監査役BLOG

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[価値観]

無駄取り

 事業運営でも日々の生活でも無駄を省くこと、節約すること、効率化を図ることはよく話題になります。 自分に自信のある人、何に自信があるかというと稼ぐこと、価値を生み出すことに自信のある人はそれ程節約に関心がありません。

一万円の利益を残すのに税引後利益/売上の率が1%であったなら100万円の売上増が必要です。 1%の率は一般的だと思います。

日本経済新聞に老後資金のシュミレーションが出ていました。 この記事は何度も登場し、老後資金やライフスタイルについて社会の関心が高いことを示しています。 よくある内容は世帯所得が1千万円から1.5千万円で預貯金が数百万円しかない話です。 この所得が手取り額であれば何に使っているのか不思議です。 記事を読み進むと家のローン、子供の学費、食費、水道光熱費、服飾費と家計の内容が例示されています。 自分の生活スタイルからは考えられない出費が見られます。 例えば毎月衣類に3万円と書かれています。

可処分所得1~1.5千万円は高収入です。 ほぼ使い切るのは簡単で節約するのは大変そうです。 しかし解説者は節約を示して老後資金の貯蓄を進めています。

私個人としては節約は趣味のようなもので、それがなければ生活に困るものでなければ支出することは稀です。 収入もさほど多くないので貯金も少ないですが、収入の道が閉ざされたとしても生活していけるように思います。

朝出勤するときの道のりでもずいぶん無駄なことを目の当たりにします。 近所の印刷会社はスーツを着た営業の人が印刷物を車に積み込み、配達の準備をしています。 会社まで1500歩弱の間に自動販売機は30台程度あります。 近所の人がヨーロッパ車で喫茶店にお茶を飲みに来ます。 宗教法人は朝から読経の声が聞こえます。

何が無駄で何が必要か理屈ではなく人の価値観だと思いますが、10年以内に無くなると予想されるものは支持されている割合の低い価値観だと思います。 無駄を無くし合理性を追求することは支持されにくい価値観だと思いますが、無駄のない生活や事業運営の魅力が明らかになれば、方法として節約は魅力のあるものになってきます。

友人が私に『お金をもって死ねない』と言いましたが、日々の生活に満足していればお金そのものは話題として小さくなります。 私の場合、満足は自由な生活からもたらされます。

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[社会]

AI

 採用面接でAIが当社の事業分野にどのような影響を与えるかが質問されました。

AIの話題は数年前から急速に展開してきて、金融、弁護士業、医療、コールセンターで活用事例が報告されています。

私のAIに対する知識は数年前に皆無で、専門家に質問する機会がありました。 『AIはソフトウェアです』が最初の説明でした。 であればせいぜい数億円のものかと思いきやいろいろな情報からその価格は記載されていません。 ソフト代よりディープラーニングにかかるコストが高いとか、そもそも実用に至るコストは算定不可能のように思えましたが、実用化されている分野をみれば大きなマーケットで採用されていることから相当高額であることは想像できます。

最初の話題に戻って当社が営む事業は相談業務が業務の中心であり、コールセンターの実働などを考えると技術的に可能性の高い分野であると思われます。 しかしマーケット規模は小さく、ケアプラン等数千億円のマーケットでAIが実働するのは相当時間が必要と思われます。 ケアプラン作成だけであれば技術的に可能性が高くとも利用者から情報を引き出すのは人の手が必要で、上手く情報が引き出せるかどうかがケアプランの質にかかわってきます。

面接での私の答えはAIでは情報の聞き出しが上手く機能しないので機械化は遅れるだろうというものでした。

応募者は職の選択で残りの人生をいずれAIに奪われる仕事をしたくないのは当然の事です。 しかしその予測は困難で、あらゆる職は10年単位の時間の経過の中で何らかの影響を受けることになると思われます。

例示したケアマネージャーの職においてもAIが業務の一部を代替したとしても人の介在は10年単位の予測ではなくならないと思います。 その分野で優れた成果を上げる人はAIの使用者となってその分野にとどまることになると予測しています。

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[趣味]

ツーリング

 チャンバラ小説を読んでいると旅をする人が出てきます。 飛脚や行商人、役人、侠客などが旅人で、移動手段は殆どが徒歩、たまに船、ごくまれに馬でしょうか。 旅ではなく近距離移動であれば駕籠、江戸における小舟になります。

移動距離は驚くほど長く、1日50㎞くらいは女性でも歩いたようです。 かつて山登りをしていたころチベットの山岳地帯に住む人の移動距離について知る機会がありましたが徒歩では40㎞程度、徒歩での移動の世界標準でしょうか?

