監査役BLOG

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古い人を思い出す

 過去に知り合いで付き合いの浅い人、特に相手から色々誘われても自分から付き合おうとしなかった人の事を思い出します。 誘われたとき一度は付き合い、「そりが合わない」程度のことで付き合わなかったのですが、同様の人は多いのに思い出す人は限られています。

過去の人を思い出すのは誰でもよくあることでしょう。 長年付き合っていて音信が途切れてから10年経って突然と思い出したりもします。 人だけでなく動物や旅行の体験、食べたもの、景色なども思い出します。

辛かったこと、楽しかったことなどそのとき印象深かったことを何年もたって思い出すのは理解できます。 しかし数度話をしただけの人の事が印象深いとは思えません。 数度のやり取りの中でこの人とは付き合わないほうが良いとそのとき感じたはずで何を感じたか思い出せません。

歳を取ると自分の考え・価値観は固まってきます。 多くの人は小さいときから変わっていないと思います。 面倒見のよいガキ大将だった人は大人になってからも人の上に立とうとするでしょう。 私も価値観は変わっていないとしてその人と今出会えば付き合えたか、やはり付き合うことはなかったように思います。 よく年寄りになれば性格が丸くなるなどといわれますが、私の場合はそうなっていないのかもしれません。

なぜ関係が薄かった人を思い出すのか、おそらくその人は自分の価値観を評価しない人であったと思います。 そりが合わないとはそういうものでしょう。 人は承認欲求があります。 誰かに認められたいというものです。 人事考課で自分のやってきたことに高い評価を得たいとか、会議で提案した事が承認されるとかです。

仕事が上手く行かない原因が仕事で絡む同僚との意見の対立であった場合、過去に自分と価値観が会わなかった人と同僚の価値観ではないかと照らし合わせているのかもしれません。 同僚との意見の対立が仕事の目標ではなく手段やプロセスの違いであれば妥協できるのですが、目標や将来ビジョンの違いであるときは妥協しがたいものです。 自分の思い描く目標が実は間違ったものではないかという恐怖心から必死になって記憶の中から自分が上手く行かなかったことと似ていないか探しているように思います。

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[プライベート]

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ひとり言

 一人暮らしをしていてふと過激なひとり言が口から出てきます。 大抵は以前怒り狂ったことを突然と思いだし、暴言に繋がります。

30年前に嫌な思いをしたことがその場の情景もリアルに思い出し、『やめろ!』などと言ってしまいます。 一人だから良いものの周囲に誰かいると不審に思われるでしょう。 あまりに古い事なので普段思い出したりそのことを言われても思い出せるかどうかの事なのですが、風化もせずに鮮明に出てきます。

私は記憶力が悪く、テストではいつも苦労していました。 たまに悔しくて暗記を努力すると今度はいつまでも忘れる事が出来ません。 なんでも一夜漬けで点数を稼げる人は覚えた後すっかり忘れる事が出来るのがとても羨ましく思いました。

私もある入学試験で苦手の英語だけで合格が決まるので何カ月が必死で英文翻訳を行い、受験者のトップクラスで合格したとき、私も賢くなったのかと誤解しました。 覚えた英語能力は瞬時に消えてゆきました。

そんな記憶能力の自分が突然30年前のことを鮮明に思い出すのは部屋の掃除をしていて30年前の手紙が出てきたようなものです。

自分の記憶の特徴の一つとして記憶したことがデフォルメされることです。 飼っていた犬が実は獰猛な顔をしているのに記憶の中ではとても愛らしい顔だったり、写真を見て違うと思うようなことです。

自分の記憶の蘇り特徴は自分の価値観の裏付け、価値観として今のタイミングで30年前のある事件を思い出さねばならないとかこの犬は実はかわいい顔をしているとか思いが影響していると思います。

誰もが見るもの、聞くもの、感じたものを正確に記憶していると聞いたことがありますが、いつどのタイミングで何を思い出し、考えの参考にするか各人の価値観でその人はそういう引き出し方が生きていく上で必要と思っているからです。 その人が実際に生きている『今』に適合しない価値観であってもにわかに変わることはないと思います。

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出来る方法を考える

子供のころ戦国武将である信長、秀吉、家康の性格をたとえて『鳴かずんば・・・』という言葉が印象に残りました。 何か自分の力が及ばず、解決できないことがあればお膳をひっくり返す、本日米大統領に就任するトランプ大統領のように。 現実の世界では取り返しのつかないことになる場合が多々あるでしょう。

秀吉のたとえの『鳴かせてみよう、ホトトギス』はタイトルの『できる方法を考える』に通じると思います。 社内でこれを言い出した社外取締役はこの言葉で多くの職員の背中を押しました。

