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会社運営

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会社経営7

 前回も書きましたが当社は医療・介護分野を領域としており、私もその中にいました。 医療介護は労働集約型の事業です。

一度オランダの処方箋調剤薬局のビデオを見せてもらいましたが、郊外に小さな工場のような建物があり、大型の調剤機器が並んでいます。 処方箋のQRコードを機械に読ませると薬剤の入ったプラスチックのボトルが取り出し口から出てきます。 それを袋に詰めると学生アルバイトが自転車で配達するシステムです。

日本では錠剤はヒートシートになっていて処方箋記載の錠数に応じてシートを棚から取り出します。 1枚の処方箋に記載薬剤がそろえばそれを別の薬剤師が監査(内容に間違いないかチェック)し投薬します。

オランダのほうが合理的で、日本の労働生産性が先進国で下位であることに納得します。 欧米の映画を見ていて薬を飲むシーンがあり、すべてがすべてプラスチックケースから薬を取り出しています。 アジアの映画でこのシーンに出会ったことはありませんがおそらく同じと思います。

当社の薬局だけこの方式をとることができません。 プラボトル入りの薬剤を注文しても日本では製品化されていません。 ヒートシートであることの意味はあるのでしょう。 医療業界でこの種の非合理を伴った方式の固執は私もいくつか目にしました。 行政の考えか業界の意識が知りませんが薬剤費の節約よりそれにかかわる人権の節約が額として大きいと思われます。

前回の記事で医療介護以外の事業をM&Aで購入する話をしました。 医療介護は時間とともに収益性が低下する以外に政治的な不合理やしきたりの制約が個人として関心のわかないところです。 人の健康や生活を守る仕事は制度で守られていて社会に貢献していることを実感しやすい事業であります。 しかし医療介護以外の事業は社会貢献しないかというとそんなことは全くありません。 貢献の程度が利益として実現するわけです。 従事者一人当たり、売り上げに対する利益の割合の平均は医療介護において他事業領域より低く、その意味で社会貢献度は低いことになります。

 

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会社経営6

 当社は薬局経営から始まった会社です。 かつて処方箋調剤は病院内で行われ、多くの薬剤を処方することで過剰投薬が問題となり、院内処方調剤の点数を切り下げたため多くの病院が院外処方を発行するようになり、処方箋調剤薬局は乱立し、チェーン化して上場するところまで展開しました。

処方箋調剤を行うと薬局は薬価マージン差を得ることができ収益性が高く大病院の門前の土地は値上がり締まりした。 社会保険事務所に月に一回調剤を行った処方箋を持ってゆくのですが、大手の薬局は段ボール箱数箱を高級車に積んで持ってきます。 だからというわけではないでしょうが業務でヨーロッパ車を使うほどには儲かっていたようです。

厚生労働省は院外処方せんを促進し薬剤費の低減が達成すると薬価マージン差を無くすよう薬価を決め、調剤報酬を減らして薬局の収益を圧縮してゆきます。 一般に制度ビジネスと呼ばれるものは行政の制度変更に従わざるを得ず、事業としての自由度は低いものです。 私は制度微子ネスが社会的に必要であることは理解しても事業としてやりがいを感じませんでした。 2000年に介護保険が施行されると当社も介護ビジネスを始めました。 しかしこちらも制度ビジネスに変わりはなく介護保険サービスが社会に行き渡ると調剤薬局と同様に事業者の利益を圧縮する制度改定が行われます。

私はできる限り早く制度ビジネス以外の事業の柱を作りたいと思いました。 しかし薬局の経営をやってきて他の事業に取り組むことは難しく、ヒト・モノ・カネ・ジョウホウのどれもがありません。 介護事業はフランチャイズ契約のもとに始めましたが契約を解約することで戦略展開に自由度が増し大きな利益を生むようになりました。 この利益が制度変更でなくなる前に何とかしなくてはと思っていたら丁度小規模事業会社のM&A仲介が出始めました。 日本全国で助成金対象となるような小規模会社は数百万社あり、かなりの割合で後継者がいなくて会社存続が危ぶまれるようになりました。

本来商売・事業は何らかの差を埋めることで利益をか得するものです。 石油を消費する日本は油田がありませんが産油国は自国消費を補って余りある採掘を行うことができ、その温度差に利益を伴います。 新たに事業を始めたい当社にとって新規事業を立ち上げるのは至難の業、事業を買えるならそのほうが確実に利益を得ることができます。 仲介会社に紹介を依頼すると医療・介護のビジネスばかり紹介してきます。 本業とあまりにかけ離れた事業を紹介して失敗されては信用問題だと思ったのでしょう。

