監査役BLOG

カテゴリ

生活

[生活]

孤独

孤独のイメージは介護業界にいるとまず独居老人を思い浮かべます。 一人で古い家に住んでいて、連れ合いは無くなり、子供は居てもどこか遠くに住んでいて連絡はほとんどない人です。

そこに長く住んでいて、数少ない銀所の顔見知りとあいさつするぐらいで人とのコミュニケーションは少ない人で、介護保険のサービスをしている我々も出会うことの多い人たちです。

若い人でも仕事場に行けば一人で黙々と作業をし、その作業も毎年同じ作業で作業ごとの打ち合わせもほとんどなく、仕事が終われば一人で帰宅する人です。 何か趣味を持っていれば休日にはその趣味で人との繋がりができます。

いま住んでいる大阪市の中心部では人が多く、買い物に出かければどこの店も人が大勢おられ、その中で一人孤独に買い物をすることになります。 古い家族意識が崩れて久しいですが、一方で人恋しく思っている人は多いかもしれません。 仕事では職場で食事会をしたり、取引先と懇親を重ねたり、家族関係が希薄になった裏返しかもしれません。 個人主義の歴史を持つ欧米でどのような感覚なのか暮らしてみないとわからないでしょうが、ハリウッドの映画でも独居老人が登場して同じような事が起こるのだと妙に納得してしまいます。

経営者が孤独とよく言われます。 取引先をはじめ職員との関係も濃密であるのに何が孤独なのか、と思った時期があります。 経営者の仕事は背負いきれない大きな責任を負いながら次々に決定を下し、結果に対する責任を持つことが仕事で、その点では会社の中で唯一の仕事をしている立場です。

決定を下す上でいろいろな人と会議での調整や取引先との折衝、その交渉方法の検討(私はよくロールプレイイングを紙に書きます)、本を読んだり調査をしたりします。 だから孤独など感じることはないように見えますが、多くの人が関与してそれぞれ意見が出て、意見を言わない人の意見を聞きただしたり想像したりして、よくもまあみんな意見が違うものだと感心します。

それはジグソーパズルのピースを床にぶちまけたようなもの、一つとして同じ物は無いけれど時間をかけてつなぎ合わせると一つの絵になります。 私は大抵完成した絵をあらかじめ描いていて、そのイメージでピースをつないでいきます。 どうしても見当たらないピースがあったり、途中で完成形と異なる絵が浮かび上がってきたりします。 多くの意見があり、誰もが真面目に大きな目標を意識して取り組んでいて、場合によっても対立すら生まれて悲しくなってきます。

何が悲しいのか、自分の考えに共鳴できる他人の考えがないこと、これは悲しくなるほどの孤独です。 天才の考えは一般に受け入れられず孤立することが言われますが、私は凡才、当たり前のことを考えているだけです。 孤立する天才は自分が天才であると意識しているのかどうか知る由もありませんが、凡才が凡才を意識しているがゆえに孤独感もいっそう募ります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

上に戻る