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人間関係

[人間関係]

本音

 小泉元首相が現役時代『上り坂と下り坂以外にま坂がある』と言われました。 それは意外という意味の例えとしてで印象に残りました。

事故と言われるものは大抵予測がつきません。 かつて交差点で車にひかれかけた時その1分前から急にぞくぞくして、青信号に変わった交差点に自転車で侵入直後自動車が左折し私を弾き飛ばすところでした。 運転していた人は私が出てくると思っていなかったのか停止後ハンドルに顔を乗せて動揺を鎮めていました。 私はその時予知能力があるのではと思ったほどです。

しかし人が組織が行う決定や行動は大抵予兆があります。 ボクシングで左ストレートを出す前に必ず2回ジャブを出すとかパターンがあります。 予兆なく絶妙のタイミングで左ストレートがが出せた時絵に描いたような一発ノックアウトシーンになります。

弱電メーカーのP社は数年前から住宅関連に主軸を移しています。 家電メーカーがハウスメーカーに変身するのは意外性がありますがハウスメーカーの作る住宅に革新的なノウハウが詰まっているとは思われない一方でずいぶん利益が出ています。 最近の住宅にはソーラーパネルが屋根に設置されていたり空調や照明の高度化により建築業は箱だけ作ることになります。 自動車産業が自前主義から組立産業になったようにです。 P社における予兆はおそらく半世紀近い前にあったと思います。 当のP社が認識していたかどうか解りませんが、社史等ではその動きが後付けされていると思われます。

個人ではどうかと言えば、大抵の人は発言の中にその予兆があります。 その発言を聞いても大抵は何も感じません。 しかしある人のまさかの行動はずいぶん以前から発言や態度に表れていてその人との対話が総て録音・録画されていればここの所作、この発言とまさかの片りんは本人が意識しているかどうかは別として見つける事が出来ます。

それをまさかと思うのは大抵損得では説明できないからです。 ミクロ経済学でも人は平たく言えば損得が唯一の行動基準と定義されていますが、最近は説明がつかない事象に対して損得以外の価値基準を持ち出しています。

本人も意識しない将来行動の片りんは現代では膨大な情報に埋もれがちです。 違和感を感じた発言行動を丹念に拾い、本人の得になる示唆をするのは本人の価値にならない示唆になりかねないところが難しいところです。

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[人間関係]

面談

 会社で日々の業務の中でうまく行っていないこと、想定外に上手くいっていること、そのほとんどがその人に関わることが多いと思います。

個別に人間関係が拗れているような場合、つまり上手くいっていない場合に面談したりします。 『そもそも相談役とは相談に乗ることだろう』などど押し付けられる事があります。 そこで話を聞きに行きます。

人間関係が拗れている場合、関係者に面談し、話を聞きますが意見が異なり妥協できないために拗れているわけです。 全く事実誤認であれば『勘違いですよ』と言えば済む場合もありますが、好悪の感情が絡んでいると解消は難しくなります。 私は話を聞き、ほめず、叱らず、評価せずでひたすら聞きます。 喋りたいことを喋ってしまえば心が軽くなるもので、それですっきりされる方もおられますが根本的には解決していません。

人には長所も欠点もあり、問題は欠点に起因する場合が多く、想定外に上手くいっている場面では本人も気づかない長所に起因している場合があります。

人間関係の問題であろうが想定外に上手くいっている場合であろうが関係する人の長所だけに着目して話を聞く、もしくはその人の長所は何かを探る目的で話を聞くと問題は解消に向かい、想定外の成功はより大きい成功への道筋が見えてきます。

そこまで本人も気づかない長所が判るには聞き手が人格的に優れ、相手の心を開かせるだけの心構えを見せねばならないと思います。 しかし上手くもっていくにはそれしかないように思います。 出来るかどうかは判りませんが、本人も気づいていない相手の長所が見えてくるなら聞き手は素晴らしい人だと思います。

 

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[人間関係]

仕事で悩むわけ

 最近1年で各分野で活躍した人が5人入社してきました。 当社が途中採用の職員だけで急成長(規模拡大)を果たしたのですが規模に応じた管理職が育たなかったので当社に来ていただきました。

