監査役BLOG

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[社会]

最悪の銀行

 銀行の合併で振り込み先変更の通知が取引先から来ました。 面倒くさい話と思いながら都銀のS銀行最寄り支店に出向き、何番の番号札を取ればよいか行員に聞くと答えられません。 仕方なく適当な番号を引き、別の行員にこの手続きをしたいので用紙をくださいと言うと10分ぐらい待たされました。

番号を呼ばれ、記入した変更届を出すと変更になっていないところも記載しろと言われました。 記載要領に変更項目を記載と書かれているのになぜかと聞くと答えられません。 窓口担当が管理職にもっていって相談する間さらに待たされ、返ってきた答えが提出不要とのことです。

都市銀行のS銀行は自行の変更手続きについてすら理解しておらず、客を待たせたうえ平気で誤った指示をし、謝罪もせず傲慢の極みです。 当社の取引銀行ですが自分が代表なら即座に取引中止で、この最寄り店は何度も同じような不手際を繰り返しています。

金融監督庁はこのような銀行の傲慢な態度や不適切な対応を野放しにしています。 多くの消費者が声を大にして訴えればS銀行も改善もしくは他所に合併されるかもしれません。

日本には銀行が多すぎ、合従連衡が進んでいます。 それは低金利による採算の悪化でしょうが、原因の一つが多店舗展開で自動化の遅れによるコスト高にあると思います。 銀行はそれを改善せずして振り込みなど手数料を高くして凌いできました。

個人的には現金といえば札やコイン、仮想通貨は実感がないですが、ハンドリングや安全性を考えれば国家レベルで仮想通貨を発行してはどうかと思います。

行政では同様の古い体質があります。 典型と思うのは法務局にハローワーク、税務署でしようか?

私は国の機関の出先に行くことはほとんどありませんが、これは何時の時代かと思ってしまいます。 事務系生産性の国際比較でいつも日本が下位なのはこのような旧態依然としたシステムが息づいていることも原因の一つです。

都市銀行のS銀行は改善を図らず人員を減らしていることが際立つ原因で、昔からS銀行の極端なやり方は問題になってきました。 自ら改善図るわけでもなく顧客無視を続ける都市銀行のS銀行と取引を続けることはいずれ辞めたいと思いました。

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[経営]

老化との闘い

 仕事が忙しくなり、いきなりハードな環境にいます。 自分の周りも似たり寄ったりで愚痴も言えません。

少し前まで相談役=隠居、と自他ともに認めていましたがこれほどハードであればいじめにあっているようです。 嘆いても仕方がないので朝は7時過ぎに出勤し、18時には退社します。 お昼の休憩は平均2時間、取締役は就業規則に縛られないので休憩時間を長くしています。

私は朝型の人間で朝の1時間頭がさえます。 1時間考え続けると頭が熱くなり、考えることができなくなります。 だから一番効率よく仕事をするのであれば毎朝1時間だけ働くのが良いのですが仕事の絶対量が足りません。

そこで土曜日も出勤し、頑張ってみますがやはり追いつきません。 そこで最近は日曜日もこっそり出勤しています。 ここでも取締役の特権で仮に休日なしで働いても労働法に抵触しません。 ひと月くらい続くとさすがに疲労が溜まってきます。 50歳代の人を見ていると週休2日で残業なしとはいえ集中力も高く、従って生産性も高いです。 情けないと思ってしまいます。

同じような仕事を続けているのなら多分経験で仕事をこなせて楽でしょう。 日替わりで種類の違う仕事をこなすともう地獄です。若い時に簡単にできた仕事が2倍の時間がかかっても出来ないし、初めての仕事が来ても慣れるのに時間がかかってしまいます。 それでも手が付けられないという仕事はありません。 苦痛に耐えながらやっているとそのうち出来てしまいます。

老化はすべての人に平等に表れてきます。 仕事に限って言えば老化は慣れるまでの苦痛の程度が若い時より大きいということでしょうか?

苦痛への免疫がてきればおそらく老化は意識せずに仕事に取り組むことが出来そうです。 そのような薬、覚せい剤みたいですが、開発できれば高齢化社会での生産性は飛躍的に高まるでしょう。 定年を上げたり人生100年などと言って年寄りをこき使っていただけるのはある意味ありがたいですが、苦痛を和らげる薬を早く開発してもらいたいですね。

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[生活]

季節感

 このブログで何度か書きましたが、私はチャンバラ小説が好きでよく読みます。 作家は主人公のキャラクターをきめ、いろんな事件を演出しながらたくさん書いてゆきます。 シリーズものがヒットすれば10作前後書く人もいますし、30作迄伸ばす人もいます。 TVの連続ドラマのようで、いわゆる歴史小説は作品数が多いです。

同じキャラクター、江戸の同じ長屋、剣客の流派等でバリエーションが出てきます。 季節や食べ物、当時の珍しい仕事も題材になります。

季節感は作家によって表現がいろいろで、食べ物や着物の種類、雪や台風などの気象、花、野菜売の野菜の種類まで使えるものは何でも使います。

読者は『野菜売が大根を・・・・』といっても現在では周年大根は売っているので季節感の小道具としては弱くなってきます。 雪や台風、氷結、うちわ、打ち水等現代でも季節を連想するもの、露骨な小道具の登場機会が増えます。

私はかつて積雪期の山に登るのが趣味であった時期がありました。 絵を描く友人と登っていると向かいの尾根の落葉樹は完全に落葉していて雪面から枝が無数に出ています。 私の感覚からすれば白いお餅にカビが生えたような印象です。 友人は『きれいなローズグレーだ』といいました。 多分色の話であろうと分かったのですが、ローズグレーは初めて聞く色の名です。 向かいの尾根の雪面に生え出た落葉樹の色、雪はあくまで白いので色を見間違う事はありません。 お餅に生えたカビのような色が美してというのは感性の違いでしょう。

いまから100年ぐらい後、西暦2100年になってまだ小説というものが残っていた時、時代小説のジャンルにサラリーマン小説が入っていたとします。 平成期のサラリーマンの生活をエンターテイメントして仕立てた作品で、ある作者が私のブログをネット上で発掘し、作品の主人公にしてシリーズ化したとします。 チャンバラ小説同様シリーズ化されて作者は変化をつけるために季節感に工夫します。 主人公は毎朝6時に起きて7時に出勤する、冬、途中の公園の落葉樹のローズウッドの色がかつて愛した女性のコートの色を連想したと書かれても100年後の人は季節感を抱かないかもしれません。

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