監査役BLOG

会社を見る鳥の目

経営者の目線で、日々の思いやできごとを綴っていきます。

[経営]

普遍のドラッカー

ドラッカーの研究者が『なぜドラッカーは時代を超えて生き続けるのか』というコメントを書いていました。 ドラッカーの評価は経営学者の側面が大きいですが、これはアメリカの大企業の経営コンサルタントを行ってきたからではないかと思います。

本人が『自分は経営コンサルタントではない』という意味のコメントを見たことがあります。 したがって本人は経営学者という認識も薄かったのではないかと思います。 では一体ドラッカーは何をしてきた人なのかという事になります。

私はドラッカーの研究に精通しているわけではありませんし、経営学をよく学んだわけではありません。 私自身経営学の定義を理解していません。 私は零細企業とはいえ経営に携わってきたものですから『経営学』には反応してしまいます。 そのたぐいの本は千冊弱は読んでいるはずなのですが何も残っていません。 思い返してみると経営学はスキルの体系学問、スキルだけに儲かる、安定するにつながる実学のイメージでした。

しかし長期にわたり経営に携わり、役に立ち応用できたのはドラッカーや古典中国の思想、同じ経営者のお話です。 それでも経営学の本は今も読みますが、実際の経営は科学ではないのではというのがドラッカーや経営学の評価です。 科学は普遍性、再現性、法則性を問われるもの、現実の経営にも普遍性、再現性、法則性の側面はあり、スキルとしては簿記なども科学的です。 しかし簿記は完成されたスキルであって学問としては範囲の狭いものでしょう。 経営はほぼ組織で行われるものですから組織論も科学的に分析できるものと思われます。 しかし総体として経営という抽象的なものは定義すらあいまいで、とても科学的とは言えません。 あくまで私見ですが。

ドラッカーや中国古典思想が経営にとって役立つ理由は数千年の歴史を経ても普遍的なものだから残っている、なぜ中国古典かというと当時の思想家は戦や国家統治で役立たなければ生きてゆけないからだと思います。 それゆえアカデミックと対極にある立場の人が編み出したもの、ドラッカーも当時の思想家と同じ立場だったのか、それとも中国古典をたまたま読んで普遍性を見抜いたからそれを応用したのかだと思います。
フォードやGEの経営指導をするとき、そこには優秀な経営者がいてスキルの部分は完璧だったのかもしれません。 しかし事の本質についてそれら経営層の人が強く意識していたかは疑問で、ドラッカーはその部分をぶれないよう指導したと思われます。 なぜならそれは普遍的な事柄だったからです。

初めに戻ってドラッカーの研究者がドラッカーの普遍性について『人と組織に視点を置いたから』と述べています。 人と組織に普遍性があるという事でしょうか?

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[価値観]

[習慣化]

諦めの納得

なんとも意味不明のタイトルです。 自分が諦めの悪い人間であることは欠点か長所かと考えることがよくあります。 そのような気質を生かすか生かさないかで欠点にも長所にもなってゆきます。 問題は程度の話、諦めが悪いというより執念深い事例として前職で役職上位者で評価できない人が私が仕事に集中しているときに頭をはたいていきました。 集中していただけに何が起こったかわからず、状況が把握できて怒りがこみ上げてきました。 結局何もしなかったのですが、その人とは以後の関係が改善する事は無く、約30年経過した現在でも思い出すことがあり、同時に怒りがこみ上げてきます。

もし今、眼前にその男が無防備で現れたとしたら仕返しとして殴るだろうか、過去を忘れ昔話をするか、どちらもないでしょう。 私は仮に挨拶を受けたとしても完全に無視するでしょう。

誰でも再現したくない記憶をもっています。 それは完全に忘れてしまう事が将来に向け、その人の幸せにつながることだと思います。 だからそもそも30年も忘れられない憎しみの記憶をもたなければよいわけですが、その時はかっとなって記憶が刷り込まれてしまいました。 その後30年間たまに再現されたことについては幸福のマイナス要因となりましたし、その男と以後うまく付き合えば会社での人間関係は潤滑に言ったと思います。

しかしその男は内容の乏しいアクションが派手なだけの人間だったので、その男と関係を円滑に継続したことにより人として得るものは少なかったように思います。 つまり自分にとってどうでもよい人間との関係で大事な記憶領域を長期に使ったことの喪失は計り知れないと思います。

