点で見れば改善の余地が見えてくることによります。 大阪のおっさんは多元的な視点で物を見る、何パーセントかは改善につながる意見になるようです。

昨晩は大阪のおっさん同士飲んでいました。 いろいろな話題をこねくり回して話をしていると悪意は無くても批判的な意見が多く出てきて、あまり品が良くありません。

府外の人がこの会話を聞くと付き合いたくない人に思えるでしょう。 大阪のおっさんは善良なアイデアマンなんや!と自己弁護する気にもなれませんが、ふと自己嫌悪に陥ります。

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ひとり言

 一人暮らしをしていてふと過激なひとり言が口から出てきます。 大抵は以前怒り狂ったことを突然と思いだし、暴言に繋がります。

30年前に嫌な思いをしたことがその場の情景もリアルに思い出し、『やめろ!』などと言ってしまいます。 一人だから良いものの周囲に誰かいると不審に思われるでしょう。 あまりに古い事なので普段思い出したりそのことを言われても思い出せるかどうかの事なのですが、風化もせずに鮮明に出てきます。

私は記憶力が悪く、テストではいつも苦労していました。 たまに悔しくて暗記を努力すると今度はいつまでも忘れる事が出来ません。 なんでも一夜漬けで点数を稼げる人は覚えた後すっかり忘れる事が出来るのがとても羨ましく思いました。

私もある入学試験で苦手の英語だけで合格が決まるので何カ月が必死で英文翻訳を行い、受験者のトップクラスで合格したとき、私も賢くなったのかと誤解しました。 覚えた英語能力は瞬時に消えてゆきました。

そんな記憶能力の自分が突然30年前のことを鮮明に思い出すのは部屋の掃除をしていて30年前の手紙が出てきたようなものです。

自分の記憶の特徴の一つとして記憶したことがデフォルメされることです。 飼っていた犬が実は獰猛な顔をしているのに記憶の中ではとても愛らしい顔だったり、写真を見て違うと思うようなことです。

自分の記憶の蘇り特徴は自分の価値観の裏付け、価値観として今のタイミングで30年前のある事件を思い出さねばならないとかこの犬は実はかわいい顔をしているとか思いが影響していると思います。

誰もが見るもの、聞くもの、感じたものを正確に記憶していると聞いたことがありますが、いつどのタイミングで何を思い出し、考えの参考にするか各人の価値観でその人はそういう引き出し方が生きていく上で必要と思っているからです。 その人が実際に生きている『今』に適合しない価値観であってもにわかに変わることはないと思います。

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