監査役BLOG

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価値観

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日々の変化

 68歳を前にして寝屋川の印刷会社に出向になりました。 前職を含めて出向は初めてで、出向先では初めての人ばかり、印刷業は全く経験がなく何から手を付けてよいかわからない日々です。

今年の3月5日は秋田にいて、4月1日に帰阪予定でした。 朝電話がかかってきて出向の通知を受け、それが12日からでした。 大阪に帰るのが20日ほど早くなっただけと思って夕方の飛行機に乗りました。

印刷会社は買収先で12日から代表として赴任しました。 すべてが新鮮です。 前社長は顧問として残っていただいたのですが、とりあえず管理資料を確認しようとしましたが何もありません。 顧問に聞いても知らないとのこと、経理の仕分けから支払いのあった相手先に電話して取引内容を確認する日々が1ヵ月続きました。 その間も原料発注と製品製造・納品は続いています。

製造はほとんどが下請受注なので、受注すれば原料在庫を確認して発注し、印刷機にセットして印刷・型抜き・カス取り、たまにラミネートと工程は限られています。 ローテクで各工程は職人芸、ちょっとしたノウハウが他社との差別化を実現しています。

 

この年になって人使いが荒いと考えるかこの年で働かせてもらえると考えるかで気持ちは大きく変わります。 せっかく秋田の暮らしに慣れ、友達もできたのに残念と思う一方で仕事を頂けた喜びが勝ってしまいました。 秋田の人には大阪から戻らないと思われているかもしれません。

ふと子供のころに目にした幸せのイメージを思い出しました。 広く美しい洋風一戸建てに住み、部屋には御馳走があふれ、仕事はしない生活です。 大人になってそのような生活をしている人を幾人か見かけました。 広く美しい洋風一戸建てに住み、部屋にはごちゃごちゃとした飾り物が飾られていて手間のかからない事業をやっていて一家の主はゴルフ三昧など趣味中心の生活です。

あの頃の幸せ観は当時の苦しみ観の反対として描かれていて、当時の人が67歳で家族と家から引き離され、出向して未経験の仕事に従事するなど地獄に落ちた思いかもしれません。 中性脂肪値が高いので帰宅してからの食事も質素ですし、独り住まいのマンションにTVすらありません。

おそらく50年も待たずして別の幸せ観が新たに出てくると思います。 そうだとしても今は幸せを感じる日々です。

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価値観

 政治と宗教の話はご法度ですが、あえて今世の中で一番話題をさらっている森氏のことにつき意見を言いたくなりました。

ノンポリの私が議員として森氏のことを知ったのは首相就任した時からです。 前首相の病没の枕もとでの一言で自ら首相となったことから日本の政治の未熟さを思い知り、私の政治不信のきっかけとなりました。 その後渡米した森氏が当時の米大統領クリントン氏に『Who are you?』といったとか言わないとかで新聞社に勤める友人が激怒していた人です。

さて今回の問題発言に接したとき、私は何とも思いませんでした。 当人はそのような人、私が以前勤めていた会社にはよく似た人がたくさんいて、それは個人の問題ではなく蔓延した価値観のあらわれにすぎないからちょっとした不快感以上に感じることはありませんでした。 おそらく自民党を支配する本流価値観を象徴していて、民間企業でも同じような価値観を中心とする会社は取引先にもありました。 その弊害は日常的にあらわれます。

漏らした一言を追求することから始まり本人そのものの否定、そして自民党派閥領袖のN氏の森擁護発言、この発言が引き金になり組織の体質を問題にする記事が増えました。 体質にどっぷりつかっている山下氏は当初沈黙、発言の不適切さ、批判を阻むJOCの体質、すべてわかっていて小出しにするところに組織にしみ込んだ価値観の深さをにじませています。

おそらく批判は本質に向かって続き、森氏の意地の張り合いの末一番見苦しい辞任劇に展開すると思います。 私の近しい人は数年前からオリンピックのボランティアに登録していました。 スポーツが大好きな人で今回のも静観していました。

わが身に振り返り、批判されている価値観に自分自身が汚染されていないか気になります。 このような旧弊に染まった老害を見てきた身として自分がその立場に立ちたくないからです。 いま私の年齢に近い人が世界の政治のトップに立っています。 日経新聞の国際欄で海外のトップの発言を聞いているとこわくなってきます。 そこまで思い出したとき、森氏に始まる批判が時代錯誤の価値観を消し去ることを願ってやみません。

