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考える

 会社の人間にほー「本を読め」といつも言っています。 何のために、知識を得るために、答えもなく言っていました。

だれでも何か考えることはあります。 考える行為は大抵その先に意思決定が潜んでいます。 何かを決めるにあたり、自動的に決まることは考えません。 勤めている人は朝会社に行くのは当たり前、そこで今日は会社に行きたくないなどと悩むことはふつうありません。

ある更生施設の運営者の講演会で施設に入所する元暴走族の少年の喋る単語が数語しかないという話をしていました。 施設に入所する少年の母親が面会に来て対応した少年が施設長に『とっぽいおばさんが来た』と言ったそうです。

この少年の使う単語が千語としてその多くは固有名詞でしょう。 何かを決めるときに多くの情報を言葉に置き換えなければなりません。 先程の例では『見慣れない女性がだれだれに面会に来られた』となり表現として具体的になります。

システムエンジニアの常用する単語や服飾デザイナー、弁護士、医者等専門性の高い職業になれば専門用語の単語が会話に数多く登場します。 元SEと話をしていて、○○の『アルゴリズムは』となったとき頭の中で?markが湧きたちます。

それぞれの単語は意味があり、抽象名詞であれば複数の意味をもつ場合が多いです。 概念と言った方が良いでしょうか。

うまい文章を書く人は最適の言葉を駆使して表現し、読み手は一度で正確に書き手の意図を認識し、しっかり記憶します。

本を読むとはいろいろな情報を上手く整理し、引き出せるようにすることだと思いました。

私は最近映画をよく見ます。 何かを考えるとき映画のシーンがよみがえります。 映画の中で演技者は話すので映像だけでは伝えられないことを会話で伝えます。 全く知らない言語圏の映画を字幕を読まずに見ていてもだいたい筋は読めますが、演者は鑑賞者が混乱しないように解説をセリフの中に織り交ぜます。 3流の映画にストーリーは複雑で映像からわからないところを出演者に解説させるシーが多く見られます。 それでもそんなに複雑なことは映画になりません。

ある知性溢れる人が自滅してゆくストーリーでは主演者の演じる心の葛藤を一定のパターンで表現し、実際とは異なる解釈になっている場合も多いと思われます。 意図が伝わらなければ映画にならないわけですから。

脳の中の処理を考えれば、映像付きの概念などは記憶メモリーを消費する割には複雑なことを蓄積できず、やはり文字に(映像なし)よる情報の方が考えることに適しているように思います。

本を読むと言葉とその概念が蓄積されて問題の分析や組立等に能力を発揮できることになります。

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