監査役BLOG

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[意思決定]

会社の経営

 当社では私が長く会社の代表をしていたので判断の難しいことは意見を求められます。 いい加減な意味ではなく適当な意見を言うと通ってしまいます。 経営判断に奇手、奇策はあまりないと思っています。 当たり前の判断は会社の目標にとって妥当な判断か、につきます。

判断を求められるのは決定の回数が多いからです。 適当な判断をして結果的にベストの選択であっても不具合は起こります。 他に選択肢がなくとも責任が話題になります。 責任の取りようがない、手前の段階で問題の予防策を講じればよい、そもそも早い段階でそのリスクが予見できなかったなど、一連の話し合いが行われため息がもれます。 しかし皆はほかに策がなかったことを認識しています。 つまりは腹を括れるかです。

長い間経営者をやっているとマイナスの結果が起こった判断、中にはベストの選択でなかったためにマイナスが大きくなったケースなどあります。 そのような判断は後に尾を引き、事在る度に思い出し、同じミスをしないようにします。 『熱ものに懲りてなますを吹く』の例えのようなモヤッとした気持ちになり、判断は遅れ下手するとさらに悪い判断に陥ります。

このような複合的なミスは夜中に思い出したりします。 シンプルに考えればよい、結果の責任は負わざるを得ないが負えばよい事、逃げないことでしょう。 判断が増えれば増えるほど憂さは溜まるか鈍感になるか、開き直るか無責任になるか葛藤が続きます。

オートバイでツーリングに行くと次のコーナーを何速で何キロで突っ込んでスロットルをどれだけ開放して、ポジションはどうでどこでシフトしてというたわいもない事だけを考え続け、時としてひやりとして一日が終わります。 私はこれは消しゴムで記憶を消す作業と思っています。

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