監査役BLOG

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[会社運営]

衣食足りて礼節を知る

 当社代表が求めるのは『品格』、抽象的であり具体的にどのように振舞えばよいか判断しずらい局面は多くあります。

私が最初に思い付いたのはタイトルの言葉、他人を敬い、敬意をもって接することは欧米の個人主義とは異なるものと思っています。 『衣食足りて』のくだりは現代社会では合わない言葉かもしれません。 言葉が出来た時代背景は商品経済が発達しておらず、日々の食事や服に困ることが貧しい者の常態であったと想像します。 現代社会では貧富の差はあっても食べるものに事欠くことは大変まれでしょう。

このように生活環境が変わっても言葉が生き続けるのは礼節を重んじる人がたくさんおられ、官僚のセクハラ事件、書類隠蔽など相当な高学歴・高収入・高い社会地位の人の礼節を欠いた行いが大きな話題になるのでしょう。

品格の話題に戻り、私が会社の意思として品格について及んだことはフリップ コトラー博士の『マーケッティング3.0』で提唱されているフェアートレードではと代表に確認しましたがそうではないとのこと、なかなか意味が深いようです。 ただし本人もそれが何か、明確に表現できないようです。

かつて私が会社の代表であったころ、社員の多くが私に求めることが尊敬出来て優秀で話がうまく気前も良くて知的でありかっこいい事、それでいて的確な経営判断を下し、会社を安定拡大できる人、であれば自分も精一杯付き従って仕事に注力しようというものでした。

私もその意味で多少の努力をしましたが、経営判断としては利益や規模の最適化を図ることをどの職員に何をやらせるかという方法で出来るだけ自分の判断を控えて経営してきました。 決して知性や品格に応えられる人ではなかったし、せいぜい時間や約束を守り、難題から逃げない姿勢はかろうじて保ちました。 お金がなかったときは服も着た切り、靴は穴が開くまで履いていました。 いま余裕が出来て衣食は足りましたが、人としては誇れる人格と思っていませんし繕う気もありません。

このように考えるのは会社運営は矛盾だらけ、かっこよく経営できるほど簡単ではないと判断しているからです。 しかし品格を否定しないまでもそれは品格か!と思われるような悩ましいダイナミックな判断が品格を兼ね備えながら発展出来る方策だと思っています。

仕入先を不当にたたき、職員に厳しすぎる責めを負わせて僅かに利益を稼ぐより、イノベーティブな改革を行うなどです。 いま行っている各部署のやり方はそれなりに意味ある方法ですが、改革すれば人が余ったり、仕事の難易度が上がったりします。 その時余った人は配置転換されて苦痛に思い、新しい方法をやらねばならない人は当初大きな苦痛を伴うでしょう。

このように考えれば『品格』はイノベーションを伴うととんでもない話に繋がってゆきます。

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[習慣化]

前向き

最近の会話を振り返ると自分の発言が後ろ向きであることが多いように思いました。 毎日誰かと話をして、自分が話したことを振り返ると緊張感を欠いています。

前向きの反対は後ろ向き、とは単純に行きませんが入ってくる情報が少なくなると少ない情報で事を見通そうとして短絡に否定したり肯定したりします。

情報が少なければ効果的な質問をすればよい事です。 その答えが情報を厚くしますが、会話は相手のある事、質問すれば会話の相手はこちらの質問の意図を推し量ります。 相手は会話の中で話した情報に不備があると感じるか、質問に沿った視点が欠けていたと反省するかは相手次第ですが、『情報が少ないですね』と言ってしまえばどのような情報が欲しいのかわかりません。 会話は問題解決なのかあたらしい提案なのかテーマがあり、話をするからには思っていることを実行したいと思っている場合が多いです。

よく言えば相手は前向きの会話をしているわけですが、会話を受ける目的は相手の意図をくじくのが目的であることは稀です。 提案された内容を理解することが話を聞く最初の目的、理解して納得するかどうか、さらに実行するかどうかは次の課題、納得できないことは圧倒的に多く、その時後ろ向きの会話になっています。

最近後ろ向きになった自分を修正する方法として後ろ向きの答えをしない、質問を工夫する、評価や安易な決定をしないことを心がけています。

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[未分類]