 

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移住

 仕事に忙殺され、経営責任に押しつぶされようとしていた時期がありました。 そして一段落したとき田舎暮らしをしたいと思うようになりました。

自分の趣味を振り返り、登山、カヌー、オートバイのツーリングと自然に浸り、あえて不便を求めるものばかりでした。 山登りをしていた時に多くの人からその魅力について質問を受けました。 自分が納得のゆく答えを出せなかったように思います。 あえて自分の足であえて歩きにくいコースをたどり、不便を承知でテントに泊まり、そこまでしなければ味わえない自然の核心に触れる魅力はあると思います。

オートバイであれば基本的に道路を走るわけですから車で行けば寒暖の苦痛から逃れられ、雨もしのげます。 どちらもより無防備に自然に触れ、不便を味わうということでしょうか。 なんと表現してもぴったりくるものではありません。

田舎暮らしもはじめはそれに近い意味で、近隣に民家のないところで可能な限り自給自足しなければならないものを考えていましたが、年齢を重ね考えが変わってきました。 不便は困るが国内で大阪から遠いところ、今まであまり縁のなかったところで行きついたのが秋田県でした。

写真は崩壊しかけたブロック塀の注意書きですが、『危ない』ではなく『あぶね』になっています。

危険な場所にはこの看板が張っています。 言いたかったのは田舎暮らしの醍醐味は文化の違いを実感できる、冒険できるところが多くあることになってきました。

今回は短期間の滞在で秋田弁がどのようなものか解りませんが、年配の秋田県人同士の会話はほぼ理解できません。 秋田で生まれ育った人でも理解できない時が多いといわれ方言は残っているのだと感心しました。

不便を楽しむという点ではスーパーマーケットも市役所もすべて近くなり大阪に住んでいた時より便利になりました。

買い物の選択肢は少なく、目的をもって買い物に行って悩むことはありません。 市で一番大きそうなスポーツ用品店で硬式テニスのラケットを扱っていません。 必要ならネットで買えば不便はありません。

冬にはスキーもしようと思い安比など有名スキー場が日帰りで行けますが、地元のスキーツアーは北海道に行くそうです。 贅沢な話です。

家にいて配信されたメールを読み、日経新聞電子版を読むと半日が経過します。 その間は大阪も秋田もなく過ぎます。 疲れてTVのスイッチを入れると東北の天気予報をやっていて居場所を認識します。

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かしこい人、あほな人

 友人の一人から電話がかかってきて、『最近ブログ書いてへんやろ』とおしかりを受けました。 私のブログは当社を応募する人がどのような会社が理解するうえでホームページ以外の本音の会社を知ってもらうためのものです。 決して同年男性友人=おっさんに読んでほしいと思っていません。

言われたからではありませんが、書くことにしました。 タイトルにあるようにここで言う『かしこい人、あほな人』は言うまでもなく学校の勉強が出来たとか難しい国家資格を取得した人とかいろいろなことを知っている教養人を指してはいません。 社会人として貢献を果たす人をかしこい人、社会を騒がせたり話題を投げかけはするが何の貢献も果たさない人をあほな人と決めて話を進めます。

会社の中の話題に限定すれば社会は会社と読み替えればよく、少しでも、そして直接・間接であっても会社に貢献するかで判断します。

かしこい人は気づきが優れています。 ある組織で問題になっていることを多くの幹部が気付いているのに気づかない人はあほな人です。 同じ情報に触れ、誰とでも話が出来る環境にいて気が付かない人がいて不思議に思う事があります。 特にマイナス貢献する人は自分の事に気付いていない人です。 自分が出来ることが仕事のすべてであるかのごとくふるまう人で、ある種の事に特技を持っていますがそれだけの人でそれを振り回すことで仕事が出来たと信じている人です。 業績を見て自分が振り回したことが貢献したかどうかは一目瞭然であるのに気が付かないのか気が付かないふりをしているのか解りません。 特に大きな会社でそれなりにその特技だけで評価されてきた人は頭の固さが完璧です。