そもそもバカ、もしくはバカげたことに対する憎しみは善悪の問題でない場合が多く、憎しみを抱かない価値観を身に着けたいものです。 私はこのようなバカげた感情のゆらぎ、それが憎しみに関わることであれば紙に鉛筆で克明に書くようにしています。 1つの事案を1時間かけて克明に記述すればそのようなこと自体がばかばかしくなってきます。 忘れようと思うより、克明に思い出してそれがつまらぬことであると認識に導くことが諦めの納得ではないかと思います。

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[生活]

[社会]

CCRC

表題はcontinuing care retirement comunityで、日本語に直訳すると『継続的なケア付きの高齢者たちの共同体』だそうです。 アメリカでリタイアした人たちが安心、安全で楽しく暮らせる小さな町をつくり、暮らすことだそうです。 広大な土地に戸建ての家が並び、高額の入居費用を払った富裕層の高齢者が暮らしています。 写真では町の中をゴルフカートで走っているのが写っています。

日本でも定年を迎えたりしてリタイアした人たちが趣味の世界や新たな就労場所を求め、さまよっています。 あるネット情報では日本でもCCRCの考えに近いものを作っているそうですが、成功事例はほとんどないとのこと、希少な成功事例として安倍総理も見学に行ったシェア金沢と運営本部の佛子園を訪問し、責任者に話を聞いてきました。

もちろん仕事として出向いたわけですから将来事業化できるか模索するのが出張の目的です。

本部の佛子園は北陸本線の金沢の数駅南の松任駅から歩いて15分の所にあるお寺です。 ここの住職が大昔まだ障碍者施設の無かったころから障碍者が集まるようお寺を解放したのが始まりだそうで、現住職が障碍者や高齢者に関する法整備に伴い施設を開設しました。 CCRCとはいえ高齢者に特化しているわけではなく障碍者、高齢者、健常者、子供も大人も『ごじゃまぜ』の共同体を運営していることが特徴です。

本部の責任者に面談がかない、お邪魔しましたが大きな施設でどこに責任者の方がおられるのかがわかりません。 お寺の本堂横に入り口があり、人がいないので中に入ってゆきました。 長い廊下に面してあるトイレで男性が大声を上げています。 喧嘩でもしているのかと思いつつさらに奥に入ってゆくと大きな蕎麦屋さんがありました。 厨房にいる人に声をかけようとすると職員のほとんどの方がダウン症の人で、責任者の人を訪ねると今日はまだお見えではないとのことで待つことにしました。

面談予定の時間が過ぎてもその方が現れないので事務所に電話するともっと奥にある事務所に来るように指示され、さらに廊下を進みました。

やっと事務所に到着し、責任者の方にお会いできました。 ビデオ映像をもとに施設の全体像を説明し始められたのですが、途中で質問するとビデオを止めて質疑に移りました。

認知症の高齢者の通所施設と重度の身体障碍者と同じところで過ごされていて、認知症の高齢者で夜間徘徊を繰り返す方が首が回らない障碍者にゼリーを食べさせる話に及びました。 毎日ゼリーを食べさせるために毎日施設(ディサービス)に来ることで夜間徘徊がなくなりました。 首の回らない青年はゼリーを食べるために首を回しているうちに首が回るようになりました。

今回の訪問の目的は当社でCCRCに似たものを事業として行えないかを探るためのものでした。 しかし話題はどのような考えで、何をして、どのような成果があったか『ごちゃまぜ』の話で終始してあっという間に1時間半がたってしまいました。

シェア金沢まで代表者に車で送ってもらうことになり、その前にダウン症のひとが運営している蕎麦屋でおろしそばを頂きました。 ブータンから取り寄せたそば粉で打ったそばは絶品でした。

車で40分、シェア金沢に到着し、代表と別れると中にある駄菓子屋に行きました。 自分と同じ年くらいの人が店員で、コーヒーを注文し話をすると同じ年の人で、名古屋で勤めていた会社を体調を崩して定年前に退職し、シェア金沢のサービス付き高齢者住宅に住んでいるとのことでした。 話をしていると小学生くらいの2人の女の子が話しかけてきました。 まるで友達に話すみたいになれなれしく話しかけてきます。

近隣に遊びに行くところが少なく、ここによく遊びに来るとのこと、ここの職員は皆顔なじみとか、私のようによそ者が珍しかったのでしょう。 ここは高齢者や障碍者の施設ではなく人が安心して話が出来る村のようです。 多くの人が他所から遊びに来ています。 温泉もあればフットサルグラウンドもあり、高齢者も住んでいれば金沢大学生の下宿もあります。 それぞれの人が何らかのきずなで結びついていて村を形成しています。

