監査役BLOG

会社を見る鳥の目

経営者の目線で、日々の思いやできごとを綴っていきます。

[会社運営]

会社経営7

 前回も書きましたが当社は医療・介護分野を領域としており、私もその中にいました。 医療介護は労働集約型の事業です。

一度オランダの処方箋調剤薬局のビデオを見せてもらいましたが、郊外に小さな工場のような建物があり、大型の調剤機器が並んでいます。 処方箋のQRコードを機械に読ませると薬剤の入ったプラスチックのボトルが取り出し口から出てきます。 それを袋に詰めると学生アルバイトが自転車で配達するシステムです。

日本では錠剤はヒートシートになっていて処方箋記載の錠数に応じてシートを棚から取り出します。 1枚の処方箋に記載薬剤がそろえばそれを別の薬剤師が監査(内容に間違いないかチェック)し投薬します。

オランダのほうが合理的で、日本の労働生産性が先進国で下位であることに納得します。 欧米の映画を見ていて薬を飲むシーンがあり、すべてがすべてプラスチックケースから薬を取り出しています。 アジアの映画でこのシーンに出会ったことはありませんがおそらく同じと思います。

当社の薬局だけこの方式をとることができません。 プラボトル入りの薬剤を注文しても日本では製品化されていません。 ヒートシートであることの意味はあるのでしょう。 医療業界でこの種の非合理を伴った方式の固執は私もいくつか目にしました。 行政の考えか業界の意識が知りませんが薬剤費の節約よりそれにかかわる人権の節約が額として大きいと思われます。

前回の記事で医療介護以外の事業をM&Aで購入する話をしました。 医療介護は時間とともに収益性が低下する以外に政治的な不合理やしきたりの制約が個人として関心のわかないところです。 人の健康や生活を守る仕事は制度で守られていて社会に貢献していることを実感しやすい事業であります。 しかし医療介護以外の事業は社会貢献しないかというとそんなことは全くありません。 貢献の程度が利益として実現するわけです。 従事者一人当たり、売り上げに対する利益の割合の平均は医療介護において他事業領域より低く、その意味で社会貢献度は低いことになります。

 

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会社経営6

 当社は薬局経営から始まった会社です。 かつて処方箋調剤は病院内で行われ、多くの薬剤を処方することで過剰投薬が問題となり、院内処方調剤の点数を切り下げたため多くの病院が院外処方を発行するようになり、処方箋調剤薬局は乱立し、チェーン化して上場するところまで展開しました。

処方箋調剤を行うと薬局は薬価マージン差を得ることができ収益性が高く大病院の門前の土地は値上がり締まりした。 社会保険事務所に月に一回調剤を行った処方箋を持ってゆくのですが、大手の薬局は段ボール箱数箱を高級車に積んで持ってきます。 だからというわけではないでしょうが業務でヨーロッパ車を使うほどには儲かっていたようです。

厚生労働省は院外処方せんを促進し薬剤費の低減が達成すると薬価マージン差を無くすよう薬価を決め、調剤報酬を減らして薬局の収益を圧縮してゆきます。 一般に制度ビジネスと呼ばれるものは行政の制度変更に従わざるを得ず、事業としての自由度は低いものです。 私は制度微子ネスが社会的に必要であることは理解しても事業としてやりがいを感じませんでした。 2000年に介護保険が施行されると当社も介護ビジネスを始めました。 しかしこちらも制度ビジネスに変わりはなく介護保険サービスが社会に行き渡ると調剤薬局と同様に事業者の利益を圧縮する制度改定が行われます。

私はできる限り早く制度ビジネス以外の事業の柱を作りたいと思いました。 しかし薬局の経営をやってきて他の事業に取り組むことは難しく、ヒト・モノ・カネ・ジョウホウのどれもがありません。 介護事業はフランチャイズ契約のもとに始めましたが契約を解約することで戦略展開に自由度が増し大きな利益を生むようになりました。 この利益が制度変更でなくなる前に何とかしなくてはと思っていたら丁度小規模事業会社のM&A仲介が出始めました。 日本全国で助成金対象となるような小規模会社は数百万社あり、かなりの割合で後継者がいなくて会社存続が危ぶまれるようになりました。

