監査役BLOG

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変人倶楽部

 自分の生活習慣を振り返ってみるとパターンの繰り返しになっています。 朝起きる時間、出勤する時間、通勤で読む小説、会社での雑事、少し早い帰宅時間・・・・就寝まではほぼ同様の繰り返しです。

日々の予定と毎日何をしたか手帳に書いています。 すぐに書けばよいのですが翌朝早くに出勤して書き足しています。 昨日、誰かとのちょっとした会話を翌朝思い出そうとして思い出せないことがあり、老化が進んだかと思い昔を思い出して『昔もそうだった』と思い直しています。 つまりは関心の薄いことを記憶しない性格のようです。

好奇心は強い方だと思いますが、一般に興味を持たれること自分が興味を持つ事がずれていて関心が無ければやはり覚えていません。 ここでも何度か書きましたが家にテレビがなくても何とも思わないのはテレビの番組が一般的な興味の最大公約数をもとに作られているからでしょう。

私が最近嵌っているチャンバラ小説はテレビでも時代劇として製作されていますが、原作を映像向きに脚色されたものより作者の意図が残っている原作を好みます。 脚本家により原作をしのぐ作品に仕上がったものも多くありますが、映像のリアル感が文字表現に勝った作品で話題になっています。 コンテンツより映像でしようか。

私同様関心事が一般的でない人も多いと思いますが、ほとんどの人がテレビを見ています。 親しい友人にテレビばかり見ている人がいて、会うとテレビを見て感心したことを話してくれます。 話題の殆どはテレビから得られています。 その人は自分のアイデンティティをテレビから拾い出して表現しているのでしょう。 私はこういう価値観をもっているとか。

かつてテレビのような媒体が無かった時代、情報の少ない地方都市に暮らした人は情報の少ない田舎者と揶揄されていました。 私のようにテレビを見ない者は『テレビ見ない人』、もしくは『非ネット人間』(私の場合ネットは見ますが)として揶揄されるのかもしれません。

私がテレビやネットに関心が薄いのは日々の生活でほとんど役に立たないからです。 旅情豊かな鄙びた温泉町、海外の美しいリゾート地、美味しい料理、有名人のゴシップ、事件の解説、ネットでは批判的な記事、独善的評価など知っていても世間話のネタにしかならないように思えます。 しかしメディアの影響力は大きく、最近ではアラブの春を引き起こした携帯の普及などテレビの番組のように制御された情報に無い破壊力を感じます。

では小説を読んだり、新聞を読んだり、映画を見たりすることがテレビ以上に役に立つ理由は何かというと個人的には解説が少ないことです。 解説は評価だったりして小説を読んでいて善良そうな悪人がカッコ書きで実は悪人ですとばらされたり、登場人物の発言が別の登場人物を傷つけたと解説されても読み進む気が薄らいでゆきます。 テレビをよく見る人は想像するより一般的な評価を手っ取り早く知りたい人が多いと思います。

私は自分の生き方を考え抜いて貫いているつもりですが、良識ある知人から変人クラブと言われいささか心外でした。

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