監査役BLOG

会社を見る鳥の目

経営者の目線で、日々の思いやできごとを綴っていきます。

[価値観]

奇跡を求める人は祈り、成果を求める人は働く

表題はローマ帝国自体のアウグスチヌスの言葉です。 私自身は無宗教、とはいっても実家は浄土真宗ですが祈りとはほぼ無縁の人間です。

人が祈りを捧げるのは過去に取り返しのつかないことをした時、将来に向けて乗り越えられない困難に直面したとき、つまり絶望したときに祈りは捧げられると思います。 少しうまくいかなかったとき、宝くじを買ったときに祈りを捧げる人もいますが、心からの祈りは絶望したときでしょう。

無宗教の私としては絶望したときを振り返るとすさんだ状態で時間が経過していました。 祈りを捧げる対象があるのは絶望の痛みを軽くしてくれるのでしょう。

程度の差があれ努力が報いられると思えるのは希望があること、絶望状態ではありません。 困難だが一縷の希望を見出して努力し、状況が見えてきて絶望するのは小説やドラマでよくつかわれるパニックで、現実にも多くあります。

希望は努力が成果を見込めるからで、そもそも成果の見込めないことを希望しても意味は無く、出来る限り情報を集め、努力し、成果の見込めるであろう一番の高みを目指していきます。 そして達成できれば大きな達成感が得られます。 その瞬間も祈りを捧げることなく努力を続けられる人はきっと偉大な人だと思います。

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[生活]

[習慣化]

shopping

買い物は楽しいものである。 本当に欲しいものが手に入ったときはワクワクします。 おそらく誰でも同じだと思います。

私の友人は特に好きで、ネットで調べ、ショップで現物を見て回ります。 身に付けるものを見ることが多く、 服は売るほど持っていて靴はムカデじゃあるまいしと思うほど持っています。 そしてお金がないとぼやいています。

お金の機能の一つは交換価値を担保すること、物を買わないのであればお金は必要ありません。 なんでも盗むことができるドロボーはお金をあまり必要としないでしょう。 宅急便の来ない辺鄙なところに住んでいる人もお金はさして重要と思わないかもしれません。

私はドロボーを生業にしていないし、宅急便の来るところに住んでいてネットショップで買えばすぐに商品は届きます。 徒歩圏にデパートもあり、電車で数分圏には関西を代表する繁華街もあります。 物を買うことに関しては恵まれたところに住んでいます。

子供のころから質素な生活をしてきてお金を使う、モノやサービスを買う習慣が乏しい生活感が染みついています。 ありていに言えばケチ、よく言えば質素を美徳としていて地下鉄も二駅ぐらいは歩いて行きますし、近所の事務所に郵便物は自転車で届けたりします。 タクシーに乗ることはなく、健康管理に注意していますが医者の診察もなるべく受けないようにしています。 住居費を除けば月に5万円もあればタバコも買って生活できます。

10年以上前に3年ほど迷って自転車を買ったことがあり、今もその自転車に乗っています。 タイヤはもちろんチェーンやスプロケット(チェーンのかかった歯車)も交換して乗っています。 その時、買うことを迷ったのは仕事で使う自転車をサイクリングにも使えないかということでした。 プロショップに行き、100万円くらいの自転車に試乗してあまりの軽さと走りやすさに感激しました。 しかしそれぞれのパーツの耐久性は低く、距離を走れば頻繁に高額の部品を交換しなければならず、盗難にも気をつけねばならないなど購入対象から外しました。

プロショップをやめ元プロショップの店長に相談に行きました。(プロショップは4軒ほど回りました) その店長が普段乗っている自転車が置いてあり、結局それを買いました。 価格は3万円、一応サイズもあり、フィッティングもしてくれました。

ある上場企業の部長にこの話をしたら『なんでそんなにけち臭い』とバカにされたのを覚えています。 しかし10年以上使っているわけですから買い物としては大成功だったと思います。 このことを思い出して自分も買い物は好きで何軒も見て回る癖があるけれど買うというより探すこと、持ち物にするなら最適のもの、毎日違う服を着るよりかはお気に入りの服を何着かとっかえひっかえ着られなくなるまで着ることが習慣だと思います。