マーケッター、商品クリエイター、MR、ソフトウェアーの営業、それぞれの分野で華々しく活躍し、管理職として組織を動かしてきた人たちです。

ある人と職員の退職理由について話したことがあります。 自らの部下が退職するとき『仕事が自分の適性に合わない』という理由を挙げる人が多いそうです。 退職希望者とよく話をしてみるとほとんどが直属の上司とそりが合わないことが本当の理由だそうです。

当社の営業職員でも退職者はいます。 大抵は実績が低迷して退職希望を出すパターンが多いように思います。 退職パターンにはまりかけた人に新しい管理職が話をすると急激に実績が上がる現象が見られました。 本人の仕事上の悩みが解消して仕事に専心すると実績が回復するのです。

何か悩みがあったのが話をすることで簡単に解決し、パーフォーマンスが劇的に改善するのを目の当たりにすると奇跡に思えます。

当社は中企業で休職者に特に人気のある会社ではありませんので何万社もある求人の中で当社を選んだ人はほとんどの場合当社への強い思い入れで入社したわけではありません。 当社の職員が学生時代から高いパーフォーマンスを出せていたらもっと人気のある企業に就職できたはずです。 もちろんそれが幸せな人生になったかどうかは判りませんが高い所得は得られたと思います。

当社でも高いパーフォーマンスを維持出来れば高い所得が約束されています。 管理職は自らの部下のパーフォーマンスを高めることが仕事の大きな部分を占めています。 私も最近その役割を担うことになり、職員の面談を繰り返しています。

最初に考えたのは面談では話し合いをするわけですが、叱らない、批判しない、その人が嫌っている人の悪口に同調しない、相手の考えをなるべく否定しない(誤解していることは可能な限り説明して解く)、笑顔を絶やさないなどです。 誤解が多く、誤解の上に憶測が積み上がりますので誤解を解けばその上の積みあがった情念は瓦解します。 もちろん人はそんなに素直ではないので誤解を資料をもとに解説しても信じようとされません。 誤解は特定の人の行為・行動に向けられ、極論すれば好悪の感情が働いています。

好悪の感情を善悪にすり替えると誤解も強固なものになります。 誰でも他人に対して好悪の感情はあり、それに惑わされない行動が求められます。 あの人は公平で人格者である、となると他人から嫌われる感情を抱かれることが減っていきます。

このことを意識しながら多くの人と面談しますがすべてうまく行くわけではなく、今のところうまい方法が見つかっていません。 しかしとても必要な面談だと思っています。 面談者にとっても自分にとっても。

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課題解決

 ある部署で人間関係の問題が起きていました。 その部署の業績は芳しくありません。 人間関係のもつれは爆発寸前のように報告が来ます。 もめている人を少なからず知っていて、そんなこともあるだろうと思いました。 管理職は何をしているのか、次に考えたことです。 部署の業績が悪いのは管理職の考え方が間違っているらしいことは把握していました。 その部署の上に上級管理職がいるのでその管理職に直接指示は出せません。 指示できないなら世間話をする中でその人が本質を悟る話題を織り交ぜようかと思いましたが、その管理職は私に対して避けているようです。

そのまま時間が過ぎて、ドラッカーの解説書を読んでいたら『問題に集中してはいけない。 問題が解決してもせいぜい元に戻るだけである』とありました。 せいぜい元に戻ればよいではないかと思ってしまえばそれでお終いです。 その人間関係のもつれは本人たちだけで起こっていることではないのです。 管理職の方針や戦略が優れていないために成果が出ない、部署の人間は全般的に成果の出ていないことが原因でぎすぎすしている。 人間関係のトラブルは仕事がスムーズに流れていないなどです。

