相談役BLOG

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ライフスタイル

 労働基準に関するセミナーに参加し、ずいぶんいろいと変更するものだと思いました。 有給休暇の取得方法など欧米のデータを元に法律の改正が加えられています。 考え方の基礎は欧米のライフスタイルを真似るのではなく国民の健康を守ることにあります。 健康を阻害するものとして睡眠時間の減少が話題になっていましたが、深夜まで起きているから睡眠時間が充足できないライフスタイルに便利なコンビニの深夜営業も話題になり出しました。

深夜まで起きていて休暇は取らない、本も読まない、運動もしない、では何をしているかと言うと若い人はネットにアクセスしてネットサーフィン、ゲーム、音楽・映画鑑賞などでしょうか。 私が接する若い人の行動パターンは採用面接の質問で得られたもので一般的かどうか解りません。

そのようなライフスタイルが標準的であれば深夜にネット回線を禁止するなど新たな規制が出て来るかもしれません。

私のライフスタイルは21時~22時に就寝、基本的にお酒は飲みません。 起床は4時~5時の間で6時過ぎに出勤し、16時~18時に帰宅します。 夜コンビニ行くことはなく、酒席も最低限にしています。 帰宅後文庫本小説を二日に1冊のペースで読み、ビデオも二日に一本見ます。 空いている時間に食事と軽い筋トレ、シンプルなライフスタイルですが頭と体のケアをしていると仕事で成果を挙げて健康を維持できます。 物を余り買わないので生活費は住居費を除いて最低水準です。

年齢と共にライフスタイルは微妙に変化していますが、基本は朝型人間、読書が趣味で趣味以外では節約する方なので50年くらいはこのようなシンプルライフスタイルです。

ライフスタイルによるのか健康に恵まれ、子供のときに弱かった身体はこの50年大病を患うことはありません。

国が理想とするライフスタイルは相当高齢までしっかり働き、健康維持に努め医療費や介護費用がかからないもので、私のようなシンプルなものがNHKの『ためしてガッテン』などの番組を通じて推奨され、最低限の法律規制が今後予測されますが具体的には想像できません。

ライフスタイルの一般的な将来も私には想像できません。 行政の目的が膨張する医療介護の財政支出抑制にあり、徹底していくなら一般的なライフスタイルは数年で大きく変化してゆくように思います。

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[生活]

季節感

 このブログで何度か書きましたが、私はチャンバラ小説が好きでよく読みます。 作家は主人公のキャラクターをきめ、いろんな事件を演出しながらたくさん書いてゆきます。 シリーズものがヒットすれば10作前後書く人もいますし、30作迄伸ばす人もいます。 TVの連続ドラマのようで、いわゆる歴史小説は作品数が多いです。

同じキャラクター、江戸の同じ長屋、剣客の流派等でバリエーションが出てきます。 季節や食べ物、当時の珍しい仕事も題材になります。

季節感は作家によって表現がいろいろで、食べ物や着物の種類、雪や台風などの気象、花、野菜売の野菜の種類まで使えるものは何でも使います。

読者は『野菜売が大根を・・・・』といっても現在では周年大根は売っているので季節感の小道具としては弱くなってきます。 雪や台風、氷結、うちわ、打ち水等現代でも季節を連想するもの、露骨な小道具の登場機会が増えます。

私はかつて積雪期の山に登るのが趣味であった時期がありました。 絵を描く友人と登っていると向かいの尾根の落葉樹は完全に落葉していて雪面から枝が無数に出ています。 私の感覚からすれば白いお餅にカビが生えたような印象です。 友人は『きれいなローズグレーだ』といいました。 多分色の話であろうと分かったのですが、ローズグレーは初めて聞く色の名です。 向かいの尾根の雪面に生え出た落葉樹の色、雪はあくまで白いので色を見間違う事はありません。 お餅に生えたカビのような色が美してというのは感性の違いでしょう。

いまから100年ぐらい後、西暦2100年になってまだ小説というものが残っていた時、時代小説のジャンルにサラリーマン小説が入っていたとします。 平成期のサラリーマンの生活をエンターテイメントして仕立てた作品で、ある作者が私のブログをネット上で発掘し、作品の主人公にしてシリーズ化したとします。 チャンバラ小説同様シリーズ化されて作者は変化をつけるために季節感に工夫します。 主人公は毎朝6時に起きて7時に出勤する、冬、途中の公園の落葉樹のローズウッドの色がかつて愛した女性のコートの色を連想したと書かれても100年後の人は季節感を抱かないかもしれません。

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[生活]

