相談役BLOG

会社を見る鳥の目

経営者の目線で、日々の思いやできごとを綴っていきます。

[価値観]

真剣!

 チャンバラ小説を読んでいるという事は何度かブログに書きました。 チャンバラは剣術の世界を小説にするわけですが、ハイライトは剣による戦いのシーン、何故小説にしてまで面白いか、命の遣り取りがある緊張感が一番でしょう。

うまい作家はそれが道場の竹刀の試合であっても緊張感があります。 木刀の試合もまともにやりあえば打ち殺されます。 では真剣では一合一合が命の遣り取りです。 そこから真剣と言う言葉が生まれたのでしょう。

命の遣り取りの無い介護事業の仕事は真剣か? 命の遣り取りはありません。 相手は高齢者、真剣さは伝わります。 介護の営業の現場で常に真剣であることは難しい事です。 常に高い業績の人は電話をしていても仲間と冗談を言っているときもなぜか真剣さを感じてしまいます。

本人は意識しているかどうか解りませんが真剣さが身についているのでしょう。 一方業績が低迷している人に同じ真剣さはありませんが、一生懸命であったり、誠実であったりの印象は感じるときがあります。 これだけ誠実にやっていてなぜ業績が低迷しているのか不思議に思います。

再びチャンバラに戻り、道場で竹刀による試合をイメージし、命がけの真剣さは多くの場合に感じないでしょう。 もちろん本人たちも。 ところが文字通り触れば切れる刀での戦いなら当事者は真剣にならざるを得ません。

竹刀の戦いを真剣同様にすれば強くなると思います。 竹刀では打たれても突かれても切られる事は無いと思った瞬間真剣さから遠のきます。

仕事は結果を出すもの、結果を出したければ真剣にならざるを得ません。 それで結果が出せた時の達成感はひとしおです。

最近入社したK氏はいつも薄ら笑いで相談に来られます。 決して誠実とか真剣とかの雰囲気ではありません。 一渉り話をして結論に近づいた時、K氏から真剣さがほとばしり、思わず身を引くことがあります。 こわぁ~と思ってしまいますが刀を持っているわけではありません。 真剣さは気であり、K氏はこの気を発して過去に大きな成果を上げた人です。

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[会社運営]

大阪

 私は大阪で生まれ育ちました。 たまに他の都市に行っても違和感は感じない方です。 私がよく訪問する町は仕事では東京と隣接県、遊びでは神戸、奈良、和歌山でしょうか。

初めて東京に行ったのは中学校の修学旅行、国会議事堂、東京タワー、皇居等で大阪より大きい街が日本にあるんだと思ったぐらいです。

当時、今から50年前は日本の各都市はそれぞれ明確な文化をもっていました。 TV番組でも全国の都市を紹介するものが多かったように思いますし、豪雪地帯で4mの積雪が話題になって、其処での生活シーンが外国のような印象でした。

歌謡曲もご当地ものが流行っていました。 大学入学時に北海道の牧場でアルバイトをしました。 地元の同年代の人から『大阪を知っているよ、大阪城にいわおこし』といわれました。 その人は大阪に来られたことがないので違和感はありませんでした。

しかし心のどこかで大阪は日本の中心で、なぜ首都を大阪にしないのかと思ったり、そうなれば東京のように光化学スモッグに悩まされるなら首都機能は東京でよいのだろうと勝手なことを考えていました。

最近地方都市に行くとどこも同じ町に見えて、個性を感じません。 駅前にロータリーがあり、ちょっとした植え込みに地元の著名人の像が立っていて商店街やショッピングモールが続きます。 お店は全国展開しているチェーンが入っています。

全国の各都市の個性が薄まったことを残念に思いますし、大阪も同じだと思います。 大阪で仕事をするのであれば大阪らしさをそして『うえろく』らしさを追求してはと考えました。

