監査役BLOG

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会社経営3

 福祉用具の事業は私が入社する前からある会社のフランチャイズに加盟していました。 そのフランチャイズは現在うわさを聞きませんので撤退したか凍結しているのでしょう。

平成11年10月1日、私はサラリーマンを辞めてうえろくに入社しました。 当時は会社は赤字で給与はありません。 平成12年4月1日から介護保険制度が施工され、それに伴い松下電工(現パナソニック)が福祉用具、介護機器レンタル、住宅改修を制度ビジネスとしてフランチャイズ加盟を募集しました。 平成11年5月当社は全国3番目で加盟しました。 およそ人口30万人を1店舗区画としての募集です。 当社の営業エリアは店舗所在の天王寺区および隣接区でした。

この事業モデルは大手広告代店の企画のもとに事業化されましたが、フランチャイジーにとって収益源は介護機器のレンタルで用品販売は収益源としてぽりゅうむが出ず、住宅改修は一人親方の工務店との価格競争になります。 フランチャイズに加盟していない同業他社はレンタル中心に事業展開して高い収益と安定証券を確保しました。

一方松下電工のフランチャイズ(以下FCという)は松下電工がもともと建設資材に強く住宅改修をFC本部として推進しました。 住宅改修は価格競争が厳しく和式便器の洋式便器交換はチラシで14万円などと広告されているときに50万円ぐらいの見積もりになりました。

一方利用者側の視点に立てば住宅改修が有効な環境整備もあれば介護機器の利用が有効な場合もあります。 収益性から方法を偏ると理想的な環境整備から外れることになります。 フランチャイジーにとっても収益確保から好ましくありません。

これではこの事業はフランチャイジーとしては継続できないと考え離脱を決意しました。 FC契約は簡単に解約できない内容で、弁護士に相談に行っても松下電工の法務部と聞いて丁重にお断りします。 当時の松下の法務部は日本で有数の力を持っています。

契約解約以外に安定仕入先の確保があります。 一番は介護機器レンタル卸、新規に取引を開始しても利幅は小さいものです。 またレンタル卸業界が成熟しておらず介護機器のレンタル卸は発注後しばらくして(倉庫に確認に行って)欠品ですと回答してきます。 頭にきて卸に怒鳴り込んだことがありますが卸の担当はなんで私がそんなに怒っているのか理解できないようでした。 その後その卸とは取引が減少の一途をたどりました。

FC契約解約の最後の障害は営業職員のFCに対するシンパシィです。 社内でFC解約を考えていたのは私だけで職員に相談しませんでした。 そんなある日FC本部から1通の封書が来てレンタルの仕切りを数割上げるというものでした。 継続取引の仕切り価格についてはどの業界でも双方の合意形成が必要で、FCシステムでは本来本部仕入れを強要されています。 すぐにC本部を運営する会社の社長に電話して面会しました。

「一方的な値上げは受け入れられない、」と言うと「法務部と確認し違法性はないと回答を得ている』、「これでは契約解除しか生きる道はない」と言い物別れに終わりました。

しばらくして呼び出しがあり、FC本部に介護事業の管理職数名と訪問しました。 くだんの社長が出てきて私が契約解除も辞さないといったのを盾に「契約解除の申し出は受け入れる、口頭契約も契約である」と高圧的に通告され、嫌みを言われ、階段を一方的に打ち切られました。 大企業対零細企業の構図そのものです。 帰社途上本部にシンパシィをもっていた介護事業の幹部は一転して本部に反感を持ちました。 これで最後の課題は解消し、FCを離脱しました。 早速屋号を決めなければならず、3カ月ほどの期間で新規屋号での業許可の申請などをへてFC離脱の翌日からFC離脱の案内を取引先に出し、介護機器の入れ替えを案内してゆきました。 毎日レンタル品の引き上げを行い新たな取引先のレンタル品を納品してゆきます。

そうして数カ月が過ぎて取引先の減少は全くなくレンタルの粗利が大きくなり各店の損益が大きく改善されました。 FC解約の影響は全くと言ってよいほどないどころか逆に取引は拡大してゆきました。