こちらの意図を徐々に理解した仲介会社は世の中にあるあらゆる事業を紹介してくれるようになりました。 その中から選んでゆくわけですが、これが大変で医療・介護以外の事業分野は事業内容はなかなかはあくできません。

希望すれば膨大な資料が送られてきますが会計資料や出勤簿、不動産の謄本などで業務内容やリスクについての資料は少なく、事業運営のイメージはつきにくいです。 株式投資の判断基準としてPBR(price book value ratio)に近いものが重要な判断基準となってきます。 譲渡価額は純資産の何倍か、もしくはPER(price earnings ratio)譲渡価額は純利益の何倍か、です。 もちろん成長性や競争環境、すぐになくなったりしない事業を選ぶことは当然ですがそもそも将来性のない事業は仲介対象にはなりません。 東京証券取引所に上場する大きな会社のPER平均は15倍前後らしいです。 紹介される企業は零細であり、安定しないので3~10倍程度でしょうか、上場会社と比較すれば大変割安です。

こういった零細企業の社長は一代でその会社を作り上げた優秀な技術者だったりしますので後継者のことまで手が回らなかったというようなケースが多いように思います。 経営管理面ですぐに手当てを必要とすることが多く、逆にそれをこなせば伸びしろがある場合も多いという事でしょうか。 このようにして当社はM&Aによる企業買収に着手しました。

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会社経営5

 零細企業に限らず意思決定のスピードは重要です。 何かを決めるのに時間がかかる人とそうでない人の違いはその人の価値観など個人差かもしれません。 いつも時間がかかるように見えても決めるのはさっさと決めていて決めたことを実行するのにタイミングを見計らい決めたことも公言しない人もいます。

将来このようにしてゆきたいというビジョンを持っていれば悩ましい問題も判断が早くなるように思います。 ビジョンを持てということを経営者のセミナーなどで推奨されますが、ビジョンをもてとアドバイスされて現実的なビジョンをなかなか描けるものではありません。

私が経営に関与しだしたときに会社は混乱していました。 問題が放置され、それが常態となっていて、モグラたたきに個別に対処しましたがうまくその問題が解決しても会社自体は良い方向に向かったように実感できませんでした。 良い方向とは何かと考えた時最初に思ったのは社員教育、私は人に教えるのが得意でなく教えるのが得意な人を自分の周囲で探し、入社してもらいました。 ドラッカーの本をテキストにして社員教育が始まり会社は肌感覚では体質が改善されました。 ドラッカーのテキストは経営者向けで社員教育に違和感がありましたが、経営とはどういうものかが解説されていてそれが効果的であったと後でわかりました。

同時に将来ビジョンを考える余裕が出来て、私自身もドラッカーに影響され将来ビジョンの基本として永続的な経営を意識しました。 規模拡大を一番に意識するとかではなく最適規模の経営を目指そうと考えました。 社員教育をしてくれた人はビジョンのもとも提案していただき『百人の社長を育てる』と言い出しました。 ドラッカーをテキストにした意味を納得しました。

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会社経営4

 介護事業のフランチャイズ契約を解除して大きな利益を生むようになりました。 わかっていたこととはいえフランチャイズ事業を調べてみましたがフランチャイジーがそれなりに利益を稼げるものとフランチャイザーが利益を集約するもの、そもそもフランチャイズに不向きな事業、本部運営が上手く行っていないものなどいろいろあることがわかりました。 私見ですがP社はFC運営に問題があったように思います。 現在もFCは運営されていますがネットで見る限り上手く行っておらず、現経営者も私が知る限り経営素養のない人が担当しています。

FC離脱後事業運営は上手く行き、大きく利益を得ることが出来て人も雇うことが出来ました。 当社の祖業は調剤薬局、厚生労働省管轄の制度事業はルールでがんじがらめにしておいて利益を圧縮するものです。 医療関係は医師が圧力団体を持っているので利益体質を維持していますが、団体を持たない薬局は絞れるだけ絞られます。 それゆえ厚労省関連の制度ビジネスから離れたいというのが方針でした。

