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カウンセラー

大企業と呼ばれる企業の人事の人と話をすると職員の自殺やうつ病の話題が出ます。 大きい組織固有の問題なのか、その風土に問題があるのかわかりませんが一定の数が発生するようです。

それらの事件をすべてパワーハライスメントや偶然の失敗の責任追及では説明がつかないのかと思います。

話は変わりますが、私の従兄弟が私の父の実家のお寺を継いでいて、先日偶然話す機会があり、世間話をしました。 話が上手い、従兄弟を前にして普段他人に言わないことを言ってしまう、人の話を黙って聞いてくれる、こちらが話したことに対しての意見は真剣で切り込まれているような緊迫感がある、これは会社のカウンセリングで使えないだろうかと思いました。

人は仕事をする上で上手くいくような考えがその人を支配して仕事が上手くいくように思います。 周りで見ているとその業務に関して天性の才能でもあるのかと思います。

その一方でどうにもその仕事に向いていないのではと思うほどうまく仕事がこなせない人がいます。 その間の人が殆どで、営業であれば仕事は取ってくるけど事務処理は全くダメとかです。

上手くいくことは上手くいく方法が良いとその人が思っているからで、例えば常日頃人間関係は大変重要と思っている人が営業職であれば、多くの取引先の人から良い評価を得られ、人間関係よりはっきり意見を言う事が正しいと考えていて、そもそも正しいことをうまく言い当てられないために正しくないことをふれて回る人は全くイケていない営業として批判されます。

直属の上司や周囲の人は当然その人の行為行動を正そうとします。 本人も営業であれば結果が伴っていないので『何とかしなくては』と思っているので注意されたことに従ってよい結果を出そうと努力します。 そのような指導が上手く行かないことも大変多く、最悪は教える側も教えられる側も意地になり、相互に固定観念のぶつかり合いになっていることがあります。

そして大抵の事は本人たちもどこかで気づいていて、気づいている事すら心の奥底にしまっています。 自分の部下を何とかしなければいけないのだけれど今まで散々教えてやったのに人の言う事を聞かない、といった場合、相手もその人の言う事を素直に聞けないほど心を固いからで覆っているのでしょう。

仕事の事ですから上手くいくこと行かぬことは損得の問題とも言えます。 いつでも心を柔軟にして他人が投げかける事をうまく取り込めば仕事は上手く行くし、人間関係も上手く行きます。 そうすることでその人の人格が磨かれて尊敬する人になるかは別問題ですが、ちょっとした勘違いから仕事が上手くいかず人間関係で手間取るのは価値のない苦労に思えます。

自ら考えを変え、行動を変えて良い成果を生むようになればきっと人格が磨かれ始めるでしょう。 他人に対して単に仕事が上手くいくだけではないアドバイスができるようになればさらに人格が磨かれます。

従兄弟の話に戻って、従兄弟と話をしていると自分が磨かれているように思える瞬間があるのです。 お寺というのは宗教の場、従兄弟は自らの宗派の教えに従って私に影響を与えているわけではありません。 自分の体験から出てくる考えで私に対峙しているのです。 考える時間は十分あるでしょうし、考える能力も十分あるでしよう。 だから十分自分を磨くことが出来たし、発する言葉は真剣そのものだったのでしょう。 そしてそれも従兄弟の性格がそうさせているのだと思います。

僧侶は生きている人を救うことが仕事ですからカウンセラーは宗派を超えた仕事ではないでしょうか?

 

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