大阪城やいわおこし、通天閣がなくても大阪の文化があります。 言葉で言えばやわらか、がんばらない、笑いが多い、おっとりしているなどでしようか。

今まで当社は他所の会社を見学に行き、当社よりうまく経営しているか比較してきました。 経営セミナーにも参加し、予算統制、事業計画策定、人事考課制度、世間の常識に取り組んできました。 それらは文化と直接関係の無い単なる手法ですが、それに目を奪われ当社らしさを磨けてなかったように思います。

お菓子や食品でもロングセラーのものがあります。 例えばチキンラーメン、何十年売れています。 インスタントラーメンがこれだけ工夫されていて生き残るにはそれなりの訳があり、企業も同じように生き残れる訳を企業文化として培ってゆきたいと考えています。

 

 

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[人間関係]

面談

 会社で日々の業務の中でうまく行っていないこと、想定外に上手くいっていること、そのほとんどがその人に関わることが多いと思います。

個別に人間関係が拗れているような場合、つまり上手くいっていない場合に面談したりします。 『そもそも相談役とは相談に乗ることだろう』などど押し付けられる事があります。 そこで話を聞きに行きます。

人間関係が拗れている場合、関係者に面談し、話を聞きますが意見が異なり妥協できないために拗れているわけです。 全く事実誤認であれば『勘違いですよ』と言えば済む場合もありますが、好悪の感情が絡んでいると解消は難しくなります。 私は話を聞き、ほめず、叱らず、評価せずでひたすら聞きます。 喋りたいことを喋ってしまえば心が軽くなるもので、それですっきりされる方もおられますが根本的には解決していません。

人には長所も欠点もあり、問題は欠点に起因する場合が多く、想定外に上手くいっている場面では本人も気づかない長所に起因している場合があります。

人間関係の問題であろうが想定外に上手くいっている場合であろうが関係する人の長所だけに着目して話を聞く、もしくはその人の長所は何かを探る目的で話を聞くと問題は解消に向かい、想定外の成功はより大きい成功への道筋が見えてきます。

そこまで本人も気づかない長所が判るには聞き手が人格的に優れ、相手の心を開かせるだけの心構えを見せねばならないと思います。 しかし上手くもっていくにはそれしかないように思います。 出来るかどうかは判りませんが、本人も気づいていない相手の長所が見えてくるなら聞き手は素晴らしい人だと思います。

 

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[会社運営]

ザ ゴール

 昨日読んだ本の書評です。 著者はエリヤフ・ゴールドラット氏、イスラエル人の物理学者、1984年出版です。

著者は物理学者ですが、知人の経営者から製造管理の相談を受けて製造工場の工程管理プログラムをベンチャー企業を立ち上げて販売した人です。 数千万円するソフトは米国大企業で販売され、製造管理の問題を解決して高い評価を受けましたが販売が伸びません。 そこで製造現場の課題を次々と解決してゆく工場長の物語として出版され、その本をもとに多くの製造メーカーが工程管理を改善して黒字化に成功しましたが、肝心のソフトウェアの売上げ増にあまり貢献しなかったそうです。

著者は日本人がこの本を読めば『日本人は部分最適の改善にかけては超一級』と考え、日本語への翻訳出版を認めなかった経緯があります。 日本企業が氏の理論を応用して製造管理を行えば世界経済が破たんするとまで言っています。

私が手にしたものは2001年に翻訳出版された日本語版で初版から17年経過しています。 読んだ限りではトヨタの生産管理に見られるものと被るような気がして、すでに普遍化した内容が中心のように見受けられました。

ここまでの経緯をたまたま知る事が出来て、関心をもって読んでみましたが読み物としてもよく出来ていて一気に読みました。

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[未分類]

考える訓練

 すでに退職した営業職の方がいつも余計な一言を言って失敗を続けていました。 ある時彼の机にメモが張り付けてあり、『余計なことを言わない』と書いてありました。 熱心な営業職の方でいろいろ考え、おそらく親切で『余計な一言』を言ってしまって失敗を重ねていたように思います。

何度か彼とは二人で食事して悪い人でないことは理解していましたが、まっすぐ考えないためにまっすぐでない理由をわざわざ考える、そしてある時考えたことを喋ってしまうように思いました。 もし机のメモに書くなら『余計なことは考えない』でしょうか?

