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希望

タイトルの言葉ほど重い話ではありません。 適当なタイトルが浮かばすに『希望』としました。

日常生活で以前出来ていた事が出来なくなった時のことです。 何が一番ショックか?

山登りを趣味にしていたとき、かつて日帰りで行った計画に再び日程の余裕をもってチャレンジし、失敗したことは20年たった今でも希望をくじかれた事件として鮮明に蘇ります。

この事件は加齢による体力を実感した体験ですが、実際にはそれほど体力が低下していたわけではなく2度目の時の体調が悪かったり原因があったと思います。 とはいえ最初にその山に登った時から7年程度後の計画で、体力が低下していたのは紛れもない事実です。

最近うんざりしたことは携帯電話です。 携帯電話が出始めたころからしばらくは機種が変わるたびについている機能を全て使っていました。 例えば着信音を自分で作れる機能があり、付属のマイクで録音した音を着信音にしてみたりとかです。 その当時は携帯にも取扱説明書がありました。

しかしスマートフォンになってから取説は無くなり、機能は携帯を操作しながら気付くようになりました。 いろいろ操作して『そういう事が出来るのか、』と気付くのは魅力的なことですが、いくつか実際に行ってみてなるほどと思いました。 例えば万歩計、階段昇降階数までわかるのですが判ってしまうとこんなものかと思い興味を無くしてしまいます。 結果の記録もできればいろいろカスタマイズできるようになっているようですが、興味がわきません。

私より歳上の人がアプリをダウンロードしています。 その人はヨットが趣味で日本の各港の潮位がいつでもわかるアプリを使っていました。 投資している株価が判る、相場が急変したら警告してくれるなど聞けば便利なことです。 つまりはその人はヨットを趣味とし、株式運用をしてこずかいを稼いでいます。 頭が良くて器用で人柄も良くて友人もたくさんおられます。 自分と比較して自分がとりわけ劣っているとは思いませんが、優れているとはさらに思いません。 見えている部分ではその人の方がはるかに優れています。 仕事でも記憶力でもかないませんが別に落胆することはありません。

その人が器用に使いこなしたりしているスマホや器用に処理している業務において競う気持ちが湧いてきません。

しかしいつも他人の器用な姿を見ていて自分は違うと思っても虚しくなることがあります。 自分もあんなに器用に出来たらよいのにと。 そこで一念発起してチャレンジします。 それがスマホ等の電子機器等では壁に当たって止まってしまいます。 他人に聞いて要領を得ても元々大して興味もなかったことですから『そうか』で終わってしまいます。

つまらぬ競争心から行動を起こしてもとん挫する例を自分で作ってしまいました。 もし本当に興味が湧いたらとことん追求するのが自分の癖、若い時に比べ低下したのはいろいろな事への興味や関心、体力や理解力、記憶力といった計測可能なものは鍛え続けていれば低下するにしても微々たるもの、鍛えればそれなりに復活できるものです。

しかしあらゆることへの好奇心は鍛えようがありません。

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