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[コミュニケーション]

論理の力

 最近親しくしている人にあまり論理的でない人がいます。 年齢は50歳代、波乱に満ちた人生を歩んでこられました。 色々な話題でお話しします。 私はどちらかと言えば理屈を言う方なので”理屈VS直感”、別に言い合いになるわけではないですが、『直観おそるべし!』で理屈の私はたじたじとなります。 レスポンスが速く、何か言いかけると瞬間に反応があります。 直観主体なので瞬間の判断、しかし思い返してみると発言内容はすべて整合していて和えで解説するならシンプルに組み立てられています。

心理学者のアドラーの考えを解説した本を読んでいて『我々は誰しも客観的な世界に住んでいるわけではなく自らが意味付けした主観的な世界に住んでいる』というくだりを思い出しました。 私の住んでいる世界と前出の人が住んでいる世界は異なり、私の住んでいる世界は理屈が飛び交い、現実の世界との接点を理屈を通して調整している、前出の人は自分の世界と現実の世界を直観を通じて調整している、直観の世界は自ら言葉として持たない概念も感じることが出来る、一方理屈の世界では言語化されていない概念は存在しないことになるので感じても無いものは無いことになる。

コロナウィルス蔓延で在宅勤務や三密を避けるためコミュニケーションはメールのやり取りなどに終始します。 メールは文字情報、理屈の世界です。 伝達内容が正確になる一方でニュアンスはどんどん伝わりにくくなります。 『俺は頭に来てんねん!』は faith to faith では表情や声色で表現できますがメールで指示するときに「頭に来ている」は書けないことです。

この程度は細やかな問題ですが、もう少しデリケートな問題ではどうでしょう。 携帯でのメールが使われるようになり絵文字が流行りました。 微妙なニュアンスを伝えるために使われたと思います。 ある人の業務連絡に必ず同じ絵文字が使われ、送信者のキャラを印象付けています。 絵文字をみればその人の顔が浮かび、その人の面前でメール文面が話されているように受信者は感じて、他者なら訝る話題も『そうなのか』と納得がいきます。 そこまでの人間関係が出来ていなければ意味をなさないでしょうが。

その業務連絡に出てくる単語の数は少なく、言葉の意味として伝えられる情報に限界がありますが、言葉以上の意味が込められた文章になります。 しかし業務の文章、正確な情報伝達という意味では好ましくないけれどそのような感性=直観主体の人たちに正確無比のビジネス文書で対処すると反感の嵐になります。 それが直感の恐ろしさ、早さ、伝染力、定型化されたビジネス文書による机上の空論は完膚なきまでに打ちのめされます。

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