監査役BLOG

会社を見る鳥の目

経営者の目線で、日々の思いやできごとを綴っていきます。

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花冷え

 4月16日写、青森県弘前市岩木山

岩木山すそ野を周回する県道3号線はツーリングマップルには世界一長い桜並木と紹介されています。 そろそろ満開かと思いバイクで出かけました。 すそ野の畑は写真のような状態で、桜も咲いていませんでした。

能代市では満開の桜もあります。 弘前市の中心部にある弘前城はこの時ネットで調べると3分咲き、少し標高が高いと残雪が多いです。

数日前に暖気が流れ込み暖かい日が続きました。 能代市の南にある大潟村はかつて八郎潟という日本で2番目に大きかった湖を埋め立ててできた村で、干拓地の中の農道は直線が10㎞ほど続き、桜並木が続きます。 岩木山の桜を見そびれたので昨日見に行ってきましたが、風が冷たくバイクで走るのは寒くてたまりません。 桜は散り始めていて盛りを過ぎていましたが、10㎞の並木道は壮観でした。

まだ冬の痕跡が残る秋田の春ですが、すぐに夏になってしまうので美しい新緑の森を見逃さないよう頻繁に偵察に出かけています。 知人は5月連休に山菜狩りに出かけると言っていました。 根曲がりだけを取りに行くとのことです。 5月連休に出かけるのは雪が融けて山の中の林道に車で入れるからだそうです。 雪が融けるのと山菜が芽吹くのが同時期、そしてすぐに初夏が訪れるようです。

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 東北の春は短く、雪が融けるとあわただしく夏に向かいます。 つかの間の季節ですが、雪と強風に閉ざされた冬が透き通る青空の元春の兆しを運んでくることに感動します。

春を見に行こうと白神のフナの森公園にバイクで向かいました。 標高で100mほど登ったところで林道は除雪されておらず、一面べったりと雪に覆われています。 家では20℃を超える気温で暑いくらいでしたが、ここでは写真のように一面の雪で、道路の斜面の雪が融けたところにはフキノトウがたくさん出ていました。 持ち帰り、みそ汁に入れてみると苦みがあり、少しですが舌が痺れるような感じがしました。

写真の場所は白神の南端、里山になっていてこの先の林道終点がわざわざブナの森公園となっていて近世には人の手が入っていたものと思われ、写真のように杉が山を覆っています。

行き止まりの林道が通れるようになるのは1カ月くらい先のことと思います。 知り合いに山菜取りに行く人がいて聞くと5月連休ころに根曲がりだけを取りに行くとのことでした。 山菜もとれる場所が決まっていてそこに車で入れる時期に行くのだそうです。 根曲がりだけは笹の目で、一日でリュックに一杯取れるそうです。 この時期になるとローカルのTVニュースで山菜取りの高齢者がクマに襲われる話題が毎週報道されます。 秋にはキノコ狩りで同様のニューズか出てきます。

家から30分で行ける豊かな自然は秋田ならではで、山の入り口に立つ家はほとんど廃屋になっていて、これからますます本来の自然が広がってゆくことになります。 うまく自然回帰がなされればよいですが手入れのされない状態が続けば山はあれたままかもしれません。 厳しい気候は事前の回復に悠久の年月を費やすことになります。

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秋田の近景

 今日は天気も良く気温も高かったのでバイクでショートツーリングに出かけました。 自宅から海岸から内陸に入った県道を南に向かいました。 途中で見た人形です。 お公家さんのようですが首が折れています。

横にあったのはクマの絵が描いたもの、顔はかわいらしくありません。 他にも工員夫婦やおばあさんなど何のための人形か解説もなかったので判りません。 地元の人以外に誰も通らない県道、観光目的なのか鳥よけの案山子なのかもわかりません。 県道をそれて山に向かう細い道に入ると除雪していないため通行止めでした。 しかし田んぼでキジがいたり、ガードレールに隼がとまっていたり、沼に白鳥がいたりで自然豊かなところです。 ついでに家の庭には最近キツネが出没しています。