本来商売・事業は何らかの差を埋めることで利益をか得するものです。 石油を消費する日本は油田がありませんが産油国は自国消費を補って余りある採掘を行うことができ、その温度差に利益を伴います。 新たに事業を始めたい当社にとって新規事業を立ち上げるのは至難の業、事業を買えるならそのほうが確実に利益を得ることができます。 仲介会社に紹介を依頼すると医療・介護のビジネスばかり紹介してきます。 本業とあまりにかけ離れた事業を紹介して失敗されては信用問題だと思ったのでしょう。

こちらの意図を徐々に理解した仲介会社は世の中にあるあらゆる事業を紹介してくれるようになりました。 その中から選んでゆくわけですが、これが大変で医療・介護以外の事業分野は事業内容はなかなかはあくできません。

希望すれば膨大な資料が送られてきますが会計資料や出勤簿、不動産の謄本などで業務内容やリスクについての資料は少なく、事業運営のイメージはつきにくいです。 株式投資の判断基準としてPBR(price book value ratio)に近いものが重要な判断基準となってきます。 譲渡価額は純資産の何倍か、もしくはPER(price earnings ratio)譲渡価額は純利益の何倍か、です。 もちろん成長性や競争環境、すぐになくなったりしない事業を選ぶことは当然ですがそもそも将来性のない事業は仲介対象にはなりません。 東京証券取引所に上場する大きな会社のPER平均は15倍前後らしいです。 紹介される企業は零細であり、安定しないので3~10倍程度でしょうか、上場会社と比較すれば大変割安です。

こういった零細企業の社長は一代でその会社を作り上げた優秀な技術者だったりしますので後継者のことまで手が回らなかったというようなケースが多いように思います。 経営管理面ですぐに手当てを必要とすることが多く、逆にそれをこなせば伸びしろがある場合も多いという事でしょうか。 このようにして当社はM&Aによる企業買収に着手しました。

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会社経営5

 零細企業に限らず意思決定のスピードは重要です。 何かを決めるのに時間がかかる人とそうでない人の違いはその人の価値観など個人差かもしれません。 いつも時間がかかるように見えても決めるのはさっさと決めていて決めたことを実行するのにタイミングを見計らい決めたことも公言しない人もいます。

将来このようにしてゆきたいというビジョンを持っていれば悩ましい問題も判断が早くなるように思います。 ビジョンを持てということを経営者のセミナーなどで推奨されますが、ビジョンをもてとアドバイスされて現実的なビジョンをなかなか描けるものではありません。

私が経営に関与しだしたときに会社は混乱していました。 問題が放置され、それが常態となっていて、モグラたたきに個別に対処しましたがうまくその問題が解決しても会社自体は良い方向に向かったように実感できませんでした。 良い方向とは何かと考えた時最初に思ったのは社員教育、私は人に教えるのが得意でなく教えるのが得意な人を自分の周囲で探し、入社してもらいました。 ドラッカーの本をテキストにして社員教育が始まり会社は肌感覚では体質が改善されました。 ドラッカーのテキストは経営者向けで社員教育に違和感がありましたが、経営とはどういうものかが解説されていてそれが効果的であったと後でわかりました。

同時に将来ビジョンを考える余裕が出来て、私自身もドラッカーに影響され将来ビジョンの基本として永続的な経営を意識しました。 規模拡大を一番に意識するとかではなく最適規模の経営を目指そうと考えました。 社員教育をしてくれた人はビジョンのもとも提案していただき『百人の社長を育てる』と言い出しました。 ドラッカーをテキストにした意味を納得しました。

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[会社運営]

会社経営4

 介護事業のフランチャイズ契約を解除して大きな利益を生むようになりました。 わかっていたこととはいえフランチャイズ事業を調べてみましたがフランチャイジーがそれなりに利益を稼げるものとフランチャイザーが利益を集約するもの、そもそもフランチャイズに不向きな事業、本部運営が上手く行っていないものなどいろいろあることがわかりました。 私見ですがP社はFC運営に問題があったように思います。 現在もFCは運営されていますがネットで見る限り上手く行っておらず、現経営者も私が知る限り経営素養のない人が担当しています。

FC離脱後事業運営は上手く行き、大きく利益を得ることが出来て人も雇うことが出来ました。 当社の祖業は調剤薬局、厚生労働省管轄の制度事業はルールでがんじがらめにしておいて利益を圧縮するものです。 医療関係は医師が圧力団体を持っているので利益体質を維持していますが、団体を持たない薬局は絞れるだけ絞られます。 それゆえ厚労省関連の制度ビジネスから離れたいというのが方針でした。

