監査役BLOG

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予算管理

 経営管理で多くの企業が予算管理を行っています。 大企業ともなれば管理に費やす時間と労力を金額に換算すればすぐに億単位になるでしょう。 当社も予算管理をしています。

何のために予算管理を行うのか、少なくとも当社で話題になることは少ないです。 私が経営に携わりだした直後は予算管理を行っていませんでした。 当時、会社とは名ばかりの個人商店で予算管理にほど遠い状態でした。

私は目先の問題解決より将来展望をもとに考えるタイプの経営者でした。 予想損益計算書を3年、5年と作り展望通りに事業を成長させるために最初に考えたのは展望を実現できる人の採用でした。 就職氷河期であり、個人商店のようなところでもハローワークから多くの応募がありました。

つまり描いた将来展望・ビジョン実現は労働集約事業では人間力にかかっていると考えました。 その後15年間数千人の採用面接を行い、徐々に当社にとって必要とされる人材を採用できるようになりました。

これが事業展望のほぼすべてであれば予算管理は人事計画につきます。 現実は展望に向けてのプロセス=基本戦略や効果的にプロセスをバックアップできる社内インフラや本社機能等コストのかかることばかりでした。 予算管理で人事計画の次に課題となったのは適切な管理体制=管理コストでした。

私の代表としての最後の5年間は5か年計画の立案による展望を明確にしたことでした。 5年間は規模拡大を効率よく果たし、中堅企業の地位を確立することにありました。

ここでの失敗は会社全体のビジョンは描けても個々の事業の基本戦略を各部門に任せきりにしたことでした。 戦略の適否はマーケットの統計情報だけでは片手落ちで現場の感覚がなければ判断できません。

現在現場を統制するのは部門長他ミドルマネジャーで完結し、予算もボトムアップはミドルマネジャーからのものです。 ミドルも現場から離れ肌感覚が薄れているので、現場と経営層の間に2層の壁が出来てしまいました。 これをアウトプット予想である予算の数値のみでマネジメントするには限界を感じます。

対応策は何をどのようにするのか明確なビジョン、ビジョン実現のための具体的戦略の立案が一般的と思われます。 現実は現場のこまごまとした情報を経営の会議に提出されます。 現場の生の情報だけで何を判断しろというのか、情報を分析し戦略に照らし合わせ、有効な戦術を企画するのがミドルの役割です。

残念ながら予算管理の有効化は当社では道半ばです。

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[プライベート]

引き籠り

 コロナウィルス蔓延で非常事態宣言が出て家にこもる時間が増えました。 私は家に引きこもるより外出するタイプの性格で、子供のころから体調不良か豪雨や台風でもない限り家に一日い続けることは少なかったと思います。

昨日は久しぶりにゴルフに行きましたが、数日前のエントリーでは空いていましたが、天気も良く季節も良いので昨日は以前と変わらぬ込み具合でした。

友人と二人でラウンドし、開放感あふれる一日でした。 日常的には自宅と会社を地下鉄25分で往復するだけなので、親しい友人とバカ話をしながらの一日は積もり積もった鬱積を消し去ってくれました。

一方インドア派の人たちは在宅勤務になっても私のように鬱屈することなく過ごせるのかもしれません。 私なら在宅勤務は苦痛でしかないでしょう。 もし私が敷地が広く大きな家に住んでいてテラスのテーブルにノートパソコンをおいて仕事が出来るのなら耐えられるかもしれませんが、マンション暮らしでベランダに机を置いて仕事をとは思いませんでした。

さらに自分の仕事でパソコンを使わなければならないことはかなり少ないです。 自分の仕事は検討して判断することが多いようです。 仕事のやり方は裏紙に鉛筆で自分が関係する課題の因果関係を図か言葉で書いて結論を導く方法を取ります。 それも頭がさえるのは朝の一時間のみ、それ以外の時間は本を読んだりしています。

日々1時間だけしか充実できない人間がよくも組織で生きてこれたものだと自分で呆れ、感心しています。 外出の制限されている間に脳を鍛えてせめて2時間考えられるようにならないかと自分の脳に叱咤激励しています。

 

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[事件]