時間管理

 最近歩く速さは遅くなってきています。 昔山に頻繁に登っているころは速足で、誰かと歩いていても気が付いたら一人ではるか先を歩いていることが多かったように思います。 今どれくらい遅いかと言うと時速4㎞前後でしょうか。 早く歩こうと思ってもスピードが上がりません。

朝家を出て会社に行くとき、時速4㎞で歩いていると毎秒1.1メートル進みます。 10メートル先の人に追いつくには毎秒1.3メートルに加速し(時速4.7㎞)50秒かかります。

早く会社につきたいなら早く家を出るか早く歩くかしかありません。 早く歩けないなら早く家を出ることになります。 私は目覚めてから起きるまで、ベットを出てから家を出るまで時間がかかります。 目覚めてから起きるまで30分くらいでしょうか、ベットを出てから外出するまでに2時間くらいかかっています。 TVコマーシャルなどでトーストをかじりながら買ったシャツを着て飛び出してゆくサラリーマンの姿が出ますが、最短でベッドを出てから30分で家を出られると思います。 そうすれば2時間仕事が進みます。

その人が残業がほとんどなく年間約2000時間働くとします。 年収600万円とすれば時間給に換算すれば3千円、毎朝の2時間は6千円分になり、バタバタしなくても生み出す事が出来ます。 年間就労日が250日とすれば500時間、約150万円になります。

残業や早朝出勤を500時間すればいろいろ問題になります。 しかし2時間30分の出勤前時間から2時間を捻出できるのであれば8時間勤務の中で2時間程度は捻出できそうです。 もちろん人間のやることなのでほっと一息も必要です。 しかしバタバタせずに時間は捻出できるものです。 仮に2時間捻出できれば仕事の量が同じであれば残業はしなくても済みそうです。

スコップで土を掘り起こすような純粋肉体労働ならこれは大変ですが、大抵の仕事はそうではありません。 数字の入力をしたり、会議の提案書を作成したり考える部分もあります。 会社でもよく見られるのはPCの前で固まっている人です。 ある時は何か考えているのでしょう。 しかし定型業務では考えることは少なく、細かな判断の集積です。 本人は考えているつもりでも悩んでいたりボヤっとしていたりする時間は無駄です。 悩まない、ボヤっとしない、一つの作業が終われば次の作業にすぐに移る訓練を重ねる必要があります。

生産性が話題になるときブラインドタッチなどスキルが話題になります。 確かにスキルは時間短縮に効果があるのですが、スキルより仕事の無駄取りが大きく時間節約になり、空いた時間で更なる無駄をなくしたり、スキルアップを図る事が出来れば組織の生産性は高まると思います。

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丑三つ時

 チャンバラ小説の時代考証がどれだけのものかは判りませんが作者によっては歴史学者が及びもつかない調査をしていると聞いたことがあります。 神田の古本屋である時代について考証している本をごっそり買って帰った作家がいて、少し後に同じ神田の本屋に行った作家が求める本を一冊も入手できなかったという逸話です。 先に買って帰った作家の購入量はトラック一杯、半端な量ではなく、読破していればデーブラーニングのAIのようなものです。

小説で江戸時代の庶民の生活時間帯について記載があり、朝は4時ころから商店の開店準備が行われるようです。 道を掃いたり打ち水したり、品出し、梱包の開梱、朝食など住み込みの店員さんは生活と仕事と行い、夕方は18時に閉店業務を終えるようです。 営業時間で言えばドン・キホーテくらいでしょうか?

夜の遅い商売は飲食、遊興娯楽、駕籠やで分限者(金持ち)が噺家を料亭に呼んでという遊びは22時~24時ころにお開きとなり、旦那衆も噺家も駕籠で帰宅します。 遊廓の吉原は夜閉門されるので深夜の帰宅はありません。

武士も庶民も21時ころには就寝です。 つまり普通の人は21時ころ寝ていて朝4時に起きれば7時間の睡眠になります。 この生活時間帯は夜間照明のコストの問題なのか下級武士の生活で灯明を使わない生活が描かれていました。

武士の仕事で使いに出たりして遅くなる描写でも深夜2時ころが一番遅い時間として描かれています。 したがって『草木も眠る丑三つ時』はあまりチャンバラ小説でも登場しません。

もし今電気照明がなくなり蝋燭しかなくなれば私は5時には帰宅し6時には食事を済ませ、9時には眠りにつき4時に起きる生活をするでしょう。 夜の8時代は証明が必要ですが4時に起きても今なら照明入りません。 日没が早く日ノ出の遅い冬は生活時間帯がずれるかもしれません。