そこでM&Aにチャレンジしようと大手仲介会社にコンタクトを取りました。 担当者が来て譲渡価格は数十億円のものを扱っているといわれ、とても手が出ないと思いましたが、中小企業の事業承継が社会問題になり、仲介会社が仲介対象として参入してきました。

新たに仲介業を立ち上げ、この分野に特化した仲介会社とコンタクトが取れました。 紹介されるのは確かに小ぶりの会社が多く、譲渡価格も手ごろです。 しかし業種はいろいろで医療・介護事業以外は知見がなく判断が付きません。 その仲介会社の社長が来られ、一渡り紹介案件を説明して最後に『まだ依頼を受けたばかりですがとても収益性が良い会社があります」と帰り際におっしゃい、私は「ちょっと待ってください、その会社のことを教えてください」と言いました。 埼玉の会社で手術時にレントゲン撮影する受光部のカバーを製造するメーカーとのこと、パート10人と社長だけの会社でとても利益を上げておられます。 私はその会社に連絡し、すぐに埼玉の会社まで訪問しました。 社長と和やかにお話しできてこの話はまとまるかと思いました。

帰社後取締役会で『私はこのM&Aが成立したら代表を辞任して個人でその会社を買いたい」というと反対2人、賛成3人で了解されました。 埼玉の会社の社長から電話があってM&Aを断ってこられました。 理由は私がうえろくの代表をしているから代表が抜けるのは良くないというものでした。 まったく大きなお世話、とはいえ断られたのであきらめ、引き続き会社にとどまることにしました。

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[会社運営]

会社経営3

 福祉用具の事業は私が入社する前からある会社のフランチャイズに加盟していました。 そのフランチャイズは現在うわさを聞きませんので撤退したか凍結しているのでしょう。

平成11年10月1日、私はサラリーマンを辞めてうえろくに入社しました。 当時は会社は赤字で給与はありません。 平成12年4月1日から介護保険制度が施工され、それに伴い松下電工(現パナソニック)が福祉用具、介護機器レンタル、住宅改修を制度ビジネスとしてフランチャイズ加盟を募集しました。 平成11年5月当社は全国3番目で加盟しました。 およそ人口30万人を1店舗区画としての募集です。 当社の営業エリアは店舗所在の天王寺区および隣接区でした。

この事業モデルは大手広告代店の企画のもとに事業化されましたが、フランチャイジーにとって収益源は介護機器のレンタルで用品販売は収益源としてぽりゅうむが出ず、住宅改修は一人親方の工務店との価格競争になります。 フランチャイズに加盟していない同業他社はレンタル中心に事業展開して高い収益と安定証券を確保しました。

一方松下電工のフランチャイズ(以下FCという)は松下電工がもともと建設資材に強く住宅改修をFC本部として推進しました。 住宅改修は価格競争が厳しく和式便器の洋式便器交換はチラシで14万円などと広告されているときに50万円ぐらいの見積もりになりました。

一方利用者側の視点に立てば住宅改修が有効な環境整備もあれば介護機器の利用が有効な場合もあります。 収益性から方法を偏ると理想的な環境整備から外れることになります。 フランチャイジーにとっても収益確保から好ましくありません。

これではこの事業はフランチャイジーとしては継続できないと考え離脱を決意しました。 FC契約は簡単に解約できない内容で、弁護士に相談に行っても松下電工の法務部と聞いて丁重にお断りします。 当時の松下の法務部は日本で有数の力を持っています。

契約解約以外に安定仕入先の確保があります。 一番は介護機器レンタル卸、新規に取引を開始しても利幅は小さいものです。 またレンタル卸業界が成熟しておらず介護機器のレンタル卸は発注後しばらくして(倉庫に確認に行って)欠品ですと回答してきます。 頭にきて卸に怒鳴り込んだことがありますが卸の担当はなんで私がそんなに怒っているのか理解できないようでした。 その後その卸とは取引が減少の一途をたどりました。

FC契約解約の最後の障害は営業職員のFCに対するシンパシィです。 社内でFC解約を考えていたのは私だけで職員に相談しませんでした。 そんなある日FC本部から1通の封書が来てレンタルの仕切りを数割上げるというものでした。 継続取引の仕切り価格についてはどの業界でも双方の合意形成が必要で、FCシステムでは本来本部仕入れを強要されています。 すぐにC本部を運営する会社の社長に電話して面会しました。

