監査役BLOG

会社を見る鳥の目

経営者の目線で、日々の思いやできごとを綴っていきます。

[人間関係]

会話

毎日誰かと会話して気付いたことですが、話す内容、言い回し、結論を先に言うか後に言うか、とかが人によって違うし、私の方も人によって話の切り出し方がパターン化されていることに改めて気付きました。

ある管理職の人はとりあえず当たり障りのないことをはじめに言います。 今日は寒いですね!とかです。

その人は本当に当たり障りのないことをいろいろ言い続け、こちらもそれぞれに適当に返事し、五分もしゃべると別れます。

そしてしばらくして、『彼との会話はいったいなんだったのか?』と不思議な気持ちになります。

全くの第三者であればそのようであるべきだし、重たい会話をされても対応に困りますが、同じ会社の管理職の人で、勤務時間中ですから当然業務にかかわることになります。 そしてその会話のかなりの部分は業務にかかわることで、しかも重要な事を含んでいることが多いです。

彼の発言は『誰々はこう思っている』とか『これこれは上手くいっている』で、だから決めなくてはならないことはこうすればよいと考えます。 考えただけなのか、何も決まっていないのか、と思ってしまい会話に関心を失い、聞いた内容を忘れてしまいます。

しばらくして、『あの件はどうなったのか?』と質問すると、『この前話した通り、これこれです』と返され、以前そんな話を聞いたのか?となります。

明確に結論を先に話す、決めた、会った、こうであった、等と言えば記憶に残るのですが、周辺の話をされると記憶に残りません。

以前はそのような場合に『結論はどうなんだ?』と質問し、それが詰めているように聞こえて、事実は詰めているのですが、非難や反対しているようにとられ、ソフトに聞くようにした結果、キーワード無き重要事項の伝達は不調に終わってしまいます。

私の意図にかかわらず、周囲の人たちは私に気を使っている、もしくは恐れているのかもしれません。 私は業務上のやり取りは余計なことは言わずに端的に伝達することが正確であると思っています。

もちろん仕事の決定であっても確信のある決定やほかに選択肢がない決定もあり、そのニュアンスを伝えるために人は言葉を飾り、濁します。 仕事のコミュニケーションは結論がすべて、ニュアンスで行動や意思決定は出来ません。 そう信じている自分が味気なく思います。 ある管理職はコミュニケーションについて近い考えをもっていて、私との会話はまるで軍隊の報告のようにそぎ落とされた会話になっていて、誤解や伝達不良はあまり起こりません。

前出の周辺事項を説明する人の人間関係は広く、結局彼の話し方の方がより多くの人とコミュニケーションを図るうえで効果的なのかと思います。 関係の薄い人、得体のしれない人に結論ありきで話をするのはリスクがあります。 そのような人と話すうえで結論ありきの関係性はおそらく築けていないでしょう。

人は不器用で、丁寧にものを言う人は喧嘩をしていても丁寧に言うでしょうし、言葉の荒い人は接客でも荒い言葉で話すでしょう。 どちらも相手を知らなければびっくりしてしまいます。 もちろん器用に言葉をもてあそぶ人より信用できそうな気がしますが。

私も不器用な一人として、初対面でも意見を求められれば明確に言ってしまい、誤解されたりします。 たとえ正しい評価であっても言わないほうが良いことは相手は誰であっても言わないように心がけ、相手の立場に立って相手が建設的に私の言葉を受け入れるのであれば言葉を選んで話をするようにしています。

この歳になって何を今更ですが、会話のスタイルを変えるのはなかなか辛いものです。 数年続けていて、少しづつ板についてきた話し方、先ほどの軍隊会話が通じる管理職は『何があったのか、なぜ変わったのか』訝っていたようです。

話し方だけでなく、先ほどの例のように相手の立場に立って良いことかどうか考える癖や、相手を悪く言わない、考えない癖はなかなか身に付きません。 しゃべるだけなら気を付けていれば何とかなるのですが。

若い時、そのようなことを直すのに『ふりをする』ことを教えてくれた人がいます。 サラリーマンのふりをする、善良な人のふりをする、仕事ができる人のふりをする、ふりをしているうちにそのようになるというものです。

