監査役BLOG

会社を見る鳥の目

経営者の目線で、日々の思いやできごとを綴っていきます。

[価値観]

自分の意見

北海道へのツーリングで海外の青年の出会い、話をしました。 場所は稚内のユースホステルで、私から声をかけました。

見るからにバイクのツーリストと思ったら自転車で来られた台湾人です。 日本語は全く話せず、片言の英語とスマホがコミュニュケーション手段、大学を7月に卒業し、警察への就職が決まって自転車を担いで空路千歳に来られたそうです。

なぜ警察官になったのかと聞くと、給料が良いから、しかし市民から嫌われているとのこと、はっきり言う人です。 そこに遠慮もなければ、空気を読むなどもありません。

日本の車、トヨタは素晴らしい、日本は清潔、安全、食事がおいしい、日本をほめます。 褒められたら悪い気はしないだろうということでしょうが、ほんとにはっきり褒めます。

私もお返しに台湾の自転車メーカーのジャイアントや故宮博物館の話をそれとなくしました。 果たして褒めているように伝わったか定かではありません。

大変勇敢で、行動力を感じる青年、何ら嫌味もなく好印象の人でした。 帰阪して北海道出身の懇意のバイク屋のご主人にこの話をすると日本人でもいくらでもいる、とのこと、彼の客はバイクを買って言葉の通じない国に何人も言っているそうです。

どうやらそういう行動力が衰えてきた自分から見て、若い行動力がまぶしく見えたのでしょう。 はっきりした意思表示はそのことを強調したのかもしれません。

帰宅してたまっている日本経済新聞、約一週間分は五cm程度の厚さになりますが、日付順に読んでいると『言葉のぼかし表現浸透』というタイトルが目につきました。 『微妙』は良し悪しが判断できぬとき、『わたし的には』自分の責任回避とサブタイトルがついています。

営業職の採用面接をしているとこのような新しい表現(言葉は昔からあったが使いまわしがかつての慣用とことなる)を多用する人がいます。 時に真意を問いただし、ある時は『わたし的には』と言いつつも自らの意見でないことを言い、つまりは評論ですが、だったら何が君の意見なのか?に行きつかず、イライラが募ります。

利害関係のない人間がどのような考えを持とうが構わないし、干渉する気もないのですが、採用面接で自分の考えを主張しないで第三者はこんな意見も言っているというのは何ら生産的ではありません。

明確に自らの意見を述べることは意見に対する責任もついて回ります。 しかし責任ある意見を全く持てない、もしくは披歴する気がなければそもそも組織になじめるのか、自分の意見がない方が組織に馴染み易いと考えからこそ無色透明の意見のようなものを言うのでしょうが、少し勘違いのように思います。

もちろん組織で自分の意見に固執すれば生きにくくなりますが、自分の意見をもっているからこそ他人の意見はその対比として理解しやすく、その繰り返しが多様な価値観の中で正しい選択ができる、正しい大人になると思います。

台湾から来た自転車青年が帰国後、警察官としてうまく組織に馴染み、信頼されるようになる事を願います。

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[趣味]

バイクツーリング

三年ぶりに北海道にオートバイでツーリングに行ってきました。 前回のツーリング記録からほぼ同じ時期で、前回天候に恵まれ、快適なツーリングのイメージで出発したのですが。

今回のテーマは林道走行、北海道はオフロード用バイクで走行できる未舗装林道があり(山国である日本には全国各地にありますが)、今回林道走行をテーマの一つにしました。 写真は中川郡美深町にある美深歌登大規模林道、途中に函岳(標高1129m)に続く林道が判れています。 函岳への分れだけで片道10kmあり、全部走破すると70kmほどに及びます。

たまたまオフロード車に乗っており、それならと挑戦しました。 スキーと同じく、路面の凹凸を気にして視線が落ちるとハンドルを取られます。 なるべく視線は遠くに向けて、ハンドルを取られてもバランスが保てるようにすればなりのスピードで、といっても40km/hくらいですが、走る事が出来て転倒もしませんでした。

途中で狸の子供やキタキツネの子供に出会いました。 北海道にバイクツーリングで4回目ですが、シカやクマ、北キツネ、リス、丹頂鶴には出会いましたが、狸は初めてで、国道でも車にはねられた狸をたくさん見てきたので異常繁殖したのではと思います。