モグラたたきで一つ一つの問題に対処して組織の改善を図る方法もありますが、改善しようとする人の負担は大きくそれが管理職であればそれ以外の仕事は出来なくなるでしょう。 全員が成果を上げることに着目すれば仕事は忙しければ工夫するし、職員も生き生きしてきます。 管理職が暗いから部署も暗く、成果も上がらないとの判断は正しそうですが、陰気でいつもうっとおしい顔でいる管理職がマネジメントしている部署が高い成果を達成していることもあります。 いくらくらい顔をしていても何をすべきか、それに集中して効果的な指示を出しているのでしょう。

個人にあてはめても同じことで、自分の欠点の修正を気にしている人は成果に集中できずよどんでいます。 成果を上げている人はセンスの悪い服装でも言い回しに癖があっても人は寄ってきて成果に繋がっていきます。 とはいえ個人ベースで皆から言われる欠点は直した方がよいでしょう。

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[人間関係]

怖い人

世の中には怖がられる人がいます。 見た目もあります。 行動や発言、言葉遣いが怖さの原因の場合もあります。 行動が予測できない人も怖がられる場合は多いでしょう。 考え方が常識から外れている人なども怖いかもしれません。 怖いというより不気味な感じがします。

社内で怖がられている人の特徴をよく観察してみました。 言っていることは筋が通っていて、見た目も怖くありません。 意見が対立しても感情的になることもなく、下の人には親切でやさしく接し、上席のものにも敬意を払います。

おそらくきちっとしていていい加減なところがないことが怖がられるのかもしれません。 つまり、何か考え行動する場合に最後まで行動する、行ったことは行い、指示したことは最後までやらせる徹底が怖さの原因でしょうか。

社外でも同様な人がいて、大抵怖がられています。 煙たがられるというより怖がられています。

ある会社、大手の電機メーカーの職員はみんなおなじ顔をしていて(比喩としていったので同じ考えでいることを意味します)、初め気持ちが悪かったです。 この会社の役職の低い人たちは自分で考えたことを言いません。 しかし上席から言われたことは絶対で、揺るぐことはありません。

商談を最終責任者以外の人としていて、相手の意見を聞くと上席の意見が返ってきます。 『君の意見を聞いているのだか』と言っても自分の意見を言いません。 『私はこう思うし、上席とは意見が異なるので調整してみる』などという人はいません。

この会社の人は個別に対峙しても何ら恐怖心を抱くことはありません。 しかし権限をもっている管理職はきっと恐ろしいのではと思います。 別に暴力団ではありませんから下品な言葉で脅すことはありませんが、やると決めたら多少の不合理があってもやり遂げる組織・権力構造になっています。

この会社の上級職員の選任が良識に満ちたものであればよいのですが、何人か知っている上級職の人の中には絶対お付き合いしたくない人が結構な確率でいました。 そしてその人たちは経営に近い管理職として決して有能とは感じませんでした。

大きな会社には多様な人材がいて人選さえ誤らねば必ず成長するのにと思いますが、私が目にした人選ミスや大手企業の凋落を招いた経過を見るにつけ人選がいかに難しいものかと思います。

当社のような零細企業では残念ながら人選できるほど人材に余裕がありません。 したがって話し合いを密にして、平均を外さず、カリスマを生まない体質を作るより安全策はありません。 いかに人材が乏しくても人選はしなければなりませんから。

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直接言えない

会社の代表をしているといろいろな人からいろいろな意見をいただきます。 同じ会議メンバーの批判はおおく、『なぜあの人はこの意見にとらわれているのか?』という質問であれば想像して答えるか、『聞いてみればどうですか?』と言えばよいのですが。

会議メンバーの批判で相手の考えを柔軟にしてほしい、とのリクエスト、それも遠回しに言われる、対象の人に直接それを申し上げるのはさほど苦労はしませんが、目的は申し上げることではなく柔軟になってもらうこと、これは難しいですね。

そんな神がかりなことができるなら会議で苦労することはありません。 以前と違い最近当社の取締役会は全員が自分の意見をはっきり主張し、他人の意見を明確に非難するようになってきました。 以前そんな事は無かったのですが、以前は私がワンマンだったのでしょう。 しかし当時はどうして反対意見が出ないのか、と悩んだものです。 そんなワンマン時代を懐かしく思っても仕方なく、前述のリクエストに応えるべく知恵を絞ります。 考えれば考えるほど答えは明らかになってきます。 要は相互の意見を理解していない、どちらの意見にも別に反対も賛成もしない自分はそれら対立する意見について関心がないというところでしょうか。