ただし、ふりだけで考え方まで変えるのは至難の業で、私は自分の目指す考え方と異なる行動や発言をがそれに合致しないことを鉛筆で紙に書き、修正しようとしています。 これは反省文を書いているようなものですが、目的は反省にあるのではなく、目指す自分になるための行為です。

あまり急激に自分を変えようとすると自分の中にAとBがいて、整理がつかなくなったりします。 自分の人格は生まれいてから長い年月をかけて形成されたものですからすぐに変わる事、成長することはありません。 しかし疑問をもち、考え正してゆかなければそこで自分が固まってしまいます。

今かつての自分の考え方や行動を振り返って同時のピュアで粗野な自分に戻りたいと思うことはありません。 それほど人は未完成なのです。

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[価値観]

長所と短所

採用面接で長所と短所を聞きます。 即答できる人は少なく、大抵考え込んで答えられます。

学制時代に何かスポーツをしていましたか?、と聞いて答えが『テニス』であればプレースタイルを聞いて『ベースラインでストロークを打ち合う』と答えられたら『どうしてそのプレースタイルですか?』と聞くと『サーブが攻撃的でない、ボレーが下手、足が遅い、ストロークが得意、自分から仕掛けるのは得意でない・・・・』といった答えが返ってきます。

しかし性格としての長所・短所は採用面接だからかもしれませんが、言っていいものか悪いものか考え込んでしまい、よくある答えは『集中すると周りが見えなくなります』といった長所・短所どちらでもとれる答えが返ってきます。

集中できることは一般には長所で、集中しているときは意識が周囲に巡りません。 ではそれほど常に何かに集中しているかというとそんな人は見たことがありません。 私も集中することがありますが、せいぜい一時間以内、最近では15分ぐらいで集中が途切れます。 子供のころは本を読んでいたら暗くて字が読めなくなり、夜になっていた事があります。 私にとってそれが集中している状態で、稀にしか起こりません。 歩きながらスマホを操作して人にぶつかるのはそもそも不注意な行為だと思います。

面接で集中してと言われると『歩きながらスマホ』をイメージし、確かに悪い癖と思いますが、具体的に集中して失敗したことを聞きます。 自分の短所と考えているならそれで失敗しているわけですから答えが返ってくるかと思うと返ってきません。

つまりは自分のことについて客観的に見ていないのかと思います。 さらに一歩踏み込めば考えない人間である、答えを求められた時に考えるより悩んでしまうのが欠点であるというふうに判断します。

テニスの例のようにスポーツなどで自分の得手・不得手はクラブのコーチや同僚の指摘や試合での勝敗を決めたプレーなどでわかりやすいのですが、そのような質問でも自分のプレースタイルを見ていない人は多く見受けられます。

面接で応募者の欠点を見抜いている自分がいて、さて自分の長所・欠点は何かと改めて考えてみました。 長所は『忘れる事が出来る事』、日々いろいろなことが起こり、報告を聞いて自分にとって意味の無いことは忘れてしまいます。 例えば誰かかが社用車を何かにぶつけたという報告が来たら事故の状況、怪我の有無を確認して忘れてしまいます。 事故の原因が再発につながる事であれば対策を聞きますが、偶発の事故であれば覚えいても仕方ありません。

短所は社交性がないこと、経営者としては大きな欠点で人間関係を作ったりが下手です。 ところが長年一緒に働いている人から『社交性が高い』と評価され、びっくりしました。 複数の人からそのように評価され、それが正しい評価なら採用面接で『この人は自分の事が何もわかっていない』と言えません。

自分の事も含めて物事を正しく評価するには素直でなくては見抜けません。 あの人は嫌いであると思っていれば欠点ばかりが目についてしまいます。 62歳にして自分が解っていない事に気が付きました。

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[習慣化]

最初の一歩

私は毎週の週間予定表を作り、予定表に沿って行動しています。 カテゴリー別の項目の一つは仕事に関することです。 面談予定は不定期で、相手からの申し入れが多いですから、予定に書きません。 最初に何をすべきか、を考えてそれに沿った項目を考えます。