林道ではほぼ車やバイクに出会うことなく走行できましたが、今年のこの時期、つまりシルバーウィークで多くの観光客が来て私が宿泊しようと思った宿が一杯でした。 バイクツーリングでは天候次第で走行距離が変わります。 車は雨天でも相当のスピードで走りますが、バイクでは危険なのでスピードを落とすとますます危険になります。 そこで毎日朝に天気予報を見て行き先を決め宿を予約します。 今回は雨が多く、北海道北部、宗谷が比較的晴れているので北に逃げましたが、日曜日はいっぱいでした。 野営の用意もしていたのですが、雨の野営はうんざりします。 結局宗谷から離れられず、5日ほどで帰りの船に乗りました。

船には車やバイクが一杯で、シルバーウィークはすごいことになっていました。 一方宿のご主人に聞くと、以前に比べ客が大幅に減少し、宿の継続が難しいとのこと、以前星野リゾートの社長が日本の休暇制度について改善策を提言していましたが、私も同様に提言したいと思います。

国民の祝日を無くし、法定有給休暇の日数を増やし、休暇を機動的に取得できるようにしてはと思います。 宿で同宿の人に聞くと、昨年末にカレンダーが判った段階で今回の休暇申請に及んだとのこと、そこまでして北海道に来たいと思うツーリストと北海道の宿泊施設の経営は共通利害にあると思います。

もちろん北海道に限らず、地方都市に行きたい人は多くいるでしょうし、地方創生を政治課題とするなら地方省と管轄は違いますが厚労省が労働法の改正案を出せば事足りて、地方創生省や経済産業省、地方自治体に貸を作る事が出来ると思います。

北海道の場合、遠くて広くて空いているというのが売り、も一つ言うなら寒くて震えながら走りました。

 

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[価値観]

難民

政治や宗教の話をブログでするのは御法度ですが、今回回りくどい、奥歯にものの挟まった言い回しでしてみたいと思います。
事をひつ
日本がアジア近隣諸国から第二次世界大戦時の侵略につき、きびしく反省を求められています。 反省を求める国がなぜ賠償も終わったことを蒸し返すのかにはそれぞれの内政の問題があるようです。

つまり現政権への不満を外交問題にすり替えるというものですが、その国の低年齢教育で戦争評価の刷り込みをした結果の裏返しというのが報道される解説です。

そうした怨念に支えられた政治が各地で戦争を引き起こし、日本においてはヘイトスピーチに繋がったりします。

世界のどの対立を見ても対立する双方にとって対立することそのものを目的としているのではなく、政権安定や経済発展のために行っており、誰かを悪者にするとかで問題解決を図る手法がいかに高くつくか、経済制裁やその国に対する世界の信用が失墜して経済発展を阻害している観もあります。

日本が安全保障に関する法律を変えて戦争への弾力性を高めようとするのは一定の必要性があると思いますが、日本自体が戦争を求めていないことを世界に知らしめる必要があると思います。

EU諸国に民族大移動的な難民の流入が話題になり、EU諸国は難民の排除や他国への押し付け合いに必死になっています。 難民の中にはテロリストも含んでいるとか、難民流入は経済的な負担を増すだけでなくテロの危険性も増します。 しかし難民の方々は困っていて、EU諸国で負担できないなら日本も受け入れればよい、難民の皆さんが日本へは行きたくないならともかく、受け入れて手厚く保護すればよいと思います。

それより先に保護すべきわが日本人いることを忘れていないか?、外国人の受け入れが治安の悪化につながるのをわかっているのか?
と非難されそうです。 しかし医療費を3兆円節約する方法を考え、その3兆円で100万人の難民を受け入れ、教育を施し、日本に住みたい人にはボランティアを募って日本語や日本文化を教え、何十年か経って日本に帰化した人たちが日本の経済や産業に貢献するようになれば人口減少や過疎の問題への対処、遅れている日本の国際化、国際社会での日本の評価は改善すると思います。

一方で前述した問題も副作用として出てくるでしょうが、武力を強化して威信を増すのと並行して行っても良い施策と思います。 いったいどうやって3兆円を捻出するのか、それも大変な問題ですが、前述した医療費削減や観光振興、農業構造改革、当社の位置する介護事業の見直し、無駄の排除など痛みを伴う改善はいろいろあります。