ある人は専門知識を持っているだけにこまごま気が付き、現場に負荷をかける仕事を作っていきます。 これもマイナス貢献をする典型で貢献なき作業を増やす人です。

会社はこのようなマイナス貢献の人が数人いるだけで大きな損失を出します。 簡単にやめさせられない、頭が固いから説得できない、字医師過剰だから周りに自分の考えを披露し、ゆがんだ判断を植え付けるなど細かなマイナスをまき散らします。 ことわざの『悪貨は良貨を駆逐する』の典型となります。

最近知り合ったトラックのドライバーの人は天才的な気ずきを示します。 トラックを運転していて大阪市内で2車走っていてよく出会うとの事、混雑する大阪市内を走行していて同じ会社のトラックに出会う確率はかなり低く、走行していて運転席から入る情報は多いのにその中で瞬時に特定情報を見つけることが出来るというものです。

学生時代はあるスポーツで日本トップクラスの選手だったそうです。 スポーツでも会社でも気づく力は有益で、職業として刑事など向いているのかもしれません。

気付いたことを分析して組み立てる力はスポーツで言えば相手の癖を瞬時に見抜き先手を打つなど勝利に繋がります。

貢献に寄与するこれらの能力を仕事やお金儲け、人間関係で生かすことが出来ますが、そこには価値観が作用します。 先程会社に貢献しない人の例を出しましたが、彼らが頭の固いのは自らの価値観を変えると自らの貢献の無さを認めるからにほかなりません。

先程のトラックの運転手の人はその能力をお金儲けに生かそうと思わなかったのでトラックを運転しています。 お金儲けをしたいとその人が思えばおそらく大きく儲けて社会に大きく貢献していたことでしょう。

 

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目標と将来と達成感

 私は幸せになりたいと思っています。 おそらく誰もが同じで不幸になりたいと思っている人はほぼいないでしょう。

残念ながら私は幸せになることを目標にできません。 フランクルの言葉で気付いたのですが、ついでに言えば結果になるものを目標にしない、もしくはできないことのように思います。 そもそも目標は何かに繋がると思いますが、設定された目標から目標に向かう行動やプロセスが上手く導き出されるかどうかがポイントと考えています。

結果になるものは事業運営における売上・利益など、勝敗のあることで勝つということ、美味しい料理などはすべて結果です。

事業運営ではたいてい売上・利益を伸ばそうとします。 前年比〇%伸長と目標設定される場合があります。 そこで終われば一体何をすれば良いのかわかりません。 結果的に伸びれば達成ということになります。 そこで計画数値に裏打ちされた行動計画を具体的に立案します。 取引先選別、重点取引先の訪問頻度を上げるなどです。

売上・利益などは大きくなればなるほど良いと考えられがちですが、極大化を狙い続けて破綻した企業は多くあります。 規模に係る設定基準は限界があったり適性水準があったりで極大化がすべての局面で正しいわけではなさそうです。

目標や計画は将来に対するものですから、将来予測が必要になりますが、将来予測は無益であるという人がいて、確実な将来展望は自分で将来を作ることと言っています。 自分で作れるのなら確実性はかなり上がります。

過去に戻ることはできないわけですから将来に向けて生きるという当たり前のことを認識し、目標設定するわけですからこうなりたいという意志から描いた展望を目標にすべきです。 その意味で売上〇円などという目標設定は疑問があり、仮に達成されても達成感はありません。

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人が変わる瞬間

 組織で働いていると自分のたち位置(役職や所属部署)がどうであれ組織のメンバーと意見のすり合わせをしなければなりません。 誰かとすり合わせをしていて『なんて頑固なんだ!』と思う事があります。 おそらく相手も同じことを思っているでしょう。 結果的にすり合わせができないまま事が進み、ずれた認識のまま成果が積み重なってゆきます。 成果が見え始めると多くの場合相互に修正が行われ、好ましい成果に繋がる場合があります。

最後まで対立し、二つの異なった成果が生まれ整合しない残念な結果になることもままあることです。 これは好ましくないのでベストでなくても良いから誰かが決定してくれて、決定に従ってことを進めると時間が節約できて良い結果をもたらす事があり、特定の人に決定権の集中が進む場合があります。