他人事ではなく私も『余計なことを言う』と文句を言う人がいます。 その人の非難には続きがあり、『余計なことを考えるから余計なことを言ってしまう』らしいです。 全くその通り、考えなければ言う事もありません。 考えることすべてが善であり美しい事であるなら他人を傷つける言葉は無くなるのか?

しかし言わせていただければ善意に満ちて美しい事しか考えない人が他人を厳しく排撃する発言を何度も耳にしています。 善意だから何を言ってもよいわけではなく、善意と社会のルールや容認されている価値観が対立しないわけではありません。

善良に考えるはせいぜい対立を減らす方法にすぎません。 本音は私に余計なことを考えると非難した人に何をもって余計なことか反問したいと思いました。 その人は確かにシンプルに物事を考え、価値観を示す発言は差し控えます。

当たり障りのない事は『事実らしきこと』のみ話題にして、評価はいいね! くらいに留めておけば日常のコミュニケーションで大きくつまずきません。

生きて行くには仕事をしなければならず、こまごまとした判断や大きな決断、他人の行為の評価、判断・評価の説明が必要です。 それらは単純な事実ではなく、判断・評価を行った者の価値観や姿勢、善悪のその人なりの基準などがちりばめられています。 さらに家は好悪の感情などやっかいなものまで潜んでいます。

いろいろ考えすぎると何も言えなくなります。 それでも言わなければならないことがあるので何を話すかいつも考え苦しんでいます。

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[言葉]

質問力

 会社の代表を辞めてから新しい代表に質問されます。 質問を受け、誠実に答えていてもなかなか意思が伝わりません。

例えば流れとか方向、ベクトルの話をしているときに座標の質問、ところで今どこにいるのか? とか、それを知ってどうするのか? と反問したくなります。

初めから話の流れが違えばいくら細かく質問し、誠実に答えてもイメージは伝わりません。 ついに次の言葉をアドバイスしました。

 

誤った質問に対して常に厳密になされる正確な回答よりもしばしばあいまいではあるが正しい質問に対する回答の方がはるかに優れている。

ジョン タッキー (統計学者)

タッキー氏がどのような局面でこの言葉を思いついたか、想像は難くありません。 専門の統計学での質問とすればますます『誤った質問』はイメージできますが、恐らく『株で儲ける方法を統計学から説明してくれ』とかです。

誤った質問であっても質問者と自己の立場を考えて切れるわけにはゆかす、何とか回答を出します。

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[会社運営]

ボスの交代

 企業で人事異動があったとき、それが組織単位の長の交代であれば大きな影響があります。 組織単位の長は管理職と思われます。 管理職は人事権を初めてとして大きな決裁権を有するので、その人が組織から期待される貢献を達成するために改革を進めると組織の体制は大きく変わってしまいます。

新しい長の人が内部昇格であれば通常保守的な組織運営となるでしょう。 全く外部から来られると場合によっては違和感だらけ、基本的なところから改善を手掛けることも考えられます。 全く違う部署から来た人にとって今までの常識は非常識に見えます。

アメリカでGEの社長になったウェルチは社長就任後社員を捕まえては質問しまくったそうです。 あだ名は中性子爆弾、仕組みを破壊しつくし、再構築して業績を回復しました。

同じようなことは日本の企業でも散見されます。 パナソニックの中村邦夫元社長、日本航空を立て直した稲盛和夫氏、当社でも波風の立たない基本的な改革が静かに進行しています。

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[人間関係]

仕事で悩むわけ

 最近1年で各分野で活躍した人が5人入社してきました。 当社が途中採用の職員だけで急成長(規模拡大)を果たしたのですが規模に応じた管理職が育たなかったので当社に来ていただきました。