事業としては職員数700人くらいとのことでした。 社会福祉法人で運営されていて利益も出ているそうです。 投資額ははっきり教えてもらえなかったですが100億円未満でしょうか? 施設運営で事業費を稼ぐと考えるのか、高齢者や障碍者に住む場所や仕事や夢や安心を提供するのか、地域経済の活性化を図るのか、視点はいろいろあるでしょうが素晴らしい事業、村です。

できる事ならもう少し大きな規模でやってみたいと思いました。 地方の人口減少市に都市部のリタイアした高齢者が千人単位で移住し、自分たちの力で産業を興し、生活費を稼ぎ、都市を作り上げてゆく、底には自然も残っていて、体を使って働き、健康寿命を延ばし、所得を得て友達が作れる、そして適度に趣味も行える村、そして住人が高齢化していく中で最終的にその村で高齢者向けの施設も自分たちで作っていく事が出来ればどれだけ素晴らしい事かと思いました。 もちろん事業ですから利益が出ることが必要ですが。

 

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[価値観]

興味

私は太り気味で就寝時に時々無呼吸になります。 昼間に睡魔が訪れ、ひどいときは会議中に寝てしまったりします。 来客と面談時に寝てしまったこともあります。

そこでやせるため食事量を減らし、筋トレを行い、最近では貰い物のエアロバイクをせっせとこいでいます。 部屋を模様替えしてエアロバイク設置し、本を読んだり英会話を聞いたりしてこぎます。

エアロバイクには心拍数計測機能がついていて最初に何もしていないときに心拍数は90を超えていました。 私の年齢では60代後半が標準とのこと、びっくりしてタバコを減らすことにしました。 2日後には70に下がり、ほぼ吸わなかったタバコの本数が増えてきました。

カロリー消費を計算するとゆっくり1時間こいで100キロカロリーくらい消費します。 マニュアルのおすすめは300キロカロリー/日、3時間もこがねばなりません。 10日ほど毎日100キロカロリーこいで体重は全く変わりません。 しかし暖房入りません。 十分体が温まります。 脂肪が減って僅かでも筋肉や毛細血管が発達したと思えばやる気に繋がります。 もちろん体も慣れてきて1時間のエクササイズで体に何ら変化を来さなくなってくるでしょう。 64歳にもなって画期的な体力向上は無理にしても同年代でランニングをしている人などは素晴らしい体系を維持していて羨ましく思います。 私が期待すべきは健康維持、運動不足による疾患は回避できそうです。

体に負荷をかけていて若い時との違いは向上心が湧かないこと、若いときは意地になって続けた記憶がありますが今はこの程度でよいかで止めてしまいます。 結果的にはこの程度が年相応の運動量なのでしょう。 若いときは目標を設定し、目標に向かってがむしゃらにやれたことがわずか3キログラムの体重を落とすことさえ無理してでもやり遂げようとは思いません。

そのように変わってしまった自分とうまく付き合うことがゆとりのある老後なのでしょう。 これから毎年老化の影響が顕著になることを受け入れられたように思います。

 

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[社会]

田舎暮らし

田舎に暮らそうとするアクティブシニアが増えているように思います。 知人にこの話をすれば『そういえば友人が一人田舎に引っ込んだよ』という答えが返ってきます。 ここでいう田舎とは都市部に対抗する言葉で、本文では過疎地として理解してください。 過疎地の定義はというと人口密度が低いうえに人口流出が続いていている所です。

私は若い時から都市部に暮らしてきたので漠然と自然の残る過疎地に暮らすことに憧れを抱いていました。 その感覚の延長線上で山登りやオートバイの過疎地でのツーリングを趣味としてきました。

自分以外の人で同様な行動をする人について木原武一氏著の『老年よ、わがままに生きよ』、『よく生き切った人たちの物語 人生最後の時間』、『孤独の研究』を読むと古今東西著名な人たちが人生最後の時をどのように生きたか書かれていて、幾人かは田舎暮らしをしています。 登場する人は著名な人、少なくとも私は著名な人ではないので彼らのように社会のわずらわしさに悩まされることはありません。 人により最後の人生を楽しみ、人により退屈な余生を送られています。

高齢者介護の仕事をしていてリタイアした人が余生を退屈している人に多く出会いました。 時間の有り余る余生は趣味に生きようとしてゴルフや釣りや登山や将棋など余生になってもできる趣味に没頭できる経済力があっても没頭している人にはほとんど出会えません。

思うに趣味は職業と違いいつでもできでいつでもやめる事が出来ますから毎日やり続けると飽きてしまいます。 登山が好きで山岳雑誌に寄稿し、原稿料で暮らすなら年間200日山にこもることもできるでしょう。 釣りが好きで田舎に暮らして漁業権を取得し、毎日漁に出て生活の糧にするなら余生の人生でも楽しく暮らす事が出来ます。

