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理系

あるメガバンクの担当が新人で1年以内に替わります。 交代のあいさつに来られた時に出身大学と学部を聞くと理系がほとんどでした。 銀行で理系はマイノリティーかと思ったら最近入行した人の過半数が理系の出身とのことでした。

社内の会議で何か問題解決に向けて協議しているとき、『課題は何か? 解決策は何か?』と私が聞きます。 『解は見つかっていない』と答えが返ってきます。 初めはそれほど違和感がなかったのですが、だんだん使い方に疑問を抱くようになりました。

『解』とは何か、解答、解決策の事でしょう。 質問に応える回答ではなく疑問の解決策が解答、つまり解いたもの、少し飛躍すれば問題に対して明確で唯一の正解、真理などのイメージが付きまといます。 さらに飛躍すればこれを使う人は課題の定義が厳密であれば答えは一つという事でしょうか、まさに自然科学的です。

一方文系の発想、解は往々にして複数に及びます。 文系社会においても解答の厳密性を求める法律の世界で、同じ訴訟で裁判結果が正反対になることがあります。 判事は吟味に吟味を重ね、判決に至る論理構成は整然としているはずです。 同じ事件と証拠をもとに同じ法律と過去の基本判例に照らし合わせて正反対の解が出てしまう、それが社会科学の特徴です。 見方を変えれば多様な要素の中であるべき結果を推定することになります。

一方自然科学は多様性を排除し、温度、気圧、時間など測定可能なものを一定にした再現性を求めます。 先程の裁判の例では不可能なことです。 もちろん自然科学でも多様性を排除できないもの、地震の予知、天気予報などは厳密な再現性を見出せません。

日常の社会現象、例えば会社の経営判断などがより自然科学的になれば解は精度を増し、気が付けば会社の社長はAIが完璧にこなしていることになるかも知れません。 会社経営は気象や地震より多様性はないもののかなり単純です。

最近社会科学や人文科学の人気が低迷し、これらの学問は無くしてしまえばよいという乱暴な意見も聞かれます。 文学作品の解釈に数学を応用して理系のツールを使ってみるとか学問領域の融合がより進むのでは、もしくは私が知らないだけですでにわれわれの年代が学んだ学問から想像もつかないことが実際の研究の現場で起こっているのではと想像します。

経営者が総て文系の会社と理系の会社のどちらが生存率が高いか調査を見たことはありません。 理系中心の成長企業の取締役会が経営判断の根拠をすべて関数で行っているわけでもないでしょう。 理系の発想をうまく応用できるかが良き判断の根拠になると思います。

一方で古典である孫子の兵法やドラッカーの考えが経営の現場でまだまだ主流であることも事実です。

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