チャンバラ小説

たまたま紹介された人と読書の話でチャンバラ小説の話になりました。 私は最近はまって佐伯泰英氏の作品を20冊ほど読んだところでした。 その方は私に葉室麟氏を紹介していただきました。

鎌倉から江戸期の作品が多いようですがすぐに2作をよみ、その人に文正のまさ、時代考証正確さ、奇想天外な仮説に驚いたこと等感想文を送りました。

すぐに返事が来て描かれた歴史に名を残さない主人公の愚直な生き方が好きだと感想を返していただきました。 その方はかなり大きな企業の代表取締役、聞けば厳しい事業分野で鎬を削っている企業のトップの『愚直が好きだ』に新鮮さを感じました。

厳しい業界の企業のトップが愚直に生きることを良しとするところに先入観、競争の厳しい業界に生き抜くには気配りが出来て器用な人を良しとするのでは、が打ち砕かれました。

当社にも派手ではないにしろ愚直に仕事をして大きな成果を生んでいる人がおられます。 おそらく目立たない人たちが当社を支えていることに気づかされました。 愚直の語感には泥臭さが付きまとっていたのですが、目的達成に見栄えを気にしない追求心があり、当然犠牲にすることも多い事も顧みない自己犠牲の美しさすら見え隠れします。 自分は人の評価で派手さに目を奪われ、ゆがんだ評価をしていた、それを指摘された時に評価は結果にするもので努力や愚直であることを評価してはいけないと思っていました。 瞬間の評価はそうかも知れなかったのですが、愚直であり続けた人は長期の実績はたいてい特筆すべきものです。

鎌倉から江戸期の武家社会で忠孝が価値観の中心に据えられ、それを貫く武士の姿は現代社会でも多くのビジネスマンに見られ、日本的特徴を指摘される場合も多いです。 それは古い考えではなく最も生産的な考えに直結していて、経営の実践では愚直を生かし評価する文化に修正してゆくべきと思いました。

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[未分類]

成長する

採用面接で『働くうえで目標にすることは何ですか?』と聞くことがあります。 『働くことで自分が成長することです』という答えが多く返ってきます。 『あなたにとって成長とは何ですか?』と聞くと仕事においてエキスパートになること、部下をもち指導すること、昇進することなどの答えが返ってきます。

どれも正解かもしれません。 私はどこでも通用する人になることを目指すように言ってきました。 会社は未来永劫存続できるわけでもなく、もし会社が倒産したり何らかの事情で退職しても次の仕事で通用するなら本人は生きてゆく上で困りません。

しかし志半ばで退職に至った人の風聞で他所で通用しているとはとても思えません。 本人は自分の評価や仕事、人間関係への不満から退職し、自分を生かす環境を求めて転職したわけですが、環境がその人を鍛え成長のきっかけを与えるかもしれませんが、成長するのは本人で環境ではありません。

他人事ではなく、私自身も成長を目指しています。 もうこの年で成長と言えば笑われるでしょうが、上手くなりたい事、身につけたいスキルはもちろんの事、健康維持が図れることも目指すという意味では努力します。 例えば筋トレ、腹直筋を鍛えます。 なんのためにと言えば腹筋が弱くなってバランスを崩さないようにとか腹回りを引き締めるとか、裸になって鏡で自分のおなかをみます。 それほど熱心にしていないので筋トレマシーンの宣伝に出てくるような腹にはなりません。 しかし一定のトレーニングが苦も無く出来たりすればそれでよしと思いますが、デジタルで現在の腹直筋は○○と表示されれば励みになるでしょう。 数値が良くなれば喜ぶ等愚かしい事ですが、目的の達成感はあります。

話は戻って成長に当てはめ、成長の目的である昇進やエキスパート等数値化出来たり客観評価できる目的が重要で、さらに目的の先の目的があります。 昇進する目的は何か、最初の昇進は仕事の難易度が上がり、達成感より苦痛が大きくなる人がいます。 昇進を目標にして昇進したものの他所で通じる成長が遅れていたため、昇進を自分の成長に生かせない場合です。

話はこんがらがってきて何が目的で手段か、一体自分は何を求めているのか訳が分からなくなり、学校の同級生と話をして自分の方が昇進していたり、給料が高かったりしたことに満足してしまいます。 成長は自己のもの、他人の給料との比較ではないのですが、成長を求めるなら成長の意味を高い次元で認識せざるを得ないし、その認識のもとに努力が必要でしょう。

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