ヒントは趣味が所得を生むこと、その所得がなくては生活に余裕がない事だと思います。 生活に余裕がないから頑張らなければならない、そしてうまく行けば所得に余裕が生まれる、それが生きがいにつながるという構図です。

そのようなライフスタイルをなぜ過疎地でやらなければならないか、過疎地の家や土地が安く変えること、うまく行けば漁業権など買う事が出来る、都市固有の誘惑や支出が少ない、自然が豊かで環境が変わることなどメリットとして考えられます。

不便と考える人は多いでしょう。 過疎地をオートバイで走っていて、例えば能登半島ではコンビニがほとんど見当たりません。 そんなところでもクロネコヤマトのトラックが来るので本当は不便は少ないと思います。

 

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[事件]

ふるさと納税 山梨市礼品

以前このブログでも紹介しましたが、2か月後に腐ったブドウが送られてきて文句を言ったというお話です。 友人が送付先であるふるさと納税を地誘拐している『さとふる』にクレームの電話をしてその返事が『傷んでいて申し訳ありません。 再送しますので傷んだものも食べていただいて結構です』と返事を受け、腐った礼品の写真を撮って『こんなものが食べられるか!』と再びクレームを言った話です。

さとふるは仲介して利益を稼いでいる会社、礼品に関する取引は振替納税者である私と山梨市です。 さとふるから私にも電話があり、謝罪の跡業者に問い合わせたこと、輸送途中でよくあること、という説明を受けましたが『私はその業者と直接取引したわけではなく、山梨市はどのように対処するのか?』と聞くと同様の返事、宅急便が何日もかかってブドウが腐るならともかく到着直後に腐っていたのでは配送時点で腐ったものを送付しているのは想像できます。

『山梨市の担当に写真を見せたのか?』、『業者にも山梨市にも写真は転送していません』とのことでした。 見もしないでよくあることと言われても釈然としないし、何日もたってそれをしていないことからどうもクレーマーに思われたような気がします。 であるならこの振替納税サイトや山梨市への振替納税をやめるのが賢明、このような苦情対応はデパートで同じ問題が起こればせ誠実に対処してくれるでしょうが役所とその下請け業者のやること、さらに振替納税者にしてもお金を出して買ったわけではなく振替納税の礼品といったあきらめもあるのでしょう。

そのような構図にはまった問題なら山梨市への振替納税はやめるべきで山梨市産農産物の不買運動くらいしか対処は無いと思います。

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[プライベート]

反省するより悔い改める

私は64年生きてきて、蓄積した過去を思い出すことが将来を考えるのと同様に多くなってきました。 『あの時のあの言い方はない』とかです。 多くは詩文の悪癖、直せばその後は同じ後悔はしません。

生活環境や立場は日々変化し、応用問題が出てきたときに同じ悪癖をしてしまいます。

悪癖を善悪の判断をすれば普遍的に悪いこと、つまり罪悪につながる悪癖があります。 他人を意味なく傷つける等ハライスメントの類と空気を読めなかったなど悪意は無くても相手に不愉快な思いをさせてしまったような発言は程度にもよりますが罪悪とは言えないでしょう。

身近にいる記憶力の良い人で、会議などで他人の発言に対し付帯関連することをしゃべらないと気が済まない癖があります。 討議の方向と違うことを事実であっても今喋る必要がないといくら言っても治りません。 会議でのマナーの問題です。 出席者は本人に悪意のないことは判っていて注意もしません。 そのことの問題はちょっとした忍耐で済むからです。

なぜわからないのか、言葉にして注意しても改まりません。 本人はそれが良いと思っているのでしょう。 もしくは私がその癖に嫌悪感を抱きすぎているのかもしれません。 本人の価値観で好ましくない癖であると認識しなければ治りません。 本質に気づくこと、善悪の問題のように法律があり誰もが共通認識になっていることでない悪癖は善意に裏打ちされていればいるほど厄介です。

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[社会]

