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価値観

[価値観]

記憶と想像

私は記憶力が弱くて、仕事でも学業でもずいぶん損をしたと思っています。 仕事では人の顔と名前、役職など覚える事が出来ません。 採用面接の仕事をしていて、いざ採用となりその人と配属店で会うと『いったいあの人は誰なのか?』、ほんの数週間前に一時間以上採用面接で話したのに思い出せません。

学生時代は反復継続して勉強することで覚えなくてはならないことを覚える事が出来ました。 人の倍努力すれば覚えられ、記憶力の良い人が普通の人の半分で覚える事が出来れば4倍の時間をかければよいことになります。 苦痛であっても対処は出来るのですが、人の顔や名前は倍の時間をかけてというわけにはゆきません。

先日、二人の人と共通の知り合いの話をしていて、二人はその知り合いに好感を持っていないのですが、私がその人柄の良さを古い逸話を話すことで再発見できないかと思いました。

たわいもない話で、一人の人はその話は聞いたことがあり、全く忘れていたといわれました。 そして『よくそんな話を覚えていますね!』と驚いておられたのですが、私も話題になっている人から一度聞いただけでよく覚えていて、その情景まで勝手に頭の中で映像化されていることに驚きました。

その人が犬の散歩をしているときに空手のけいこをしていて、犬にけりを入れて犬が失神したという逸話です。 私はその人が川の土手を夕方日没前に歩いていて、季節は夏で、犬種はこれこれで、路面は砂利道でとわずかな話から想像して映像化していました。 もちろん一生思い出す事が出来て、何度も思い出し、映像は鮮明化するものと思います。

別に楽しい話題や衝撃的な話題、興味深い話題ではないのですが私の脳がそのことを忘れないように映像化し、映像にタイマーがついて時々脳のシアターで映像化しているのです。 これが取引先の人や名刺であればどれほど役に立つのかと思います。 一度見たり聞いたりしたことは一生記憶にとどまると聞いたことがあり、忘れる事は思い出せない事らしいです。

それが全く正しい大脳生理であれば記憶したことが自らの価値観で思い出せたり絶対に思い出せなくしたりできれば受験や人の名前を思い出すことで苦労することも無いのにと思います。 私はこれらの事の研究者ではないですが、きっと自分の価値観に沿って脳の中で思い出すこと出さない事の整理を行っていると思います。

その判定の根拠となる価値観について、単純ではなく新たに起こるいろいろな事象に対処できるのは隠れて自ら気が付かない価値観や記憶がよみがえり、対処しているのかと思います。

日々生きていく上で自らの価値観に沿って判断し、行動しているわけですが、他人から見ればそれが好ましかったり好ましくなかったり、他人の持つその時を支配している価値観で判断していて、好ましくない事柄であっても潜在化している価値観と共に何かの折に顕在化してくるのでしょう。

それを訓練で今の生活に好ましい価値観のみを顕在化出来れば人間関係はスムーズになるのでしょうが、なんでこうなるのというシーンを考えればそれほど単純でもなく、日々の訓練や伝統的な教えによってバランスを欠いた価値観をリセットすることが良いのかもしれません。

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