今の時代、やはり早朝3時は人通りは少ないです。 その時間で歩いたことがあり、近所の四天王寺に散歩に出かけると信者さんが各伽藍を順に回り、念仏を唱えお参りをされています。 夕方7時ころ同じ四天王寺の境内を周回して警備員以外の人に合わなかったこともあります。 人の活動する時間には昔から変わらぬパターンがあるようです。

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小さなこと

 フランクルの言葉に

『小さなことが気になるのは自分が神のように完璧であるべきだと思い込んでいるからだ』というのがあります。 ドラマの相棒で刑事の杉下右京が小さなことを気にして推理し、事件を解決する筋立てが基本になっています。 そして警察組織に馴染めないまでも杉下右京は完璧な推理者として描かれ、次々難問を解決してゆき、完璧な人格を表現しているように思います。

私はキリスト教徒ではないので神の存在を認めていませんが、完璧を求める人との出会はあります。 それらの人には少し窮屈な感じを受けますが、なるほどと思う事も多くあります。

フランクルはこの言葉で何を表現したかったのか意図は判然としませんし、宗教や文化の、価値観の違い、そしてアウシュヴッツの体験などを考えれば共感できないことなのかもしれません。

小さなことは気になります。 単に些細なことであればそれにとらわれ本質を見誤ることを避けるように言っているのかもしれません。

一方でキリスト教圏の言葉に『神は細部に宿る または 真実は細部に宿る』というのがあります。 一見矛盾して見えますが、日本のことわざにも同じようなものが見られます。 真意を確認したことはありませんが。

私の結論は小さなことでも拘るべきこととそうでないことを分けて考えればよいと考えました。 会社の中でささやかな節約、例えばコピーをするとき出来る限り白黒印刷をして5円を節約するとします。 節約の感覚をもっていれば大きなプロジェクトでちょっとした節約の発想から数千万円が節約できる、コピーの5円も積もれば大きいのですが、節約する感覚の重要さは5円を上回るものです。

私は自分の考えをまとめるときに裏紙に鉛筆で書いてゆきます。 木遺棄される裏紙は私個人の書類の中にも山のようにありますが私は間違いを消しゴムで消し、上手く表現できないことを炭に絵をかいて1枚の裏紙に考えをまとめ切ることに情熱を注ぎます。 書ききった後、その裏紙の上で鉛筆をナイフで削り、丸めて捨てます。 それで1枚の紙を最後まで使い切った気持ちになります。

ではとらわれる意味の無い小さなこと、ちょっとした言葉の行き違いをくよくよすること、などでしようか? 人によってはその小さなことをこだわるあまり暗くなってしまい、前出のフランクルの言葉が重く響きます。

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[生活]

人生は結果の責任まで人間に要求したりしない

 タイトルはオーストリアに生まれた精神学者でユダヤ人でアウシュビッツで生き延びたビクトール フランクル氏の言葉である。

氏はロゴセラピーを提唱し、私はその言葉に救われたことがあります。 タイトルで気づかれたと思いますが、人生と人間をそれぞれ別人格として表現しています。 人は人生を演じるわけですが、演劇に例えれば役者=人は演技(人生)の稚拙なことまで責任追及しないという事でしょうか。

自分=私は必死に人生を歩み、苦しみや喜びをかみしめています。 苦しむのは私で、人生ではありません。 喜びも同様です。 不幸を感じて苦しんでいる人が人生が良くなり喜びを感じられるように人生に期待するのは間違いで、人生がそれを演じている人間に期待しているのです。

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[生活]

やりだめ出来ない

日常生活で結果を溜められないことは多くあります。 食溜めも寝だめも出来ません。 健康維持のためにダイエットをしていることは何度もお伝えしました。 一般にダイエットと言えば減量することですが、私の場合減量できなくても中性脂肪値と悪玉コレステロールが下がれば良いのですが、体重が減れば尚良いに決まっています。

食べるのを控え、イソフラボンの多い大豆を食べ、筋トレをして基礎代謝を上げる努力をすると体重は減りました。

血液検査は二カ月毎で前回の検査では中性脂肪値が上がっていました。 筋トレも気が向けば数多くするのですが、筋肉痛になったりします。 毎日無理のない回数をこなせばよいのですが、気が向かないとできません。 気が向いたときにやりだめ出来ればよいのですがそうは行かず、やらない時間が長いとついた筋肉は細ってきます。

