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認知症

 叔母が認知症になり、認知症に特化した施設に入所しました。 叔母は京都に住んでいたのですが、身寄りで近隣に住んでいるのは甥が4人だけです。 その一人が面倒を見てきて、私にも連絡してくれました。

 施設に面会に行きました。

 認知になったのは昨年末、その前後の記憶が混濁しています。 それ以前の記憶も怪しいのですが、私が誰であるか解ります。 最近になって夫である叔父がなくなり、甥がすべての段取りを整えることになりました。 その甥、私の従弟ですが、に頼まれ私が叔母にご主人の死亡を告げ、通夜に連れてゆくことになりました。

 認知の叔母にご主人の死を告げるのは辛い役回り、出向いて面会し、直截に伝えました。

 叔母の話では叔父は自分と離婚して若い人と再婚したことになっています。 死を告げても受け入れようがありません。 つじつまの合わない状態で『とにかく行きましょう、知っている人がたくさん来るから』といって連れ出しました。

 タクシーに乗ると叔母はテンションが上がり、『こんなに近くなら走っていけるじゃないか』と言い出し、20分ほどで式場につくとまだだれも来ていません。 しばらくして世話役の従弟がやってきて、東京に住むへつの甥がやってきました。 叔母の記憶にその甥の面影が残っていて静かに一礼しました。 私と並んで座っていて『そや、○○さんや、思い出した。ちょっと呼んできて』と私に言ったので、東京に住んでいる従弟を呼ぶと改めて挨拶をしました。

 その後、次々と見知った人が来て喪主である叔母に挨拶してゆきますが、叔母は話の辻褄が合わないまでも話をします。 挨拶をした人は叔母が認知になっていることを知っているので辻褄を合わせようとはしません。 叔母は私に騙されてここにきているのですと説明しています。

 通夜が終わり、施設に戻るとき叔母に『皆に騙されたと言うのはひどいじゃないですか』というと『冗談に決まっているやろ』とにっこり笑って私の腕をはたきました。

 従弟が『叔母が行きたくないと言ったら友達に合いに行きましょうと騙して連れてこい』と事前にアドバイスを受けていて、それを叔母は見抜いていたことになります。 恐るべし、叔母の洞察力、唖然としました。

 住んでいるのは認知症専門施設、叔母の周りは認知症の人ばかりで話し相手にもなりません。 ますます認知が進むでしょう。 毎日よく知っている健常者のひとと話をし、自分で生活すれば完全回復するのではと思い、従弟に話してみました。

 従弟は僧侶、医療介護の専門家ではありませんが、『そうかもな、それはそれで問題もある』とのこと、介護の専門家に聞くと認知の改善はありえても完全治癒はないとのことでした。 認知の改善は記憶、論理思考、コミュニケーションなど社会生活のうえで必要な能力が回復することだと思いますが、記憶が以前の半分まで回復したとか簡単な日常会話が通じるようになったとかではなく、ほぼ元に戻ったのにある瞬間に自分が誰だかわからなくなるような回復もあるようです。

 まだらに回復すると正常な時はこんな施設から出てゆきたいと思い、施設を退所して自宅に戻れば突然問題行動に走る可能性があり、それなら認知のままで施設にいるほうが安全ということになります。

 本人が自我を幾ばくかでも回復することは素晴らしいことですが、マダラの回復がもたらす代償はかなり大きいようです。
 

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