例えば人事制度について考える必要があればそれに沿った書籍を図書館で探します。 なければアマゾンで購入します。 すでに手元にあればそれを読むことが項目です。

生活に関しては掃除、買い物など、健康維持ではトレーニング項目が続きます。

具体的な項目ではありませんが、仕事で生活で何かを思いついた時はそれをレポートにまとめる、一週間でテーマ5個とかです。

それぞれの項目を行えば項目の横に赤鉛筆で丸を付けていきます。 各項目の所要時間は大体計算できるのですべての項目の時間を足すと会社にいる時間を1日当たり4時間、寝る時間を7時間としてほぼ全項目ができることになります。

実際は半分もできません。 もっともできなかった週は1割程度でしょうか。 できなかった週は録画したTV番組を見ている時間が長かったり、体調が悪くだらだら過ごしていたりしています。

このような予定表を作る以前はさらにやっていることは出来ていたことは少なかったように思います。 予定項目を作り、習慣にすれば日々の生産性は上がると思ったのですがなかなか上手く行きません。 1週間が終わって、週間予定表の赤丸の少なさにがっかりします。

予定表の終わりの日が近づき、例えば筋トレ項目の腕立て伏せが出来ていなければまとめてやろうとしますが、筋肉痛で連続しては出来ません。 読書などはまとめ読みでは内容が残りません。 体力も集中力も落ちてきていますから分散しなければ結果につながらない項目もあります。

そこで毎日予定表を見て、出来ていない項目を一つこなします。 日に何度も予定表を見るとバランスが良くなってきます。 つまりカテゴリーごとの項目で週末に全く丸がついていない項目は無くなります。

次に考えたのは一つの項目が終わると予定表を見て次の項目を探します。 読書で頭が疲れていたら軽めの筋トレ項目をやるとか、バランスを考えながらすぐに次に取り掛かります。 この方法で少し生産性は上がりました。

レナード ズーニンという人が『初動4分の法則』を提唱していて、なかなかやる気が起きない時は無理にでも4分間だけ集中せよ、という言葉に従いました。

もともと習慣化することであまり意識することなく体力が付き、体重コントロールし、予定表を作り直すことで何をすべきか洗い替えし、生産性をあげようとするためのものでした。 しかし予定表に日々の生活を支配されているように感じて、赤丸の数が伸び悩んでいます。

今生産性を上げるために取り組んでいるのは何をすべきがという目的を見直し、出来た項目が少なかったことの反省をし、目的意識を高めています。 英会話は香港出張の為に項目に入れましたが、出張が終わると気合が入りません。 新たに海外のどこどこに行くなど、それが観光旅行でよいのですが目的を洗い替えます。

努力を総動員し、生産性をあげても日々の成長は感じられません。 今のやり方を年単位で続けると成果は実感できるかもしれません。 私の年代では1週間続ければ目に見えて違いが判るやり方はそぐわないようで、1年かけて違いが判るやり方をいかに根気よく続けるかではないかと思います。 そもそも人は怠惰なものですから。

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[会社運営]

[価値観]

朝三暮四

中国古典の現代訳本を読んでいると世界の軍隊の幹部が読んでいると解説がありました。 近代装備の先進国軍隊司令官からアルカイダのようなゲリラ組織の幹部まで読んでいて、国籍も問わないそうです。

私も読んだことはありますが、なかなか日常業務に応用できていません。

私が懇意にさせて頂いている経営者の方で、大変スマートで誠実な方が自らの従業員の処遇を巡り、『朝三暮四』を引き合いに出しました。

その人の行う事業に従事する職員の一般的賃金水準は決して高くありません。 従事する人は解っていても賃金に対する不満はついて回ります。 デスクワークが多い仕事で、基本給、残業代の支給、休暇・休日制度の運用、すべて適法に処理されておられます。 年収に換算すると決して高くなく、それが相場でありながら不満を持つようです。

経営者の方は考えて基本給をさらに下げる代わりに残業代を厳格に支払うことを約束されたようです。 そのことについてタイトルの『朝三暮四』を引き合いに出されました。

中国の故事でお猿をたくさん飼っていた人がエサ代に困り、餌である木の実を朝に三つ、夕方四つ与えるとお猿に言うと、お猿が少ないと怒ったそうです。 そこで飼い主の老人は『では朝に四つ、夕方三つではどうか』というとお猿は大変喜んだということです。