日本は先進国、と言われていますが産業技術はそうでしょうが政治や経済政策、文化面で先進かというと疑問があります。 例えば文化の洗練が遅れているからこそ起こる問題も多くあります。 ここらで発想を転換し、国も企業も家庭も文化や価値観について考え直す時期が来ています。

 

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[生活]

介護

新聞に報道された2014年の医療費は40兆円を超えたそうです。 前年比700億円が増加、国民所得の10%を超えているとのことです。 原因は高齢化で、日本の平均寿命が延びる中で今健康年齢が話題になっています。

人生最後の10年は介護が必要になるそうで、この年数を減らすには病気にならない事、これは医療費削減につながり、健康年齢(介護が必要でない)が伸びれば介護費用の削減にもつながります。

TVの番組や健康にまつわる書籍は増加していて、それを見たり読んだりしていると健康年齢を維持することが食生活や運動、ストレッチで可能に思えてきます。

何十兆円も医療・介護に費やすならその一割でも予防に費やしてはどうかと思います。 自治体が健康診断を行って健康に対する認識を高めたり、健康体操教室を行ったりしています。

昔、TVで『納豆を食べれば〇〇に良い』と報道された翌日にスーパーの売り場から納豆が消えたことがありました。 購入されたのは健康に気を使っている人でしょう。

高齢者に特有の疾患があり、その予防のために塩分を控えるとかストレッチをするとか、ウオーキングをするとかでかなり発症率を減らすことができるようですが、食事や運動は本人の身体状況を踏まえて適切なメニューが必要なのでしょう。

『判定できないものは改善できない』という言葉がありますが、現状を知り、改善の目標を立てて日々食事に気を付け、運動を行うことでどれだけ改善できたか知ることが大切だと思います。

そのことにお金を使う、例えば介護・疾病予防保険制度を作り、検査をしてデータが改善できれば保険機構から補助金が出るとか、個人データを国が管理し、データが改善すれば所得税率が低減されるとか、思いつきとしてはよいと思うのですが、遺伝により発症する疾患もあり、一律な運用は難しいでしょう。 しかしそういう制度が設けられれば少なくとも私は健康おたくになり、最大限の減税を狙うことになると思います。

健康でいられなくなったら医療が面倒を見る、介護が必要となったら介護保険制度で介護サービスを提供する、それは先進国として素晴らしいことなのですが、食生活や生活習慣に気を付けて、医療・介護の問題を回避すれば本人の生活が豊かでいられるのは勿論ですが、所得面でメリットがある、そして仮に生活習慣病になれば自己負担割合が高くなり、高額出費となるなど予防と治療、保険料徴収と所得補填など両面の制度を充実することが一番健康を誘導することに繋がるのかと思います。

これだけ医療・介護費用が伸びている国が平均寿命を延びたことだけ評価するのは先進国とは言えません。

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[会社運営]

[言葉]

イライラの原因

私の仕事のやり方は一つの事に集中すること、つまりは同時に複数の事をバランスよくこなせないことです。 良きも悪しきもそれが自分のスタイルで、若い時より少しはましになったものの概ね変わりません。

会社では同時に多くの課題が発生して、それぞれの組織長が課題に対処しています。 思っていたよりうまく解決できていることもあれば思った通りに失敗していることもあります。

大きな問題や現場から支援要請があると一緒になって対処しますが、多くの場合、当社管理職の皆さんは責任感からかほぼすべて自分で解決しようとします。

一部の管理職は私に支援要請したばかりに話をこじらせ、私の耳に入らないように隠蔽する、これは言葉が悪いので表面化するまでに対処し、解決してから報告が来たりします。

私としては楽な経営者と高をくくって、もしくは自分はあまり役に立たず期待されていないとすねながらお気楽に過ごしていて、ふと現場の問題に触れた時、『えらいこっちゃ、とんでもないことになった』と悲嘆に暮れてしまいます。 落ち込んだ状態で周囲を見ると問題だらけ、解決する問題より起こる問題の方がずっと多い、『あっちも、こっちも、こっちでまた』と目に入り耳に聞こえてきます。

一つに気が付いたなら何とかしようと努力しますが、同時多発ではイライラするばかりで手の打ちようがありません。 それぞれの管理職に問題の原因と対処を聞き、ますます深刻になります。