組織に属する人が皆がベストを見出すことは不可能ですが、情報の共有を通じて何がベストかできるだけ多くのメンバーが見抜けるようにする訓練は何処の会社も熱心です。

組織で決定のプロセスは多数決が主流ですが、主要メンバーの一票は重く、役職が上位であれば一票で多数の意見がひっくり返ります。

そのような人が意見を変えて皆に賛同する事があります。 今まで同じ課題では必ず反対していた人が必ず賛成するようになったらその人は意見を変える事がてきたことになります。 めったに見られない現象ですが、何かきっかけがあって価値観が変わったのだと思います。 人生を振り返って多くの人との係わり合いの中で、自分の言葉で相手が変わった(その人にとっても社会的にも良い方向で)瞬間があります。

逆に相手の一言で自分の考えが変わった瞬間があり、靄がかかって先が見通せないことの展望が開けたような印象です。

人が変わるのは瞬間であって、長い時間の経過と共にその人が変化したのも細かい変化の瞬間の集積だと思っています。 瞬間に人が変わるというのは私がそう思っているだけで正しい観察かどうかわかりません。 しかし変わる瞬間は心地よく、多くの変化の瞬間を期待しています。

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説明

 営業員の訪問件数が管理されています。 何件訪問したか、というものですが営業成績と訪問件数の多少はかなり相関関係があります。 その為各営業は訪問件数をカウントしています。

おっとりした若い営業の訪問件数が伸びません。 営業の会議では訪問件数を伸ばしてみてはと指導しますが、やはり伸びません。

色々聞くと一件訪問あたりの滞在時間が長いのが原因と本人は考えています。 訪問先で長く話すので次の訪問時間との間に余裕があり、隙間時間で何とかもう一件訪問するというのが本人の改善策です。

営業先で長く話をする事が大切と考えている人が隙間時間で短時間の面談を良しとはしないでしょう。

私は長時間の面談や会議は苦手です。 面談では挨拶もそこそこに要件を切り出しますし、会議で資料が多いのも焦点がぼけるのでできればA4 1枚にまとめてほしいとお願いします。 もちろん初対面の方にこのような対応はしません。 私が時間をかけるのは採用面接、今は1時間ぐらいですがかつては数時間掛けて面接したこともあります。

私が会議や面談時間を短くしているのは短くする事が目的ではなく、面談の目的に焦点を当てたい為です。 時間が長いと何の話題であったか解らなくなります。 私がかつてお世話になっていた弁護士は話が長くなるといらいらして怒り出します。 そこで因果関係の複雑な事件の場合は図を用意して説明します。

しかし営業の現場では世間話を含めてある程度の滞在時間は必要で、こちらは話を準備してきたけれどお客様はその話を始めて聞くので言われた一つ一つのことを納得するのに少しの間が必要です。

薬局で服薬指導をしている薬剤師でこの間の取り方が上手い人がいます。 何か一つの事実、たとえば副作用についてであれば一つの副作用を説明しにっこりしながら待ちます。 相手が何か返すと相槌を打って次の説明に移ります。 服薬指導の時間は少し長めですが実務上問題ありません。

逆に福作用が複数あるとき一気に説明する薬剤師がいます。 往々にして患者さんに伝わっていないように思われます。

先ほどの営業の説明でおそらく本人が長いと思っている時間は30分程度とおもわれます。 先ほどの相手の反応を確かめながら説明する薬剤師の場合5分程度でしょうか。 福祉用具の説明と服薬指導の時間は内容からすると同じくらいの説明量でしょうか。

前出の営業に5分で説明しろと指導すれば本人は自分のスタイルや価値観を否定されたと思い、気を悪くするでしょう。 間の取り方の上手い薬剤師の説明を横で聞けば自分の思う理想の営業に近づいてゆくと思われます。 否定しても反発、薬剤師の間の取り方が腑に落ちて上手く説明ができるようになって褒めれば成長は止まります。 人を教えるのは難しいことです。

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転職

 今日は私の誕生日、めでたく66歳を迎えました。 生まれたのは昭和28年、第二次世界大戦が終戦を迎えて8年経ったときでした。 たまに第二次世界大戦前の映画を見て登場人物の発言や考え方に触れ、『それに近い時代であったな』と思い出す世代です。