飼い主の老人は一日の木の実は七つで変わらないのにと思ったことでしょう。 しかしお猿の立場で見ると事情は少し変わってきます。 お猿の餌と人の賃金を同列に考えるのは少し不謹慎ですが、仕事の難易度は個々に違いがあり、残業を必要とするものとサクッと仕上げる仕事があります。 難易度の高い仕事で残業して仕上げれば残業はきちっと評価される、しかし平均すれば個々の職員に振り分けられる仕事は経験に応じてバランスを保たれるわけですから、ほとんど残業が発生しないよう工夫されてています。 経営者はそこまで配慮しているので個々の作業について残業して完成させることに意味を見出さなかったのでしょう。

世の中には同様の現象が多くあり、当社においても営業職の初任給で話題になります。 当社の営業職の初任給は低くく設定されていて、他業種と比較して見劣りします。 もちろん介護事業は制度ビジネスで、国が事業における利幅を厳格にコントロールしていますから、同業も賃金は決して高くありません。

当社の報酬における基本的な考え方は相場と会社への貢献度合いで決めるものとしていますから、営業職が会社に利益貢献すると十分な報酬を支払っています。 少なくとも業界内比較ではかなり高い方だと思います。 募集をかけても見劣りするので応募者が集まりません。 そこで初任給をあげてはどうかと意見がたびたび出てきます。

人件費総額は変えられませんから同然高い報酬を得ている人から報酬の低い人に付け替えることになります。 これでは平等を目指して逆不公平になります。 少なくとも今働いている人は望まぬ方策になります。

それでも初任給を高くして優秀な人が集まり、会社全体として効率化が図られれると人件費総額を大きくする事が出来て人件費増を吸収できるという考えもあります。 もちろんその可能性を否定できませんが、私は次の二つの考えから反対しています。

一つは目先の賃金水準を職業選択の基準にしている人は将来ベテランになったときに期待する賃金水準が低いと不満が募ることになります。 制度ビジネスは大きく景況が変化する可能性が低く、安定している業界なので、その保険料から賃金は低いという考えも成り立ちます。 そもそも職業選択ということであれば自らの適性を選択基準にすべきで、生活できない水準でなければ目先の賃金は無視してはと思います。

二つ目は職業というとプロフェッショナルですから、貢献が収入の基礎であり、貢献の多寡にかかわらず勤続年数などで報酬が決まる割合は出来るだけ排除したいと思うからです。 民間企業は利益がなければ消滅するだけですから、当然の考え方と思います。

成果を正当に評価してほしい、つまりやったらやっただけ収入が増えることを良しとする意見は面接時によく聞きますが、そのような意見の人が成果を出せず、昇給しなかったときに真っ先に転職に走るのを見ているとかなか考えを変える事が出来ません。

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[経営]

自らの意見からスタートする

ドラッカー氏の言葉に『成果を上げるものは事実からスタートできないことを知っている。 誰もが自分の意見からスタートする。』のがあります。

ドラッカー氏の名言集を読んでいた時に目に触れたのですが、意図する事が判らずに今日までもやもやしています。 このことを書いた原書を読めばわかるのですが、読まずに今日まで来てしまいました。 名言集でいくつか意味が理解できない言葉があり、調べたことはありません。 日々の経験の中で自分で気づくのが私の理解方です。 その場合、氏の意図と異なる解釈をしているかもしれません。

腑に落ちた言葉はもともと自ら気付いていたもので、氏がそれをうまく言葉に表したものと思っています。

最近読んだ本に『仮説思考』というのがあります。 著者は内田和成氏、もともと米国でビジネスコンサルタントをされていた人で、企業からの依頼に対して詳細に情報を集め、分析してコンサルタントをしていたそうです。 結局時間がかかる割にはあまりうまい考えが出てこず、挙句の果てに上司からは『枝葉を見るのはうまいが、幹を見ていない』と言われたそうです。

細かく情報を集めて分析するのは事実の把握で、事実からスタートする意味にとれます。 内田氏は先輩に聞いて回り、こうすればよいのではというストーリーを最初に組み立て、それを証明する事実を集めて分析する手法に変えたそうです。 この部分は誰もが自分の意見からスタートするに通じるように思います。

コンサルタントは最小の費用で最大のアドバイスをしないと評価されません。 スピードを速める方法として紹介しています。 コンサルタントはクライアントから経営課題、例えば同業他社に商品性能では負けていないのに市場シェアは負けている、理由は何かと問われる仕事です。

