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人間関係

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自分を変えること、他人を変えること

『他人と過去は変えられない』と言われています。 ならば自分は自分で変えられるか、私は変えられると思います。 何のために変えるのか、より望む自分の姿、理想を追求するがゆえにです。

何も考えない人がいて、友人もいず、仕事も上手く行かない、今のまま生きていても生き甲斐を感じることもないでしょう。 それでもその人は今のまま生きていて、ふと『これてよいのか』と思うことになります。

人との関わり合いが全く無ければそのようなことを感じることは少ないでしょうが、人との関わり合いの無い生き方は稀でしょう。 ドラマを見ても幸せな人のシーンは出てきます。 喜びのシーンもありまかす。

そもそも何が幸せで何が喜びで何か悲しみや苦しみで、寂しさであるか考えなくても感じることがあると思います。 その感性を否定して生きるには社会は複雑です。

私は自分の理想像がこの歳になっても明確に描けません。 だれだれのような生き方を目指すとか、何々を成し遂げて金持ちになったり尊敬されたりというのは強く思いません。 お金は嫌いではないし、敬意を払われて悪い気はしませんがそれを目指すことに抵抗があります。

経営の仕事をしているので会社経営をうまく行いたいというのは強くあります。 そのために行うべきことを考え、何年もノートに書きこんでいます。

もっと社会に貢献する方法とか経営を安定させ、職員の皆さんが幸せになるすべを考えます。 自分がこのようになりたいと考えが及ぶことは少なく、このように会社を運営してゆくうえで自分はどうあるべきか、ということは考えてノートに纏めます。 たとえば会社の組織編制に違和感を感じた時は組織運営の本を読み、異業種交流会で他社の社長がどう考えているか聞き出したりです。

つまりは見ているのは自分ではなく、自分を通して運営する会社を見ます。 別に機械があるわけではなく、会社を見るということはその職員と接することになります。 「この人はこのように考えれば仕事にやりがいを感じるのに」とか見えてきて、ついそのことを話したくなります。 しかし他人と過去は変えられないわけですから、話してもその人にしたら大きなお世話になります。

他人は変えられなくても職員の方と話すことを否定しない人が多くいます。 「誰々さんは最近仕事で悩んでいます。 彼の話を聞いてもらえますか?」と店長に言われれば聞きます。 しかし大抵は意味の無い会話に終わっています。 その人の心の中までわかりませんが、表面上は変化がなかったり、その人の個人成績が大幅に上がった場合もありますがその人が基本的なところで幸せ感が向上したり、自らの理想像を描いて成長して行ったりはしていません。

自分がノートに何十年も悩みや生き方を書いて少しずつ自分を変えてきたことを考えれば問題のある人も生きてきた年月、自分の考えをノートに書いてきたかは別にして考えてきています。 自分の生き方について全く考えない人は少なくともうちの会社にはいないと思います。

よく誰々の言葉に出会って自分の生き方が変わったという話があります。(もちろんその人にとって良い方向に変わったのですが) 私も多くの書籍や他人との会話から影響を受けます。

最近もゴルフに誘われ、その人の車に乗せてもらって話をしていてその人の話とその人の実際の行いに一貫性を感じ、納得したことがあります。 宗教の排他性についての話題ですが、その人は交友関係が広く、ゴルフでも思わぬ人とプレーしています。 しかし好き嫌いは強く持っておられ、嫌いな人とは付き合いませんが非難することもなく、つまりは善悪と好き嫌いは厳格に区別しておられるようで、その人の今までの行動や発言が納得できました。

人が他人から影響を受けるのは僅かの言葉と日々の行動、合わせて感じた時に『なるほど、』ということになるのでしょう。 他人の行動を見ているだけではだめで『なぜそうするのか』に納得のいく言葉も必要になると思います。

誰もが植物の種をまけば芽が出ることは知っており、生物の知識はそのメカニズムを解説します。 しかし実際に目にした発芽は感動的なもので、そのメカニズムを熟知して日々植物の世話をし、きれいな花を咲かせている人はその花の意味を語るにふさわしい人になるでしょう。

コメント

  1. まだこんな馬鹿みたいなブログ書いてるんですね
    自分の人間性をどれだけ高尚なものと捉えているのか…
    下から数えたほうが早そうですがそのあたりどうお考えで?

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