家に物は少なく、引越しは楽にすみます。 気が付けば物を捨てるようにしています。 それでも物が増えているか減っているかといえば微妙なところです。 貰うものもありますから。 物が少ないとシンプルな生活を送れるように思います。

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[言葉]

解説する人

前回のブログでAIの新しいOSの利点を紹介しました。 利点は役に立たない情報を捨てやすいこと、人でも知識の披歴の多い人はこの機能が弱い人で情報の選別が出来ない人です。

特徴として情報の選別が出来ないため決められず、情報を披歴することに終始します。 意思決定が出来なければ行動に繋がらず、経験が積み増しできないため失敗を恐れて決定を避ける傾向があります。

代わりに情報の精度と評価をし、評論家になってゆきます。 アドバイスとして決めろ、なのか行動白なのか人によって異なるでしょう。

この話題でアメリカがイラクを攻撃するとき日本に『Show the flag』と詰め寄りました。 良きにつけ悪しきにつけアメリカは決定と行動の文化なのでしょう。

日本の文化で言えば戦国武将の『洞が峠や小田原評定』など決められない話題が批判的に伝わっていますので文化的には決定を重んじる文化なのでしょう。 特に決死の決定と行動は『義経のひよどり超え、信長の桶狭間』等武勇伝として有名です。

闇雲な決定は大きな敗北につながります。 決定しないばかりにより大きな不利益を被ることも多くあります。

決定権を持つもの、リーダーは自らの決定権の行使について常にシュミレーションを行い、準備を進めておくことがその地位にあるものとして最優先であると思います。 権限行使をするときに決定が二転、三転することの無様さは最近の大企業の不正発覚の記者会見を見るまでもない事です。

権限者の美しい生き方は潔さ、それを示す機会無く退任できればその在任期間は幸せだったと思います。

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[習慣化]

知能

前2回のブログは人格を鍛える方法、そのために作業に専心する方法を解説しましたが、いったい何が言いたいのかわからない方も多かったでしょう。 ブログは公表しているとはいえ私的な日記、自分がこうだと思ってもうまく表現できない場合もあれば矛盾した考えが心の中に併存しているときもあり、ご容赦ください。

AIが話題をにぎわして久しいですが、AI以外のソフトウェアとの違いはインプット・アウトプットの関係でも説明できると思います。 通常のソフトは指示された通り結果を反映するものに対してAIは莫大なデータを参照しながら結果を導き出すもので、演算ではなく判断がなされる点です。

先日AIのベンチャー企業の幹部がAIソフトウェアのOSにあたるソフトを10日で書き上げ、無償公開したことが新聞で報道されていました。 AIソフトを構築するうえで利点はデープラーニングでいらない情報を捨てる機能が話題となっています。

人も同じ、頭の中でいらない知識、考えが浮かんで消えることを繰り返していますが、いらないものがなくなれば結論は早く導かれます。 このいらないものを頭から消し去る方法として作業に専心する、しかしテーマは考え続けるという事です。 強い意志があれば強制労働下でも考え続ける事が出来ます。 児童心理学者のビクトール フランクルはアウシュビッツの収容所で多くの事を考え、解放後優れた論文を書いています。 散歩しながら考えるのは欧米人の逸話としてよく語られています。

先程のベンチャー企業の研究者が10日でAIのOSを書き上げたのは長期にわたり考え続けていたという事でしょう。 おそらく優秀な研究者で、いらないことを自動的に頭の中から排除出来る訓練を積んでいるのでしょうが我々凡人はそうはいかず余計なことを考え、余計なことで自らの知能を満たしています。 しかし生きていくことや人格を鍛えるのは知能を停止するのではなく本来の課題に知能を働かせることです。 知識偏重の考え方は頭の中を辞典化して創造性を阻害するかもしれません。

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[習慣化]

作業

前回の記事で人格を鍛えるために作業に専心すると書きました。 なぜ作業に専心すると人格を鍛えることになるか、どのような作業が良いのかを話題にしたいと思います。

人は何かを考えねばならないときに当然いろいろと考えます。 結論は一つ、考えは100通りみたいになります。 つまり99通りは選択されない考え、その99通りのうち選択してはいけない選択肢は多くあります。 邪悪な考え、効率の悪い考え、常識的でない考えなど組み合わせで考えてゆくと排除すべき考えが想起してしまいます。