「一方的な値上げは受け入れられない、」と言うと「法務部と確認し違法性はないと回答を得ている』、「これでは契約解除しか生きる道はない」と言い物別れに終わりました。

しばらくして呼び出しがあり、FC本部に介護事業の管理職数名と訪問しました。 くだんの社長が出てきて私が契約解除も辞さないといったのを盾に「契約解除の申し出は受け入れる、口頭契約も契約である」と高圧的に通告され、嫌みを言われ、階段を一方的に打ち切られました。 大企業対零細企業の構図そのものです。 帰社途上本部にシンパシィをもっていた介護事業の幹部は一転して本部に反感を持ちました。 これで最後の課題は解消し、FCを離脱しました。 早速屋号を決めなければならず、3カ月ほどの期間で新規屋号での業許可の申請などをへてFC離脱の翌日からFC離脱の案内を取引先に出し、介護機器の入れ替えを案内してゆきました。 毎日レンタル品の引き上げを行い新たな取引先のレンタル品を納品してゆきます。

そうして数カ月が過ぎて取引先の減少は全くなくレンタルの粗利が大きくなり各店の損益が大きく改善されました。 FC解約の影響は全くと言ってよいほどないどころか逆に取引は拡大してゆきました。

その後FC本部からFCのマーク、名称を使っていないか厳しく問い合わせがありました。 名称やマークは商標登録しているのでわかりますがFC当時の名刺はすべて廃棄し営業車の表示も変えました。 むしろブランド力のない松下・・・は消し去ったほうが良いと思っていましたがFC本部はそのように考えていなかったようです。

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[会社運営]

[未分類]

会社経営2

 前回のブログで代表をしていた時のお話を始め、今回2回目です。 前回のお話は経営者の仕事は責任を取ることをテーマにしました。 その続きで経営者は責任を取るためにどのようなことをするかが今回のテーマです。

経営責任はすべて結果に対してのもので、当たり前のことですが好ましい結果が出なければ責任を取らざるを得ません。 かつて山一證券が倒産したときの社長の記者会見で号泣しながら『社員は悪くない』と社長が絶叫されていました。 その社長は会社が倒産することが見えてきたとき突然と社長に指名されたそうで、なんで私がと思われいたようです。 シャープや三洋電機のその後のルポルタージュを読むとよく似た話題が出ています。 最悪の結果が想定された時点で彼ら社長は会社の実態も知らされずいけにえにされたような印象をもちました。 自分が小さい会社ながらも代表をしていて背筋の凍る思いでした。

当社は私が代表就任後幸いにして業績が良くなり、売り上げがどんどん増えてゆきましたし損益も黒字化しましたが、就任時には債務超過に陥っていて金融機関からの負債も少なく(借り入れができなかった)、仮に倒産しても泣いて債権者に謝罪することは免れたと思います。

当時あるフランチャイズに加盟していましたが、本部仕入れの支払いは松七五三良く15日現金払いでした。 一方売上の大きな比重を占める介護保険関係の回収は月末締めの2か月半後でした。 つまり保険事業を行えば行うほど資金はショートしてきます。 資金残量は月末がボトム、月半ばの現金は1千万円ほど、月末の支払いは1200万円が想定され、支払い不能を覚悟しました。 もちろんその半年前から資金調達の準備を進め、銀行に借り入れの申し込みに行き、国金の借り換えなど検討しましたが、保証協会の転貸融資のみ可能ということで安心していました。 ところがいざ申請に行くと一部の不正経理が発覚し、融資がかないませんでした。

つてを頼りに知人や親戚まで金作に走りましたが誰も応じてくれません。 絶望し、自殺をして生命保険、損害保険の保険金で賄おうと決心しました。 資金ショートする月の下旬、今週の金曜日に車の事故で自分は死ぬと決めた月曜日、自分の父親が逝去しました。 自分の父親(晩年は仲が悪かったのですが)が死んで私は命が助かったと思いました。 結局相続財産から会社に貸し付けを行い事なきを得ましたが、その額300万円でした。 自分の命が300万円、何やら情けなく思いました。

上位仕入先2社のトップに面談したときたまたまこの話が出て、2人とも結ってくれれば支払いを猶予したのにとおっしゃっていただきました。 しかしその時追い詰められていた自分は気が回らなかったし、仮に気が付いても支払い条件は絶対と思っていましたから頼みに行けなかったかもしれません。

