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西方浄土

私の従弟、父親の実家の寺の住職をしていますが、会社で講演をしてもらいました。 演題は四苦八苦、当社が医療・介護の仕事をしているのでこのタイトルを選ばれました。

講演内容は小話を重ねるもので、最初の話は『迷子の子猫』の歌の意味です。 迷子の子猫がニヤンニャン泣いて何かを訴える、それを犬のおまわりさんがワンワンと答え、何も通じないというものです。

人はそれぞれの立場で話をして、聞き手は自分の価値観で受け答えする、コミュニケーションは成立しないというお話です。 コミュニケーションの成立という点でよくある話題ですが、例示が犬と猫という点でインパクトがあります。 さすがに和尚、単純な話、単純であるがゆえに普段に意識しないことを印象に残る例を引き合いにされました。

このような難しくない話を自らの体験も織り交ぜてうまく伝えていただきました。 その中で宗教家らしい話として死後の世界の話題がありました。 仏教の世界では死後の世界は西に向かって果てしなく遠いところの浄土にあるとされています。 もちろん科学的に証明された世界ではなく心の内にある世界観です。

それを信じろといっも難しいと思われます。 しかし信じることができたら死に直面したときどれほど救われるか、私は救われると思います。 しかし信じなければ死に際し救われません。

和尚は信じることの方法は信じる以外に何もないと断言しています。 シンプルで腑に落ちました。

職員を管理職に登用する局面で、とても不安のある候補者がノミネートされたとき、心の中で葛藤があります。 代替案がなくそのまま登用して、びっくりするような活躍をする人がいます。 自分の目が曇っていたのか、何度も再考しても訳が分かりません。

私の持論は人は誰も等しく社会的な能力を持っているというものですが、管理職登用では持っている能力が必ずしも発揮できるとは限らないと考えてしまいます。

この局面で『信じるしかない』と誰かにアドバイスを受けて信じられるか、人は日ごろイメージできないことを信じることは難しいと思います。 私はもうすぐ63歳、死との距離は確実に縮まっています。 できれば西方浄土を信じたい、別に他宗教の死後の世界であってもよい、そうして安楽な死を迎えたいとこの話をきっかけとして考えました。 そのため何らかの宗教に入信したいとは思えません。 多くの先人の死生観はこの歳になって受け入れられるようになりました。

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