 会社の職員を見ていて大変粘り強い人がいます。 別の見方をすると心がブレない、頑固などにあたる人です。

そういう人が仕事で貢献する場面の一つに仕事が柔軟性を求めない場合があります。 去年も今年も同じことを同じようにしなければならない仕事です。 どちらかと言えば職人的な仕事で、今までと異なる切り口の仕事を説明するのにずいぶん苦労します。 プライドが高く、一言で済む説明を言葉を尽くして行い、少しでも相手を否定することを言えばむくれられます。 それなりの会社でそれなりの地位にいた人ですからプライドは高いでしょうが、前職それで評価されていたのが驚きです。 話をしてみると何でもやらされやってきたとおしっゃいますが、同じような視点での仕事を種類は異なってきてもこなしてきただけで、視点が変わればついてこれません。 色々な視点で課題に対処できるのであればやってきた仕事の種類は少なくてもよいのですが。

こういった頑固な人は優秀かどうかは別にしてへそを曲げた時、つまりは業務命令に反感をもったりそもそも会社に反感を持ったりするとその憎しみは屁理屈で裏打ちされ、個人の性格と相まって憎しみに育ってゆきます。

憎しみは復讐に繋がります。 組織で働いていてこのような感情は当然好ましくなく、よほど組織側が間違っていない限りは組織側の言い分が通ります。 組織に問題があり、内部告発した事件でたまに告発者が訴訟で勝ち、報道されますがまれな場合です。 大抵の組織は程度の差があれ法令順守して運営されています。

子供じみた復讐心は手間暇コストがかかり、生産的ではありません。 多くの場合頑固な人が視点を変えて物事を判断できないために起こる問題のように経験上感じました。

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[社員教育]

考える

 会社の人間にほー「本を読め」といつも言っています。 何のために、知識を得るために、答えもなく言っていました。

だれでも何か考えることはあります。 考える行為は大抵その先に意思決定が潜んでいます。 何かを決めるにあたり、自動的に決まることは考えません。 勤めている人は朝会社に行くのは当たり前、そこで今日は会社に行きたくないなどと悩むことはふつうありません。

ある更生施設の運営者の講演会で施設に入所する元暴走族の少年の喋る単語が数語しかないという話をしていました。 施設に入所する少年の母親が面会に来て対応した少年が施設長に『とっぽいおばさんが来た』と言ったそうです。

この少年の使う単語が千語としてその多くは固有名詞でしょう。 何かを決めるときに多くの情報を言葉に置き換えなければなりません。 先程の例では『見慣れない女性がだれだれに面会に来られた』となり表現として具体的になります。

システムエンジニアの常用する単語や服飾デザイナー、弁護士、医者等専門性の高い職業になれば専門用語の単語が会話に数多く登場します。 元SEと話をしていて、○○の『アルゴリズムは』となったとき頭の中で?markが湧きたちます。

それぞれの単語は意味があり、抽象名詞であれば複数の意味をもつ場合が多いです。 概念と言った方が良いでしょうか。

うまい文章を書く人は最適の言葉を駆使して表現し、読み手は一度で正確に書き手の意図を認識し、しっかり記憶します。

本を読むとはいろいろな情報を上手く整理し、引き出せるようにすることだと思いました。

私は最近映画をよく見ます。 何かを考えるとき映画のシーンがよみがえります。 映画の中で演技者は話すので映像だけでは伝えられないことを会話で伝えます。 全く知らない言語圏の映画を字幕を読まずに見ていてもだいたい筋は読めますが、演者は鑑賞者が混乱しないように解説をセリフの中に織り交ぜます。 3流の映画にストーリーは複雑で映像からわからないところを出演者に解説させるシーが多く見られます。 それでもそんなに複雑なことは映画になりません。

ある知性溢れる人が自滅してゆくストーリーでは主演者の演じる心の葛藤を一定のパターンで表現し、実際とは異なる解釈になっている場合も多いと思われます。 意図が伝わらなければ映画にならないわけですから。

脳の中の処理を考えれば、映像付きの概念などは記憶メモリーを消費する割には複雑なことを蓄積できず、やはり文字に(映像なし)よる情報の方が考えることに適しているように思います。

本を読むと言葉とその概念が蓄積されて問題の分析や組立等に能力を発揮できることになります。

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[経営]

善良な者

 企業運営で何かを決めるとき、複数の人の意見をすり合わせします。 皆善良で誠実で会社にとって好ましい意見を出してきます。 ある人が意図して悪意に満ちた意見を出してきたとすればその意見がいくら魅力的に思えても即断しなければ複数意見のすり合わせの中で悪意は露見してきます。