結論は出さねばならず、出した結論に沿って行動を伴います。 もちろん何もしないという結論もあります。

些細な事でも悩んでしまいます。 例を挙げると昨晩通帳を記帳し、ちょっとした雑貨を買おうと思いつきました。 昨晩は雨がやんでとても寒く、帰宅した18時30分に思い出したのですがもう一度出るのは面倒でつらいと考えました。 おなかが空いていたのでとりあえず晩御飯を食べることにし、晩御飯の準備をし食べるか行こうかと迷い続けます。 食べ終わった直後、出かけることにしました。 ここでの唯一の結論はやらねばならないなら今時間があるので今であるというのが合理的な判断です。 寒い、面倒という迷いの原因となったことを捨て去ればすぐにコートを着て外出できます。 明日の予定を考えればわざわざ出向くより明日ついでに寄れるのですが、わざわざという徒労ではありません。

このように判断すれば大抵のことはすぐに99通りの選択肢は排除出来て行動に直結します。 たまたま晩御飯を終えてほかの優先すべきことを思いつけばそれを優先すればよいだけのことです。 選択しない99通りを考えてしまう時間の節約もありますが、選択しない99通りの方法は言い訳を考えているのと同じで生きる姿勢を後ろ向きにします。 日々の生活、たいそうに言えば人生には簡単に決めてしまって『しまった!』という事はたくさんあるでしょう。 私にもそのような経験があり、今思い返してその誤った判断はとうぜん不要な99通りを選択したことになります。

意思決定は自らの価値観に照らし合わせ、時々の目標に向かったものですからよくよく考えれば不要な99通りは排除できます。 後で考えて『しまった!』という判断は損得勘定など自分の価値観と違うバイアスがかかっています。

つまりはたいていの意思決定は複雑なものでも一意に決まり、たとえ損と思える事であっても自分の価値観に忠実でありたいと思うものです。 自分の価値観からずれるのは人から聞いた自分の価値観と異なる考えに基づいていますからその排除は無駄な考えを避けるため目先の作業に専心して暇にならないことと思います。

昔から『好事魔多し』と言いますが私は無駄な時間は魔が多いという事でしょうか。

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[生活]

人格を鍛える

ある職員の人が見た目や所作、話す言葉から人格に問題があるかのように誤解されました。 私はあまり気にしなかったのですが女性職員の多い会社なので服装の清潔感など話題になってしまいます。

そこでその人と話をすることにしました。 悪いことをしているわけではないので注意ではありません。 その人のことを思い、その人のためになる話をしようと一日考えました。

結果的に言った言葉は苛烈でした。 私の気持ちが伝わったのかどうかわかりませんが、気持ちを込めて言ったつもりです。 伝わらなかったとしたら私自身に問題があると心に決めました。

私自身の人格が他人の尊敬に値するものと思っていません。 私は人格を疑われるようなことをやってきたように思います。 自分の生きてきた足跡として関係した人の尊敬の念が蓄積されているかというとそうではありません。 若いときはいつも不満を抱き他人と融和せず、自分がやろうとすることをひたすら推し進めた人間だったと思います。

話をした人は過去の話を聞く限り立派に誠実に生きてこられた方と思います。 私がその人から説諭されるならともかく逆の立場であることはめぐりあわせの意地悪さを感じました。 どのような感情をもったとしてもやらなければならない話はします。 自分を偽り話すのではなく、単に損得の問題としてなら私には語る資格があると思いました。

話し終わってから一日たって自分の人格を鍛える必要を感じました。 人格は形成されると言いますが、良い人格かつまらない人格かは別にして64歳の自分としては自分の人格を白紙に戻して形成し直すことはできません。 そこで鍛えると表現しました。

目的は自分の人格が他人から見て尊敬に値するものであること、他人から見て私の人格が解り易い事です。
鍛えるために何をするのか、私の結論は体を鍛える事、苦痛を自らに与えながら考え続けて自分にとって有効な考えをふるいにかけて残し、しみこませてゆくことだと思いました。 少し焦点がずれて見えるかもしれませんが、僧侶の修行でも作業を淡々とこなす、阿闍梨のように長期に山野を駆け回る、座禅を組んで煩悩を消し去るなどと通じることかもしれません。