子供の頃は子供は両親に絶対服従で、子供の頃は1歳年上の子には服従、私が社会人になったのは25歳の歳で昭和54年でした。 会社で上司はもちろんのこと年下でも(私は25歳で社会人になっているので年下の先輩は沢山いました)敬語を使って接していました。

つまり年上や先輩、上司はなおさら絶対で上司の指示ミスで私が結果的にミスをしても上司が始末書書き、責任を取る文化でした。 賃金は年齢によって厳格に決められていて何歳なら基本給はいくらか明確でした。 毎年かなり昇給し、一定年齢と共に皆が昇進し、賞与も毎年上がり入社後20年間を掛けてバブルがはじけるまでインフレと昇給が続き、バブルがはじけても対処法がわからず、私より20歳以上年上の経営層は時代を読み違えたマネジメントを展開していました。

バブルがはじけてからの20年間は『失われた時代』ということで現在に至るまでデフレ体質から抜けられず、物価が上昇しない中で年功序列は崩れ、昇給しない若い世代は人材紹介会社の甘言に踊らされて転職を繰り返しています。 紹介会社の運営する口コミサイトで当社の内部批判を目にしますがほぼ根拠のない批判です。 その初回会社が平気で人を紹介してきます。

私は転職を否定するものではありません。 私も一度転職しています。 前述したように前職の会社の体質が古く、それが生理的に受け入れられなかったので転職しましたが、会社の評価は別にして体質改善の仕掛けを仕事の一環としてやる事ができ、成果も生んだと思っています。 転職せずに続けるのも一つでしたが自分の思いをぶつけると波風ばかりが立つので転職したことは私の人生で大きな成功だと思っています。 何が成功かと言うと自分がやりたい事が出来た、たまたまそれが経営の仕事であったということでしょうか。

自分のやりたいこと、やりたいこと実現できる為の方法手段=人間関係ややりたいことについての努力、結果=所得や地位で満足が行けばその職に就いたことは良かった事になります。 目標は『やりたいこと』で良好な人間関係=手段、結果=所得・地位ではありません。

最近採用面接で転職理由を聞いたり、当社の退職者の理由を漏れ聞いたりして目標を持っていない人が無理やり方法を目標にしたり結果を目標にしたりしてさまよっているのを見かけます。

目標は目標、会社が与えるのは仕事であって個人の生きる目標ではありません。 何をしたいかという個人の目標は本人が考えて見出すもので、考える癖を持たない人はさまよえる転職者になって行きます。

鍵がかかった自分の家に入るのに鍵を探さそうとしないで家に入れないことを嘆いているように思えて仕方がありません。

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本を読まない文化

 採用面接でレギュラーの質問に読書の習慣があります。 読書の習慣があると応えた人にはさしさわりのない範囲で読書のジャンル、小説であれば好きな作家などを聞きます。 本を読まない人には何から情報を得るか、TV、新聞、ネット、会話など情報源を聞きます。

新聞と答える人はほぼおられません。 私は相変わらず新聞を熱心に読みますが、朝新聞を取りに行くのと読んだ新聞紙を捨てるのが面倒で電子版に変えました。 私が住んでいるマンションでも資源ごみの日に捨てられている新聞紙は殆どありません。

読書も習慣にしている人は少なく、採用面接でも余りお目にかかりません。 『読書の習慣はありますか?』、『あります』、『月に何冊ぐらい読みますか?』、『年に5冊くらいですか、』、読書の習慣を量だけで判断するつもりはありませんが、週に1冊読まないのは習慣とは言いがたいように思います。 私は年間50~100冊程度でしょうか、もう少し読みたいと思うのですが読めない言い訳は山のようにあります。

このブログで以前投稿しました『ティール組織 フレデリック ラル著 2018年1月初版』は大阪市立図書館で借りて読みました。 今見ると全館で3冊所蔵、予約件数39です。 私が数ヶ月前に借りたときはすぐに借りる事ができました。 本書はビジネス書大賞経営者賞を受賞しています。(その価値は全く知りません) 589ページあります。 私が借りたときは誰かに読まれた形跡はありません。 分厚い本なので誰も読まれていないと手を離せばページが閉じてしまいます。

私は本書を日本経済新聞の書評で読んで知ったのですが、この数ヶ月でどこかで紹介されたのかもしれません。 図書館で蔵書の冊数は人気の指標、3冊というのは人気がありません。