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近所のドライブ

 今日4月2日は曇りで降水確率も低いので近所のドライブに出かけました。 二ツ井というところから藤里町を南北に走る県道317号線を北上し、米代フォレストラインにを走る予定でした。 二ツ井は能代市の合併前は別の行政区でしたが家から20㎞東に離れたところにあります。 同じ能代市でも家の近辺は雪の痕跡がないのに二ツ井は高度は高くないのに雪は多く残っています。

山間に進んでゆくと田んぼは雪に覆われ、フォレストラインの入り口は通行止め、元来た道を引き返し、白神温泉に向かいました。 温泉に浸かり、南下して大潟村の道の駅に向かいます。 かつて男鹿半島の付け根には八郎潟という当時日本で二番目に大きな湖がありました。 面積は220㎢、大阪市は223㎢ですから大阪市くらいの大きさの湖です。昭和33年着工したそうですが、完成に20年かかったそうです。 今では広大な田園が広がり、私の好きな景色の一つで、こんなに広い田園は日本でも最大ではないかと思います。

干拓地の西側はなまはげで有名な男鹿市がある男鹿半島へて日本海に面しています。 海岸線には風力発電の風車が立ち並んでいます。

干拓地を走る県道や農道は幅が広く、ほぼ直線で田の畔も定規で引いた線のように直線です。 こんな大きな湖を干拓するのは食糧増産という政策課題が当時あったために必要だったのでしょうが、現代なら環境問題から実現しないプロジェクトだったと思われます。

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家の近くのツーリング

秋田の田園風景です。 稲の刈跡が残る田んぼの広がりと奥に林が見え、そのまた後ろに冠雪した山の頂が雲に覆われています。 秋田で幹線道路を外れると広大な田園風景と丘があります。 この写真ではわかりにくいですが近畿地方の田園地帯と比べいくつかの違いがあります。 まず田んぼ一枚の面積が広いです。 私が学生だった45年前の1枚の田んぼの面積は大阪で1反もあれば広いと思いました。 1反は300坪、約1000㎡、10アールです。 秋田で見かける田んぼは1枚がその10倍であったりします。 100mの広さです。 写真の田んぼもかなり広いですが周りの軽視で広さが実感できません。

写真では建物が移っていません。 送電線の鉄塔もなければ道路も映っていません。 景色の中の人工物が少ないです。

三つ目の違いはその広さ、奥の山すそまで10㎞以上の距離があります。 この田園地帯を時速60㎞で10分走って田園の端まで行くと丘があったりしてまた広い田園風景になります。 農道ですから車とほとんど出会うことはありません。 例えば谷合の5㎞四方の土地であれば25㎢、1haの田んぼが2500枚、田園地帯の片隅にこれらを耕す農家の方の住まいが集まっています。 それゆえ人工物はあまりありません。 このような集落が10か所で大阪市くらいの面積になります。

写真は実は家から160㎞離れたところで、後ろに見える山は2,236mある鳥海山、東北では有数の高い山、東北には私の知る限り岩で蔽われた高い山は少ないと思います。 耕作された田園は丘陵に囲まれ、そこには杉が生えています。

広い田園とその集落が果てしなく続いていると錯覚するのが東北の風景と思います。 広大な景色は北海道をイメージしますが、東北は別の意味で雄大な田園風景を見せています。

写真をもう一度見て頂ければここでチャンバラ映画の撮影があってもおかしくありません。 しかし北海道の景色の中でチャンバラ映画は背景が合いません。 東北の田園地帯は日本の田園地帯の原形が色濃く残されているように思います。

家の近所も似たようなところがあり、オートバイのツーリングはとても爽快です。 大阪にいると近畿地方で田園地帯を目指してツーリングに行ってもこの爽快感は味わえません。 たまに気持ちの良い田園集落に出会っても5㎞四方に農家100軒というようなところはありません。 比較すれば箱庭のようにも思えます。