筋トレ以外にも趣味の読書や仕事の本を読むのもやり始めると最初の苦痛がなくなって快感になり、そればかりを続けてしまいます。 例えば比較的苦痛の少ない、と言うか楽しみでもある小説はたまたま面白い作家が見つかったらその作家のすべての作品を続けて読んでしまいたい方です。 いま嵌った作家は佐伯泰英氏、大阪市立図書館の蔵書検索では何百冊と出てきます。 仮に一日一冊読んだとしても数年かかり、その間他のことが出来なくなります。 ここ数日は筋トレもそこそこに朝起きて読み、夜読み仕事、睡眠、食事の時間を除けば読み続けています。 途中で飽きれば他のことに集中します。

自分でも嫌になる性格ですが筋トレ等は飽きるのが早く、朝から晩まで腹筋をしていることはありません。 もし筋トレも小説を読むのと同じようになればそれはそれで便利なことかもしれません。

バランスよくやるべきことをやる、食事も忘れるほど読書に熱中して減量方法もあるのかもしれませんが。 バランスをとるために10日ごとに何ができたかチェックリストを作っています。 記録し反省しなければバランスはとれないでしょう。 ある10日はエアロバイクが多く、ある10日は腹筋、スクワット、腕立てと偏りがありますが、チェックリストの項目を変えなければ一か月の中である程度のバランスをとることができています。

 

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[生活]

[習慣]

続ける事

健康診断で異常値が出て、治療も受けていますが生活習慣を変えることが効果的という事で、ダイエットと運動、食べ物の工夫をしています。

健康診断での異常値は中性脂肪値等症状が出ないものです。 年齢が年齢なので健康診断の異常値はすべて解消したいと思いました。 目標を設定し、10日ごとの計画をたてて取り組んでいます。 10日ごとの計画はもう何年も続けていて、項目もそれほど変えていませんが、例えば仰向けに寝て上体を持ち上げる腹直筋を30回すれば1点と記録します。 10日で100点強だったのを少しづつ増やして400点弱までになりました。

同時に大豆を主食とした食事に代え、食事量も大幅に減らしました。 結果体重は2kgほど減少し、腹囲もへりました。 これだけをするのに生活時間も工夫し無駄な時間を減らしました。 要は何もしない時間は日常生活でほぼない生活で、筋トレで疲れると本を読み、掃除をし、疲れてしまえば早い時間に寝てしまうという生活です。 結果筋肉や関節が痛くなりだして疲労がたまり、大豆の食べ過ぎからアレルギーが出てしまいました。 20時に寝ると7時まで起きられず、次の日は20時に寝て2時に起きる不安定な睡眠になりました。

何か目標を立てると結果が欲しくなるのは人情、目標は健康体の回復で実感しにくいものですからそのための方法として筋トレのメニューを記録しているわけですが、時間がかかるので筋トレ目乳を目標にすり替えています。 結果やりすぎになったと思われます。

筋トレメニュー以外の目標として体重を計っていますが、これも目標として達成感は小さいです。 継続を考えるとあと思いつくのは習慣化、例えばトイレに行けば腹筋30回とか、朝起きればスクワット50回とか決めてしまう事ですが、意外にうまくいきません。

そもそもどこも悪い症状が出ていない中でこれらの目標意識を持ち続けるのは難しいです。 もし中性脂肪値が一定を超えれば確実に死に至るとか、恐怖があればもう少し頑張れます。 体重が1kg減少するたびに表彰されるとか、ゴルフのスコアが10縮まるとかあれば目標維持に良いかもしれません。

体重や中性脂肪値はともかく、働く意欲や知的活動を活性化する目標は数値がされないのでさらに難しさがあります。 経営の本を年に100冊読んでもこれらが活性化される保証はありません。 しかし目標は必要で、結果に結びつくかどうかは別にして考え、本を読み、興味をもって話をし、その繰り返し以外の方法はありません。 殆どの経営者は同じことをしているのですから。

自分と同年代の人が組織のトップを務めていて大きな成果を上げている現実があり、興味を持ち、考え、考えたことをまとめて書いたり話したりしながら継続していく以外にうまく生きることはできないのでしょう。

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[生活]

[習慣化]

shopping

買い物は楽しいものである。 本当に欲しいものが手に入ったときはワクワクします。 おそらく誰でも同じだと思います。

私の友人は特に好きで、ネットで調べ、ショップで現物を見て回ります。 身に付けるものを見ることが多く、 服は売るほど持っていて靴はムカデじゃあるまいしと思うほど持っています。 そしてお金がないとぼやいています。