だから意見の対立があればそれぞれの言葉でとことん話し合い、間に入らないことがベストのように思われます。 理解されていないのですから当然ですが、会議でそのように開設するとどんどん対立が深まったりします。 やはり私がそれぞれ個別に話をして、相手の頭を柔らかくして落としどころを探る方が時間の節約になります。

人は面倒なもの、面倒な理由のほとんどが他社の意見への理解でしょう。 会議では理解されない前提で説明に工夫が必要です。

工夫と言えば結論を明確に先に言うとか、できる限り結論に及ぶのを避けて遠回しに周辺を詰めるとかよく行われますが、発言には責任が伴いますので聞き手はできるだけ真摯に聞く姿勢をとらねば微妙な問題は技師にかけるだけで人間関係まで損なわれることになります。

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ネコといぬ

最近ネコが話題になっていて、ネコカフェなどはやっていると聞きます。 私は誤解を顧みずに言えば人をネコか犬に例えて分類してしまいます。

動物の生態学は全く解りませんが、ネコ科の動物は独立性が高く、あまり群れを成して生活する印象がありません。 天王寺区に住んでいるとお寺が多く、野良猫がたくさん住んでいます。 餌をやる人が多いのかお供えを食べているのかお寺の近辺では一定の確率でネコに遭遇します。

私が見る野良猫は子供が多く、たいてい数匹でたむろしています。 いたずら心で脅かしても少し逃げてから知らん顔をしています。 日向で寝ている猫も多く、あまり活動的とは思えません。

一方犬は野犬であれば群れを成し、群れの中で役割も分かれていて統制が取れているように思います。 かつて淀川の堤防を自転車での通勤経路に使っていたことがあります。 残業で遅くなって暗闇を走っていると堤防にいた犬が私に向かって吠えたてたことがあります。 その犬のいた後ろには草原が広がっていてそこから数十匹の犬が湧きだしてきました。 その数十匹の犬が一斉に私に向かってきます。 これは大変な恐怖で、自転車を早く漕いでも遅れることはなく、全力で逃げたことがありました。 数分で犬の群れは追跡をやめて元の草むらに戻ってゆきます。 私はほっと胸をなでおろし、家路につきます。

何度か同じことがあり、同じように逃げましたが、ある時開き直って自転車を止めて犬に向かってゆきました。 そうすると犬の群れはゆっくりと元の草むらに引き上げてゆきます。 まるで私を小馬鹿にしたようなゆっくりした歩みです。

数十党の犬の中にリーダーがいてその指示に従っているとしか思えません。 すべての犬が瞬間に引き上げてゆくのですから完璧に統制が取れています。

人に例えると軍隊のような印象です。 リーダーの存在から彼らの中に役割と序列がある事が判ります。

一方ネコにこのような役割や序列、統制のとれたチームプレーを見たことがありません。 淀川の河川敷で野良猫を見た事は無く、天王寺のお寺の境内で野良犬を見たことはありません。 すみわけと言ってしまえばそれまでですが、このような犬と猫の印象に被る人間の行動も垣間見れます。 序列やリーダーシップを重んじてチームプレーに徹する人は犬タイプ、いつも一人で個人スキルに関心の高い人はネコタイプといったところでしょうか。

実際の野良猫と野良犬は棲み分けができていて、互いにテリトリーを犯すことはしないのかもしれません。 やるとすれば野良犬が野良猫のテリトリーを犯すことが想像されますが、野良犬が野良猫を集団で襲ったり、単独同士の決闘なども目にすることはありません。

一方人間は犬型人間がネコ型人間をいじめの対象にしたりし、非常に強く知恵のあるネコ型人間が犬型人間を排撃したりするのは現実に目にします。

問題なのは人間社会では両方が一緒に生活し、働き、好むと好まざるとにかかわらずチームプレーもします。

もし私が人事担当なら人事データの端に動物マークを付けたりするかもしれません。 文句ばっかり言う職員はよく吠えるタイプの犬マーク、毅然としていて孤高の職員はアメリカンショートヘアのネコマーク、社内をうろうろして他人の仕事の邪魔をする職員はおさるのマークといったところでしょうか?

