監査役BLOG

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[人間関係]

視座

 自分が様々な人と知り合い、親しくお付き合いいただきまたは知り合って以降全く関心が湧かずそれきりだったり、しばらく付き合って途切れてしまったりします。

アドラーの心理学で尊敬の定義が『唯一無二の人格であることを認識することを尊敬という』(正確な言葉ではありませんが)、尊敬することはその人と人となりが判ることと理解しました。

翻って自分の交友関係を見直してみた時、この人はこういう人であると思いきやそうではなかった時、付き合う事をやめています。 また思った通りの人であったとして、関心が湧かなかった場合もお付き合いしません。 特別変わった考えを持つ人に関心を寄せることも一時期ありましたが、最近はそうではありません。

自分の人生に真摯に向合い、考え努力している人でそれぞれの人生は自分から見れば大変な苦労と努力をしているように感じられる人です。 それがパン屋さんであったり事務職の人であったり、トラックの運転手であったりします。

その様な人と仕事の話をしているととても魅力があり、引き込まれ長時間話し込んでしまいます。 一方組織に組み込まれ多くのスキルを駆使して書類を作っている人、国家資格をもとに横柄な態度で仕事をしている人、それが有名大学出身で一流企業に長年いた人や、医師でも弁護士でもほとんどつまらない人に感じるのはなぜか不思議でした。

意思が疾患の特定で苦慮することや弁護士がある事件でどのような展開をするのか、関心のある話題は尽きないはずなのですが。 実際話をしてみるとほとんどスキルの話、医者であればオペの方法、弁護士であればどの法律で戦うか、組織の人間であれば所属する組織の意志決定の方法などすべて知識・情報の話です。

確定された知識や手法はその使用方法が正しければ機能を果たします。 私にすればそれはレゴのようなもの、組み合わせれば無限に近い可能性を示します。 例えばレゴでサッカーボールを作ることが出来るでしょうが、そのボールでサッカーは出来ません。

いつも携帯で検索して情報を蓄積している人がいます。 ネット環境が無い時代ならTVをよく見て朝の挨拶はその日のトピックス、組織人なら日経新聞の一面記事からその日の話題はスタートします。

それがそれぞれの生きるお作法、伝統的な仕事や社会や人間関係には向いていますがイノベーティブではありません。 私も最近はお作法のしがらみの中で退屈な日常を過ごしています。

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