そこでM&Aにチャレンジしようと大手仲介会社にコンタクトを取りました。 担当者が来て譲渡価格は数十億円のものを扱っているといわれ、とても手が出ないと思いましたが、中小企業の事業承継が社会問題になり、仲介会社が仲介対象として参入してきました。

新たに仲介業を立ち上げ、この分野に特化した仲介会社とコンタクトが取れました。 紹介されるのは確かに小ぶりの会社が多く、譲渡価格も手ごろです。 しかし業種はいろいろで医療・介護事業以外は知見がなく判断が付きません。 その仲介会社の社長が来られ、一渡り紹介案件を説明して最後に『まだ依頼を受けたばかりですがとても収益性が良い会社があります」と帰り際におっしゃい、私は「ちょっと待ってください、その会社のことを教えてください」と言いました。 埼玉の会社で手術時にレントゲン撮影する受光部のカバーを製造するメーカーとのこと、パート10人と社長だけの会社でとても利益を上げておられます。 私はその会社に連絡し、すぐに埼玉の会社まで訪問しました。 社長と和やかにお話しできてこの話はまとまるかと思いました。

帰社後取締役会で『私はこのM&Aが成立したら代表を辞任して個人でその会社を買いたい」というと反対2人、賛成3人で了解されました。 埼玉の会社の社長から電話があってM&Aを断ってこられました。 理由は私がうえろくの代表をしているから代表が抜けるのは良くないというものでした。 まったく大きなお世話、とはいえ断られたのであきらめ、引き続き会社にとどまることにしました。

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会社経営3

 福祉用具の事業は私が入社する前からある会社のフランチャイズに加盟していました。 そのフランチャイズは現在うわさを聞きませんので撤退したか凍結しているのでしょう。

平成11年10月1日、私はサラリーマンを辞めてうえろくに入社しました。 当時は会社は赤字で給与はありません。 平成12年4月1日から介護保険制度が施工され、それに伴い松下電工(現パナソニック)が福祉用具、介護機器レンタル、住宅改修を制度ビジネスとしてフランチャイズ加盟を募集しました。 平成11年5月当社は全国3番目で加盟しました。 およそ人口30万人を1店舗区画としての募集です。 当社の営業エリアは店舗所在の天王寺区および隣接区でした。

この事業モデルは大手広告代店の企画のもとに事業化されましたが、フランチャイジーにとって収益源は介護機器のレンタルで用品販売は収益源としてぽりゅうむが出ず、住宅改修は一人親方の工務店との価格競争になります。 フランチャイズに加盟していない同業他社はレンタル中心に事業展開して高い収益と安定証券を確保しました。

一方松下電工のフランチャイズ(以下FCという)は松下電工がもともと建設資材に強く住宅改修をFC本部として推進しました。 住宅改修は価格競争が厳しく和式便器の洋式便器交換はチラシで14万円などと広告されているときに50万円ぐらいの見積もりになりました。

一方利用者側の視点に立てば住宅改修が有効な環境整備もあれば介護機器の利用が有効な場合もあります。 収益性から方法を偏ると理想的な環境整備から外れることになります。 フランチャイジーにとっても収益確保から好ましくありません。

これではこの事業はフランチャイジーとしては継続できないと考え離脱を決意しました。 FC契約は簡単に解約できない内容で、弁護士に相談に行っても松下電工の法務部と聞いて丁重にお断りします。 当時の松下の法務部は日本で有数の力を持っています。

契約解約以外に安定仕入先の確保があります。 一番は介護機器レンタル卸、新規に取引を開始しても利幅は小さいものです。 またレンタル卸業界が成熟しておらず介護機器のレンタル卸は発注後しばらくして(倉庫に確認に行って)欠品ですと回答してきます。 頭にきて卸に怒鳴り込んだことがありますが卸の担当はなんで私がそんなに怒っているのか理解できないようでした。 その後その卸とは取引が減少の一途をたどりました。

FC契約解約の最後の障害は営業職員のFCに対するシンパシィです。 社内でFC解約を考えていたのは私だけで職員に相談しませんでした。 そんなある日FC本部から1通の封書が来てレンタルの仕切りを数割上げるというものでした。 継続取引の仕切り価格についてはどの業界でも双方の合意形成が必要で、FCシステムでは本来本部仕入れを強要されています。 すぐにC本部を運営する会社の社長に電話して面会しました。