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[事件]

NHK受信料

昨年末に最高裁で争われていた受信料の強制徴収が憲法違反と判断されました。 私はNHKの存在価値に疑問をもっていますが、そもそもTVインフラが整備されていない環境下で制定されたとはいえ法律が存在するのですから合憲も違憲もないように思います。

私同様にNHKを必要としない人が多く、放送法そのものを廃止するには国会で法律をなくせばよい事です。 裁判官にその判断を仰ぐのはあまり意味を感じません。 放送法を廃止することを公約に上げて立候補する人がいれば当選するでしょうし、NHKを不要とする人の比率より絶対数で多数のNHK不要者がいるから国会で通るかも知れません。

私はノンポリで政治に疎いですが中学校社会で習った三権分立のシステムからはそのようになると思います。 そうなればNHKを生産するのではなく存続をかけて広告収入をとるか電波にスクランブルをかけ、専用チューナーで見るようになるでしょう。 少なくとも今の収入は得られないでしょうし、離島などでも電波が配信されるインフラは設置されなくなります。 しかし衛星放送のシステムがあれば問題はなかろうと思います。

世界的にポピュリズムが台頭している中、日本ではNHKをめぐる問題ですらまじめに最高裁で審議するわけです。

私はNHKが不要と思っていますからTV受信機をもっていません。 もし世の中の半分の人が同じ考えなれば国内可否販売は50%になり、通産省の官僚はみくのを葬るべく政治家を動かすことになるでしょう。 もちろん他の放送局も黙ってはいないでしょう。

私はTVがなくてもさして苦になりませんし、NHKが葬り去られて受信料がなくなってもTV買うかどうかわかりません。 むしろPCにまで課金されるようになればPCの無い生活を選択するか今のところ微妙です。

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[会社運営]

思いは叶う

18年前介護保険法が施行され、貸与事業を中心とした事業展開について最初に考えたことがあります。 そもそも高齢者で介護を必要とする方が対象の商売ですから地域密着である。

地域密着であるからには故利用者である高齢者の多く住まれる地域で密着することが必要で、同じ地域密着の商売でもコンビニエンスストアのように露出度が求められるわけではない。 地域密着の必然性は呼ばれた時にすぐに行けること、移動効率が大きな意味をもっていると考えました。

大阪で商売をするなら大阪市の中心部である北区、中央区、浪速区などのオフィス街を取り囲む地域が対象と考え、大阪市の北部である旭区、元々拠点のある天王寺区、南部の平野区に出店すれば大きく的はバスさないだろうと考えました。 そしてその通りに出店し、一定の成功を収めました。

タイトルの通り、言いたかったことは『思いは叶う』ことです。 当時そうすることが最善と考え、疑わず目指し続けたらその通りになったという事です。 当時介護事業はある会社のフランチャイジーで、オーナー会などで他所のオーナーと事業運営について話す機会が何度かありましたが、誰も私のような話をしませんでした。 どちらかというと職人的技量=福祉用具専門相談員としていかに質の高い事が出来るか、そのために国家資格者をフランチャイズ本部も雇用し始めました。 専門性は重要なことで奥は深いですが、介護の商売の現場で重要なことはほかにもあります。

専門性を含め重要な事の優先順位を考え、それに合ったビジョンを描けば叶う可能性は高いと思います。 ビジョンを強く思い描けばビジョンのマイナーチェンジも行われ、より現実的になります。 実現させるにはビジョンに関わるチャンスが訪れた時にすかさず捕まえること、そのために普段から活動をしておくことでしょうか?