東北の春は短く、今でも丘陵地では雪が残っていますが、ひと月後には桜が満開になり、夏になってゆきます。

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バイクツーリング

 2月末に雪掻きのシーズンも終わったのでシニア割引を利用して帰阪しました。 すぐに電話がかかってきて戻ってこいとのこと、大阪の用事を済ませて日本海側の天気予報を見ながら21日春分の日にバイクで秋田に戻ることにしました。 防寒性能の高いライディングスーツを着て朝の4時に出発すると京都までは良かったのですが滋賀から福井への峠越えの寒いこと、滋賀県側は深い積雪で低温でした。

福井県はまだ暖かでしたが石川富山は寒く、コンビニによってはコーヒーを飲みながら体を温めていました。 メットの中で鼻水は垂れてくるは手足の指はかじかむはで辛い走行になりました。

やっとの思いで新潟県燕市の宿に到着、650㎞の走行でした。 途中親知らず付近で雨が降り出し寒さもひとしおでした。 翌日用心してユニクロで買った厚手の靴下とユニクロのヒートテックの肌着を着て8時まで待って出発、新潟県中心部を高速で抜けようと北陸道を利用することにしましたが皆高速で走り、スピードを出すと寒さが厳しくなります。 日通のトラックの後を80㎞/時でついて走りました。

村上で降り、海岸沿いをひたすら北上、海の先に白い大きな山が見えてきました。 鳥海山です。 かつてノルデックスキーで山頂から滑った思い出の山です。

16時には家に到着、早速温泉に浸かりに行くとかじかんでいた手足の指はチクチクとお湯の熱さがしみます。

能代市は人口5万人に対して大阪市の二倍弱の面積です。 過疎が進んでいて大阪市に比べ事前が豊かである代わりにすかすかです。 都市部から移住してきた人は何もないと嘆いていますが、不満を言えばきりがなく、優れたところを探せば退屈することなく豊かに暮らせます。 次回は能代市の優れた生活を紹介してゆきます。

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田舎暮らし

雪に埋もれた我が家

秋田県能代市に暮らすことを田舎暮らしといえば秋田県人に叱られるかもしれません。 私は好んで能代に移住しようと思っており、大阪と往復しています。 いずれは能代に定住しようと思っています。 しかし能代で暮らした期間は合わせて半年程度です。

能代で知り合った人はなぜに移住かと不思議がりますが、まるで能代は住むのに良くないような質問です。 言われてみれば大阪にあって能代にない物・事は数多くあり、能代にあって大阪にないものは少ないかもしれません。 多少高くとも日常品は手に入ります。 珍しいもの、売っている店を探さなくてはならないものは大阪でもネットで買っています。 事、イベントの類は確かに大阪のほうが多いと思います。

実際に困っていることは私個人としては信頼できる医者、オートバイのショップくらいです。 TVの番組数は少ないですがTVは見ないので困りません。

仕事はメールと電話のやり取りで、面談は叶いませんし能代で就職しようにも68歳の特技のない老人を雇ってくれるところはありません。 大阪の会社に在籍しているので定期的に大阪に帰りますが残りの人生を考えれば今まで所属した会社でやりたいと思うことはあまりありません。

一方能代で得られるものは静寂や美しい自然でしょうか。 静寂、つまり刺激が少ないことは自分の考えをまとめるのに必要で、大阪では捗りません。 考えがまとまらなければ新たな行動を起こすことがなくなり保守的になります。 美しい自然、20㎞くらいの所から白神山地は始まっていて美しいブナ林や雪の山、温泉がふんだんにあり、考えにつかれた気持ちを癒してくれます。

友人の一人が田舎は貧乏だから嫌だと言っていました。 秋田の最低賃金は低く、全般に所得水準は低いかもしれません。 走っている車は国産軽自動車が多く、服装は地味で高級料理店もなく高額の出費の機会が少なく、個人的には好ましい環境です。