経営者はそのような経営課題をもった時に解決できなければ自らを否定されます。 つまりは命がけ、コンサルタントに依頼するのは万策尽きた時で、普通は自分で考え、手を打つでしょう。 自分の命がけの仕事を人にゆだねるのは釈然としません。

ドラッカー氏がこの言葉を課題解決の効率化としていたわけではないと思います。 コンサルタントは先の事例では価格を下げずにシェアを何パーセント上げる方法は何か?と聞くでしょう。

有名な経営者を観察していたドラッカー氏はそのような場合に経営者がこうしたいという明確な意思を示し、えてしてそれが現実離れしていたが突き進むことで経営課題を解決してきたのを何度も目の当たりにしたと思います。

学者は事実を分析し、コンサルタントは方法を検討する、経営者は意志を示すものと決めつければ矛盾があるでしょうか?

ドラッカー氏は自ら私は学者ではなく家の窓から下界を眺める傍観者であるといっていました。

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[人間関係]

職場の人間関係

会社で人間関係のトラブルが頻発します。 大抵のトラブルは理由を聞くと些細なこと、しかし当人にとっては耐えられないことのようです。 もちろん私にもそのようなトラブルは経験があり、いい加減にしろとは言いにくいことです。

ドラッカーは人間関係に感知する必要はなく、自らの仕事をきちっと行えばトラブルは発生しないと言っています。

ある女性職員とこのことを話していて、ドラッカーなど読まない人ですが、女性の多い職場では仕事のちょっとした手抜きがあると周囲の人が見ていて、それがもとで人間関係のトラブルに発展するそうです。 まさにドラッカー先生のおっしゃる通りで、別にそんなにたいそうな見識ではなく、皆が感じている事のようです。 残念ながら私の場合、そうとも言い切れない経験をしたことはありますが。

しかし仕事のやり方を巡って人間関係が損なわれるケースは圧倒的に多いとは理解できます。 ある職員は始業時間の一分前に会社にやってきます。 正社員です。 電車が遅れるとそれが理由で平気で遅刻してきます。 私の会社勤めの時代ではありえないことです。 もちろん、そのことは就業規則違反ではありません。

しかし余裕をもって出勤している人からすれば身勝手に映るでしょう。 それが5分前なら許されるのか、いやいやせめて10分前には来るべきだ、という議論に発展してゆきます。

全く持って生産的ではなく、常識というか良識というか許容範囲は決まると思います。 しかし1分前に来る人は何が悪いのか理解できないようです。 勤務時間中に私語に興じる事もあるでしょう。 それは就業規則違反、ならばたとえわずかな私語であっても罰せられるべきというと会社の中はぎすぎすしてきます。

いつも会議に遅刻する人がいて、本気で何度も注意しました。 そもそも時間の観念が乏しく、自分の仕事のけりをつけてから来るという言い訳をいつもします。 会議に遅れないように予想時間より早く仕事を始めればよいと思うのですが、本人はそのような注意に耳を貸しません。 遅刻はどうでもよいことという価値観なのです。

だから遅刻は繰り返されます。 1分でも遅刻すると会議に参加させないというのはどうか、猫にお手を教えるような話です。 そんなことまで感がる自分が情けなくなります。

会議をして議事録を作成し、読んでもらってハンコを押して帰してくれ、と指示をしても議事録は返ってきません。 議事録を提出しろと指示を出すと一年分の議事録が出てきます。 こちらも議事録の返却を三か月遅れたら会社を首にする就業規則に変えられないかと考えたりします。

これも猫にお手を教えるようなもの、この記事を読んだ人は当社の採用応募を再考するかもしれませんね。

しかし誰も悪意はなく、ただ継続して忘れてしまうのです。 もちろんそのような事ばかりがきちっとできて、肝心の重要な議題が真面目に審議されないほうが問題ですが、それはみんなきちっと議論します。

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[会社運営]

経営者の条件

当社は経営として一時的な安定期に入り(と私は思っているのですが)、自分が次に何をすべきかと考えていたとき、PFドラッカーの『経営者の条件』が目に入りました。

北海道ツーリングの帰路、小樽の本屋で見つけて帰りの船で読んでいました。 ドラッカーが1950年から1960年代に書いた論文をまとめたもので、歴史に名を遺した経営者や歴代の米大統領の意思決定が例示されています。