現実の会社経営などで交渉がうまくゆかず、いたずらに時間が過ぎるし話がかみ合わない場合があります。 ほとんどはあきらめざるを得ません。 その交渉でお膳をひっくり返せばおそらく二度とその取引先が交渉のテーブルに着くことはないでしょうし、あえてその会社と再交渉しなくても交渉先は世の中にいくらでもあります。

時期を待つ方法はマーケットの環境変化が速い中でチャンスを逃がしてしまう恐れがあります。 経済膨張器であればチャンスが巡るでしょうが停滞期ではよい条件のチャンスが巡ってくる確率は大変低くなります。

そこでたいていの場合は何とかすることになります。 『できる方法を考える』の意味はもっと可能性を考えてみればどうかととらえています。 人によっては闇雲に行動を促す言葉と感じるかもしれません。 うまくいく方法が見つからない、予測が立たない、などリスクのある決断を闇雲にして大勝する人や企業もありますが、事業は大勝することが最善ではなく、生き残ることが最善と考えていますけれど何も考えずに耐え忍びながらチャンスを待つのは流儀ではありません。 あれやこれやとシュミレーションしながら可能性を図る、チャンスと思えば果敢に行動するのが流儀です。

結論としてそんなにうまくはいきません。 1勝5敗程度でしょうか? 経営者として情けないと思います。 でも生き残り、できる方法を考えてくれる職員が増えました。 5敗は授業料、当社ほどの企業規模でも5敗の重みは大変大きいものです。

ドラッカーが事業において百発百中は曲芸であると言っています。 少し気が楽になるたとえです。 反省すべきは外れた5発の損失が大きすぎたことです。

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[習慣化]

過去の失敗

私は時々過去の失敗や恥ずかしい出来事を思い出します。 思い出すと言うより忘れることができないようです。

何かうまく行かないことが起こり、悩んでいると次々同様の過去の失敗がリアルに思い出され、より落ち込みます。

忘れようと思って過去の記憶を消し去ることはできず、思い出さないでおこうと思っても思い出してしまい、思い出すことで記憶が強くなってゆくように思います。

もしそのような記憶を消し去る薬があれば飲んでしまうでしょう。 失敗に学ぶものがあるかもしれませんが、将来に向けては過去の成功体験が望みを醸し出してくれるでしょう。

ある本を読んでいて、過去の失敗体験を反芻するのは百害あっても益はなし、と断言してありその通りと思います。

その本に過去の失敗体験を思い出さない方法は書かれていませんでしたが、価値観を変える、前向きに生きる、常に新しいことに取り組むなど将来に向けた生き方・考え方・行動に集中すればあまり思い出さなくなるのではと考えました。

年齢を重ね、将来志向に集中するのは至難に思えますが、年齢や立場でできることはたくさんあり、やり続けている同年代や先輩は多くいます。 膨大な体力を必要とすることは無理があるとしてもゴルフを始めて100を切るスコアを目指すなど可能性の高い話かと思います。

会社の職員の人の話を聞いてアドバイスをするとか、他人とのかかわりあいでできることも多くあるように思います。

一番やってみたいことは自分の考え・価値観・行動様式を変えること、立場上判断業務が多いわけですが、判断するに当たり自分の強みとして柔軟な発想を生かし、できる方法を考える、評価にあたって他人や社会制度を批判しないなど建設的な考え方でことにあたることを意識すれば自らも前向きになりますし、判断も建設的になると思います。

60歳を超えて考え方を変えるのは精神的には辛いことですが、体力的には耐えられることです。 精神的につらいというのはやってみれば解りますが、多大な苦痛で切れてはいけない瞬間に微笑んでいるといった行動をとることです。

ひきつった微笑みではなく心からの微笑み、人と接するときにいつも笑顔を絶やさず話を聞く習慣を身に着けるだけで耐え難い苦痛は和らいできます。 対人関係で悩んでおられる方にはお勧めしますが、即効性はありません。

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コミュニケーション

私はもともと事務屋で、営業出身ではありません。 事務屋といってもいろいろで、経理などは社内営業ですから面談するのは自社の職員が多くなります。 私は総務出身なのでいろいろな業界の人と接触しますが継続反復の面談は少なかったように思います。

また相手の業界や担当者を知らない事が多いのに大事な交渉であったりします。 たとえば不動産、遠隔地の土地購入などは初対面の業者との面談で大きな金額が動くことがあります。