能代市図書館は数十万冊で好みの本を見つけにくいですが、丹念に探せば今まで縁のなかったジャンルの本に出合えます。

冬の寒さや積雪も話題になりますが、寒さは想像していたより寒くはなく最高気温が氷点下の『冬日』も数日です。 防寒具が安価になったので防寒対策を施せば外出も困りません。 雪は今年のように30年ぶりの大雪であれば屋根の雪下ろしもせざるを得ませんが、2月下旬になれば晴天も増え雪も融けだします。

なれれば快適な能代の暮らしで、私は寒いくらいのほうが仕事がはかどりストーブを消して10℃くらいの室温で仕事をすることがままあります。

移住が安定すればバイクで東北を走り回ってみたいし、もともとハイキングが趣味なので東北の山歩きを満喫してみたいと思います。 山岳会に入っていた時ノルディックスキーにはまっていたのでまた始めたらどうかと思いゲレンデで練習しています。 日帰りでゲレンデスキーが出来るのも大きな魅力です。

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大雪

 記録だらけの大雪、本日の我が家です。 屋根に積もった雪が隣接する空き地に流れ落ちかけています。 我が家は秋田でも雪の降らない地域です。 一般に秋田県や東北は多雪と思われがちですが、なぜか能代市の沿岸部は雪が避けて通り、雪雲は内陸の山のすそ野に雪を降らせます。

我が家のある区域は雪が降らないために雪捨て場があまりありません。 市のホームページを開くと数か所あり今回の大雪で捨てる順番待ちの時間が長いそうです。 どうしたものかと近所で聞くと家から2百メートルほど離れた空き地に捨ててもよいとのことでダンプ(一輪車のタイヤのないもの)で積んだ雪を引きずってゆきます。 昨日は30往復、今日は10往復ほど捨てました。

ダンプを押していると近所のおばあさんが通りすがりに声をかけてくれます。 方言がきつく何を言っているかわからないので笑顔を返すが「よく降りましたね」くらいを言います。 地元の人は関西弁でしゃべるとすべて内容が分かるそうですが話す言葉は秋田弁(津軽弁に近いともいわれていて秋田の人は秋田弁と思っていない)です。

空の青さ、日差しが雪に反射し晴れているととても明るくサングラスがないと辛いほどです。 夜にこんな晴れ間がたまにあります。 先日は18時ころその晴れ間に空を見ると人工衛星が見えました。

隣町の藤里町には町営スキー場があります。 400mのコース1本、リフト1本の狭いゲレンデですが本日は車5台がとまっていました。 貸し切り状態です。 2日前に有名な安比スキー場に滑りに行きましたが、リフト・ゴンドラ共に待ち時間がありません。 雪質もよくスキー天国です。

昨晩は竜巻注意報が出て緊張しましたが、竜巻の発生報告はありませんでした。 雷警報は毎日のように出て、突然光って大音響の雷鳴が響きます。

気温は冷え込むと天気予報で行っても最高気温0℃、最低気温-4℃程度、能代に関して強い風を除けば快適な居住地です。 秋田の人口が減少し続けるのは多分に産業が発達しなかったからでしょう。

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秋田の生活

 私の秋田での生活は在籍している会社の仕事の在宅ワークということになっています。 今年の東北は記録的な大雪、近所の人はこんなのめったに無いよと慰めてくれます。 確かに秋田の能代以外の地域は積雪が多いです。 能代の積雪は少ないと何度も書いていますが、能代市は427㎢の面積で大阪市のほぼ二倍、そこに5万人が住んでいます。 面積が広く私の住む沿岸部は積雪は少ないものの山間部の能代市は多雪です。 天気予報で雲の動きを見ていていつも雪雲は能代沿岸部を避けるように移動します。 しかし熱い雪雲の通過する空は鉛色で昼間の散歩も薄暗い中を歩きます。 家にいることが多く、在宅ワークは捗るはずです。

しかし、私の場合じっとPCに一日向かうのは苦痛です。 朝は4~5時に起きて8時までPCに向かいます。 メールもその時に見ますが5時に返信を受けた人はびっくりするかもしれません。 8時ころから必要なら雪掻きをします。 重労働で汗だくになりますが苦痛ではありません。 その後またPCに向かいます。 何冊かのノートを用意して新聞やネットの記事の要約を書いてゆきます。 漫然と読むだけでは記憶できないので要約しながら書くことで記憶します。