マーケッター、商品クリエイター、MR、ソフトウェアーの営業、それぞれの分野で華々しく活躍し、管理職として組織を動かしてきた人たちです。

ある人と職員の退職理由について話したことがあります。 自らの部下が退職するとき『仕事が自分の適性に合わない』という理由を挙げる人が多いそうです。 退職希望者とよく話をしてみるとほとんどが直属の上司とそりが合わないことが本当の理由だそうです。

当社の営業職員でも退職者はいます。 大抵は実績が低迷して退職希望を出すパターンが多いように思います。 退職パターンにはまりかけた人に新しい管理職が話をすると急激に実績が上がる現象が見られました。 本人の仕事上の悩みが解消して仕事に専心すると実績が回復するのです。

何か悩みがあったのが話をすることで簡単に解決し、パーフォーマンスが劇的に改善するのを目の当たりにすると奇跡に思えます。

当社は中企業で休職者に特に人気のある会社ではありませんので何万社もある求人の中で当社を選んだ人はほとんどの場合当社への強い思い入れで入社したわけではありません。 当社の職員が学生時代から高いパーフォーマンスを出せていたらもっと人気のある企業に就職できたはずです。 もちろんそれが幸せな人生になったかどうかは判りませんが高い所得は得られたと思います。

当社でも高いパーフォーマンスを維持出来れば高い所得が約束されています。 管理職は自らの部下のパーフォーマンスを高めることが仕事の大きな部分を占めています。 私も最近その役割を担うことになり、職員の面談を繰り返しています。

最初に考えたのは面談では話し合いをするわけですが、叱らない、批判しない、その人が嫌っている人の悪口に同調しない、相手の考えをなるべく否定しない(誤解していることは可能な限り説明して解く)、笑顔を絶やさないなどです。 誤解が多く、誤解の上に憶測が積み上がりますので誤解を解けばその上の積みあがった情念は瓦解します。 もちろん人はそんなに素直ではないので誤解を資料をもとに解説しても信じようとされません。 誤解は特定の人の行為・行動に向けられ、極論すれば好悪の感情が働いています。

好悪の感情を善悪にすり替えると誤解も強固なものになります。 誰でも他人に対して好悪の感情はあり、それに惑わされない行動が求められます。 あの人は公平で人格者である、となると他人から嫌われる感情を抱かれることが減っていきます。

このことを意識しながら多くの人と面談しますがすべてうまく行くわけではなく、今のところうまい方法が見つかっていません。 しかしとても必要な面談だと思っています。 面談者にとっても自分にとっても。

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[未分類]

人は苦しむために生まれてきたわけではない        塩沼亮潤氏

 タイトルの方は大峰山の阿闍梨です。 阿闍梨は死を掛けた修行をなしとげた僧侶を意味します。 氏は高校を卒業するまで極貧の中で生活し、苦労して大峰山で得度して阿闍梨になられた方で、なぜにそんなに苦労して生きて行くのか不思議に思う人生を歩まれてきましたが、自分の苦労話はいかにも楽しそうに著書では語られていて悟られたことがタイトルの言葉です。

生活苦や修行での肉体苦を体験されてなお明るい文章をつづられ、苦痛を笑い話にしてしまう感覚はいろいろな苦しみの中でもがく凡人に明るさを照らしておられます。

私事ですが、65歳を超えて前期高齢者となり、なおかつ現役の経営者の一員として日々苦難に向かっていますが、高い中性脂肪値を改善するため食事を可能な限り少なくして減量に成功したり、腹筋を鍛えていて腹筋がぼこぼこ出てきたり、仕事の問題を解決するために寝られない日が続き、突然と解決したり、それぞれの局面では苦しいのですが、解決して達成感を味わえる喜びはあります。

このブログでも何度も書いていますが、私は10日計画を作っています。 前の十日の反省と今後の十日の心構えを700字程度にまとめます。 いつも予定が未達に終わったことを反省していて『もう少し苦痛に耐える力が必要だ』みたいなことを書いています。 9月1日の十日計画では、出来なかったことより出来たことに希望をと書きました。 65歳を過ぎて筋トレとダイエットで美しい?体形になったり、難しい課題が解決できたり、喜びにあふれています。

