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人格者

 採用面接で30歳くらいまでの人に『会社で何をしたいですか?』と質問します。 2割くらいの人が『自らの成長を目指します』と答えが返ってきます。 そこで『では成長するとはどういうことですか?』、『部下を指導できるようになること、仕事で信頼されるようになること』などの答えが返ってきます。

成長することは仕事が滞りなくできること、であって人格的な成長を話題にする人はいません。 私は喧嘩でのしてきた友人から『男を磨け』と言われた事があります。 この言葉は明らかに人格を磨くことを意味しています。

経験上仕事ができること、部下を指導できること、周囲の人から信頼されること(ただし仕事で)より人格的に優れていれば単に仕事ができる人よりスムーズに仕事がはかどる事があります。 少し話をして相手から理解され、私の深みを垣間見れた人は何度も私に会いたがります。 そのような体験を何度もすればひょっとして自分は人格的に優れているのか、と錯覚します。 相手は仕入先であれ販売先であれ、私のファンになります。

最近になり私は人格的に優れていないことに気が付きました。 少なくとも私が思う人格的に優れし人は私のように感情に翻弄されることなく生産性が高いです。 何かを成すにあたり反対意見を主張する人、阻害行動を起こす人などなすべきことの成否は人が介在します。 いちいち腹を立てるのは非生産的であること、人格者は反対意見を無視できるように思います。

昔一見人格者、当たりもソフト、人の嫌がることはしません。 よく観察しているとその人は自分の趣味以外になすべきことは何もしません。 保守反動で魅力を感じることはありませんが、多くの人が人格者として評価していました。 結局人格者に見えるエゴイストで、逆にエゴイストでも人格者の振りをすれば人格者に見せられる、しかし人格者ではないのでその人の行動から敬意が払われる行為行動は一つとしてなしえませんでした。 多くのひとが惑わされ、本人は一見得をしているようでも長期で見れば本人は得をしていません。

人格とは抽象的なもので、人格者が人生を歩んでいけば皆が得をする、すぐに得をしたかどうが解らないが時間が経てば得をした事が解るそのようなところがかろうじて見える部分、それを人と人の係わり合いの中で垣間見えれば人は大きく期待してしまう、この人は実は凄い人ではないかと。

私がその体験をしたい状多くの人が同じ優れし人格を持っていて他の人に見せられるかどうかが大きなポイント、皆が見せ方が上手くなればきっと先ほどの一見人格者は影を潜めることになろうかと思います。

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