江戸時代の旅のスタイルについて詳細はあまり書かれていません。 草鞋はどれくらいもつのか、草鞋に変わる履物はあるのか、日傘や雨具の使い方などそれほど細かく書かれていませんし、ドラマでもそれが解るシーンは少ないです。

私の趣味はオートバイで小旅行をすることで、昔で言えば徒歩ではなく馬の旅行に近いと思います。 残念ながらオートバイは処分してしまいました。 近距離の異動は私の場合車ではなく自転車を多用します。 そこで自転車でツーリングしてみようと思いました。 昔同じことを考えてツーリング用の自転車を買い、150㎞程度を1日弱で走ったことがありました。 最近は自転車に乗る頻度か少ないのと年も取ったので今住んでいる天王寺から南に向かう事にし、羽曳野市の古市を目標にしました。

久しぶりに自転車で長距離を走ったので大和川を超えるころに疲れてしまいました。 通過したのは生野区、東住吉区、平野区、馴染のあるエリアです。 大和川を南に超え、藤井寺市に入りました。

この日は成人式の日、めかした若い人たちが大勢歩いていて、都心では最近見ない振袖、男性はハットをかぶりサングラスをかけた古い映画で見たような服、袴に羽織、それも大胆な図柄のものを着た人たちです。

藤井寺、羽曳野の住宅地は細いまっすぐでない道に木造の古い家が並び年寄りが大きな声でしゃべっています。 その中に小さな川が流れ、魚が泳いでいます。 家は板塀が多く、庭があり、柑橘系の果実の生る木が植わっていて時代劇のシーンのようです。 その様な風景の中で育ったはずですが、都心のマンション暮らしが長いと違和感があります。

さらに南下し、古市近辺では特産のイチジクの畑や古墳群が見られます。 ここまで自転車の距離計は20㎞、疲れてしまい、この風景に馴染むより前に帰路につきました。

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[言葉]

振り返り

 職員の採用で私が気になるポイントは論理性です。 実際の蹴員の話をしているときに自分の考えを話す人、希望を聞いてるのにあるべき姿を語る人、質疑のかみ合わない人に『質問が悪かったですね、こういうことはどうですか?』と聞きなおします。

前提として『自分は論理が一貫している』という自信です。

取締役会で書記をやっていて、議事録を回覧すると訂正が入ります。 誤字・脱字はともかく内容の訂正が入るとがっくり来ます。 さらに自分の発言がやたらに多く、他の発言を聞いていなかったことに気が付きます。 だから議事はつじつまが合わなかったり、論理的に飛躍していたりします。

これはいけないと録音することにしました。 そうすると記録された自分の発言を聞くことになります。 『いったい何を言いたかったのだろう?』といぶかる発言がおおく、タイプしてもつじつまの合わない、何を言っているのかわからない議事になります。 本人がそう思っているのだからほかの出席メンバーはなおさらです。 そこでほかの出席メンバーに『私の発言は理解できますか?』とストレートに聞いてみました。 『だいたい意図は判りますよ』、『残念ながら自分の発言の意図不明なところが多々あります』、『いゃ、昔から謎かけのような発言が多かったですけどね』と言われてしまいました。 この十数年、取締役会で一番喋る私の発言にほとんど問いただされることなく議事が進行し、会社は運営されてきました。 挙句の果てに『ワンマンだ』と言われてきましたから皆さんははやりの忖度で判断したのかもしれません。

大変ショックを受け、以後会議は極力録音し議事録を作成しています。 そうすると自分が発言しなくなりました。 私が発言しなくなると沈黙の時間が流れます。 私をよく知らない人は『始末に負えないやつ』と思われるかもしれません。 しかし最近入社された中年の男性とはぴったり矛盾なく論理的なコミュニケーションが成立します。

自己正当性を主張するなら話の通じにくい人に何かを伝えるのに苦しみ、表現できない自分の姿です。 もし周囲の人の9割は話が通しにくいなら私の問題は大きいと思います。 非文明国の外国人が日本に連れてこられ、日本語をみっちり学んで日本の社会で実際に生活したようなものかもしれません。

一方私と話が通じる人が皆私同様に周囲の人の9割と話が通じないなら安心するのですが、話が通じる人もいます。 表現力の問題か、価値観の問題か、話題の展開の仕方か、と悩みは尽きませんが録音して自分の声を聴き、内容をタイプしていく仕事は自分を磨く裁量の方法と思いました。