今の業界で反復して面談する相手は仕入れ先の担当者ぐらいでしょうか。 小売なので販売先は不特定多数になりますので担当以外が面談することは稀です。

結局以前と同じように頻度の少ない面談になります。 採用面接なども典型でしょうか。 採用に至った人はその後社内で面談しますが、面談内容を覚えていることは稀です。

初対面でどのように効率的に面談するか、一番知りたいことは相手の実力、価値観などで、ズバリ聞きたいことを聞くと気を悪くする人もいます。 変化球の質問ばかりではなかなか本質が見抜けません。 交渉術の解説では相手に先にメリットを渡し、次にこちらのメリットを追求するというのがあります。

相手も同様に知りたいことがあるわけですから何を確かめたいかアプローチで掴み、ズバリこちらの意思を伝えます。 大抵は彼らができる最大のメリットの片鱗を出してきますが、それがしょぼい物であれば本命が出てきても大したことはありません。 経験豊富な営業であれば少しずつ小出しにしてきます。 この交渉がまどろっこしくて大抵そのタイプの担当者とは取引しません。

コミュニケーションは情報の取引ですから100に10を返されてもと思ってしまいます。 相手は「まあまあそう焦らずに」と思っているのでしょうが、焦っているわけではなく、無駄に過ごしたくないわけです。 私が野球の選手でしかもピッチャーなら投げる球の殆どがストライクを狙って投げます。 うまくボール球を投げるほうが防御率はよくなるのかもしれませんが、プレーヤーとしても観客としても私は早く勝負したいほうで、それが欠点なのかもしれません。

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人が無駄話をするとき

社内で私語が絶えないセクションが在ります。 仕事をマニュアル化しにくいセクション、判断基準が抽象的な業務では多いように思います。

マニュアル化しにくかったり、判断基準が抽象的であれば過去の事例に倣うわけで、個別事例の話が多く、ある意味ケーススタディになるのでしょうか。

しかしそういう話を聞いていると判断するのを恐れ、誰かに判断してほしい気持ちが伝わってきます。 周囲の人間もわかっていながら巻き込まれます。 どんなに判断しずらいことでも結局判断せざるを得ず、どのような判断をしても相対するメリット・ディメリットが拮抗しています。

よく見ているとほとんど自分で判断している人と悩ましいことは何でも喋る人に分かれます。 横で誰かが集中していてもお構いなしで、『一大事』といわんばかりです。

判断することに不安を感じる基準は人それぞれですが、ある程度の判断をしない職種はうちの会社にはありません。 判断の不安をぬぐう方策は情報量と考えて調べつくす人もいます。 情報は偏りがあり、万能ではありません。 一つの情報で関連する判断をすべて行えばミスは多いと思います。 確かに『迷ったときには原則で』という言葉は金言ですが。

不安を口に出さずに懸命に考え、判断し、行動する人をテーマにしたパニック映画は多くありますが、実務の世界では映画のようにドラマチックな成功で終わるとは限りません。

自分で考え、関係する皆で考えを擦り合せ、自らも関与した人も成長を果たしていくことを最上と思いますが、成長していない人が多い職場かどうかは私語の多さで判断できるかもしれません。

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声の大きい人がいます。 会話の相手や時と場合によって声の大きさや話し方は変えるのが普通だと思います。 葬儀で大声を張り上げて悔やみを述べないでしょうし、相手に強く抗議するときはトーンも上がれば声も大きくなるものです。

営業の研修でも発声練習があり、クロージングの時にはトーンを上げて話すように指導しているようです。

小説を読んでいるとスパイの離し方が出てきます。 低い声で相手に向って小声で話すのですが、周りに殆んどもれないそうです。

一方声の小さい人がいます。 距離が離れていると聞こえないほど小さく、「大きい声で話したら」と注意しても大きな声が出ないそうです。 どちらも困った話で、事務所で大きな声で電話しているのは聞きたくなくても聞こえますし、会議で小さな声で話されても聞き取りにくく、困ってしまいます。

声が大きいかどうかというのは主観的な問題かと思っていましたが、私が大き過ぎる声と思う人を殆んどの人は大き過ぎると認識しています。 ただそのことに対する受忍限度は人によって様々なようです。

どちらも職場の人ですから既に大人で、いまさら注意もしにくいですが、私は何度か注意したことがあり、その場は改まるのですが、次には同じことになっています。 私の場合神経質で、それだけでその人を嫌いになってしまったりします。

ある仕入先の営業がいつも大声で話すので、「絶対仕入れるものか」と思っていました。 しかし意に反し、仕入れは増加し、その人とも親しくなって聞いたら趣味がヨットで、自然と声が大きくなったそうです。 ただし、これはいくら大声で言われても言い訳に聞こえましたが。

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