その後FC本部からFCのマーク、名称を使っていないか厳しく問い合わせがありました。 名称やマークは商標登録しているのでわかりますがFC当時の名刺はすべて廃棄し営業車の表示も変えました。 むしろブランド力のない松下・・・は消し去ったほうが良いと思っていましたがFC本部はそのように考えていなかったようです。

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[会社運営]

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会社経営2

 前回のブログで代表をしていた時のお話を始め、今回2回目です。 前回のお話は経営者の仕事は責任を取ることをテーマにしました。 その続きで経営者は責任を取るためにどのようなことをするかが今回のテーマです。

経営責任はすべて結果に対してのもので、当たり前のことですが好ましい結果が出なければ責任を取らざるを得ません。 かつて山一證券が倒産したときの社長の記者会見で号泣しながら『社員は悪くない』と社長が絶叫されていました。 その社長は会社が倒産することが見えてきたとき突然と社長に指名されたそうで、なんで私がと思われいたようです。 シャープや三洋電機のその後のルポルタージュを読むとよく似た話題が出ています。 最悪の結果が想定された時点で彼ら社長は会社の実態も知らされずいけにえにされたような印象をもちました。 自分が小さい会社ながらも代表をしていて背筋の凍る思いでした。

当社は私が代表就任後幸いにして業績が良くなり、売り上げがどんどん増えてゆきましたし損益も黒字化しましたが、就任時には債務超過に陥っていて金融機関からの負債も少なく(借り入れができなかった)、仮に倒産しても泣いて債権者に謝罪することは免れたと思います。

当時あるフランチャイズに加盟していましたが、本部仕入れの支払いは松七五三良く15日現金払いでした。 一方売上の大きな比重を占める介護保険関係の回収は月末締めの2か月半後でした。 つまり保険事業を行えば行うほど資金はショートしてきます。 資金残量は月末がボトム、月半ばの現金は1千万円ほど、月末の支払いは1200万円が想定され、支払い不能を覚悟しました。 もちろんその半年前から資金調達の準備を進め、銀行に借り入れの申し込みに行き、国金の借り換えなど検討しましたが、保証協会の転貸融資のみ可能ということで安心していました。 ところがいざ申請に行くと一部の不正経理が発覚し、融資がかないませんでした。

つてを頼りに知人や親戚まで金作に走りましたが誰も応じてくれません。 絶望し、自殺をして生命保険、損害保険の保険金で賄おうと決心しました。 資金ショートする月の下旬、今週の金曜日に車の事故で自分は死ぬと決めた月曜日、自分の父親が逝去しました。 自分の父親(晩年は仲が悪かったのですが)が死んで私は命が助かったと思いました。 結局相続財産から会社に貸し付けを行い事なきを得ましたが、その額300万円でした。 自分の命が300万円、何やら情けなく思いました。

上位仕入先2社のトップに面談したときたまたまこの話が出て、2人とも結ってくれれば支払いを猶予したのにとおっしゃっていただきました。 しかしその時追い詰められていた自分は気が回らなかったし、仮に気が付いても支払い条件は絶対と思っていましたから頼みに行けなかったかもしれません。

その後も業績は順調でのちに資金がショートすることはなくなりました。 自分にとっては経営者が責任を取るということをそのように考えていて、随分馬鹿な経営者だったと思いました。

経営責任を取る方法はいろいろある選択肢の中から決めることです。 結果が上手く行けばその経営者はサイコロを振って決めていても「すごい」ということになります。 結果の責任は称賛に代わります。 しかしサイコロを振って意思決定を続けていていつまでも勝ち続けられるものではありません。 経験からここ一番の意思決定の勝率は1から2割程度です。

勝った1~2割の成功は周囲の人から称賛の目で見られます。 しかし経営者は少なくとも私は失敗した8~9割の決定についていまだに夢に出てきます。 成功したことは忘れていることすらあります。 勝った喜びより負けた悔しさ、他人対する感謝より憎しみが忘れにくいものであることは心理学の実験などで話題になります。