A氏とB氏が反目して業務に支障をきたしている、C氏は管理職昇格を辞退した、D氏は退職の意向がある、ええい、手の打ちようはないわい、次々起こる問題にイライラは募るばかりです。

TVのドラマで同じようなシーンがあり、私の比ではない深刻な問題が主人公の周りで次々起こり、主人公は問題に引きずり込まれ、誤解され、陰口をたたかれたり、恨まれたり散々な目にあいます。

ある主人公は次々起こる問題に精一杯挑み、次々解決しますがこれでもかと問題が起こります。 ドラマだからいいもんの現実なら大変なことです。 別のドラマで同じような状況におかれた主人公は沈黙を守り、うろたえることなく静観し、本質的な原因を取り除き、すべての問題がすべて収束するのを静かに見守ります。

大変格好よくスマートで、『そんな上手くいくものか!』と思いますが、どちらの主人公にも憧れることになります。 当然作者や演出家はチープな意図を恥じらいもなく表現し、愚かな私は其れにどっぷりはまってしまいます。

しかし翌日会社で新たな問題に触れた瞬間、イライラは頂点に達し、時によっては激高します。

ドラッカーはこれらの対処について『問題を解決したとしても元の状態に戻っただけである』と冷静に判断しています。 目の霞に聞くといわれるブルーベリーのサプリメントを飲んで霞が和らいだとしてももともとも以上の視力に戻るわけではありません。 せいぜい霞が取れる程度、といっています。

会社の中の問題は解決するに越したことはないのですが、殆どが些細なこと、静観し多発する問題の根本原因を見極めなければ個別の問題対処はもぐら叩きになってしまいます。

自分がふともぐら叩きになっていることに気付き、ひどく落ち込むことがあります。 わかっているけど静観できない愚かな自分かいます。

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[採用]

[生活]

長所と短所

採用面接は応募者がどのような人か、その人は当社に入社して携わる職種で貢献してくれるのかを見極めるもので、応募者は自分が意欲をもって働き続けられるかを図る場と思います。

絶対的にどこの企業でもオールラウンドに活躍できる人材はいないか少ないかと思います。 幕内力士は優れた身体能力をもっていてもプロ野球で通じるかどうかは別問題であるのと同様です。

しかし力士のようにほかのアスリートに比べその身体能力に特徴があるだけにオールラウンドとはいきませんが、汎用性の高い身体能力もあると思います。

同様にどこに行っても花開く人がいます。 日本経済新聞の『私の履歴書』には各界のトップが寄稿しますが、技術職人や学業に励んでいなかった人が登場します。 ご本人は企業のトップを目指していたわけではなく、自分の職責を果たしているうちにいつの間にかトップに立っていたという経歴が多いように思います。 もちろん新聞に公表する文章ですから入社した時から社長になるのだと強い意志をもっていてもなかなか公表しがたいかもしれません。

採用面接でもいろいろ質問を考え、例えば「社長になりたいですか?」と質問して、応募者の人は本音を言ったり、用意してきた当たり障りのない答えをおっしゃいます。 そのような質疑で応募者の特性を知ることはなかなか出来ません。

「あなたの長所と短所について教えてください」というのはよくする質問です。 全く考えたことのない人は即答しません。 すくなくとも二十歳を過ぎるまで生きてきて自分の長所・短所について考えたことがない人は、それを考えざるを得ない局面に立ったことがなかったのか、ピンチに立てば人は何とかしようとするもの、問題が解決して「自分には意外な粘り強さがある」とか「集中力があった」とか思う瞬間があるはずです。

ピンチをかいくぐってきた人は自分の強みやピンチを招いた原因が自分にあったことを知って自分の弱みを思い知ることになると思います。

コンビニでアルバイトをしていて、トラブルに巻き込まれたことがないとかせんぱいとうまくやったとかを念頭に自分は対人関係が得意とか、良い人間とか真面目と思う人がいます。 そうである人かどうかこの質問からは解りませんが、ほかの質問と併せて考えると本当に善良な人で皆から愛される人か、表層でそつ無くこなすだけの人か見えてきます。