例示が古く、人によってはコンピュータの発達や経済学の進歩など現在では過去の考えと思われるかもしれません。 実際に読んでみるとそうは感じさせないものがあり、ドラッカー先生の深い洞察力を感じました。

前述した会社の安定期に何をするべきかを悩んでいたのですが、介護保険ビジネスや医療制度の一環である調剤薬局、ケアプラン作成業務など制度ビジネスを営む当社にとって、なおかつ労働集約型のビジネスモデルの中で、方向を誤らずうまく運営すれば赤字にならないビジネスで、今のところ赤字てないわけです。

負荷の大きい制度要請の効率化を図る、制度外ビジネスを立ち上げるなど課題はあります。 人事上の問題もあります。 それらに目を奪われ、解決に注力したとしても問題が解決して元の状態に戻るだけ(これもドラッカーの見解)、同じ問題が繰り返し起こるなら本質的な問題がある、それを見極め個別の問題にかかわらず本質に迫れと氏は指摘しています。

JR北海道、東芝、VW等の問題はまさにこれに該当し、かつてのドラッカーの指摘は現在のトップを走る経営においても生かし切れていません。 これら大企業は大企業であるがゆえに当社と比較ならない多くの課題が、それも大きな課題が日々起こり、経営者は膨大な報告を受けていることでしょう。 選択を誤ったり手を抜けばすぐさま凋落の危機が訪れます。

一番効果的なことは反復する問題の本質を見極め、再発を防止することです。 当社はこれら大企業と比べるべくもありませんが、頻発する課題に対処して幹部は疲弊しています。

私自身、年齢は62歳、課題の対処を目的とした本を読もうと思っても目の老化で若い時ほど読めません。 集中しようと思っても体力が衰え持続できません。 好奇心も薄れました。 そこで筋トレをし、気分転換をし、隙間の時間に本を読み、人の話を聞くように心がけています。 しかし、思ったことをバランスよくこなすには時間が足りません。

ドラッカー氏はこの問題に『やることを決める前にやらないことを決める』と言ってます。 やらないことはらなくても良いことや誰かにやってもらえばよいことで、結構多いと思います。 私はこの考えにずいぶん以前から従い、多くのことを止めてきました。 やめて空いた時間を娯楽にあてたりもしましたが、今やらねばならないことを明確にすることで娯楽の一部も減りました。

娯楽の少ない人生は侘しい気もしますが、代わりに得られるものは大きい気がします。

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[会社運営]

新規事業

当社の事業は医療・介護保険にかかわる事業です。 面接で志望動機を聞くと『市場規模が拡大する事業分野だから』と答えが返ってきます。 確かに無くなることはありません。 人が病気や要介護になる限り、保険制度がある限り、無くなることのない事業分野です。

しかし徴収された保険料と税金の補填、自己負担で運営されている保険制度で賄われる金額は膨大で、年々膨らんで行っています。 総額でいえば約50兆円、国の借金が国債発行残を含め1200兆円になり、今のままで制度維持が難しくなっています。

今まで制度改定の時期になると厚生労働省が検討してきたことを小出しにして、反応を見ていました。 財務省から予算を減らす圧力がかかって制度変更を行ってきたのですが、最近は財務省からこの制度をこのように変えてはという変更内容の指摘があるようです。

内容はともかく、お金がないのだから変更せざるを得ないわけですから『市場規模が拡大するから』と楽観できません。 もちろんすぐに無くなるものではありませんが、内容はどんどん変わって行くでしょう。 仮に医療・介護の保険制度がなく、全額自己負担なら高齢者の多重診療は殆どなくなり、高齢者が介護サービスを使う頻度は激減するでしょう。

例えば処方箋が出て、薬は病院やクリニックで調剤されることでそれなりの医療保健点数がつくようになれば門前薬局は激減するようになります。 高齢者介護の自己負担割合が1割から3割になれば介護サービスは激減します。 そのような施策について功罪があるので劇的な制度改正は行われませんが、ジェネリック使用割合を80%にする方針は10年前には考えられなかったことです。