「一方的な値上げは受け入れられない、」と言うと「法務部と確認し違法性はないと回答を得ている』、「これでは契約解除しか生きる道はない」と言い物別れに終わりました。

しばらくして呼び出しがあり、FC本部に介護事業の管理職数名と訪問しました。 くだんの社長が出てきて私が契約解除も辞さないといったのを盾に「契約解除の申し出は受け入れる、口頭契約も契約である」と高圧的に通告され、嫌みを言われ、階段を一方的に打ち切られました。 大企業対零細企業の構図そのものです。 帰社途上本部にシンパシィをもっていた介護事業の幹部は一転して本部に反感を持ちました。 これで最後の課題は解消し、FCを離脱しました。 早速屋号を決めなければならず、3カ月ほどの期間で新規屋号での業許可の申請などをへてFC離脱の翌日からFC離脱の案内を取引先に出し、介護機器の入れ替えを案内してゆきました。 毎日レンタル品の引き上げを行い新たな取引先のレンタル品を納品してゆきます。

そうして数カ月が過ぎて取引先の減少は全くなくレンタルの粗利が大きくなり各店の損益が大きく改善されました。 FC解約の影響は全くと言ってよいほどないどころか逆に取引は拡大してゆきました。

その後FC本部からFCのマーク、名称を使っていないか厳しく問い合わせがありました。 名称やマークは商標登録しているのでわかりますがFC当時の名刺はすべて廃棄し営業車の表示も変えました。 むしろブランド力のない松下・・・は消し去ったほうが良いと思っていましたがFC本部はそのように考えていなかったようです。

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[未分類]

会社経営2

 前回のブログで代表をしていた時のお話を始め、今回2回目です。 前回のお話は経営者の仕事は責任を取ることをテーマにしました。 その続きで経営者は責任を取るためにどのようなことをするかが今回のテーマです。

経営責任はすべて結果に対してのもので、当たり前のことですが好ましい結果が出なければ責任を取らざるを得ません。 かつて山一證券が倒産したときの社長の記者会見で号泣しながら『社員は悪くない』と社長が絶叫されていました。 その社長は会社が倒産することが見えてきたとき突然と社長に指名されたそうで、なんで私がと思われいたようです。 シャープや三洋電機のその後のルポルタージュを読むとよく似た話題が出ています。 最悪の結果が想定された時点で彼ら社長は会社の実態も知らされずいけにえにされたような印象をもちました。 自分が小さい会社ながらも代表をしていて背筋の凍る思いでした。

当社は私が代表就任後幸いにして業績が良くなり、売り上げがどんどん増えてゆきましたし損益も黒字化しましたが、就任時には債務超過に陥っていて金融機関からの負債も少なく(借り入れができなかった)、仮に倒産しても泣いて債権者に謝罪することは免れたと思います。

当時あるフランチャイズに加盟していましたが、本部仕入れの支払いは松七五三良く15日現金払いでした。 一方売上の大きな比重を占める介護保険関係の回収は月末締めの2か月半後でした。 つまり保険事業を行えば行うほど資金はショートしてきます。 資金残量は月末がボトム、月半ばの現金は1千万円ほど、月末の支払いは1200万円が想定され、支払い不能を覚悟しました。 もちろんその半年前から資金調達の準備を進め、銀行に借り入れの申し込みに行き、国金の借り換えなど検討しましたが、保証協会の転貸融資のみ可能ということで安心していました。 ところがいざ申請に行くと一部の不正経理が発覚し、融資がかないませんでした。

つてを頼りに知人や親戚まで金作に走りましたが誰も応じてくれません。 絶望し、自殺をして生命保険、損害保険の保険金で賄おうと決心しました。 資金ショートする月の下旬、今週の金曜日に車の事故で自分は死ぬと決めた月曜日、自分の父親が逝去しました。 自分の父親(晩年は仲が悪かったのですが)が死んで私は命が助かったと思いました。 結局相続財産から会社に貸し付けを行い事なきを得ましたが、その額300万円でした。 自分の命が300万円、何やら情けなく思いました。

上位仕入先2社のトップに面談したときたまたまこの話が出て、2人とも結ってくれれば支払いを猶予したのにとおっしゃっていただきました。 しかしその時追い詰められていた自分は気が回らなかったし、仮に気が付いても支払い条件は絶対と思っていましたから頼みに行けなかったかもしれません。