晴れていれば10時ごろから近所にある『風の松原』という防風林の松林に散歩に出かけます。 トレール(踏み跡)があれば楽に歩けますが新雪のままであれば歩くことが大変です。 今日は立派なトレールがあり、1時間半で8000歩ほどを歩けました。 林の中には1周6㎞のコースがあり、今日は歩き切りました。

帰宅すると昼食を摂り、小説を読んだり掃除をした理の生活です。 気が向けば日経子版を読み、ノートに記事の要約をまとめます。 1日の仕事時間は6時間程度です。

夕食後、8時ごろに眠くなり、布団に入ります。 ここ数日気温が低く、電気毛布とストーブをつけて寝ましたが眠りは浅く、寒くても暖房器具を頼らず寝るほうが熟睡できます。 私の寝室は寝るだけの部屋で、8時ころは氷点下です。 石油ファンヒーターは温度計が付いていますが0℃以下の表示が出ないのでいつも0℃を表示しています。 服を脱いで布団にもぐるのは寒中水泳で水に入る気分です。 頭まで布団をかぶり震えていると温かくなってきます。 しばらくすると心地よい眠りに落ちます。 8時半に寝たなら4時に起きても7時間30分布団いたことになります。

秋田県人に平均睡眠時間は長いということを聞いたことがありますが、私は6時間くらいで目が覚め、布団から出るまでぐずぐずしているので以前より布団にいる時間は長くなったようです。

会社を辞めればメールも来なくなり、日経電子版を読む意味も半減します。 無雪期はオートバイで東北を走り回り白神哉八幡平のハイキング、積雪期はクロスカントリースキー、春山のクロスカントリースキー、3月~11月はテニスとゴルフ、天気が悪ければ図書館の小説を読む生活を計画しています。

我ながら気ままな生活とあきれています。

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趣味と友人

 私はこの20年これといった友人を持たずに過ごしてきました。 仕事の責任の重圧から友人を持てなかったというのはかっこが良すぎるかもしれません。

かつてサラリーマンをしていた時には趣味が生活の中心で、趣味の友人は数多く大抵の人より多かったと思います。 サラリーマンを辞めると趣味もやめ、その時付き合っていた百人以上の知人・友人はほとんど関係が切れました。 そのことに残念な思いもなく、仕事がすべてになりました。

仕事が順調に回りだし、再び趣味を始めることになりました。 子供のころからやってみたいと思っていたこと初め、以前にやっていた趣味に戻ることはありませんでした。

新しく始めた趣味は陶芸、スキューバーダイビング、オートバイのツーリング、自転車ツーリングなどです。 代表を退いて気持ちに余裕が出来て60歳にしてゴルフもはじめました。 ゴルフは一人でできないのでゴルフを一緒にする人、オートバイのツーリング仲間もできました。

その中で一人友人と呼べる人が出来ました。 取引先の辰巳さんです。 知りあって数年が経ちますが60歳を過ぎても友人が出来ると思いました。 辰巳さんはいつもこのブログを見ていてただいています。

今日のブログは辰巳さんに向けたものです。

『あけましておめでとうございます。 本年も変わらずお付き合いください。』 ブログは不特定多数の人が訪問されますが、特定の人に向けたものがあってもそれはブログなので構わないと思います。

なぜ辰巳さんが友人かは自分でもわかりません。 私は新たな人間関係は自分の将来を共に築いてゆくものと考えます。 つまり自分の将来は自分一人で築かないものと思えるようになりました。 しかし以前は自分がすべてで将来は自分一人で築くものと考えていました。 自分が年齢とともに変わってゆくのが不思議で、自分の将来、例えば70歳の自分はイメージと違うものになってゆくと思います。 自分でも予期せぬ変化を感じた時にブログで紹介してゆきたいと思います。

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