会社運営をする中で毎期の業績を追求するのは当たり前として、どこの会社も10年先を考えています。 当社も同様で10年先も無くならないが大きく様変わりする事業は当社で継続できるかどうかわかりません。

介護用ベッドや車いすは無くなり、高齢者がガンダムのようなロボットスーツをまとうようになるかもしれません。 我々の仕事はロボットスーツのメンテナンス・配送になりますのでロボットメーカーがこの分野を担うようになるかもしれません。

そこで10年先を見越して今から何を手掛けてゆけばよいか、未来予測の本をいくつも読んでみました。 必ず出てくるのが人工知能AIの活用です。 インプット・アウトプットの関係が比較的単純な仕事は機械に置き換わるというものですが、以前にも書いたように税理士業務などはかなりの部分AIに代替されると予測されています。 なくならないのは相談業務、経費を使い何かを買った会計処理は単純ですが、今の財務状況で、または一般的に営業車両など資産を買うよりリースで賄うとアドバイスするとかです。

調剤薬局で調剤業務はAIの性能アップを待つまでもなく自動化は現在の技術で可能です。 機械・装置が大きくなり、高額でもあるので現在の調剤薬局の規模では過剰投資になってしまいますが、アマゾンの物流センターであれば投資も設置も可能で、処方箋が来てから数時間内に薬が手元に届くことが可能です。

現行制度の問題を無視すれば服薬指導はテレビ電話システムやメールの問診にこたえることで可能になります。 その受け手は薬剤師ですが、問診内容をAIが薬剤師に代わって行う可能性は否定できません。 薬剤師の役割はAIソフトの改善や新薬研究などになってきますが、新薬開発では一部AIが利用が始まっています。

現在の職業のかなりの部分は様変わりしてゆき、一体何を新規事業にすればよいかわからなくなってきます。

実際の事業運営を考えた時にすぐに劇的変化が起こるわけではないので、変化のプロセスを追う事になるでしょう。 30年ほど前に初めて携帯電話を見た時、現在のスマートフォンを誰も想像しなかったでしょうし、その頃初めてインターネットショッピングモールを熱く語った友人を思い出します。

現実にはスマホもネットショップも30年後の現在でも固定電話や店舗販売を完全に排除していませんが、かなりの部分代替してきたと思います。 私同様高齢の人は固定電話を使い、店で買い物をしています。 その利便性を受けるのは人ですから、世代交代と共に変化が進むのでしょう。

ちなみに私の母親は90歳前ですが、毎日安否確認の電話を始めました。 最初は固定電話にしていたのですが、最近携帯を持つようになり、携帯にかけています。 電話のそばにいなくても電話に出る事が出来るので携帯が便利だと母もすぐに理解しました。

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[会社運営]

凡事徹底

組織は統一性を求めるがゆえに理念やスローガンを作る。 当社においても『凡事徹底』が浸透しました。

煩雑な制度ビジネスを行っている中で、業務の多くは凡事といえる定型作業です。 それを完璧に実行していないとルール違反として処罰されます。

凡事徹底はその意味で的を得たスローガンで、浸透してから凡事が徹底されたかというと徹底されないことが多く出てきました。 しかし、凡事を徹底しなければいけないということから、徹底されていない凡事に焦点が当たり、徹底を促された効果はありました。

そのようにして凡事が徹底してゆく中で、凡事の意味が拡大解釈され、非凡を徹底しようとする風潮があります。

凡事徹底は地味で革新的ではありません。 徹底されたときに問題の芽がなくなっただけで当たり前の状態になっただけの事、営業であれば基本ができたので拡販に向け、いろいろ考えそれを徹底しようという動きが出てきました。

徹底の独り歩きです。 最初に解説しましたように組織は統一性を求めるもの、徹底はそれに合致した言葉です。 会社という大きな組織の中で個別の組織単位でこれを行うことは場合によっては反会社的行為といえます。

会社全体のスローガンを補填する意味での戦略や方針の徹底は好ましいのですが、会社の方針や社会常識を無視したスローガンの徹底は問題となります。

このように言えば私が保守反動であるように見えますが、人の組織には説明しにくい良識、しきたり、掟があり、それを継続して無視することは出来ません。 それがビジネスモデルでも人事評価でもそうで、世の中で生き残れる革新的なことはそう多くはありません。

