監査役BLOG

カテゴリ

社会

[社会]

おっさんとおばさん

私は時々朝早くゴルフの打ちっぱなしに行きます。 4時過ぎに自転車で出発、約7㎞を1時間弱かけて走ります。 3階建ての2階打席、いつも同じ人がいたりします。 たいていはおっさん、おっさんどうしが楽し気に話を始めます。  延々と話は続きます。 聞こえてくる内容はゴルフの話、よくそれだけ毎日同じ話が出来るものだと感心します。

隣の打席で話を始められると喧しくてかないません。 他人の迷惑など考えておらず、毎朝早朝から同じ打席を占めるので離れた打席に行くことです。

話は変わっておばさんの話です。 私の近距離移動手段は自転車、自転車通行可の歩道は幅が広く、そこにいっぱいに広がって歩いているおばさんたちは他人の迷惑を顧みずゆっくり歩きながら話しています。 自分が自転車の邪魔をしていることに気づくと謝意の伝わらない言い方で『ごめんね』とか言う。

打ちっぱなし場に戻り、高齢のおっさんが黙々とクラブを振っています。 ストイックで、体も締まっています。

会社が入っているビルの掃除のおばさんはもくもくと作業をしています。 誰が見ているわけでもないのに手を抜くことがありません。 まるで修行僧のような感じを受けます。

おっさんもおばさんも陽気で話好きなひと、ストイックに何かに打ち込む人、ほとんどの人が二つのタイプの人に巡り合っていると思います。 仕事をするときも同じタイプの人たちを見かけます。 話好きな人が生産性が低いかというと総ての人がそうではないように思います。 話好きで、あちこちで無駄口をたたきながらもきちっと結果を出してくるおっさん、おばさん、ストイックにコツコツ仕事に取り組み、それなりの結果を出してくるおっさん、おばさん、当社にもたくさんいます。

自分もすでにそうですが、人生の晩年を迎えてあくせくはしたくない一方で、やりがいを求めて打ち込むことを持っていたいと誰しも思います。 60歳を過ぎて毎日打ちっぱなしに行き、多数のボールを打ったとしてもなかなかシングルになれるわけではありません。 それでも顔をしかめ、首をひねり、ひたすらボールを打っている人を見るにつけ、ほかに何かないのかと思います。 なぜなら平日の早朝から数多くボールを打てる人の多くは決してお上手ではありません。 わき目も振らず、打ち込める趣味は打ち込むことに重点があり、コースでのスコアに関心ないのだろうかといぶかります。

自分がもうすぐ介護保険証を貰うそれなりの高齢者になり、今更ながら生きがいとか社会への帰属を意識します。 だんだん我儘になってお付合いが面倒になると高齢者は組織に属して働かない場合はたちまち孤独になってしまいます。 孤独になると生きがいを見つけてそれに邁進する範囲が狭まります。 つまり生きがいや目標が描けず、孤独感がさらに深まります。

私はその入り口に立っていて、今更ストイックに毎日クラブを振る人生を選ぶ事が出来ません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

上に戻る