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憎しみ

 自分に不都合なことがあれば、それが社会規範に反していれば怒りが訪れます。 例えば車を運転していて信号無視した自転車が飛び出し、急ブレーキで事故を回避したとします。 それは信号無視というルール違反から怒りになります。 その時、信号無視していた人が携帯をいじりながら自転車を運転していて、こちらが急ブレーキで事故を回避したのに無視して走り去ったとします。 携帯をいじりながら自転車を運転することが重大な違反でないとして、罰則がないわけですからそれは憎しみにつながります。

 私の場合、憎しみはなかなか消えることはありません。 40年も前に自転車どうし接触したことがあり、どちらがも悪いのですが、『気を付けろ!』と言った相手への憎しみは今も消えることはありません。

 海外の紛争地帯でいつまでも紛争が収まらないのはそこに住む人の憎しみの連鎖が原因の多くを占めると思います。 政治的なスローガンを見ていると紛争をさっさとやめることが解決策に見えても憎しみが意地を張らせているように思います。

 誰もが憎しみを抱き、そうそう簡単に消えるものではありません。 取引先で何年もかけて値引き交渉をして成功したと思ったら通知書一枚で元の値段に戻す旨が記載されていて、 抗議しに行きました。 相手は大企業、こちらは零細企業、相手は強力な法務部もっていて、本件で訴訟になっても中小企業である当社におそらく勝ち目はありません。 

 法律違反のないことを前提にしても値引き交渉の根拠の一つとして変わっていないのに一方的に値引きを取りやめる態度は商習慣に照らしても正当と思われません。  当然取引は中止し、個人的にもその企業グループの製品は買わないようにしていますし、ことあるごとにその大企業がいかに悪意に満ちた企業であるか、話題にしています。

 フェアトレードが話題なる中でその企業が存続し続けることができるのはフェアトレードが日本のマーケットにおいても絵に描いた餅で、経済産業省がそのような商行為を規制する法律を策定しないのは中央省庁の大企業寄りの側面を示しているのでしょう。

 多くの企業がフェアトレードを目指し、このようなふるまいの巨利を得る大企業の取引姿勢を改めさせる交渉を粘り強く行えば日本の国際的競争力やよく話題になる生産性は向上すると思われます。

 個人の憎しみの話題に戻って、 こちらは損害や経済的損失の小さい話題です。 フェア、アンフェアの話題と言えなくもないですが、気持ちの整理をつけるべき話題でしょう。

 以前は憎しみのエピソードを思い出すたびに気分の悪い思いをしたのですが、60歳を超えてそのような感情の起伏が大きくならないようになってきました。

 最近、90歳の母親が 認知症であることが解りました。 8月の暑い日が続いたときに自宅で倒れていて緊急搬送され、短期記憶が完全に欠落していることから認知と判断しました。

 母は私よりさらに憎しみの感情が強く、何か不都合が起これば関係者のだれかに憎しみを抱き、自分を正当化するところが強かったように思います。 それが認知になり、誰がのせいにするよりも自分も悪い、愚かであったと判断するようになったのです。 某証券会社の口車に乗せられ、リスクの高い金融商品を交わされ、認知になってからその証券会社の職員を呼びつけ、全部解約を通知しました。

 今までであれば証券会社の詐欺だと憎しみを燃やすところでしたが、認知後自分がバカだったと反省しています。 しかも反省してそれで終わりで、余計なことをしなけりばよかったなどとくよくよ思っていません。 はた目には認知になったというより正常に戻った感がありますし、ずいぶん都合のよい認知と思います。

 私自身も憎しみや執念が弱くなってきたことを思えば程度はともかく認知症に 向かっているのかと思います。
他の人より憎しみに対する感情が強く働くことが、脳の劣化で弱くなった、暗算が下手になった程度のことでしょうか。

 憎しみ、執念が弱まることは生きてくうえでは楽です。 こだわることが少し減ったように思います。 他人の意見も素直に受け入れられることが増えました。 こうなればただのお人良し、経営者に不向きになってきているのかもしれません。 

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