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上善如水(ジョウゼンミズノゴトシ)

 お酒の話ではありません。 最近嵌ったチャンバラ小説に出てきた言葉です。 言葉自体と日本酒の銘柄は以前から知っていましたが、液体はどのような形の容器にも収まるくらいの意味しか知りませんでした。

調べてみると老子の言葉、争わず水のごとく低いところでとどまることと解説されています。 チャンバラ小説では自らの考えにとらわれず、柔軟に務めを果たす侍を評して使われていました。

会社経営の目的は事業運営を行い、利益を得て再生産しながら継続してゆくこと going concern として経営学で定義されています。

私の手元の中学生の時に使っていた昭和41年版のエッセンシャル英和辞典では『営業中』と訳されています。

私が大学の農学部で農業経営を学んでいた時には農家は利潤追求ではなく農家という家業の継続経営を目的とするように解説されていました。

自分が経営者の立場であったときには最初利益の最大化を目指し、ドラッカーが最適利益を唱えていてそうなのかと納得してしまいました。 ドラッカーは利益稼得は経営継続のために必要と言っていますが、争わず低きのとどまる上善如水は競争して利益を増やすことより競争せずに損益ぎりぎりで経営しろと言われているように思います。

経営から人の生き方に焦点を当てて上善如水を考えれば、チャンバラ小説の記述のように個人のこだわりを捨てて仕事に注力することのように生きる生き方が理にかなっているという事でしょうか?

総和行っても人はそれぞれ価値観もあれば得手不得手もあり、如水を相手に受け入れてもらえるよう各人に最適な器=仕事や役割を探し、割り当てることがその人を生かし会社が組織として機能を果たすものになると信じています。

これは大変難しく、本人が何が得意でこんなことをやってみたいと言っても大抵あてにはならず、第三者がじっくり観察して判断することが必要です。 目標管理制度もそれをみえるかする手段と思います。 手段が何であっても人のことが解らなければうまくいきません。 管理する側の人間もいろいろな人(diversity)を理解することつまりは判断する人、経営する人こそ上善如水ではないでしょうか?

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