人に質問する以上、自分だったらどうかと考えます。 立場上判断業務が多く、内容も多岐にわたり、結果的に失敗や失敗とまで言わなくても自分の失敗した部分は思い知らされます。 上手くいって当たり前、だからその立場に立っていると考えれば全くイケていません。 つまりは欠点、短所、弱みばかりが思い浮かび、強みといえば失敗を苦にしないとかすぐに忘れる事が出来るとか、責任感に繋がらない事しか思い浮かびません。

すぐに忘れることのどこが強みかと言えば、失敗を引きずっても生産的ではないので失敗したことを思い出さずに次の課題に取り組めるということでしょうか。 もちろん副作用もあり、自分の関心のないことはすぐに忘れて関係する人に迷惑をかけます。

そのような失敗を減らすために自分の行ったことについて重要な事、失敗したこと・成功したことを紙に書くようにしています。 書いてきれいに忘れることもあれば書くことで心に刻むこともあります。 普通なら年を経るごとにそのように書くことが減ってくるはずです。 なぜなら経験が少ないうちは考え違いも多いですが、経験を積めば失敗することも工夫して成功することも減り、経験に基づいて判断に迷う事が減っていくからです。

私の場合、書くことは増える一方で、自分ではいつまでも成長しているのだと考えています。 ひょっとして同じ失敗を繰り返しているだけかもしれません。 そこで自分の性格はと聞かれれば楽天的と答えるべきなのでしょう。 自分では腑に落ちないのですが。

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[生活]

[習慣化]

老化との闘い

「なぜ、いつもゴルフに誘ってくれるの?」とゴルフに誘ってくれた友人に訪ねました。 「本西さんは年の割に元気だから」と適当な答えが返ってきました。

自分が中学生だった50年ほど前、保健体育の授業で『40歳を過ぎたら体を鍛えても筋肉は増加しません』と教えられたことを鮮明に覚えています。 この分野でどんどん研究が進み、最近は高齢になっても筋トレをすれば筋肉量の増加は可能だそうです。

私は現在62歳、確かに友人が言ったように肉体年齢は若い方だと思います。 同年代の人がポッコリお腹で猫背でゆっくり歩く姿を見ていると自分はまだましな方だと思います。

しかし私が社会人になったころの企業の定年は55歳、それがすぐに57歳になり、やがて60歳になったのを覚えています。 定年前の人は概ね定年後の生活設計を考えるようになり、新たな仕事に取り組むこともなく、仕事に対する情熱も感じられなくなります。

それをいやというほど見てきた身として、現在の年齢は働く閾を超えています。 その感覚は自分より若い人には理解できないはずで、営業日は毎日出勤し(つまりは週休一日)、遅い会議も朝の朝礼も欠かさず出席し、さっさと歩き、持病もなく、60歳を過ぎてゴルフを始めるなど好奇心も旺盛です。 しかしゴルフがそんなに面白いかといえばそれほどでもなく、同行メンバーとの話の方が面白く感じますし、以前に比べて読書のスピードが低下しています。 数行読んで何のことかわからず、前のページから読み直さないと何が書いてあるかわからないことも多くなりました。

老化とは、とよく考えるようになり、試しに筋トレとダイエットをやってみました。 長年筋トレなどしなかったので腹筋をすれば腹筋がつる始末、ほんの少しずつ回数を重ねるとある程度できるようになり、減食と合わせウエストは細くなり、ズボンがずります。

筋トレメニューを増やしてゆくとどの筋肉も時間はかかるけれど大きくなってゆくように感じます。 調子に乗って量を増やすと疲労感が取れなくなりました。 疲労物質の処理、つまりは内臓の機能が追いついていないのでしょう。

頭の方はというと、新しいことを考えられなくなりました。 新規の事業を考えるとか、今までと違う内部体制を考えるとか、発想が湧いてきません。 ネタを仕入れるために本を読みますが、視力の低下で文字を目で追う苦痛は増すばかり、これは筋トレのように鍛え直せないように思います。 せいぜいブルーベリーのサプリを飲むことです。

読書に関して読める本は同年代の人が書いたもの、若い人の著作は読むのが苦痛になりました。 若い時はこの逆だったのですが。 つまりは好奇心や気力が狭まったように思います。 本だけでなく現場に出向いてそこの経営者に会って話をするのは興味がわくのですが。