その後も業績は順調でのちに資金がショートすることはなくなりました。 自分にとっては経営者が責任を取るということをそのように考えていて、随分馬鹿な経営者だったと思いました。

経営責任を取る方法はいろいろある選択肢の中から決めることです。 結果が上手く行けばその経営者はサイコロを振って決めていても「すごい」ということになります。 結果の責任は称賛に代わります。 しかしサイコロを振って意思決定を続けていていつまでも勝ち続けられるものではありません。 経験からここ一番の意思決定の勝率は1から2割程度です。

勝った1~2割の成功は周囲の人から称賛の目で見られます。 しかし経営者は少なくとも私は失敗した8~9割の決定についていまだに夢に出てきます。 成功したことは忘れていることすらあります。 勝った喜びより負けた悔しさ、他人対する感謝より憎しみが忘れにくいものであることは心理学の実験などで話題になります。

しかしそれだけ低い勝率であっての意思決定を恐れたことがなかったのは自分の誇りです。

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会社経営1

 私は会社の一線を退いて6年ほどたちます。 その前は代表として16年ほど今の会社の代表をさせていただきました。

このブログも代表をしていた時にスタートしましたが、政治・宗教・会社の話題は極力避けてきました。 ブログを始めたきっかけは労働集約型の事業を営んでいて職員採用が事業の存亡にかかわると思いこんな面白い経営者がやっていることを知らしめることでした。 果たして私に興味をもっていただいて入社を決めた人がいたか定かではありませんが時々あの記事はどういう意味かと電話で問い合わせがあったりしました。

私は仕事の一環として日本経済新聞電子版を丹念に読んでいます。 その中で経営者のブログというコーナーがあって著名経営者が連載されています。 やはり政治・宗教の話はかかれませんが仕事にかかわる話は書かれています。 きわどい話もありますが大きな会社の経営者はきわどいことがきっと中小企業より多く、きわどさが鈍感になっておられるのかもしれません。 その方もリタイアされてから書かれています。

私は秋田で在宅勤務ですが、相談役というのはおまけの役職なので来たメールを読んで仕事にかかわる本を読み、後は新聞を読むだけの閑職です。

私が会社に帰属していることを知らない職員人も多く、大阪に帰り私も顔も知らない職員からあいさつされて『浦島太郎』をイメージしてしまいます。

それくらい存在感がぼけてきたのでそろそろ仕事の話、何を考えて経営の仕事に携わっていたのか書いてもよいのではと思い、連載することにしました。

経営者の仕事について世の中で誤解されていることが今回のテーマです。 経営者の仕事内容は何か?といったときに私が一番最初にイメージすることは責任を取る人だということです。 日本の会社法では取締役は株主から経営を委任されていることになっています。 民法の委任契約で雇用契約のように指示・命令されることはありません。 事業運営を行い利益を上げて会社を継続させる=Going concernことです。 自由度は高く(就業規則の制約はなく労災の適用もありません)、好き勝手に仕事をし好き勝手に破綻しても法律に違反していなければ会社を潰してもお咎めがありません。

これだけ見ればやってみたいと思う人が多いかもしれません。 私は半世紀以上も前に生まれ、将来会社の社長になりたいという人が周りにたくさんいたように思いますが今は若い人に今度の株主総会で取締役に就任してくださいと言えば辞退する人は多いと思います。 どうも社長の仕事は大変な仕事というイメージやとんでもない才能が必要と思わせる人が多いせいだと思います。

私はやってみて経営者の仕事は単純な業務の繰り返しだと思っています。 あくまで私見ですが、薬局の床が掃除されていなくて歩くと埃が舞うので開局前に掃除してくださいと薬剤師に言ったら残業代が出るのですか?と返ってきました。 仕事の一環だから残業代を出すのは当然として医療従事者として不潔な環境で仕事をすることに疑問を感じない人に国家資格が付与され、高い給与払うのは苦痛でした。

そこで私は結構です、私が掃除をしますと言って5年ほど開局2時間前から掃除をしました。 薬局はきれいになり、薬剤師も入れ替わり掃除を進んでやってくれる薬剤師に代わってゆきました。 5年が長いかどうかわかりませんが経営者として薬局の環境を変えることが出来ました。

ある時時間のかかる処方にしびれを切らした患者様が「なんで時間がかかるのか」と怒り出しました。 時間のかかる処方もあるのですが知溶剤していた薬剤師が「薬にゴミが入っていて」と言い訳しました。患者様はここの薬局はごみの入っている薬剤を使っているのかと激怒しました。