お金の機能の一つは交換価値を担保すること、物を買わないのであればお金は必要ありません。 なんでも盗むことができるドロボーはお金をあまり必要としないでしょう。 宅急便の来ない辺鄙なところに住んでいる人もお金はさして重要と思わないかもしれません。

私はドロボーを生業にしていないし、宅急便の来るところに住んでいてネットショップで買えばすぐに商品は届きます。 徒歩圏にデパートもあり、電車で数分圏には関西を代表する繁華街もあります。 物を買うことに関しては恵まれたところに住んでいます。

子供のころから質素な生活をしてきてお金を使う、モノやサービスを買う習慣が乏しい生活感が染みついています。 ありていに言えばケチ、よく言えば質素を美徳としていて地下鉄も二駅ぐらいは歩いて行きますし、近所の事務所に郵便物は自転車で届けたりします。 タクシーに乗ることはなく、健康管理に注意していますが医者の診察もなるべく受けないようにしています。 住居費を除けば月に5万円もあればタバコも買って生活できます。

10年以上前に3年ほど迷って自転車を買ったことがあり、今もその自転車に乗っています。 タイヤはもちろんチェーンやスプロケット(チェーンのかかった歯車)も交換して乗っています。 その時、買うことを迷ったのは仕事で使う自転車をサイクリングにも使えないかということでした。 プロショップに行き、100万円くらいの自転車に試乗してあまりの軽さと走りやすさに感激しました。 しかしそれぞれのパーツの耐久性は低く、距離を走れば頻繁に高額の部品を交換しなければならず、盗難にも気をつけねばならないなど購入対象から外しました。

プロショップをやめ元プロショップの店長に相談に行きました。(プロショップは4軒ほど回りました) その店長が普段乗っている自転車が置いてあり、結局それを買いました。 価格は3万円、一応サイズもあり、フィッティングもしてくれました。

ある上場企業の部長にこの話をしたら『なんでそんなにけち臭い』とバカにされたのを覚えています。 しかし10年以上使っているわけですから買い物としては大成功だったと思います。 このことを思い出して自分も買い物は好きで何軒も見て回る癖があるけれど買うというより探すこと、持ち物にするなら最適のもの、毎日違う服を着るよりかはお気に入りの服を何着かとっかえひっかえ着られなくなるまで着ることが習慣だと思います。

家に物は少なく、引越しは楽にすみます。 気が付けば物を捨てるようにしています。 それでも物が増えているか減っているかといえば微妙なところです。 貰うものもありますから。 物が少ないとシンプルな生活を送れるように思います。

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[生活]

人格を鍛える

ある職員の人が見た目や所作、話す言葉から人格に問題があるかのように誤解されました。 私はあまり気にしなかったのですが女性職員の多い会社なので服装の清潔感など話題になってしまいます。

そこでその人と話をすることにしました。 悪いことをしているわけではないので注意ではありません。 その人のことを思い、その人のためになる話をしようと一日考えました。

結果的に言った言葉は苛烈でした。 私の気持ちが伝わったのかどうかわかりませんが、気持ちを込めて言ったつもりです。 伝わらなかったとしたら私自身に問題があると心に決めました。

私自身の人格が他人の尊敬に値するものと思っていません。 私は人格を疑われるようなことをやってきたように思います。 自分の生きてきた足跡として関係した人の尊敬の念が蓄積されているかというとそうではありません。 若いときはいつも不満を抱き他人と融和せず、自分がやろうとすることをひたすら推し進めた人間だったと思います。

話をした人は過去の話を聞く限り立派に誠実に生きてこられた方と思います。 私がその人から説諭されるならともかく逆の立場であることはめぐりあわせの意地悪さを感じました。 どのような感情をもったとしてもやらなければならない話はします。 自分を偽り話すのではなく、単に損得の問題としてなら私には語る資格があると思いました。

話し終わってから一日たって自分の人格を鍛える必要を感じました。 人格は形成されると言いますが、良い人格かつまらない人格かは別にして64歳の自分としては自分の人格を白紙に戻して形成し直すことはできません。 そこで鍛えると表現しました。

目的は自分の人格が他人から見て尊敬に値するものであること、他人から見て私の人格が解り易い事です。
鍛えるために何をするのか、私の結論は体を鍛える事、苦痛を自らに与えながら考え続けて自分にとって有効な考えをふるいにかけて残し、しみこませてゆくことだと思いました。 少し焦点がずれて見えるかもしれませんが、僧侶の修行でも作業を淡々とこなす、阿闍梨のように長期に山野を駆け回る、座禅を組んで煩悩を消し去るなどと通じることかもしれません。

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