自分と向き合い、自分の能力で弱くなっているところを誰に補わすのか、その人を探して採用するのか、要請するのか、気の遠くなることを考えています。 どちらにせよできることを精いっぱい行うより仕方なく、自分と向き合い、気力と勇気を奮って日々を過ごしています。

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[生活]

待つこと、耐えること

日常生活で失敗したこと、辛かったことを振り返ると私の場合待てなかったことが原因である場合が多い。

私にとって待つことは耐えること、誰かと利害の反する話題で話をしていて相手の問題点に気付いてそれを言ってしまったような場合です。

相手はそのことに気付いているかもしくは気付くだろうことを相手の言葉から読み取った瞬間にそれは違うといってしまった場合です。

気づいてもそれを口に出すより沈黙が説得力を持つ場合があるということです。 議論では考えたこと、気付いたことを正確に伝えるよう誰もが心がけます。 浮かんだ考えは浮かんだ時に一番自らの心の中で光ります。 光った瞬間に言えば言葉に『自分は確信した』と言う力がこもります。

しかし何かの事情で一時間たって相手にそれを言ってやろうとすると考えはくすんで光を失っています。 つまりは思いついた考えの多くは価値をもたない場合が多いということでしょうか。

軽快なコミュニケーションは相手の放った言葉を受けてリズミカルに響く言葉を投げ返すことでしょうから人はコミュニケーションにおいて常に考え、うまい返しを狙って言葉を発します。 漫才や演劇の会話、小説の中のやり取り、「うまく切り返す」と思います。 映画では間の取り方は表現の重要な要素でしょう。

間と表現できるわずかの時間、瞬間以外に数分、数時間、数日、数か月、数年といった長い時間を耐えることもテーマとなります。 自分の事に戻って、数年耐えて忍んだ事が人生にはいくつかあります。

ある主要仕入れ先は取引を初めて取引先としてふさわしくないことに気付きました。 それはほぼ直感なのですが、そこと取引を継続すれば自社の成長発展はないだろうと確信しました。 そこで10年前後、取引継続期間にその会社の事を調べ、その会社の職員に面談し、様々な提案をして相手の考え方、企業としてのスタイル、歴史を調べ、取引をやめた時に代わりの仕入れ先を探して取引を中止しました。

結果は当社にとって大きな貢献をもたらす仕入れ先変更となりました。

何事につけ、時間の長短にかかわらず待つことの大切さを知る事件でしたし、数時間、数日、数か月の待ち時間を耐えて成功したこともありますし、待ってしまって失敗したこと、待てずに失敗したこともあります。 何年と言う期間も間と表現するなら、間の使い方は意思決定の重要な要素で、待ってる間に調べることができる場合はまだしも、ひたすら待つことのつらさも格別です。

数年待つような話題は数年先のことを考えるから、数秒待つのは目先のことを考えているから、いろいろな時間の将来を常に考えることが会社運営や人生をうまく運用するうえで重要になってきます。

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[価値観]

キレる

何もないのにイラついて、些細なことで感情がコントロールできないことがあります。 手が震え、頭の中は真っ白、原因を作った人に当たり散らします。

誰でもそのような経験があり、頻発する人は社会性が乏しく、上から押さえつけられるととんでもないエネルギーに展開しますが、少し時間がたつと何でもなかったようになります。

私の友人でも多くの人がその性癖をもっていて、人によっては暴力に走ったりすることがあり、周囲の人間はハラハラします。

私の場合、最近は幸いにも殆ど怒らず、また小さなものが起こっても抑えることができるようになり、怒鳴り散らしたりすることは無くなりました。 しかし抑えきった後の数日は胃の調子が悪く、下痢をしたりします。

いつも原因が何かを考えますが、そのようになった自分を正当化するために善悪の尺度で測ったりしますが善悪の要素はあってもその反応として切れてしまったことの合理的な説明になりません。

一方、全くといってよいほどキレない人もいます。 少なくとも自分の周囲の人間でそのような状況を見たことのない人の事ですが、感情の突発的な衝動をいわゆるキレた時のような反応ではなく、内に込めているかお酒で紛らわしているか、心の中で起こっていることが同じでも人の対応は様々だと思います。