人は何かで秀でたいと思うものですから自己主張します。 負けず嫌いで組織に貢献することで自分を際立たせたいと思う人は結構おられます。 方針にこだわる人、プロセスにこだわる人など、物事を決める瞬間に一気に自己主張されます。 主張は筋が通っていてシンプルです。 説明はお上手で、熱弁をふるいます。 エビデンスとしてデータもふんだんに出してこられます。 大抵は近未来にとって都合の良い意見で、不確定な中長期で考えればリスクの多い意見であったりします。

私はこれら善良なる者への説得と結果の尻拭いが仕事の多くの労力を注いできました。 本人は自分の意見が通ったことで大きな問題がその決定から生じなければ会社に貢献したと信じています。 そこには莫大な機会損失が埋没していて、10人の人員を1カ月投入したプロジェクトが10の貢献を一時的にもたらし、もし私がやれば一人で数日で仕上げ、その貢献は数年にわたって1000続くようなことがあります。

何も自分が特別優れているわけでもなく、奇策を尽くしているわけでもありません。 最もシンプルで貢献に寄与する最善策を考えているだけです。 しかしその策は見た目に美しい策ではなく、自分が担当したいと思えるようなやりがいを実感できるようなものではありません。 地味で手ごたえを感じにくい策です。

私も当然下手を打ちます。 おそらく失敗の数だけなら一番多いでしょう。 正解を見いだせた確立も決して高くありません。 しかし他人の意見はしっかり聞き、時間をかけて決定してきました。 何時決定しても良いことを決定するまで5年以上かけたこともあります。

ここまでは私の経験上の愚痴かもしれません。 それらの人の意見を取り入れなければなりませんし、たまに最善策を提案されもします。 授業料と思って結果を待つ場合もあります。 高い授業料です。 説得を試みても経験値はすべで理屈で表すことが出来ません。

おおよそ今話題にしたような決定を上手く行える人にあまりお目にかかった事は無く、巧妙にダメな決定を下す人は多く見てきました。 経営は善意に満ちた誤りにいかに対処するかにつきます。

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[会社運営]

 事業展開において次に何をするかは重要な戦略です。 当社が営む地域密着の事業ではすでに展開したエリアを深堀するか新規のエリア獲得を目指すか話題になります。

地域密着のビジネスの典型はコンビニ、業界一位のフランチャイザーが長らく出店しなかった県があり初めて出店したことが新聞記事になりました。

タワーマンションなど単価の高い住宅は大都市中心部に集中します。 低層マンションや戸建て住宅は郊外に展開します。 地域密着のビジネスは多くの場合人口移動統計を基本に展開します。

出生数ではなく流入人口が話題になりますが、その年齢層も話題になります。 当社のように高齢者を対象とする事業で就労者の流入の多いエリアに出店しても流入者が顧客となるのは何十年も先になります。 マーケッターはこれらのデータをもとに地域を詳細に分析しますが、優秀なマーケッターは現場を見に行き、現場を知る人にマーケットについて聞きます。 現場主義の人は現場の情報だけで地域戦略を考えます。

流入人口だけで判断するなら東京都と神奈川、割り切って関東に進出し成功している事業者は同業でもおられますが、他府県から進出した事業者や地場の事業者で事業譲渡の対象になっていたり廃業するところも多いと聞いています。

昔と違い多くの情報がネットに溢れているので皆が同じ地域戦略を立てます。 トレンドに乗り、基本情報と異なることが起こればその業界はパニックを起こし、破綻する事業者は続出するでしょう。 情報量の多さ、マーケットの動きの速さでいえば外為、株式などは典型でリーマンショックや東北の震災、コロナウィルスで多くの投資家が破綻しています。

それぞれの事業で本質的な情報があり、基本に忠実に分析すれば明確に答えが出てきます。 単純な論理による推定です。 リーマンショックの年に60%のリターンを果たした香港の投資ファンド社長と話す機会がありました。 なぜリーマンショックを見抜けたかの質問に多くの投資家が指標にしている雇用統計と建設受注残高を見ていて異変に気付いたと言っていました。 まったくシンプルなロジックでした。

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[意思決定]

評論家

 世の中には評論家と呼ばれる職業があり、特定の分野の知識を厚くしてその分野の事象を評価する人のようです。 実践の世界では『評論家はいらない』という批判を聞きます。

評論家はいらないと批判される人はなにがしかの評価をするうえでその分野の知識を一定もっているのでしょう。 そして自らの評価に基づき適切な意志決定を示唆したり他人の決定を批判したり、もしくは将来を占ったりします。 しかし決定の責任を取る立場ではありません。 もし責任を取る立場なら別の判断をするという事でしょうか? おそらく責任を取る立場に立てば何も決めないという選択をするか誰かの責任になるように仕掛けを作るかするでしょう。 評論家はいらないは責任を取らない人はいらないという意味で考えます。