そんなことをしていてバレた日には労基署に通報されて改善勧告を受けるかもしれません。 しかし、性格診断テストの結果が人事データに打ち込まれていたらそれを眺めているとネコや犬に見えてくるのではないかと思います。

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憎しみ

腹が立って仕方がないことがあります。 その人が極めつけの身勝手で、知る人ぞ知る嫌われ者で人間関係が避けられない場合があります。 例えば身勝手な身内とかです。

昔なら村八分、最近ならネグレクトなどの問題になりかねません。 身勝手の程度によりますが、善悪の問題であるなら付き合わない選択もあります。

私はこのような例では付き合わないようにします。 最初は断るべきは断り、関係における不満はなるべく丁重に述べます。 それが続けば面談を断ります。

会って話をするぐらいどうという事は無いのですが、やはり不愉快です。 不愉快が重なれば、そして自分の時間を奪われ、金銭的な損失が重なれば全く無視することになります。 たいていはそれで関係が切れます。 それが親子など濃い関係ではうまく行かない事があるかも知れません。

一番厄介なのは相手が善意に満ちていて善悪的に問題がなく、極論すれば価値観のかなりの部分も寄り添えるにもかかわらず話をしたくない人がいることです。 例えば上司と部下、取引先、同僚などです。 できるだけ避けたいと思っても面談の必要性は高い場合があります。 事実はそんなに頻度は高くなくても合わない人と思えば一時間の面談が一日の苦労にも感じます。

ここの気遣いをうまくやらなければ善悪・損得の問題ではないので憎しみが募ることになります。 これは不幸な事、相手が悪い、でも自分が悪いと腹をくくる場合でも心の重荷になってしまいます。

たまにそのような人と瞬間的に意気投合して人間関係が改善することがあります。 多くの人も経験があるでしょう。 初めに合わないと思った先入観がついて回って、それがふと消えたとき別に嫌でも何でもない人間関係が成り立つ時です。 先入観はのちの情報でどんどん評価を変えられる心の柔軟さが大切なのでしょう。

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[人間関係]

人間関係

 社会生活を営む上で人間関係の問題は避けて通れません。 私も人並みに人間関係で悩み苦しむことが多くあります。

 たまたま先日ある本を読んでいて人間関係の要となる言葉に出会いました。 『信頼とは善良な動機から始まる』というものです。 誰の言葉かひかえていないので判りませんが、この言葉に出会った時生るほどと思いました。 もちろん人間関係の問題のすべてが信頼感に根ざしているわけではありません。

 人間関係は大きくは善悪の問題と好悪の問題(価値観の違いと言えるでしょうか?)に大別しています。 仕事での人間関係に限定すれば殆ど善悪の問題として対処が必要でしょう。 人事考課や仕入れ先の選定を好き嫌いでされたらたまりませんし、 例示した言葉通り信頼感は築けません。

 しかし解っていても好き嫌いはありますし、 結果に反映しているでしょう。 ある仕入れ先は担当者が来たとき『この担当者なら取引してもよい』とひらめき、現在主要取引先になっています。 その時の担当者は出世し、やがては当社の担当を外れることになるでしょう。 私が今後も仕入れ先の決定権を持つなら後任の担当者が気に入らなければ仕入れは大幅に縮小されることになります。 その仕入先との取引により、当社は大きく展開することができました。 別の仕入先で同じ結果になったかわかりませんし、担当者が別の方であれば全く取引することはなかったかもしれません。 つまりお互い気に入ったおかげで相互の利益を作り上げることができたわけです。