一つのテーマで600ページを費やした情報はネットでは余りお目にかかりません。 新聞でもないですし、TVで内容を放映するなら何時間もの特集になるでしょう。 それが紙に印刷され、相応の価格で販売されるのですから内容は重厚と思われます。

ネットで検索すれば本書の要約も著者の経歴もティール組織の実例も出て来ます。 しかしオリジナルの本を読み終えるほうが作者の論旨は正確に伝わると思います。

このような大きな知識に対して日々の生活は100字程度の文章にまとまるネット記事が社会生活を営む上で有効です。 だから本は読まれないかというと書籍の販売額は減少しても体系化された大きな知識は人が仕事をし、生活するうえで必要です。 本はその記録・伝達手段としてまだ効力を持っているだけで、『読書の習慣はありますか?』は愚問で、『大きな知識に触れる事はありますか?』が的を得た質問になるでしょう。

人が仕事をし人間関係を営む上で体系だった知識、それは知識を超えて価値観というべきかもしれませんが、持っていると想像します。 それが偏狭なものであれば『おたく』と呼ばれるかも知れません。

欧米の映画を見ているとそれを色濃く感じます。 先日見たスウェーデン、ドイツ、台湾、韓国の映画、どれもが政治的背景を持つプロパガンダ映画ではありませんが、価値観の違いを感じます。

面白いことに先ほどの『ティール組織』のような学術書にも違和感として感じ取れます。 自分の属する社会で楽に生きるにはその社会で標準的な価値観を習得すればよいでしょう。 善悪ではなく楽かどうかの問題です。 何が楽かといえば考え方や価値観に悩まされる事が少なくなるからです。 そのような価値観に違和感を感じる人はその社会から出てゆきます。 何処にいっても違和感を感じるならばある意味『おたく』になってしまうかもしれません。

多様性が話題になる現在、多くの価値観を理解できれば多様性の社会でも楽に生きてゆけるし、そのような多様性を理解する上で読書は断片でない知識という意味で有効だと思います。

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無駄取り

 事業運営でも日々の生活でも無駄を省くこと、節約すること、効率化を図ることはよく話題になります。 自分に自信のある人、何に自信があるかというと稼ぐこと、価値を生み出すことに自信のある人はそれ程節約に関心がありません。

一万円の利益を残すのに税引後利益/売上の率が1%であったなら100万円の売上増が必要です。 1%の率は一般的だと思います。

日本経済新聞に老後資金のシュミレーションが出ていました。 この記事は何度も登場し、老後資金やライフスタイルについて社会の関心が高いことを示しています。 よくある内容は世帯所得が1千万円から1.5千万円で預貯金が数百万円しかない話です。 この所得が手取り額であれば何に使っているのか不思議です。 記事を読み進むと家のローン、子供の学費、食費、水道光熱費、服飾費と家計の内容が例示されています。 自分の生活スタイルからは考えられない出費が見られます。 例えば毎月衣類に3万円と書かれています。

可処分所得1~1.5千万円は高収入です。 ほぼ使い切るのは簡単で節約するのは大変そうです。 しかし解説者は節約を示して老後資金の貯蓄を進めています。

私個人としては節約は趣味のようなもので、それがなければ生活に困るものでなければ支出することは稀です。 収入もさほど多くないので貯金も少ないですが、収入の道が閉ざされたとしても生活していけるように思います。

朝出勤するときの道のりでもずいぶん無駄なことを目の当たりにします。 近所の印刷会社はスーツを着た営業の人が印刷物を車に積み込み、配達の準備をしています。 会社まで1500歩弱の間に自動販売機は30台程度あります。 近所の人がヨーロッパ車で喫茶店にお茶を飲みに来ます。 宗教法人は朝から読経の声が聞こえます。

何が無駄で何が必要か理屈ではなく人の価値観だと思いますが、10年以内に無くなると予想されるものは支持されている割合の低い価値観だと思います。 無駄を無くし合理性を追求することは支持されにくい価値観だと思いますが、無駄のない生活や事業運営の魅力が明らかになれば、方法として節約は魅力のあるものになってきます。

友人が私に『お金をもって死ねない』と言いましたが、日々の生活に満足していればお金そのものは話題として小さくなります。 私の場合、満足は自由な生活からもたらされます。

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