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考える

身近な人を観察していて人はあまり考えないものだと思いました。 自分の中で『考える』という事は課題や問題の解を出す事と思っています。 もちろん考えるという事がそれだけではないのでしょうがここでは解を求めることとして話をすすめます。

会社において問題や課題は常に現れ、処理して行かないと会社運営はできません。 現場でも中間管理職の段階でも経営でも発生し、大きな問題から小さな問題まで、緊急のものから答えが出ればいつでも良いものまでいろいろです。 大抵のものは過去の経験から自動的に解が導き出され、日常業務の中で処理されます。 過去の経験知はデータベースにあるファイルのようなもの、解を導き出すのはデータベースをひっくり返して一番ふさわしいものを引っ張り出すことに似ています。

この作業自体は考える事ではなく作業です。 適当な経験知が見つかれば過去と今と問題を取り巻く環境に変化はないか、関係することに違いはないかなど検証します。 過去の経験知と全く同じであれば答えは自動的に決まります。

しかし問題に関係する人や規模が違えばそのまま過去の解を適応してよいか判断が必要になります。 要は問題をその本質を理解することが必要になり、大抵は過去の案件と程度の違いという事になります。

しかし前例の無い問題が起こったり、同様の問題であっても問題をめぐる環境が前例と大きく異なりもはや程度の差では片づけられなくなった時、かなりの推理を行い判断することになります。 ここで持ち出す前例がとんでもないものの組み合わせだったりして導き出される解は大きく異なってきます。

有効な発明、戦争における劇的勝利を収めた戦略、駆け引きなど天才的と呼ばれる判断も考えること=前例検討によって導き出されていると思います。 結果の判断に新規性があってもあくまで前例の組み合わせと少しの推定でなされたものです。

この訓練は学校教育も同じと思います。 何とかの定理、関数、何とかの法則などを正確に覚えて模擬問題の解を導き出すことが訓練されます。 訓練対象となる問題の解を導き出す方法は単数または複数、解は一つにならなければ訓練の成果は測定できません。 社会に出てもおおむね多くの業務の解は一つに落ち着きます。 ところが解が複数の世界では選択する前例の種類と内容、推理のセンスが成果を大きく変えてきます。

センスも経験の積み重ねと思います。 ある種のセンスの働かない人は働く人に比べてある種の経験がないと思いますが、その経験がスポーツを熱心に行ったとか海外旅行に行ったとかではなく複数の経験だと思います。

人が経験できることに限りがあり、経験を豊かにするために本を読んだりします。 私は過去の自分の趣味が山登りであったため山岳小説を読むと主人公に自分をあてはめて自分が主人公になったつもりで疑似体験が得られます。 小説の作者は主人公を通じてメッセージを次々発し、罠を仕掛けて感情移入した読者を翻弄します。 私は作品を読みながらワクワクし、もだえ苦しみ、厳しい判断を迫られます。

主人公は反政府活動家で中国のヒマラヤ山脈のある5000mの氷原を逃げまどい、政府のヘリコの爆音に身を隠す場所を探しますが岩陰もなくくぼみに身を伏せます。 感情移入した私は雪原のくぼみがヒドンクレバスと分かり、踏み抜いてくれバスの底に潜みます。 ヘリコは高高度では空気が薄く5分とホバリングが出来ないのでひたすら息をひそめヘリコの立ち去るのを待ちます。 雪原の足跡は雪が硬くで目立たないのであとはクレバスにあけた穴を発見されるかどうかです。 ページを読み進むうちに5分が過ぎ、作品でもヘリコは何も発見できず飛び去ります。 私の手は緊張から汗ばみ、クレバスから這い出る方法を考えていると作品は別の場所の話に展開しています。

このような疑似体験を繰り返すことで考えられるセンスは磨かれてゆくと思います。 しかし映像は疑似体験という意味では少し違うように思います。 読書は活字しか見えない中で極寒の世界を想像し、感情移入します。 この想像体験が重要と思います。

ネット検索が盛んになり、多くの人は前例になる情報収集が熱心でその使い方について訓練が熱心ではありません。 頭の中で情報を整理し引き出すことは機械的作業、それも大変重要ですし、情報の価値を見抜くために必要ですが、多くの正確な情報を月並みの組み合わせで解を導くやり方は限界があると思います。

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