しかしそれだけ低い勝率であっての意思決定を恐れたことがなかったのは自分の誇りです。

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[会社運営]

会社経営1

 私は会社の一線を退いて6年ほどたちます。 その前は代表として16年ほど今の会社の代表をさせていただきました。

このブログも代表をしていた時にスタートしましたが、政治・宗教・会社の話題は極力避けてきました。 ブログを始めたきっかけは労働集約型の事業を営んでいて職員採用が事業の存亡にかかわると思いこんな面白い経営者がやっていることを知らしめることでした。 果たして私に興味をもっていただいて入社を決めた人がいたか定かではありませんが時々あの記事はどういう意味かと電話で問い合わせがあったりしました。

私は仕事の一環として日本経済新聞電子版を丹念に読んでいます。 その中で経営者のブログというコーナーがあって著名経営者が連載されています。 やはり政治・宗教の話はかかれませんが仕事にかかわる話は書かれています。 きわどい話もありますが大きな会社の経営者はきわどいことがきっと中小企業より多く、きわどさが鈍感になっておられるのかもしれません。 その方もリタイアされてから書かれています。

私は秋田で在宅勤務ですが、相談役というのはおまけの役職なので来たメールを読んで仕事にかかわる本を読み、後は新聞を読むだけの閑職です。

私が会社に帰属していることを知らない職員人も多く、大阪に帰り私も顔も知らない職員からあいさつされて『浦島太郎』をイメージしてしまいます。

それくらい存在感がぼけてきたのでそろそろ仕事の話、何を考えて経営の仕事に携わっていたのか書いてもよいのではと思い、連載することにしました。

経営者の仕事について世の中で誤解されていることが今回のテーマです。 経営者の仕事内容は何か?といったときに私が一番最初にイメージすることは責任を取る人だということです。 日本の会社法では取締役は株主から経営を委任されていることになっています。 民法の委任契約で雇用契約のように指示・命令されることはありません。 事業運営を行い利益を上げて会社を継続させる=Going concernことです。 自由度は高く(就業規則の制約はなく労災の適用もありません)、好き勝手に仕事をし好き勝手に破綻しても法律に違反していなければ会社を潰してもお咎めがありません。

これだけ見ればやってみたいと思う人が多いかもしれません。 私は半世紀以上も前に生まれ、将来会社の社長になりたいという人が周りにたくさんいたように思いますが今は若い人に今度の株主総会で取締役に就任してくださいと言えば辞退する人は多いと思います。 どうも社長の仕事は大変な仕事というイメージやとんでもない才能が必要と思わせる人が多いせいだと思います。

私はやってみて経営者の仕事は単純な業務の繰り返しだと思っています。 あくまで私見ですが、薬局の床が掃除されていなくて歩くと埃が舞うので開局前に掃除してくださいと薬剤師に言ったら残業代が出るのですか?と返ってきました。 仕事の一環だから残業代を出すのは当然として医療従事者として不潔な環境で仕事をすることに疑問を感じない人に国家資格が付与され、高い給与払うのは苦痛でした。

そこで私は結構です、私が掃除をしますと言って5年ほど開局2時間前から掃除をしました。 薬局はきれいになり、薬剤師も入れ替わり掃除を進んでやってくれる薬剤師に代わってゆきました。 5年が長いかどうかわかりませんが経営者として薬局の環境を変えることが出来ました。

ある時時間のかかる処方にしびれを切らした患者様が「なんで時間がかかるのか」と怒り出しました。 時間のかかる処方もあるのですが知溶剤していた薬剤師が「薬にゴミが入っていて」と言い訳しました。患者様はここの薬局はごみの入っている薬剤を使っているのかと激怒しました。

この話がもしこじれてしまえば代表である私が責任者として謝罪に行きます。 これでお分かりと思いますが代表者の仕事は責任を取ることにあります。 責任さえ取れれば会社にいなくてもだれも咎めません。 責任を取り会社がうまく回ればよいのです。

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