同年代の人と比較ではなく、自分が味わう事のできる喜び、感じる達成感、人間はそのようなものを糧にして日々前向きに暮らしていけると思っています。 私は先祖への感謝や自分を支えてくれている周囲の人への感謝の念はあまり湧かない方です。 同時に自分の人生を阻害してきた人に対する憎悪の念も抱かないようにしています。 大変努力し、それなりの成果を上げて喜び感じる人生を送ることが結果として周囲の人や身内、敷いては社会に何らかの貢献を果たしていると思っています。 かといって世のため人のためになることを規範にもしていません。 何をやっても人のためになるかどうかは相手次第、自分が良かれと思う事は自分の喜びに繋がり、社会にも貢献していると信じています。 結果的に周囲の人の為になれば良いと思っています。

かつて薬局の床が汚いのでそこで働く職員に掃除をお願いしたことがありました。 薬局は患者様に口に入れたりする薬を提供する場、その場が汚いのは私の心が許せません。 お願いした職員はまじめに掃除をしないばかりか掃除をまるでバカにしていました。 そこで「もう結構です」と言って5年ほど毎朝2時間程度掃除をしました。 小さい薬局なので2時間も掃除をするとピカピカになります。 その後私の指示をバカにした薬剤師は皆辞めてゆきました。 今思い出しても気持ちの良い人たちではありません。 当時は一人辞めるたびに乾杯したいぐらいうれしかったものです。 その後営業職の人が店舗研修で入ってきて私の代わりに自発的に掃除してくれました。 彼らは薬剤師の半分の給与、15年ほどたってその人は薬剤師の年収の1.5倍になっています。 辞めていった薬剤師は同じ感覚で働いているなら同じような給与で陰口を言いながらどこかで働いていると思います。

自分の信じることに誠実に生きて行くことが辞めた薬剤師にはうっとおしい事でしょうし、私の代わりに掃除を申し出た営業職の人は私同様喜びを味わう事のできる人生を全うしていると思います。

毎日2時間前に出てきて掃除をすることは苦しい人もいるかもしれませんが、同じことを喜びとしてできればそれこそ素晴らしい人生ではないでしょうか?

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[未分類]

予期せぬ成功

 ドラッカーは予期せぬ成功に着目しています。 将来の成功の予兆が予期せぬ成功と解説しています。

現場を回り、会議に参加させてもらい、『たまたま上手くいった』話に耳を傾けます。 大抵は本当にたまたま上手くいった話で、中になぜ上手くいったのか理解できない成功談があります。 その成功は未来を拓く成功か? あまりに情報が少なく説明できませんが上手くいった必然性を説明できれば商売の達人になるでしょう。

経営に関することでも『予期せぬ成功』は起こります。 数年前に営業職の残業時間は管理されていませんでした。 ある取締役が営業の残業管理を行うべきだと会議で提案し、他の取締役が反対しました。 営業職の使命は業績を上げる事、当時営業職の賞与は個人成績に連動しており、業績を上げた人=残業時間の多い人は当然所得が増える、残業が多い人で実績が上がらない人も所得が増えるシステムは逆不公平という考えです。 配分方法ではなく合理性の話です。 1年以上営業残業管理の主張は続き、私は『やろう』と決め、他取締役の反対を押し切りました。 結果的に残業時間は減少し、生産性は上がり、不公平感もなくなりました。

これは予期せぬ成功か? 私は必然的な流れと後になって気が付きました。 もちろん残業を管理し、なるべく残業しないで済む方策を現場が工夫したのはその通りです。 上手くいったから正しい選択だったというより正しい選択をしてうまく運用できたという事でしょうか。

上手くいかなかったとき、残業の管理を行う事が正しい判断ではないとなれば最悪です。 当時多く阪大があったから現場では決まったことだから仕方がないのでうまく運用してゆこうという努力が実ったわけです。 経営項目で結果から事の良し悪しを判断することの不確実性を思い知った事件でした。

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