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田舎暮らし

田舎に暮らそうとするアクティブシニアが増えているように思います。 知人にこの話をすれば『そういえば友人が一人田舎に引っ込んだよ』という答えが返ってきます。 ここでいう田舎とは都市部に対抗する言葉で、本文では過疎地として理解してください。 過疎地の定義はというと人口密度が低いうえに人口流出が続いていている所です。

私は若い時から都市部に暮らしてきたので漠然と自然の残る過疎地に暮らすことに憧れを抱いていました。 その感覚の延長線上で山登りやオートバイの過疎地でのツーリングを趣味としてきました。

自分以外の人で同様な行動をする人について木原武一氏著の『老年よ、わがままに生きよ』、『よく生き切った人たちの物語 人生最後の時間』、『孤独の研究』を読むと古今東西著名な人たちが人生最後の時をどのように生きたか書かれていて、幾人かは田舎暮らしをしています。 登場する人は著名な人、少なくとも私は著名な人ではないので彼らのように社会のわずらわしさに悩まされることはありません。 人により最後の人生を楽しみ、人により退屈な余生を送られています。

高齢者介護の仕事をしていてリタイアした人が余生を退屈している人に多く出会いました。 時間の有り余る余生は趣味に生きようとしてゴルフや釣りや登山や将棋など余生になってもできる趣味に没頭できる経済力があっても没頭している人にはほとんど出会えません。

思うに趣味は職業と違いいつでもできでいつでもやめる事が出来ますから毎日やり続けると飽きてしまいます。 登山が好きで山岳雑誌に寄稿し、原稿料で暮らすなら年間200日山にこもることもできるでしょう。 釣りが好きで田舎に暮らして漁業権を取得し、毎日漁に出て生活の糧にするなら余生の人生でも楽しく暮らす事が出来ます。

ヒントは趣味が所得を生むこと、その所得がなくては生活に余裕がない事だと思います。 生活に余裕がないから頑張らなければならない、そしてうまく行けば所得に余裕が生まれる、それが生きがいにつながるという構図です。

そのようなライフスタイルをなぜ過疎地でやらなければならないか、過疎地の家や土地が安く変えること、うまく行けば漁業権など買う事が出来る、都市固有の誘惑や支出が少ない、自然が豊かで環境が変わることなどメリットとして考えられます。

不便と考える人は多いでしょう。 過疎地をオートバイで走っていて、例えば能登半島ではコンビニがほとんど見当たりません。 そんなところでもクロネコヤマトのトラックが来るので本当は不便は少ないと思います。

 

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