ふるさと納税

ふるさと納税をして礼品の送付先を友人にしました。 友人から電話がかかってきて腐ったブドウが届いたと、送付先に文句を言ってもよいかというものでした。

山梨市のシャインマスカット2房、寄付額は一万円、申し込んでから2か月後に送られてきたものは写真とは異なる腐って茶色くなり、房から実が取れたものでした。

何度か振替納税で礼品を受け取っていて、農産物はすべて問題の無いもので、発送も申し込みからそんなに遅れる事は無かったのですが。

実際に送る手配をしたのは農家か山梨の果物商、納税の紹介サイトに私と同じクレームが投稿されていました。

山梨市に情報が届いているのかどうかわかりませんが、行政の怠慢、業者の悪意は明白です。 今後山梨市産の農産物を買う事は無いでしょう。

そもそも最近の宅急便は発送から荷が届くまで2日くらいです。 つまりは傷んだ果物と分かっていて発送したもの、これで謝罪がなければ詐欺としか言いようがありません。

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[経営]

地域密着

当社の以前の理念は『地域に根ざして人の健康と生活を守ります』というものでした。 調剤薬局や高齢者介護の事業はネットビジネスのようなものではなく、地域に密着し、顔の見えるものです。 そのまま理念にしました。

ある朝6時30分ころ、会社に向かって歩いていると一人のおばあさんがニコニコして『おはようございます』と挨拶されました。 朝の散歩の途中のようで、たまたま久しぶりに会った知人に挨拶するようでした。

私はその人のことが思い出せず、挨拶を返してその人を見つめると『薬局でお世話になったものです。』と説明されました。

15年位前、薬局の前の病院が突然院外処方箋を発行し、薬局が混乱した時期があります。 その時私は毎日薬局に立ち、店がスムーズに流れるか見ていました。 私は薬剤師ではないので調剤はしません。 やっていたことと言えば「トイレは?」と聞かれれば案内する、販売している商品をレジに持ってこられればレジを打つくらいでお客様と直接話をしたりすることはほとんどありませんでした。

その時、慢性疾患で定期的に処方箋をもってこられていた人だと思い出しました。 10年以上前に混雑する薬局で立っているだけの中年男を覚えていて、道で会ってにこやかに挨拶され、少し違和感を覚えました。 私は人の顔を覚えるのが苦手、人の顔を覚えなくてはいけないホテルマンやゴルフ場の支配人は自分に不向きの仕事と思っています。 そもそも地域密着の仕事は地域の事を熟知することが必要です。 交番のおまわりさん、宅急便の配送人などまさにこれにあたる仕事です。

自分が作った理念が『地域に根ざして・・・』と言っていてダメだしされた気分です。 私はその人の顔を覚えていませんでしたが当時薬局に来られ、どんな顔をされていたか、当時もニコニコ笑顔で誰かとお話しされ、自動ドアを通って帰ってゆかれたことを映像として思い出しました。

当時の自動ドアは開いた時さっさと通らないとしまってしまう出来の悪いドア、怪我でもされては大変とドアの開閉に注意していた自分を映像として思い出していました。 自分にとって地域密着の仕事で『誰が』では無く『何が』に注意していたか記憶が明らかにしてくれました。

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[趣味]

キャンプファイヤー夜話

57歳の友人二人と丹後半島にキャンプ、ツーリングに行きました。 二人はキャンプが趣味で、宿泊を伴うツーリングはキャンプで行くことが多いのですが、私は宿に泊まります。 今回は二人に合わせることにしました。

二人は250ccのオフ車に山のように荷物を積んできました。 夜の食事は焼肉、海沿いの有料キャンプ場に到着するとタープテントを張り、食事用のテーブルが出てきて、耐熱性の金網の上でキャンプファイヤーをします。 そのための薪や焼き肉用の炭火コンロ、炭着火用具等キャンプ道具がこれでもかと出てきます。

私は海岸まで行って薪を拾いに行きました。 薪などいくらでも落ちていてわざわざ持ってくる必要はなかったのですが、薪が大量に確保できたのでキャンプファイヤーは寝るまで盛大に燃やせました。 焼肉をつつきながらビールを傾け、出てくる話は今の職場の事、二人はあと数年で定年退職、再雇用の保証は全くありません。 私はすでに隠居の身、将来の話になりました。

定年になったら三人で田舎暮らししないか?と投げかけると二人はそれはよいプラン、参加したいとのこと、仲が良くても一緒に暮らす上ではプライバシーの確保が必要だから個室がそれぞれあること、暮らしていく上でのルールを決めること、キャンプファイヤーの炎を囲んでの話なので薪ストーブがよい、海岸に流木が多いなら可能である。 畑を借りて野菜を自給したいなど様々の意見が出ました。

突拍子もない話題は実現するのではないかと思います。 二人がよいならこれからバイクのツーリングは候補地探しを目的にしようという事でまとまりました。

さて残りの人生のゴールデンタイムはどうなることか、久しぶりの不安と期待にワクワクしました。

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