そのうちに自分の発言の録音を聞いて『こういうことを言おうとしていたんだ』と気が付けば私は自分の考えていることが理解できる人になれたという事です。 なぜなら録音で聞く他人の発言は誤解を恐れずに言えば大したことは言っていない、当たり前のことだから言葉通り理解すればよい(だから内容がないというつもりはありません)と分かりました。

本当に思っていることを言葉にできる人はむしろ珍しく、大抵は自分が本当はどう思っているか知らずに生きていて、納得できる当たり前のことを繰り返し言葉にしていることが多いだろうと感じました。 本当に思ったことを言葉にすれば恨まれたり、憎まれたり、誤解されたり、思いや考えはそういうものなのです。

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[価値観]

いつまでも新鮮なホウレン草

 最近スーパーマーケットの店頭に並んでいるホウレン草で葉がぼこぼこしているものがあります。 見た目は新鮮で色も鮮やか、葉の付け根に土がついていません。 想像するに水耕栽培だと思われます。

冷蔵庫に入れておいて4日ほどたちましたが全く萎れてきません。 そのまま生でサラダとして食べられそうです。 味も普通のホウレン草です。

先日野菜の工場生産設備のメーカーに伺いお話を聞く機会がありました。 その設備は無菌状態で栽培するというものです。 まだ実験段階でとても採算は取れませんが、栽培しているのはリーフレタスでホウレン草と同様に傷みやすいものです。 無菌で栽培した作物は冷蔵保存すればかなりの日数鮮度か保てるそうで、一月ほどはもつとのことでした。

鮮度がすぐに落ちるものが長期間生で保存できるのは驚異です。 肉や魚でもその技術が確立されれば廃棄処分は減るでしょうし、薬や加工食品でも同じ事が出来るなら医療費の削減に貢献できるでしょう。

人間も鮮度が保たれれは・・・・  私は65歳ですが30歳くらいの知力・体力・健康が維持できればきっと無期懲役になったような絶望感にとらわれると思います。

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[趣味]

 あけましておめでとうごさいます。 本年もよろしくお願いします。

私は年始に『今年はこんなことをやってみよう』を考えます。 主には趣味の話で、山登りをしていたころは年末年始は群馬のスキー場で過ごし、スキー三昧でした。 若くて収入が少なかったのでワゴン車で3~4泊します。 一緒に行く友人は決まっていて、夜になると二人で今年はこの山に登ろうと話します。 山スキーの友人なので始発のリフトから最終リフトまで飽きることなく滑ります。 山の中腹にある駐車場は気温が低くなり、朝は車の扉が凍り付いて開きません。 エンジンをかけ、ヒーター温もりで扉があくとトイレに駆け込みます。

山登りをやめてから二十歳の時に乗っていたオートバイに50歳を超えて再びまたがるようになり、昨年オートバイを処分しました。 最近はチャンバラ小説とアクション映画に凝りはじめましたが、二日に一冊のペースで読み、1年で150冊ほど読むと飽きてきました。 アクション映画は毎日一本、こちらも数十本で飽きてきました。 人はというか自分はワクワクするものがないと生きてゆけないのかと嫌になりますが、年始でもありいくつかの趣味を考えました。

月並みですが旅行です。 コストをかけないで緊張と感動の旅行をやってみたい思いました。 移動手段として安いのは高速バスでしょう。 行き先は都市部ですからバスを降りてから自転車を借りるかレンタカーで移動するか徒歩になります。

出張のない仕事をしてきましたからほとんどの地方都市は行っていません。 バイクに乗っていたころは一人のツーリングで近畿、四国は行きましたが泊りであってもツーリングはバイクが基本はなので市内を散策したことがありません。

チャンバラ小説を読んでいると多くの地方都市が出てきます。 作家のなじみの地域があり、九州の大名のことをよく書く人、東北の人、江戸のことを書く人は多くいます。

九州在住の侍が江戸屋敷から呼ばれ徒歩で江戸まで行ったり、大阪の侍が京都に日帰り出張したり、当時の徒歩の移動について驚かされます。

同じ体験をすれば達成感もありますが、今住んでいる天王寺から京都まで片道でも行く自信はありません。 知らない年に行くだけでなく何らかの冒険心をくすぐるものを考えないと今年一年は稔りのないものになります。 今年は旅行を企画するたびに何でわくわくするか調べ尽くす日々になりそうです。

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