私がイメージするのは心の中に一つ一つかたまりになっている火薬が詰まっていて、何かが火をつけると爆発するというものです。 いっぱい火薬があっても殆どの場合そのうちの一つが爆発し、一つの爆発でほかの火薬が誘発していないように思われます。 また、一つ爆発したから一つ減って、何度も爆発を繰り返すうちに心に詰まった火薬の数が最後にゼロになるということはないように思います。

年齢を重ねて火薬が爆発しないようになるかと言えばそうではないように思いますし、何もなしに消えてしまうこともなく、気が付いたら増えていることも減っていることもあります。

私もこの火薬の扱いに苦労し、つまり感情の衝動のコントロールに苦労しますが、何かを成し遂げるときにこの火薬が役立っているように思います。 自分が何かをやろうとしたときにそれをやめさせようとする自分がいて火薬を少し爆発させることで止めさせようとする自分を吹き飛ばしてしまうようなイメージです。

やった方がいいのかやらないほうがいいのか、悩んでも結論が出ない時、これによって反対する自分がなくなるわけですから自分にできることは出来てしまいます。

例えば何かの試験勉強をしなくてはいけない時、どうせ通らないとかめんどくさいとかネガティブな自分を吹き飛ばしてしまったとき、勉強が始まりテキストの字が読めなくなって初めて日が暮れたことを知るようなことです。

それではネガティブな自分をいつも爆破していればやりたい事が出来るかと言えばそんなにうまく行きません。 自分の心のコントロールは難しいのです。

会社で不満をもった職員を観察していて面白いことに気づきました。 ある職員が報酬の不満をもっているとします。 この人だけが不満を口にします。 数年たってその人が一流の仕事ができるようになり、貢献に応じて報酬を増額すると『もらいすぎだ』と言います。 この人はお金にこだわりの強い人かと言うとそうではありませんでした。 入社したころは確かに報酬は低かったですが、先輩や同僚への不満がありました。 その問題が解決したと同時に彼の会社への貢献が大きくなって報酬増額の時期と重なり、『もらいすぎ』と言う話になりました。

自分の感情すらコントロールできないのに他人の感情はなおさらコントロールはおろか感情を動かす原因すら理解できません。 本人すら理解しておらず、それが報酬への不満につながったわけですから。

もし彼の心の中をのぞく事が出来たら、心の中の火薬を私より随分小さくして、少しずつネガティブな自分にぶつけているのか、キレることなく淡々と仕事をしています。

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[生活]

ダイエット

当社の職員で年齢は30歳代、身長は165cm以下、男性で第十が100㎏弱という人がいました。 このままでは近い将来病気になると思い、何度もダイエットを薦めました。

本人はどこ吹く風で、一向にダイエットをする気配はありません。 ある日、社外の人から『〇〇君はえらいやせたね!』と言われ、その人が働く事務所に会いにゆきました。

毎週一回ぐらいは訪問する事業所だったのですが、激痩せの事に気づきませんでした。

本人に会ってみると驚きの一言、100㎏の体重が68㎏、期間は三か月でやり遂げ、現在進行中で60㎏弱を目指しているそうです。

きっかけは体重計に乗って100㎏を超えたことだそうです。 それは衝撃、痩せようと決意し、禁酒禁煙、食事制限を始めたそうです。 朝食はパン一枚、昼はおにぎり2個、夕食は野菜サラダ、栄養バランスは気になりますが、以前はコンビニ弁当とカップめん大を職場で昼食に食べていた人ですから驚きです。

この食事で80㎏台まで減量に成功、そこから落ちないので歩き始め、やがて走り出し、現在は出勤前に8㎞、帰宅時は十数キロをランニングで帰るそうで、日に20㎞以上走ってるそうです。 走ることが快感になり、将来はマラソンに出たいそうです。

息子が勤めている会社の陸上部で、長距離を走り、毎日20㎞弱を走っていましたがどちらも頭が下がります。
私もダイエットを何年も続けていますが一向に体重が落ちません。 食べる量は多かった時期の三分の一程度まで減らしていますが、炭水化物を減らし、最近は筋トレもしています。 やはり高齢になると代謝量が落ちるのでしょう。

しかし話題の人は三か月で40㎏減量したのですから過激に過ぎるかもしれません。 いびきは止まり、血尿が出て、痩せたところのしわが戻らないとなげいていました。

本人を前にして表情が明るく、健康そうなのが何より、維持することができれば将来の健康はかなり担保されるでしょう。

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