 同じような話は大企業の社長の話にも出てきて、そんな神がかりな人間関係が世の中にあるものだといつも不思議に思います。

 社員の採用でもそのようなひらめきを感じる人がいて、入社が叶うように話しかけ、入社後活躍されている方もいます。 活躍したのは本人の努力の賜物なのですが、私はことあるごとに話を聞いたり話したり励ましたりします。 これを依怙贔屓と言えばそうなのでしょうが、こちらがそう思わない人に同じことをしたら疎ましく思われるだけです。

 私はひいきにしている人の仕事がうまくゆくように心から思って話を聞いたり話したりします。 つまり最初に紹介した『善良な動機』 に基づいて対応し、お互いに信頼感が生まれます。

 では絶対的な『善良 』はあるのでしょうか? 前出の例では依怙贔屓されているから本人が頑張っただけではないか、それのどこが善良なのか? 人事考課でその人に甘く評価したわけではなく、本人は人並み以上に努力し成果を生んだ、それのどこがいけないのか、そもそも人は相性があり、私の時間や心に制限ある中ですべての人に平等に対処などできるわけがなく、私が励ましても成果を生まない人に励ましの言葉をかけて本人が疎ましく思い、腐ってしまうなら言わない方がよいに決まっているではないか、と言い合いになります。

 正しいことや善良なことに絶対性を求めても意味が無いように思えてなりません。  結果的に会社に貢献できることを私の心の善良性から行っている、別に自分に都合の良いシンパシィを得ようとしているような善良でない意思は持っていません。 

 何を行っても反感はあり、反感を抱いた人たちにも毛嫌いするわけでもなく誠実に対処してエゴイスティックな指針がないことを示し続けなければ信頼は生まれません。 単純に私の行為に反感を持つ人は日々のあいさつの仕方でも感じようがにじみ出てきますが、こちらからは感情で返すことはしないようにしています。

 何か自分の考えを表すことはここまで気を使わないといけないならそもそも気に入った職員に声などかけなければよいのですが、それもこれも人間であるから出てくる話で、避けて通れないのでしょう。 

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[人間関係]

人間関係

 あけましておめでとうございます。 昨年末に900を超えて今年は1000に迫りたいと思いますので訪問してください。

 我々の年代は年始に今年は〇〇すると年間計画を立てたりしていましたが、立てた方はおられますか? 私の今年の計画は昨年に引き続きというよりかここ数年変わっていません。 同じ計画を立て始めた時期より10年ほど前、ちょうど今の会社に来た頃ですが私がまだ40歳代、同年代の人に比べると大変元気で体力・気力ともに 充実していました。 しかし30歳代に比べると体力の低下は著しいものがありました。

 しかし仕事中心の生活をしている中で体力の低下を気にすることは稀でした。 50歳代に入って運動不足から体重が80㎏に近づき、無呼吸症候群が出てきて血液検査でも要治療判定となりました。 食事量は半分に減らしましたが元の体重に戻せません。 朝起きて自転車で長距離を走ったり散歩したりしましたが対して効果がありません。 夜の付き合いは徹底して減らし、規則正しい生活パターンにしました。 最近数年は筋力トレーニングも継続して行うようにして食事量もさらに減らしました。 もう水を飲んでも息をしても体重が増えるのではと思うほどです。

 数年前からは自転車も乗るのを減らしてなるべく歩き、毎日1万歩を目指しています。  今更ハードなスポーツや醜くないスタイルに体を作り変えるのは無理としても健康でいること、定期健康診断で検査数値の改善を図ること、一万歩を歩いても疲れを感じない程度の体力を養うこと、体重を65kgまで落とすこと、そのためトレーニングメニューを作り、出来た項目に丸を付けています。

 前置きが長くなりましたがこんなことを考えていると夜のお付き合いは全くダメになり、毎晩9時に寝て5時に起きる生活が定着しています。 

 こんな生活をしていると気持ちが内向きになってもともと狭い付き合いが殆ど無くなってしまいます。 そこで今年はデイタイムの人間関係をそれも今まで付き合わなかった人間関係を築いてゆこうというのが今年の計画です。 この年になると新たな人間関係を作るのが面倒くさくなりますが、まめになろうということでしょうか。

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