その後も業績は順調でのちに資金がショートすることはなくなりました。 自分にとっては経営者が責任を取るということをそのように考えていて、随分馬鹿な経営者だったと思いました。

経営責任を取る方法はいろいろある選択肢の中から決めることです。 結果が上手く行けばその経営者はサイコロを振って決めていても「すごい」ということになります。 結果の責任は称賛に代わります。 しかしサイコロを振って意思決定を続けていていつまでも勝ち続けられるものではありません。 経験からここ一番の意思決定の勝率は1から2割程度です。

勝った1~2割の成功は周囲の人から称賛の目で見られます。 しかし経営者は少なくとも私は失敗した8~9割の決定についていまだに夢に出てきます。 成功したことは忘れていることすらあります。 勝った喜びより負けた悔しさ、他人対する感謝より憎しみが忘れにくいものであることは心理学の実験などで話題になります。

しかしそれだけ低い勝率であっての意思決定を恐れたことがなかったのは自分の誇りです。

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[会社運営]

会社経営1

 私は会社の一線を退いて6年ほどたちます。 その前は代表として16年ほど今の会社の代表をさせていただきました。

このブログも代表をしていた時にスタートしましたが、政治・宗教・会社の話題は極力避けてきました。 ブログを始めたきっかけは労働集約型の事業を営んでいて職員採用が事業の存亡にかかわると思いこんな面白い経営者がやっていることを知らしめることでした。 果たして私に興味をもっていただいて入社を決めた人がいたか定かではありませんが時々あの記事はどういう意味かと電話で問い合わせがあったりしました。

私は仕事の一環として日本経済新聞電子版を丹念に読んでいます。 その中で経営者のブログというコーナーがあって著名経営者が連載されています。 やはり政治・宗教の話はかかれませんが仕事にかかわる話は書かれています。 きわどい話もありますが大きな会社の経営者はきわどいことがきっと中小企業より多く、きわどさが鈍感になっておられるのかもしれません。 その方もリタイアされてから書かれています。

私は秋田で在宅勤務ですが、相談役というのはおまけの役職なので来たメールを読んで仕事にかかわる本を読み、後は新聞を読むだけの閑職です。

私が会社に帰属していることを知らない職員人も多く、大阪に帰り私も顔も知らない職員からあいさつされて『浦島太郎』をイメージしてしまいます。

それくらい存在感がぼけてきたのでそろそろ仕事の話、何を考えて経営の仕事に携わっていたのか書いてもよいのではと思い、連載することにしました。

経営者の仕事について世の中で誤解されていることが今回のテーマです。 経営者の仕事内容は何か?といったときに私が一番最初にイメージすることは責任を取る人だということです。 日本の会社法では取締役は株主から経営を委任されていることになっています。 民法の委任契約で雇用契約のように指示・命令されることはありません。 事業運営を行い利益を上げて会社を継続させる=Going concernことです。 自由度は高く(就業規則の制約はなく労災の適用もありません)、好き勝手に仕事をし好き勝手に破綻しても法律に違反していなければ会社を潰してもお咎めがありません。

これだけ見ればやってみたいと思う人が多いかもしれません。 私は半世紀以上も前に生まれ、将来会社の社長になりたいという人が周りにたくさんいたように思いますが今は若い人に今度の株主総会で取締役に就任してくださいと言えば辞退する人は多いと思います。 どうも社長の仕事は大変な仕事というイメージやとんでもない才能が必要と思わせる人が多いせいだと思います。

私はやってみて経営者の仕事は単純な業務の繰り返しだと思っています。 あくまで私見ですが、薬局の床が掃除されていなくて歩くと埃が舞うので開局前に掃除してくださいと薬剤師に言ったら残業代が出るのですか?と返ってきました。 仕事の一環だから残業代を出すのは当然として医療従事者として不潔な環境で仕事をすることに疑問を感じない人に国家資格が付与され、高い給与払うのは苦痛でした。

そこで私は結構です、私が掃除をしますと言って5年ほど開局2時間前から掃除をしました。 薬局はきれいになり、薬剤師も入れ替わり掃除を進んでやってくれる薬剤師に代わってゆきました。 5年が長いかどうかわかりませんが経営者として薬局の環境を変えることが出来ました。

ある時時間のかかる処方にしびれを切らした患者様が「なんで時間がかかるのか」と怒り出しました。 時間のかかる処方もあるのですが知溶剤していた薬剤師が「薬にゴミが入っていて」と言い訳しました。患者様はここの薬局はごみの入っている薬剤を使っているのかと激怒しました。