この話がもしこじれてしまえば代表である私が責任者として謝罪に行きます。 これでお分かりと思いますが代表者の仕事は責任を取ることにあります。 責任さえ取れれば会社にいなくてもだれも咎めません。 責任を取り会社がうまく回ればよいのです。

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モチベーション

 長らくご無沙汰していました。

私は会社の代表を20年弱、代表を降りて3年、取締役の寿命も67歳になって終わろうとしていた今年の春に零細企業の子会社を担当しろと拝命し、半年従事してきました。

経験のない製造業、知見のないシール印刷というニッチな分野の会社です。 私を入れて10人の会社、私を除いて全員善良で気持ちの良い人たちです。

人間関係で問題となることはなく、仕事の9割以上がある会社の孫請けです。 不安がいっぱいですが、その仕事を逃すわけにゆかず、恐る恐る新規の仕事を探しています。 営業は営業部長に任せ私はやることが無いので社内の半端仕事をやっています。 見張っているだけでよい機会のオペレーションや掃除・片付け、そして皆の話を聞くことです。

最近異業種からやってきた私のような年寄りに話を聞いてほしいと思う人がいるもので、ちょっと驚きでした。 はじめは若い職員がどんな社長か当たり障りのない質問を出してきます。

社員が私のことを知るより早く不足人員を採用し、残業を減らし、休暇がとれるようにしたので私がどんな人間かおよそわかったようです。 職員が初めに知りたかったのは経営者が変わって条件の悪化を心配したようです。 安心すると今度はどんな人間かに関心が移ります。 反対に私は立場上彼らのことを知りたいので彼らを質問攻めにします。

私が若い時、と言っても30歳を過ぎてからですが、自分の存在価値を自分自身で知るため他者の欠点や仕事の隙間を探して埋めることに注力し、自分の存在価値に自己満足していました。 競争の激しい業界の製品機能のようなもので、炊飯ジャーなら電熱加温からIH、別の会社は加圧釜など機能構造を付加し、お米を炊くだけの道具を10万円を超える製品に仕上げました。 千円で買ったステンレス鍋とガスコンロで壊れることなく何十年もお米は炊けるのですが、自分の生き方はこの炊飯ジャーの製品開発と同じ様なものでした。

会社の代表になったときは採用した職員と話し、仕事の面白さを伝えることでその人のパーフォーマンスが劇的に上がったりするのが私のモチベーションでした。 しかしパーフォーマンスの上がった人は単独の業務範囲でパーフォーマンスを上げていて彼・彼女の周囲の人に影響を与えないばかりか依怙贔屓をしているという批判まで出てきました。

それが代表を降りる前の話です。 今の会社に来て朝礼で表明した初心は1+1が3になることを考えてほしいでした。 製造業なので印刷原紙のセットを習熟することで材料ロスを減らし、セット時間を短縮できて一石二鳥をイメージしました。

皆は私の初心を聞いているのかいないのか判りませんでしたが、作業時間が短くなり、不良品が減り、製品検査の時間が大幅に減りました。 程度においてその改善は目を見張るものでした。 それが残業時間や休日出勤をなくすほどの効果を上げました。

次に朝礼で言った目標は各人の多能工化でした。 仕事は繁忙の落差が大きく、その中でも工程間の繁忙がずれて生じます。 工程が3あれば1工程にかかっているときは2,3工程の担当は仕事がありません。 1工程が終わると2工程だけが忙しくなり、1工程の担当は仕事がなくなります。 私が行ったのは単純な話ですが以前はそれを考えることなく、納期前には最終工程の人が深夜まで作業をしていたそうです。

私が伝えた2つの改善は協業の効果を上げるものです。 協業は良好な人間関係を必要とすると信じていました。 はじめ書いたようにこの会社の職員の方の人柄がよいから協業が成果につながったと評価しました。

しかし別の会社では人間関係ではなく個人の責任感、仕事の習熟と適切な管理システムが協業を成功させると考えている経営に直面しました。 自分の職務範囲が明確で、責任感をもって計画された期間内に各人の仕事が期待された完成基準で完成していれば組織運営は最高のパーフォーマンスを上げるというものです。 とはいえトラブルも起こり、指定された期間内に計画通り各人の仕事が完了するとは限りません。 そこで一番重要な管理ツールは進捗管理表です。 ある部署では大型のホワイトボードに各業務の進捗が書かれ、ある部署ではスケジュール管理表が共有ホルダーに設定されています。 相変わらず孤立して仕事をする人は共有ホルダーに予定を書きません。