思いを描くよりも情報を集積することにより現実へのアプローチをしようとしている人が多いように思います。 ネットの調査は皆熱心で情報は収集していきます。 しかし情報が過多であれば情報に縛られ、最善の思いを描きにくくなります。 そのような罠にはまっている人がいかに多いか、人を見ていて強く感じました。

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[会社運営]

目的と手段

久しぶりに営業の会議に参加しました。 共有すべき情報の話題や販売方法に関する手法の話題がほとんどです。 こんな方法でアプローチしたとか、こういう傾向があったとか、『営業の達人』的な出版物を読んでいるような会議でした。

私のもっている営業のイメージは何をしてどれだけの実績が上がったという行為・行動と実績、『営業の達人』的な解説を生の営業会議で行うのか疑問を感じました。

イメージは営業は結果だろう、評論家でもなく作業に落とし込んだルーチン業務をこなすのが営業ではないと思っています。

もちろん営業にもルーチン業務はたくさんあり、それを否定するものではありません。 しかしルーチン業務をこのように行えばよいという事を話し合う場が営業の会議とイメージできません。 もちろん画期的なルーチン業務の改善があれば会議で報告すべきでしょうが、その前に行うべき話題があると思います。

ここでいうルーチン業務とは(あくまで私見ですが)インプット、アウトプットが同じパターンで行えるもので再現性があることと思っています。 営業に多くあるルーチン業務は少しづつ専門家に任せていこうとしています。

ルーチン業務の多くが営業職の手から離れるようになれば営業会議で営業車は何を話すか、戦略に基づく戦術や具体的行動とそれによる実績になるでしょう。 ルーチン業務が現営業職に多くある中で発言の多い人がルーチン業務が自らの業務で無くなったときに会議で何を話すか、もし議長が会議のファシリテートを本来事項から外さずに行えばそれらの人は沈黙するよりありません。

誰が沈黙するかは現在の個人実績を見れば明らかです。 行動する人が実績を上げる、実績を上げていない人は行動していないか的外れの行動をしているのでしょう。

勝利に不思議な勝利があり、敗北に不思議な敗北なしという言葉がありますが、営業の実績が上がっている人は時として不思議な実績を上げます。 そして実績の低迷している人はなるほど上がっていないとすぐに実感できます。 問題は自ら実績が上がっていない営業者が自らが営業していないことを認識していない、実績を上げた行動が評価されていないという事です。

だから叱責を上げていないものが会議をファシリテートすると会議の目的が迷走します。

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[習慣化]

現場と相談役ブログ

このブログの記事も1000を超えました。 訪問者累計は35000人、決して評価が高いわけではないですが、くじけず続ける事が出来ました。 これからも会社に帰属する限りは続けてゆきたいと思いますが、そもそも医療・介護の仕事をしていて経営の役割を担う立場ですから本音の話が面白いわけではないと思います。

医療・介護の現場では『まさか!』という話題がたくさんあり、私も聞き及ぶことがありますがブログで公表するわけにはゆきません。 政治の話、宗教の話、見方によっては差別ととられかねない話は極力排除すると全く面白くない日常を過ごす自分が見えてきます。

現場の面白いエピソードは現場に関与しない身としてはエピソードであって自分の経験ではありません。 つまりは経営の仕事は地味でつまらない判断業務の連続という事になります。

それでもいつどのような判断を迫られるかわからないのであらゆる問題を想定し(大抵悪い事が起こったときの想定で例えば資金が底をついたとかです)、対処を考えます。 殆どの想定は現実に起こりません。 悪い想定ですから起こらなければそれに越した事は無いのですが、考えておかねばなりません。

最近の大企業の不祥事を見ていて会社のトップは知っていただろうことを知らなかったと謝罪会見で公言する社長がおられます。 実際その不祥事の実態を知らなかったのかもしれませんが、結果的に業績を大きく落としていて、ある会社は存続できないようになっています。 そんな大きなリスク抱えながら想定しなかったのか、想定しなかったから不手際が目立ったのか、中小企業の経営者には大企業の内情は計り知れません。

当社のような小さい会社であっても170人の職員が社外との接点を毎日10件もてば1700の接点が生まれます。 そこで大なり小なり不手際は発生しているはずで、不手際が判るかどうか、わかった時点で問題となるかなれば私のところまで聞こえてくるかなどです。

どの現場にもヒヤリハットの報告ファイルがあり、どこまで記載されているか疑問です。 そもそもヒヤリハットの基準もあいまいです。 不手際が総て明らかになり、原因究明と対策が完全に行われるとよい会社になっていくのですが、これも地味な仕事になります。

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