この話がもしこじれてしまえば代表である私が責任者として謝罪に行きます。 これでお分かりと思いますが代表者の仕事は責任を取ることにあります。 責任さえ取れれば会社にいなくてもだれも咎めません。 責任を取り会社がうまく回ればよいのです。

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[プライベート]

 5月も末になり毎日暑い日が続いています。 最高気温21℃で快適な温度です。 大阪の友達に電話したら大阪は夏日とのこと、やはり暑くなったとはいえ朝は10℃台で肌寒いほどです。

バイクツーリングにも最適の季節、過去4回挑戦して行けていないブナの森公園に行ってきました。 標高600メートルほどの山の頂にブナの自然林を残した公園です。 途中の道は水田が田植えの真っ盛りで春の風景です。 ここの途中の地名は面白く、手這坂、桃源郷となっています。 地元の人に近辺で蛍が見られる所というのがここでした。

藁ぶきの農家が空家の廃屋で崩れていたり、過疎化のもひとしおです。 途中に水沢ダムがあり、その少し先から未舗装の林道で5キロほど先にブナの森公園があります。

谷側にガードレールのない狭い林道を登ってゆくと渓流の釣り人が車を止めています。 さらに進むと道が雪の壁に阻まれ前に進めず引き返すことになりました。 ちょうど谷筋と交差しており、谷から雪が流されてきたようで、家くらいの大きさの雪の塊です。 谷川に1メートルほどの隙間があったので突っ込んでみましたが林道が崩落していて危うく谷に落ちるところでした。

秋田の魅力は市街地から10分走れば美しい田園地帯で、どこも似たような景色で水田が広がり、民家が数個の集落があり、丘のような杉の茂った尾根に囲まれていて皆同じような景色ですが同じ景色はなく、走っても走ってもこの景色が展開してゆきます。 高い山が少なく、水田が発達しているからかもしれません。

本日の走行約100㎞、ガソリン消費2.5ℓ、走行時間3時間でした。

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日吉神社 中の申祭 嫁見まつり

 能代では有名な催事で、旧暦の4月二番目申の前日に行われるそうです。 今年は5月21日に行われました。 それまで行われていた催事を昭和40年代に現在の「嫁見まつり」として始まったそうです。

新婚の夫婦が良縁感謝と幸福を祈願して行われます。 参加の対象は1年以内に結婚した夫婦で、参加費を払ってエントリーし、当日社殿の広間で華やかに着飾った新婦たちが一堂に会し、参道を写真のように歩きます。 昨年はコロナの影響で中止でした。 今年は募集20組に対し県外1組を含め7組の参加でした。

ハイライトの参道行進の時間に行きましたが、一般客はそれほど多くはありません。 神社の周辺道路はお祭りの参加者の車が止まっています。 能代市ではどこに行くのも車なので多くの車が来ることになります。

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[プライベート]

東北の春

 なぜか東北は桜の名所が多く、とりわけ観光案内に出てくるのが青森県弘前市にある弘前城です。 秋田県能代市の我が家から最短コースで103㎞、景色の良い日本海回りでは130㎞強で、4月25日月曜日にオートバイで出かけました。

写真は弘前城の外堀一面に浮かんだ桜の花びらで、大手門への赤い橋が見えます。 この日は満開というより花が一番散るときに出会いました。 東北では寒い日が続いていても日が長くなると突然開花し、5日ほどで散ってしまうそうです。 暗い冬が終わればつかの間の春が訪れ、すぐに夏になるそうです。

白神の山々には雪が残っていて、冬と春が同居しています。 桜の開花は春の音連れを知らすタイマーとして東北では各地に植えられていて、ソメイヨシノが終わってもしだれ桜、八重桜、その前はヤマザクラが短期間に咲き誇り散ってゆきます。

弘前市役所の駐輪所で盛岡ナンバーのライダーと話しました。 東北ではツーリングの場所に事欠かないと話が盛り上がりましたが、彼も最近神奈川から引っ越してこられたそうです。

秋田に家を買って3年目にしてやっと弘前城に行けました。 お城はことのほか広く、城内は桜だらけでもともと軍事施設ということからから考えるとお城の機能がなくなってから植えられたのかと思います。

月曜日に行ったのに駐車場入ろうとする車が渋滞していました。 東北には桜の名所が多いのにこんなに人気があるとは意外でした。

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