以前会議で『実績があげられない人はやめればよい』と私が発言すると鼻で笑った人がいました。 笑った人は普段社員教育の必要性について説いています。 教育の定義は話していませんが、少なくとも企業内の教育は研究職などを除きアカデミックなものではなく、より実績的で成果につながるものです。 成果は責任感によってもたらされ、責任感は自ら決定に関与したミッションの達成により果たされます。 ゆえに社内での教育の基本は達成できそうな明確なミッションを職員に与え続ける事です。 そのミッションは実行する職員が決定に関与しなければならず、自ら決定に関与することは降りてきたミッションに場合によって『ノー』と言えることです。

企業内で評論家的立場の人がいます。 そして貢献を果たしている人が多くおられます。 他人が責任を取る仕事に評価を下し、責任を取る立場の人に尊敬されています。 役立つ評論家の特徴は何か、現場の情報が多いからか、多くの本を読んでいて先人の知恵に造詣が深いから、元々現場経験が豊富だったなどいろいろ想像できます。 まとめて感が良い人では説明になりません。

ドラッカーは成果に集中する人が成果を上げると言っています。 私もそのように思います。 会議で部門間のシナジー効果の話題が出てくると事業の本心である利益をあげて事業を継続することからそれることになります。 シナジー効果はあくまで副次的なもの、利益をあげる方法でしょうか。 方法が目的になれば事業運営はゆがんできます。

最近『もうけ主義』との批判を頂戴しました。 外部の人ですがもうけ主義と事業運営で利益を稼ぐことの意味を説明できない人なのでしょう。

意味することの本質もわきまえず、むやみな批判をする愚かな人に『愚か』という代わりに事業運営を通じて本質に基づく行動の重要性を示してゆきたいものです。

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[経営]

悪意のない頑固

 ビジネスマンに作業が速く正確でプレゼンの上手な人がいます。 勤め人の経験はそれらスキルを磨くことに費やされてきたのだと思います。 要領もよく何かにつけペーパー枚数の多いのが特徴です。

誠実で優秀な人に見えます。 権限を渡すと権限範囲の事を周囲に相談することなく自分で決めたがります。 相談されないので事実を知りえた時に質問すると抱え込み、開示や修正を求めてもかたくなです。

やっと何を考えているのか分かったときに全く見当違いでくだらないことを考えていることが解りました。本人は自信たっぷりで、何を言っても改善しようとしません。 仕方なく結果を待つことになりますが、失敗が見えていることを待つのは辛いものがあります。

大きい会社でプレゼン資料の作成に従事されたのでしょうが、頑固さは異常です。 企画力や調査の的外れもあり的外れの企画をバックアップするためのネットからのデータ収集は見事です。 しかし悪意はなく同じパターンで見当違いをすることからご本人の価値観が前職のままなのかと思います。

ご自身の企画の失敗が見えてきても反省しない、もしくは反省しているけれども対外的に失敗を認めないのはやはり問題です。 説得力があり、必ず的外れの企画をお上手なプレゼンをされて採用し続ければ会社は維持できません。

善良な人だけに気付けばひょっとして価値ある人になるかも知れません。 しかし一般に60歳を過ぎた人は変わりようはなく、本人が得意なことをやらせて企画はさせないことが一番ですが、そうしたら全利用なだけに他社の企画にケチをつけるでしょう。

価値観の違いをもたらしたものは経験、その人に私と同じ情報があったとしても何を評価しているのかによって見えるものも見えなくなります。

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[生活]

おなかはすいているか?