この組織運営では部署の飲み会、食事会、職員間の私的なコミュニケーションは減ってゆきます。 かなりの割合で在宅勤務を行うようになり、職員間の電話の情報交換や調整はメールにとってかわられます。 残念ながら人はメンタルケアを必要とし、この組織運営の方法でどのようにその部分を解決するのか芳しい事例は見当たりません。 各人の専門スキルが際立って高く、評価も厳格で報酬も高い組織においてはうまく運営されるのかなと思います。 どちらにしても組織運営の方法は私が初めて社会人になったころは時代劇の大名の社会と変わらないように今にしては思います。 数年のうちにメンタルケアなどの問題も対処できるようになり、今までにない会社運営が行われ、旧態の会社は退場していくと思います。

 

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代表じゃない

 有限会社に出向し、初めの手続きが商業登記で、私が代表取締役に就任したことを登記しました。 ところが登記簿謄本に代表と記載されていません。 登記簿謄本をもとに銀行口座やその他契約関係先に変更依頼をかけていきました。

信用金庫の口座名変更を依頼すると代表を消されました。 理由を聞くとシステム上商業登記の記載に合わせるようになってるとのこと、自分の口座名称をなぜに登記に合わせなければならないのか不愉快です。 名前はと聞かれて「やまだ」と答えたら「やまの」ですねと言われたようなもの、取引先から神原さんは代表取締役ではないのかと聞かれるほどです。

保険代理店は振込手続きを行ったところ当の信用金庫から引落拒否を受けたと電話がかかってきました。 しばらくして引落可能との連絡がきたそうです。 あまりに腹が立ったので司法書士に電話して聞くと「有限会社を規定する法律はなくなったので付帯関連する法で定めてある、理由なんか知らないし説明もなく、合理性も推定できない」とのことでした。 まったくばかげた取り決めで、そこまで有限会社が法律作成側から見て邪魔ならすべて株式会社に強制的に変更すればよいことです。

経営者をやっていてこんなつまらないことで腹が立ち無駄な時間を費やしたことはありません。

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指標と真の目的

 1月2日、青森県日本海

 

ここ数年、社内でKPIが話題になりました。 辞書的解説はkey performance indicater 重要経営(業績)指標と訳されています。 KPIに似た指標としてKGIなどいろいろ設定されています。

何をすれば売上・利益の伸長につながるか、例えば営業部であれば得意先営業訪問件数がこれにあたるとします。 月に100訪問は時間的に可能な訪問件数、90訪問に減らせば売上・利益もほぼ1割減少するなら有効な指標になります。 0訪問になれば売上・利益も0になることは想像できるでしょう。 では1000訪問すれば売上・利益は10倍になるか、一般には訪問件数と売上・利益はあらゆるレンジでもパラレルとはなりません。

訪問数を増やして売上・利益がどのように変化するか実験し、測定して相関関係が認められた範囲において指標として有効になります。 その範囲を超えると別の相関関係が現れます。 それが二次関数なのか対数関数なのか実験してみないとわかりません。

目的は一定の売上・利益が稼げる事業を維持することで、下回ればいずれ事業から撤退せざるを得なくなります。 事業が継続できなくなってからでは遅いので先行指標を観察しようという意図もあります。

社内で観察していると誰も月次業績の説明にKPIをつかいません。 売上・利益変化と設定したKPIが一次関数の関係で(KPIの1割減少は売上利益の1割減少)か時間的に同時であるならばKPIの説明は不要で売上・利益の推移を説明すれば済みます。

必要なことは『なぜ』を繰り返すこと、各数値の関係を明確に把握すること、それが数値化されにくいもの=職員のモチベーションに影響を与えるものはなにか? なぜを繰り返して関係性の高い要因に近づいてゆくことが経営管理のかなめで、誰もが納得するKPI,KGIを設定して観察を繰り返すより合理的であるように思われます。

これら指標となる道具は道具の種類と使い方、限界を知ることが重要でそれが計算式に組み込みやすい(数値化されるという理由で)ことから今後も使われてゆくことと思います。

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