しかし、常識で反対意見を納得させることは難しく、非常識的選択が問題となるまで我慢して様子を見なければならないことが多くあります。 いきなり『ダメ!』と言ってしまうと新しい意見まで殺してしまいます。

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[習慣化]

知識の使い方

当社は営業職は殆どの人が新卒ではありません。 しかし、体力や知力特に新しいことに馴染む力を考え、若い人を限定して採用しています。

よくある質問に、社内研修の充実があげられます。 社内研修は必要に応じて行っていて、つまりは必要なことが多いのですが、研修やセミナーで改善できる範囲は限られていて、費用・時間対効果を考えると疑問を感じるときがあります。

採用しやすいように研修を増やしているのではなく、研修の効果があることについて行っているだけで、最近考えているのは、営業として習熟するうえで最も効果があることはOJT、つまりは直接の管理職の指導によるところが大きいと考えています。

それゆえ管理職の指導力が話題になるのですが、新人が何か知らないことがあって直接の管理職に聞き、管理職がそれに丁寧に答えるという構図はOJTにおいていかがなものかと思っています。

これらの質問は調べて判ることが殆どで、「このベッドの重さは? 幅は?」等というカタログに掲載されていることまで上司に頼ろうとする姿勢です。 上司はカタログではありませんし、上司は遊んでいるわけではありません。 自らの時間を割いて答えます。

私の場合は機嫌が良い時『カタログに載っているよ』と教えます。 機嫌が悪ければ何で調べればよいか自分で考えさせます。 答えを教えることが親切でも指導でもないと思っているからです。

私はかつて新人を指導して、その新人があるとき『何も教えてもらえなかった』と発言した時、ショックを受けました。 その後ずいぶん時間が経過して、『いつも問いかけられ、考えさせられた』という発言がありました。

自分で考える、自分で調べる、それでも判らなければ調べ方を教えるという指導方法が成功したと思いました。

その人は大変成長し、昇進もはたして成果を上げています。 その人の素直さや好奇心、行動力が成長をもたらしたのであって、私の指導の成果などと全く思っていません。 ただ成長の手助けは少しできたかと思っています。

何でも聞く人は知識、スキルが営業としての職責を果たす大きな要素と考えているようですが、顧客の立場に立ってその営業に何か質問し、『すぐに調べます』と言って目の前で課長に携帯で質問したら仕事を頼むでしょうか?

知識、スキルは大きな要素ですし、営業職で成功している人は一定の知識・スキルをもっています。 そしてその知識・スキルの使い方が大変優れているように思います。

そもそも知識・スキルは貯めこむものではなく使うもの、実践できないものは空論にすぎません。 実践するうえでは基本パターンのちょっとした修正や実践するタイミングが重要です。 そういった応用力・実践力もスキルと言えばスキルでしょうが、何でも知識・スキルと考えるよりそれは行動力や応用力といった別の言葉で表現される人間力の評価と考えた方が人の評価に幅が出て、指導にも厚みが増すように思います。

管理職が部下指導で『知識・スキルに依存しすぎるな』といってもじゃ何を利用すればよいのか?ということになります。 知識という道具を振り回して問題解決にあたるのではなく、問題に焦点を当ててどうすれば解決するくせを付けることが人間力のように思います。

私はそのような実践を頭の中でロールプレイイングしてこのように展開したら自分にはその知識がないから調べておこう、というような訓練をし、紙に書いています。 それが一年で電話帳ぐらいにたまりますが、年初にあっさり捨ててしまいます。 所詮出来の悪い自分を証明したものですから残していても何の役にも立ちません。

しかしそれを時系列でみれば自分がいかに成長したか、何が強みで何が弱みか? 簡単に分析できます。 ところがいざ『あなたの強みはなんですか?』と問われたときに、『さて、なんて答えたらよいのだろう』と考え込んでしまいます。

ドラッカーは人は強みで勝負しなければならない、弱みを鍛えて一流にはなれないといっていますから、わたしも強みを分析して一流を目指すべきなのでしょうが、私は今でも弱みと思えることをせっせとやっていたりします。 ちょっと考えを変えると弱みは実は普通程度であったり、隠れた強みであったりします。 あまり意識しないようにしています。

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