 最近は慣れない営業同行、営業職との会食が続き、疲れがたまって気力が湧きません。 毎日ではありませんが会食で少し酒が入ると気持ちが昂り寝つきも悪く疲れた上にほとんど寝られない日が続きました。

しばらく営業同行も会食も朝の会議もない日が続き、早く帰宅しましたが帰宅すると疲れが出て気力が湧きません。 帰宅すれば疲れが出るという条件反射でしょうか。 不規則な生活が続くと体重も増えます。 食べ過ぎている気はしないのですが食べ過ぎているのでしょう。 おなかが空いていないのに食べてしまっているのでしょう。

朝の営業ミーティング(今まで出席しなかったのですが)同行訪問、夜の会食(お酒の席は避けていたのですが)、苦手や辛いことを続けると仕事をした気になりなります。

食べ過ぎれば体重が増え、体重計でいくら増えたか客観的にわかります。 疲労感はなかなか計測できません。 仕事は成果で測れますが、複合要因で成果は決まる場合が多く、かかわったした人の仕事をした気(達成感)の総和が成果を生んでいるわけではありません。

仕事の多くは作業に落とし込まれ、作業をした、ペーパーを仕上げたで終わりでなく、成果を生んで仕事をしたことになります。 分業が進めば仕事をした気(達成感)は作業の完成で満たされています。

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[社員教育]

躾け

 会社で職員を観察していると基本マナーが躾られていない職員が見受けられます。 私の世代から見れば人格を否定されても当然と思える行為です。 率直に『あほ!』と感じます。 ひょっとしたら中には会社に大きく貢献している人や優秀な人がいるかもしれません。 そのような『あほ!』がいる組織の長は何を考えているのかと思います。 『あほ!』いない組織は躾の注意をしているかというとそうではありません。 仕事ぶりに緊張感があり、周囲の人はそれなりに気を使います。 おそらく『あほ!』のいる組織の長の仕事ぶりにそのような緊張感が無いのでしょう。 職員の自主性や職場の自由を醸し出そうとしているのでしょうが、『あほ!』を野放しにすれば『あほ!』が定着して、他所で通じない人間、人格を評価されない人になってしまいます。 『あほ!』を野放しする組織長に『あほを放し飼いにするな!』といえばパワハラと言われかねず、言葉の選択に苦慮します。

貴方がいないときにあなたの職員の私語が聞こえてきます。 『職場の空気として少し程度を超えているように思いますが、あくまで私の感覚です。』なんでまどろっこしいことを言ってる自分に腹が立ち、『あほにあほと言ってどこが悪い!』と開き直り、そもそも言うべきは相手の品性や人格向上のためで自分の怒りの発散ではないと考えれば奥歯にものを挟み、まどろっこしい物言いを工夫し、誠実に貴方のためを思ってお節介していますという態度で言うべきかもしれません。

残念ながら私がそれをすると付き合いの長い人には嫌味を言われたと思われるでしょう。

それなりの年代の人、特に管理職で見られることですが、仕事をしないことに長けている人がおられます。 恐ろしく長けています。 なぜならそれで今まで生きてこられたからです。 なぜそこまで仕事をしないのか不思議です。 ささやかな努力をし、そのような人は能力が低いのでささやかな仕事を行う事が全く仕事をしない姿勢を貫くより楽な生き方に思えるからです。 学生時代、テストで恐ろしく努力してカンニングをする人がいましたがそれと似ています。 勉強するほうが楽なのですから。

その様な管理職は長年生きてこられたから今更価値観を変えることはできません。 会社を辞め、市井で何も価値を生まない人生を送ればよく、そのような生き方を私は否定しません。 しかしわざわざ当社に入社して、絶妙の演技で仕事をしているふりをし、あらゆる責任から逃れようとする人は迷惑なことで、あらゆる仕事とその責任から逃れる域からの延長には他人に迷惑を掛けない価値観が含まれているはずだからです。 採用面接で見抜けなかった自分に腹が立ち、私の場合『あほ管理職』として放置するのではなく人格否定をあらゆる言葉を駆使して行い、苛め抜くことになります。 本人は長い人生でそれにも耐えてきたでしょうから根くらべでしょうか。 成長を期待することは枯れ木に水をやるよりむなしいことです。

これも管理職の躾の問題で、恐らく前職でも迷惑をかけ続けたことでしょう。

躾は社員教育で、との考えがありますが仕事に対する姿勢や価値観を教育で行う事は効率が悪いと考えています。 私の躾は経験から教えられるものではなく刷り込まれてきました。 左利きの私は父親に毎日殴られ怖い父親の前で右手で字を書かされ、箸を持たされました。 子供のころは虐待でない範囲であればそれもありでしょうが、仕事をしない管理職を殴りつけるわけにはいきません。 言葉の暴力も使えません。 その様なことをすればこちらが躾けられる側になります。

しかし本人の価値観の問題ではなく社内で害毒を静かに垂れ流していきます。 害毒は元から断たねばなりません。

 

 

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