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 最近知り合いになった人に私が67歳の誕生日を迎えたとき「年齢を重ねると今ま出来たことが出来なくなってくる、あなたには実感できないだろう」と言いました。

その人はすでに56歳、しかし元気で元々スポーツを熱心にしていて身のこなしも軽く、まだ老化を意識しないでいる人です。

瞬間にかえってきた答えが「実感できなくとも想像できる」というものでした。 私が同じ問いを周りの人に発したとして予想できる答えは次のようなものです。 もし会社の人や取引先の人であれば『いやいや、まだまだお元気じゃないですか』、関係が薄い人であれば『元気そうに見えるけど』、『そうなんですか』になります。

最初の答は私が老化で困っていることを無視して元気づけようとしています。 私は別に励ましてほしいわけではなく、老化に落ち込んでいるわけではなく理解して欲しかったのです。 相手は老化を意識していない年齢で10年年上の私と話をしています。 私が実感と言ったのは感じられ共感する意味です。 老化を感じるものか思い知るものかは別として、老化を意識しない年齢の人には考えたことのないテーマですが、その人の周りには老化がテーマの人はいるはずです。 例えば両親の顔の皺、祖父母の立ち居振る舞いなど見ているはずです。 高齢者を見たことのない人はいないでしょう。 だから想像できるのです。

『想像できる』と聞いた瞬間にコミュニケーションが成り立ったことを実感しました。 私が『実感』という言葉に慰めや励ましを求めていないことを瞬時に認識し、『想像できる』と答え、私は私の気持ちを理解されたと感じました。

もし私が30年未来からやってきて深夜のコンビニの前に座ってタバコを吸って漫画を読んでいる金色頭の若者に『俺は30年の未来からやってきた』と話しかけたとします。 そして相手の若者が漫画の読みすぎで30年の未来からやってきたことを信じた時のリアクションはどうでしょう。 まず実感はないでしょう。 想像できるとは考えられません。

『想像できる』とは、もしくはここで言うコミュニケーションが成り立つことはどのような意味があるのか?

老化のやり取りで「まだまだこれからですよ」は無難な外交辞令、その人が悔いはなくとも辛い仕事を長期にやり切りほっとしていたらもっと辛い思いをしろととられるかもしれません。 外交辞令は相手の意図がわからないときの最大公約数の無難な答えです。 それはあなたとこのテーマで深いコミュニケーションを取らず、距離を置きますよと宣言しているようなものです。

相手の意図を察知して深いコミュニケーションを図ろうとすれば言葉の解釈からもめてしまう場合が多く、外交辞令は発達します。 10歳年下の人は10年後の老化について深い知見を得られるかもしれませんし、金色頭の若者は自分の生き方を変えるきっかけになるかも知れません。 10年後の自分も30年後の世の中も異次元の世界です。 同次元の人と知識・情報が自分の成長や展開に与える影響は大変小さく、保守的になる傾向があります。 そもそも異次元を想像しないわけですから。

 

 

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